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36・留まるんだよ
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従順なレルトラスを前に、イリーネはしぶしぶ話し始める。
「まずは……町の外れにある断崖の下に行くよ。そこはラザレ特有の地質と生態系の事情もあって、土壁から湧いている水がちょっと特殊なんだ。その湧き水が流れ込んでいる川の水を飲むと肌や髪の毛がきれいになるし、体調も整うし、関節痛の炎症にも即効性があるって、土地を所有しているマイフや家令たちから聞いたんだけど」
「その湧き水が、マイフと君の秘密なのかい」
「……マイフの話はとりあえず忘れて。今は私とレルトラスの秘密の話をしてるんだから」
「そうだったね」
「そうだよ。これからその湧き水を確かめに行って、気に入ったら持ち帰ろうと思って」
そこまで話すと、その珍しい湧き水を見に行く期待から、イリーネの大きな瞳が輝いた。
「ね、どんな感じだと思う? 匂いとか色とか成分とか……色々調べることもあるんだよ! 楽しそうでしょ?」
「イリーネが面白そうにしているから、興味はあるよ」
レルトラスが割と好意的な返事を寄こすので、イリーネは満足そうに頷いた。
「ラザレの湧き水はね、予想だけど一見よくある水みたいな液体で、色は無色だと思うんだよね!」
「そうか」
「温度は体温程度で、味はそうだなぁ……」
一人で盛り上がっているイリーネの退屈な話に、レルトラスは温厚に相槌を打つ。
町の外れまで来ると、田舎道の周辺に木と岩の多い平原が広がってきた。
イリーネは地図を見ながら方角を探っていると、切り株に腰かけた白髪の老女に気づいて駆け寄る。
「ね、ばあちゃん。私たちこれからラザレの断崖に行きたいんだけど、こっちの方角で合ってるかな?」
老女は節くれだった手で膝をさすりながら、ゆっくりと頷いた。
「あらまぁ、そうだよ……いたた」
「ん。どこか痛いの?」
「102歳にもなると、膝がね。歩かないと悪いと言うのだけど、歩いてもつらくてねぇ……」
(なんか薬あったかな)
イリーネが人生の大先輩を前に、自分の革ベルトにしまった数々の品を思い起こしていると、視界の端でレルトラスのわしづかみにするような手つきが老女の細い首に迫る。
「ちょっ、と! 待て!」
「ん。どうしたんだい」
「あのね、人の首を絞めるのはやめよう」
「絞める? 俺はただ、彼女を連れて行こうと思ってね」
「だから、ばあちゃんを天へ連れて行くのはやめよう」
「天へ? イリーネはこれから、関節痛の炎症に効くらしい湧き水を調べるんだろう。炎症を起こしている彼女を連れて行けば、効果の強度がわかりやすいはずだよ」
(あ、即効性あるってマイフも言ってたし。一理あるかも)
イリーネは早とちりしたことを反省したが、人様の息の根を止めるかのような悪魔の手つきにも問題はある。
「ね、ばあちゃん。私たちこれから、関節痛に効くらしい湧き水の出る場所にばあちゃんを連れて行きたいんだけど、飲んでみてくれる?」
切り株に座ったまま、老女は嬉しそうに顔をほころばせた。
「あらまぁ。若い方に親切にしてもらえるなんて、ありがたいねぇ」
「レルトラス、あんたの名案通り、ばあちゃんを断崖まで運んで欲しいんだけど。とりあえずその手つきは危ないからやめて」
「そうか」
「そうだよ。あんた私を助けてくれた時、もっと慎重に運んでくれたでしょ」
「なるほどね。イリーネだと思えばいいのか」
レルトラスは切り株に腰に掛けた老女の側で跪くと、彼女の膝の裏と背中に腕を滑り込ませて丁重に持ち上げた。
老女は悪魔の腕の中で、少女のように頬を桃色に染める。
「あらまぁ。美男子に抱き上げてもらえるなんて、天にも昇るような気持ちだねぇ」
「俺の手で君が天に召されるとイリーネがうるさいから、留まるんだよ」
「あらまぁ。本当だねぇ」
そのまま老女はひ孫の話をし始めたので、レルトラスは相槌を打ちながら進んだ。
並んで歩くイリーネは、抱き上げた老女をいたわるように気遣いながら歩くレルトラスに、胸を突かれたようにはっとする。
(私、いつもこんな風にしてもらってたんだ)
