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節子の告白
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月曜日の午前中、スーパーのバックヤードはまだひんやりとしていた。開店前の品出しの時間帯は、人の声も少なく、段ボールを開ける音や台車の軋む音がやけに大きく響く。
「これ、調味料の棚ですよね」
節子が箱を抱えたまま、美咲に声をかけた。
「そうそう、上の段から並べてくれる?」
二人は並んで作業をしていた。昨日までの迷いが、まだ胸の奥に残っているはずなのに、手は自然と動いている。身体は日常を覚えていて、考えごとをしていても、やるべきことを淡々とこなしてしまう。
節子は白い割烹着の袖をまくり、慣れた手つきで商品を並べていた。その横顔は、いつもと変わらない。けれど、美咲には分かる。どこか、少しだけ元気がない。
しばらく沈黙が続いたあと、美咲は意を決したように口を開いた。
「……節子さん」
「なに?」
「この前の、日曜日」
節子の手が、一瞬だけ止まった。
「デート、どうだった?」
聞いてしまった瞬間、胸がぎゅっと縮む。聞きたい気持ちと、聞いてはいけない気持ち。そのどちらもが、本音だった。
節子は箱から商品を一つ取り出し、棚に置いてから、小さく息を吐いた。
「それがね……」
少し間を置いて、苦笑いを浮かべる。
「改めてプロポーズがあるんだろうなって、勝手に思ってたの」
美咲の心臓が、どくりと音を立てた。
「でも、結局……何もなかったわ」
「……そう、だったんですね」
それ以上、言葉が続かなかった。昨日、大井町で武から告げられた言葉が、否応なく頭に浮かぶ。
――達也のお母さんになってくれないかな。
同じ時間の中で、全く違う場所に立っている自分たち。その事実が、重くのしかかる。
節子は、棚を見つめたまま、しばらく黙っていた。品出しの手は止まっている。美咲は、何も言えずに、隣で黙々と作業を続けた。
「……ねえ、美咲さん」
やがて、節子が低い声で言った。
「はい」
「変なこと、言ってもいい?」
節子は、美咲の方を見ずに、床を見つめている。
「もちろん」
少し間があってから、節子はぽつりと呟いた。
「私ね……ちょっと、子供が苦手なんだよね」
その言葉は、静かで、重かった。
美咲の手が、無意識に止まる。
「嫌いってほどじゃないんだけど……どう接していいか、分からなくて」
節子は、指先をぎゅっと握りしめた。
「泣かれたり、甘えられたりすると、頭が真っ白になっちゃうの」
そして、少し俯いた。
「だから……バツイチで、子供がいるって聞いた時から、ずっと不安だった」
棚の隙間に落ちた影が、節子の顔を半分覆う。明るい照明の下なのに、彼女の表情はどこか心細そうだった。
「プロポーズがなかったって聞いて……正直、ほっとした自分もいるの」
自嘲するように、節子は小さく笑った。
「ひどいよね」
美咲は、すぐに否定の言葉を探した。だが、簡単な言葉では済まされないことを、本能的に理解していた。
「……正直だと思います」
そう答えるのが、精一杯だった。
節子は、少し驚いたように顔を上げた。
「そう?」
「はい。誰でも、得意なことと苦手なことがありますから」
美咲自身も、子供が苦手だった時期がある。いや、正確には「分かっていなかった」。子供の不安も、恐れも、どう扱えばいいのか知らなかった。
――自分自身のことなのに。
「ありがとう」
節子は、少しだけ表情を緩めた。
「美咲さんに話すと、不思議と楽になる」
その言葉に、美咲の胸が、ちくりと痛んだ。
もし、真実を知ったら。
この人は、どんな顔をするだろう。
けれど、それを口にすることはできない。
「そろそろ、次の棚行きましょうか」
美咲がそう言うと、節子は小さく頷いた。
「うん、そうね」
二人は再び作業に戻る。段ボールを開け、商品を並べ、棚を整える。ただそれだけの動作なのに、その間に流れる沈黙は、いつもより深かった。
