「みえない僕と、きこえない君と」

橘 弥久莉

文字の大きさ
111 / 111
最終章:「みえない僕と、きこえない君と」

110

しおりを挟む
 「あの、ひとつ聞いていいですか?」

 おずおずとそう切り出した僕に、男性は
僅かに表情を動かした。

 「いつも一人でこの場所に座っています
よね。奥さまは、いまどちらに?」

 そう口にした瞬間、彼の目が少し揺れた
ように感じて、どきりと胸が鳴る。
 まさか……
 そんなことはあって欲しくはないけれど。

 不安の色を目に宿し、じっと男性の顔を
覗き込んだ僕に、男性は、ふっ、と頬を
緩めると前を向いた。

 「待っているんですよ。ここで。妻が、
帰ってくるまでね」

 「帰ってくる。それは、どこからですか?」

 彼の言わんとしていることがわからず、
僕が首を傾げた、その時だった。

 「お父さん!!」

 突然、園路の向こうから女性の声がして、
僕はその方向に目を向けた。すると、
こちらに向かって2人の女性が歩いてくる。

 一人は高校生くらいだろうか?同じ背格
好の隣の女性よりも少し若く見える。

 「えっ?……もしかして娘さん、ですか?」

 こちらに向かってにこやかな笑みを浮かべ、
歩いてくる二人を見やりながらそう言った
僕の声は、少し上擦っていた。

 「はい。娘と、妻ですよ」

 ふふっ、と悪戯っ子のように口元を歪め、
男性は二人に手を振った。

 「なんだ、良かった。僕はてっきり……」

 男性が微妙な表情を見せたので、僕は
悲しい結末を勝手に想像し、手に汗を握っ
てしまった。

 「いや、失礼。実はね、この公園の近く
のガラス工芸教室に、二人が通っている
んです。僕は散歩がてら毎週付き添って、
このベンチで二人が終わるのを待って
いるんですよ」

 「そうだったんですか。だから、一人で
このベンチに……」

 僕は、ほぅ、と胸を撫でおろした。

 「お父さん。お母さん、またあそこの
カレーコロッケ買って来たのよ。わたし、
もう飽きちゃ……あれ、そちらは?……」

 男性の傍らに歩み寄った娘さんが隣り
に座る僕に気付き、言葉を止める。

 彼は僕を見、少し思案してから答えた。

 「ああ、こちらはね、さっきお友達に
なったばかりの散歩仲間、ということで
いいかな?」

 サングラスの向こうで目を細め、僕に
そう問いかける。彼が口にした言葉を
同時通訳しているのだろうか?娘さんは
母親に向かって手話で話していた。

 「はい。散歩仲間ということで」

 彼の言葉に笑って頷くと、娘さんの隣に
立っていた奥さんが、ぺこりと頭を下げる。

 母子というよりも、姉妹といった方が
しっくりくるほど、彼女は若々しかった。

 

 「それじゃあ、そろそろ行こうかな」

 そう言って男性が立ち上がったので、
僕もベンチから腰を上げる。

 陽は落ち、体はすっかり冷えてしまった
が、帰り道をぐるりと走れば、また、温ま
るだろう。

 「じゃあまた」

 軽く手を振ってそう言った彼に、僕も
同じことを口にして手を振った。

 3人が肩を並べ、夕暮れの公園を歩き出す。
その後ろ姿は、どこにでもいる幸せな親子
のそれで、僕はいましがた彼から聞かされ
た話を思い出し、ほっこりと胸を温かくした。


 そう言えば、細胞移植手術や遺伝子治療の
発展によって、この病が治る病気へと変わり
つつある、というニュースをどこかで見かけ
たことを思い出す。

そう遠くない未来、彼が大切な人たちの笑顔
を取り戻す日が来るのではないだろうか?