思っていた以上に自分が大切にされていたことを目の当たりにして、イリーネはうろたえた。
「まずは……町の外れにある断崖の下に行くよ。そこはラザレ特有の地質と生態系の事情もあって、土壁から湧いている水がちょっと特殊なんだ。その湧き水が流れ込んでいる川の水を飲むと肌や髪の毛がきれいになるし、体調も整うし、関節痛の炎症にも即効性があるって、土地を所有しているマイフや家令たちから聞いたんだけど」
「その湧き水が、マイフと君の秘密なのかい」
「……マイフの話はとりあえず忘れて。今は私とレルトラスの秘密の話をしてるんだから」
「そうだったね」
「そうだよ。これからその湧き水を確かめに行って、気に入ったら持ち帰ろうと思って」
そこまで話すと、その珍しい湧き水を見に行く期待から、イリーネの大きな瞳が輝いた。
「ね、どんな感じだと思う? 匂いとか色とか成分とか……色々調べることもあるんだよ! 楽しそうでしょ?」
「イリーネが面白そうにしているから、興味はあるよ」
レルトラスが割と好意的な返事を寄こすので、イリーネは満足そうに頷いた。
「ラザレの湧き水はね、予想だけど一見よくある水みたいな液体で、色は無色だと思うんだよね!」
「そうか」
「温度は体温程度で、味はそうだなぁ……」
一人で盛り上がっているイリーネの退屈な話に、レルトラスは温厚に相槌を打つ。
町の外れまで来ると、田舎道の周辺に木と岩の多い平原が広がってきた。
イリーネは地図を見ながら方角を探っていると、切り株に腰かけた白髪の老女に気づいて駆け寄る。
「ね、ばあちゃん。私たちこれからラザレの断崖に行きたいんだけど、こっちの方角で合ってるかな?」
老女は節くれだった手で膝をさすりながら、ゆっくりと頷いた。
「あらまぁ、そうだよ……いたた」
「ん。どこか痛いの?」
「102歳にもなると、膝がね。歩かないと悪いと言うのだけど、歩いてもつらくてねぇ……」
(なんか薬あったかな)
イリーネが人生の大先輩を前に、自分の革ベルトにしまった数々の品を思い起こしていると、視界の端でレルトラスのわしづかみにするような手つきが老女の細い首に迫る。
「ちょっ、と! 待て!」
「ん。どうしたんだい」
「あのね、人の首を絞めるのはやめよう」
「絞める? 俺はただ、彼女を連れて行こうと思ってね」
「だから、ばあちゃんを天へ連れて行くのはやめよう」
「天へ? イリーネはこれから、関節痛の炎症に効くらしい湧き水を調べるんだろう。炎症を起こしている彼女を連れて行けば、効果の強度がわかりやすいはずだよ」
(あ、即効性あるってマイフも言ってたし。一理あるかも)
イリーネは早とちりしたことを反省したが、人様の息の根を止めるかのような悪魔の手つきにも問題はある。
「ね、ばあちゃん。私たちこれから、関節痛に効くらしい湧き水の出る場所にばあちゃんを連れて行きたいんだけど、飲んでみてくれる?」
切り株に座ったまま、老女は嬉しそうに顔をほころばせた。
「あらまぁ。若い方に親切にしてもらえるなんて、ありがたいねぇ」
「レルトラス、あんたの名案通り、ばあちゃんを断崖まで運んで欲しいんだけど。とりあえずその手つきは危ないからやめて」
「そうか」
「そうだよ。あんた私を助けてくれた時、もっと慎重に運んでくれたでしょ」
「なるほどね。イリーネだと思えばいいのか」
レルトラスは切り株に腰に掛けた老女の側で跪くと、彼女の膝の裏と背中に腕を滑り込ませて丁重に持ち上げた。
老女は悪魔の腕の中で、少女のように頬を桃色に染める。
「あらまぁ。美男子に抱き上げてもらえるなんて、天にも昇るような気持ちだねぇ」
「俺の手で君が天に召されるとイリーネがうるさいから、留まるんだよ」
「あらまぁ。本当だねぇ」
そのまま老女はひ孫の話をし始めたので、レルトラスは相槌を打ちながら進んだ。
並んで歩くイリーネは、抱き上げた老女をいたわるように気遣いながら歩くレルトラスに、胸を突かれたようにはっとする。
(私、いつもこんな風にしてもらってたんだ)
思っていた以上に自分が大切にされていたことを目の当たりにして、イリーネはうろたえた。
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