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最終章後編
六章-2
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部下たちと別れたあと、マーカスはローウェル伯爵の屋敷を訪れた。
まだ早朝といっても差し支えない時間だが、マーカスの仕事内容を理解しているローウェル伯爵は、彼の訪問を拒絶したりはしなかった。
ただし――食事や会合で使われる広間で食後のお茶を飲んでいたローウェル伯爵は、マーカスの来訪を喜んではいなかった。
広間には今、マーカスとローウェル伯爵しかいない。マーカスが来たという報せを受けて、人払いをしたようだ。
朝食に使われた食器は、すでに片づけられているが、テーブルの上にはまだ、クレストンらが飲んでいたお茶の器が残っている。
孫たちとのひとときを邪魔されて、少々不機嫌な様子のローウェル伯爵に、マーカスは慇懃に頭を下げた。
「おはようございます、ローウェル伯爵。お孫さんたちとの場を邪魔してしまい、申し訳ございません」
「……まったくだ。こんな早朝から、なにがあった?」
「クリスティーナ嬢と、トラストン・ドーベルのことです」
二人の名を聞いて、ローウェル伯爵は渋面になった。
持ち上げていたティーカップを置くと、椅子の背もたれに身体を預けた。
「クレストンたちから、トラストンの様子がおかしいとは聞いている。だが、病み上がりで本調子になっておらんだけではないのか? クリスティーナからは、生きているだけでも奇跡のような怪我だったと聞いているが」
「はい。まさしく、その件で伯爵にお話がしたくて伺った次第でして。事後報告では、きっと機嫌を害されると思いましたので」
「おまえにしては、前置きが長いな」
話を暗に急かすローウェル伯爵に、マーカスは笑みを消した。
「我々で、トラストンを監禁します。クリスティーナ嬢に邪魔されぬよう、屋敷から出さないようにお願いします」
マーカスの発言に、ローウェル伯爵は目の端をピクリとさせた。
睨むような目をマーカスに向けながら、長めの深呼吸を繰り返した。
「今まで散々、利用をしておいて。都合が悪くなれば存在を消す――か。おまえたちの存在意義への理解はするが、行動のすべては納得できぬ」
「都合が悪くなっただけなら、わたしもトトを護りますよ。説得だってしたでしょう。ですが……これはもう、そのような状況ではないのです。トトがこの街で、暗躍している可能性があります。それを阻止したいのですよ」
「安易に、暗躍などというが。あれが、なにをしているというのだ? 祖父の店を放り出して、街を裏切るとは思えぬのだがな」
「そうです。あれが……トトならば」
心なしか躊躇うような顔で、マーカスは言い返した。
「トラストンが意識を取り戻したことは、わたくしにとっても喜ばしいことでした。ですが、彼が寝ているあいだに、別の物に操られている、可能性があるのです」
「操る……催眠術とかいう、馬鹿馬鹿しい奇術のことか?」
「多少異なりますが、そのようなものだと思って下さって結構です。とにかく、トラストンがなにをしているか、突き止めなくてはなりません。そのための監禁であると、ご理解頂きたいのです」
なにかを迷うように目を揺らしながら、ローウェル伯爵は真一文字に口を閉ざした。しばらく広間を包んでいた沈黙は、ローウェル伯爵の溜息によって破られた。
「……決行はいつだ」
「できるだけ早く……ですが、我々も調査や準備を行っている最中です。早くても明後日になると思います」
マーカスの返答を聞いて、ローウェル伯爵は猛禽を思わせる目をさらに険しくした。
「クリスティーナは、おまえたちの動きに気付いておるぞ。いや、気付いている確証はないが、疑っているのは間違いがない。下女から聞いた話だが、あやつの部屋から少なくない装飾品が消えていたそうだ」
「装飾品……そんなの」
言葉の途中で、マーカスは気付いた。トラストンの家でクリスティーナと会ったとき、彼女には最低限の装飾品しか身につけていなかった。
そんな彼女が、装飾品の数々を持ち出すとしたら、考えられる理由はさほど多くない。
「まさか……と、思いたいですが」
「可能性の問題ではあるが、用心して損は無かろう。明日明後日と、クリスティーナは外に出さん……それでいいな?」
重い溜息と一緒に吐き出された言葉に、マーカスは心からの感謝と謝罪を込めて、深々と頭を垂れさせた。
*
昼前頃、マーカスの部下たちは地図に示された場所で、倉庫を一つ一つ確認していた。
今までのところ、所有者や借り主もしっかりとしており、中に収められているものも交易や取り引きで仕入れた品ばかりだ。
作業を仕切っていた班長らしき男に礼を述べて、赤毛の部下が三つ目の倉庫から出てきた。
「まったく……こんなの一日で終わるのかよ」
「ぼやくな。おまえだって、この辺りで見失ったんだろう?」
金髪の部下が口の端を歪めながら、チョークで地図に丸印を書き込んだ。
次の倉庫へと向かおうとした二人の元に、女性の部下が駆け寄ってきた。赤毛は怪訝な顔で、仲間を出迎えた。
「おまえは、店の見張りだろ?」