-----いや、きっと来るに違いない。



  さわ、と、夜の匂いを含んだ風が通り
過ぎる。

 ふと、あの杖を転がした風は、伯父の仕業
なのではないかと、そんな気がして知らず、
空を見上げる。




-----ありがとう。いい休日になったよ。



 空の向こうにいるはずの伯父に心の中で
そう呟くと、僕はふたたび夕暮れの園路を
走り始めた。




             ===完===






※拙作「みえない僕と、きこえない君と」を、
最後までお読みいただきありがとうございま
した。また、機会がありましたらお立ち寄り
くださると嬉しいです。
この物語を手に取っていただけたこと、
心より感謝致します。   
              橘 弥久莉
しおりを挟む
感想 15

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(15件)

鮭ムニエル
2025.10.02 鮭ムニエル

嗚呼…読み終わってしまった。本当に素敵な作品有り難うございました。こんなに優しさに溢れて感動できる話に出会えて幸せです(*´∀`*)

2025.10.02 橘 弥久莉

鮭ムニエル様

この度は拙作、「みえない僕と、きこえない君と」を読了くださいましてありがとうございましたm(_ _)m 身に余るお褒めの言葉、この物語を書いて本当に良かったと思えました。鮭ムニエル様のお言葉を励みにこれからも筆をとらせていただきます。感想、ありがとうございました!(´▽`)

解除
鮭ムニエル
2025.10.01 鮭ムニエル

エブの方で拝見しようと思ったのですが皆さんのペコメのコメントが素晴らしすぎて。マイペースにアルファポリスで追います。
“私があなたの目になる”って言葉が素敵すぎて泣きそうになりました。

2025.10.01 橘 弥久莉

鮭ムニエルさま

どちらで読んでもらってもすごく嬉しいです!互いのハンデを支え合う二人の姿に感動していただけて良かった(*^_^*)

解除
鮭ムニエル
2025.09.29 鮭ムニエル

素敵な作品に出会えました
この先2人がどうなっていくか結末を知りたい気持ちもありますが、1ページずつ大事に拝見していこうと思います

2025.09.29 橘 弥久莉

鮭ムニエル様

この度は拙作にお立ち寄りくださり、誠にありがとうございます。大事に読んでくださるとのこと、感謝の気持ちでいっぱいです!少々重いテーマをハートフルに描いたヒューマンラブストーリーなので、のんびりゆっくりお付き合いいただけると嬉しいです。コメント、ありがとうございました(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)

解除

あなたにおすすめの小説

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~勘違い貴族の規格外魔法譚~

Gaku
ファンタジー
「次の人生は、自由に走り回れる丈夫な体が欲しい」 病室で短い生涯を終えた僕、ガクの切実な願いは、神様のちょっとした(?)サービスで、とんでもなく盛大な形で叶えられた。 気がつけば、そこは剣と魔法が息づく異世界。貴族の三男として、念願の健康な体と、ついでに規格外の魔力を手に入れていた! これでようやく、平和で自堕落なスローライフが送れる――はずだった。 だが、僕には一つ、致命的な欠点があった。それは、この世界の魔法に関する常識が、綺麗さっぱりゼロだったこと。 皆が必死に唱える「詠唱」を、僕は「気合を入れるためのおまじない」だと勘違い。僕の魔法理論は、いつだって「体内のエネルギーを、ぐわーっと集めて、どーん!」。 その結果、 うっかり放った火の玉で、屋敷の壁に風穴を開けてしまう。 慌てて土魔法で修復すれば、なぜか元の壁より遥かに豪華絢爛な『匠の壁』が爆誕し、屋敷の新たな観光名所に。 「友達が欲しいな」と軽い気持ちで召喚魔法を使えば、天変地異の末に伝説の魔獣フェンリル(ただし、手のひらサイズの超絶可愛い子犬)を呼び出してしまう始末。 僕はただ、健康な体でのんびり暮らしたいだけなのに! 行く先々で無自覚に「やりすぎ」てしまい、気づけば周囲からは「無詠唱の暴君」「歩く災害」など、実に不名誉なあだ名で呼ばれるようになっていた……。 そんな僕が、ついに魔法学園へ入学! 当然のように入学試験では的を“消滅”させて試験官を絶句させ、「関わってはいけないヤバい奴」として輝かしい孤立生活をスタート! しかし、そんな規格外な僕に興味を持つ、二人の変わり者が現れた。 魔法の真理を探求する理論オタクの「レオ」と、強者との戦いを求める猪突猛進な武闘派女子の「アンナ」。 この二人との出会いが、モノクロだった僕の世界を、一気に鮮やかな色に変えていく――! 勘違いと無自覚チートで、知らず知らずのうちに世界を震撼させる! 腹筋崩壊のドタバタコメディを軸に、個性的な仲間たちとの友情、そして、世界の謎に迫る大冒険が、今、始まる!

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。