節子の「子供が苦手」という言葉は、美咲の胸に残り続けていた。
それは、未来を知る自分にとって、あまりにも重い告白だった。
「これ、調味料の棚ですよね」
節子が箱を抱えたまま、美咲に声をかけた。
「そうそう、上の段から並べてくれる?」
二人は並んで作業をしていた。昨日までの迷いが、まだ胸の奥に残っているはずなのに、手は自然と動いている。身体は日常を覚えていて、考えごとをしていても、やるべきことを淡々とこなしてしまう。
節子は白い割烹着の袖をまくり、慣れた手つきで商品を並べていた。その横顔は、いつもと変わらない。けれど、美咲には分かる。どこか、少しだけ元気がない。
しばらく沈黙が続いたあと、美咲は意を決したように口を開いた。
「……節子さん」
「なに?」
「この前の、日曜日」
節子の手が、一瞬だけ止まった。
「デート、どうだった?」
聞いてしまった瞬間、胸がぎゅっと縮む。聞きたい気持ちと、聞いてはいけない気持ち。そのどちらもが、本音だった。
節子は箱から商品を一つ取り出し、棚に置いてから、小さく息を吐いた。
「それがね……」
少し間を置いて、苦笑いを浮かべる。
「改めてプロポーズがあるんだろうなって、勝手に思ってたの」
美咲の心臓が、どくりと音を立てた。
「でも、結局……何もなかったわ」
「……そう、だったんですね」
それ以上、言葉が続かなかった。昨日、大井町で武から告げられた言葉が、否応なく頭に浮かぶ。
――達也のお母さんになってくれないかな。
同じ時間の中で、全く違う場所に立っている自分たち。その事実が、重くのしかかる。
節子は、棚を見つめたまま、しばらく黙っていた。品出しの手は止まっている。美咲は、何も言えずに、隣で黙々と作業を続けた。
「……ねえ、美咲さん」
やがて、節子が低い声で言った。
「はい」
「変なこと、言ってもいい?」
節子は、美咲の方を見ずに、床を見つめている。
「もちろん」
少し間があってから、節子はぽつりと呟いた。
「私ね……ちょっと、子供が苦手なんだよね」
その言葉は、静かで、重かった。
美咲の手が、無意識に止まる。
「嫌いってほどじゃないんだけど……どう接していいか、分からなくて」
節子は、指先をぎゅっと握りしめた。
「泣かれたり、甘えられたりすると、頭が真っ白になっちゃうの」
そして、少し俯いた。
「だから……バツイチで、子供がいるって聞いた時から、ずっと不安だった」
棚の隙間に落ちた影が、節子の顔を半分覆う。明るい照明の下なのに、彼女の表情はどこか心細そうだった。
「プロポーズがなかったって聞いて……正直、ほっとした自分もいるの」
自嘲するように、節子は小さく笑った。
「ひどいよね」
美咲は、すぐに否定の言葉を探した。だが、簡単な言葉では済まされないことを、本能的に理解していた。
「……正直だと思います」
そう答えるのが、精一杯だった。
節子は、少し驚いたように顔を上げた。
「そう?」
「はい。誰でも、得意なことと苦手なことがありますから」
美咲自身も、子供が苦手だった時期がある。いや、正確には「分かっていなかった」。子供の不安も、恐れも、どう扱えばいいのか知らなかった。
――自分自身のことなのに。
「ありがとう」
節子は、少しだけ表情を緩めた。
「美咲さんに話すと、不思議と楽になる」
その言葉に、美咲の胸が、ちくりと痛んだ。
もし、真実を知ったら。
この人は、どんな顔をするだろう。
けれど、それを口にすることはできない。
「そろそろ、次の棚行きましょうか」
美咲がそう言うと、節子は小さく頷いた。
「うん、そうね」
二人は再び作業に戻る。段ボールを開け、商品を並べ、棚を整える。ただそれだけの動作なのに、その間に流れる沈黙は、いつもより深かった。
節子の「子供が苦手」という言葉は、美咲の胸に残り続けていた。
それは、未来を知る自分にとって、あまりにも重い告白だった。
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