「今は、マーカスがやってくれてる。こっちを手伝えってことみたい。だけど……いえ、今はいいわ」
「なんだ? 話してみろよ」
濁した言葉を金髪に指摘され、女部下は肩を竦めてから口を開いた。
「こっちの件には関係ないわよ? あのクリスティーナってお嬢様が、貴金属店に行ったのよ。貴金属店の手形を持っていたから、なにかを売ったみたいなんだけど……ね」
大金を取り引きする場合、手形によって金銭のやりとりをするということが、近年になって増えてきている。
これは銀行が街に増えてきてからのことで、手形を銀行で換金するのだ。
赤毛と金髪は顔を見合わせると、女部下に顔を寄せた。
「おい、それって……」
「マーカスに報告は?」
「報告はしたし、また店に戻ってるから、監視はできるわ。そっちはマーカスに任せて、あたしたちは目的の倉庫を見つけることが最優先。そうでしょ?」
女部下に訊き返され、赤毛と金髪はほぼ同時に肩を上下させた。
「まあ、正論だわな」
「とはいえ……この倉庫の数だぜ? 俺たちだけで終わるのかよ。ホントに」
ぼやく赤毛の背中を叩きながら、女部下は金髪の持つ地図を覗き込んだ。
終わった倉庫の数と位置をザッと確認した女部下は、少し呆れ顔で同僚たちの顔を順に見回した。
「まさか、虱潰しにやっていくつもり?」
「それ以外に、確実な方法があるのかよ」
赤毛の返答に、女部下はこめかみを手で押さえた。
「あんたたちねぇ……この仕事を何年やってるのよ。いい――? 先ず、今仕事中の倉庫と、大きな看板のある倉庫は後回し。歩きながら、それ以外の倉庫を調べていったほうが、効率がいいでしょ」
「しかしな。人がいたり看板のある倉庫だって、偽装してる可能性があるだろう?」
「ええ。でも、調べないとは言ってないでしょ? 後回しにするだけよ。もし不安なら、一人は出荷中の倉庫から調べていく……というのはどう? あたしたちの目の届かないところで、怪しい荷が運び出されるのは防ぎたいし」
女部下の提案に、赤毛は面白くなさそうな顔で、鼻を鳴らした。
「それじゃ、出荷中の倉庫は俺が廻る。商人たちもチンタラやってねぇだろうし、俺はもう行くぜ」
赤毛が離れると、女部下と金髪は倉庫街を歩き出した。
実のところ、昼間ということもあってほとんどの倉庫には、人夫の姿が見られた。他の街への出荷が行われるなら、もっと早朝の時間に行われる。
今の時間は、街中で行われたの取り引きのための出入りばかりだ。行商人が使うような幌のある馬車ではなく、小さな荷馬車が多い。
二人が無人の倉庫を見つけたのは、赤毛と別れてから十数分ほどあとのことだ。
外壁の部分に穴などは空いていないが、看板や人の出入りがない。しかし、二人は周辺の地面に、車輪や足跡を見つけていた。
頷き合った二人は、慎重に倉庫へと近づいた。
中から物音がしていないことを確かめると、女部下がドアの鍵を解錠した。
「いつ見ても器用なもんだ」
「黙って。入るわよ」
女部下がドアを開けると、金髪は倉庫の中に身を潜らせた。
天井近くにある隙間から、微かに外光が差し込んでいる。金髪は姿勢を低くしながら目を細めた。
(ふん――)
視界に目立ったものや、動く影などは見えない。金髪は少し緊張を解きながらも、周囲の警戒を続けつつ、倉庫の大扉へと近づいた。
閂を開けて大扉の左側を開けるが、倉庫の中に変化は見られない。
「どう?」
「ものけの空――だな。ハズレか?」
気の抜けた顔で倉庫の中を見回していた金髪が、急にその中央へと歩き出した。慌てて追いかけた女部下が、警戒を露わに周囲を見回した。
「誰かいたの?」
「いや……気になるのは地面だ」
「地面?」
金髪の視線を追った女部下は、「あ」と短い声をあげた。倉庫の中央に、重量のあるものが置かれていたと思しき、四角い跡が残っていた。
その周囲には沢山の足跡と、馬車の物らしい車輪が通った痕跡が残っていた。
「出荷したあとかしら?」
「ただの荷物じゃなさそうだがな。もしかしたら、俺たちが遅すぎたのかもしれん」
金髪はしゃがみ込むと、地面に手を伸ばした。そこには赤黒い水滴のような跡が残っていた。
それが血痕であることがわかった二人は、倉庫の外へと目をやったが……当然の如く、馬車の姿は見えなかった。
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本作を読んで頂き、まことにありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
主人公の出てない回ですが、今回は今のところ間話以外で出てませんので、あまり関係なかったりします。
ちなみに女部下さんの案――状況によっては、余り効果的ではないので、お勧めしません。
ぶっちゃけ、倉庫で蜂起やテロの準備をしている――とかなら効果はありますが、密輸や密売に関しては虱潰しが確実です。
一番確実なのは、情報をしっかり得た上で踏み込むことなんでしょうけど。それを言っちゃあお終いです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
応援ありがとうございます!
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