「みえない僕と、きこえない君と」

橘 弥久莉

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第五章:薄明の中で

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-----目が見えないことが、全てではない。



 そのことだけに囚われていた僕の心が、
彼のひと言で解放される。
 どんな僕も、“僕”なのだ。
 目が見えても、見えなくても、変わらず
人生は続いて行くのだし、失うものばかりに
心を向けていれば、共に過ごす弥凪まで、
急ぎ足で人生を生きることになってしまう
だろう。

 「ありがとうございます。本当に、石神
さんに相談して良かったです」

 僕は、見えないとわかっていながら、彼の
前で深く頭を下げた。

 「いやいや、そんな礼を言われるような
ことでは。ただ、少しでもあなたの人生が
豊かであって欲しいという思いから、つい
つい、説教のようになってしまいました。
でも、プロポーズはされるんでしょう?
気持ちは固まっているのだから」

 少し温くなったコーヒーを口に運びながら、
石神さんは訊いた。

 「はい。それは、決めています。もう、
指輪も買ってしまったので」

 僕は弥凪に内緒で購入した指輪を思い
浮かべながら、口元で笑んだ。
 彼女の趣味や指のサイズがわからないから
少し不安だが、サイドにピンクダイヤをあし
らった婚約指輪が、ローチェストの引き出し
に入っている。

 ピンクダイヤは、“出会えることが奇跡”
と言われるほど希少なものらしく、僕は彼女
と出会えた奇跡に感謝したい思いから、
それを選んだのだった。

 「婚約指輪ですか。なんだか懐かしい
ですな。わたしが妻に指輪を贈ったのは、
もう何十年も前のことだから、いまはどこに
しまっているのやら」

 ふふ、と、肩を竦めながら、それでも、
幸せそうな笑みを浮かべる。目尻の深い皺
から、人生をゆるやかに、楽しみながら
生きる彼の様子が想像できて、僕も知らず、
笑みを深めたのだった。

 





 その日、僕が彼女を連れて行ったのは、
いつもの総合公園だった。

 (散歩に行こうか)

 と、アパートに来たばかりの彼女を連れ
出したのだ。玄関で靴を脱ごうとしていた
彼女は、一瞬、きょとん、と目を丸くした
けれど、すぐに(いいお天気だしね)と、
手話で言って、そのまま僕について来て
くれたのだった。




 暖かな春の日差しを浴びながら、見慣れ
た風景の中を歩く。鞄の奥には、この日の
ために用意した婚約指輪が入っている。

 普通なら、どこか特別な場所に恋人を
連れて行き、一生思い出に残るような演出
を考えるのかも知れないけれど……

 僕はいつもと変わらぬ日常の中に、二人
の思い出があった方がいいのではないかと
思い、敢えてこの公園を選んだのだった。




 手を繋ぎ、緑に囲まれた園路を歩く。
 芝生広場を見やれば、今日も沢山の子供
たちが駆け回っている。少し先に、僕たち
がよく腰かける、あのベンチが見えた。
 が、僕はそのベンチの前を通り過ぎ、
彼女の手を引いて歩き続けた。
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