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プールデート
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秀一からその誘いを受けたのは、平日の仕事終わりだった。
「品川に、最近できた温水プールがあるんです。もしよかったら、一緒にどうかなと思って」
秀一の声は、いつもと同じ落ち着いた調子なのに、その奥に少しだけ緊張が混じっているのが分かった。
「温水プール……」
一瞬、迷いはあった。けれど、頭の中に浮かんだのは、幼い頃、父に連れられて行った市民プールの光景だった。
「……行ってみたいです」
秀一がほっとしたように息を吐いた。
翌日、美咲は商店街へ向かった。目的は、水着。昭和の商店街には、今ほど種類は多くないが、実用的な品がきちんと揃っている。
「これなんか、動きやすいですよ」
店の奥から出てきた年配の女性店員に勧められ、シンプルな紺色のワンピース型を手に取る。余計な飾りのない、それでいて身体の線をきれいに見せる水着だった。
「これにします」
鏡に映る自分を見ながら、少しだけ胸が高鳴る。水着を買うなんて、何年ぶりだろうかしかも女性の水着を買うのは初めてだ。
日曜日の朝。美咲はいつものように丁寧に身支度を整え、水着をバッグに入れて家を出た。
大井町駅の改札前には、すでに秀一が待っていた。
「おはようございます」
「おはようございます。今日は、よろしくお願いします」
二人は笑顔を交わし、駅を出る。今回は電車には乗らず、品川まで歩くことにしていた。
「今日は、ちゃんと歩くんですね」
美咲がそう言うと、秀一は少し照れたように笑う。
「はい。距離もそこまでじゃないですし」
住宅街を抜け、少しずつ大きな道へ出る。会話をしながら歩くと、距離は思ったほど長く感じなかった。
品川の温水プールは、新しく、明るい建物だった。中に入ると、塩素の匂いと、反響する水音が広がる。
更衣室で着替え、プールサイドに出た瞬間、美咲は思わず懐かしさに息を呑んだ。
水面に映る照明、規則正しく並んだレーン。身体が、自然とその空間を思い出す。
「泳ぐ前に、少し準備運動しましょうか」
「そうですね」
軽く体をほぐし、シャワーを浴びて水に入る。温水とはいえ、最初はひんやりとした感覚が肌を包んだ。
数本、軽く泳いだ後、秀一がこちらを見て、少し楽しそうに言った。
「美咲さん」
「はい?」
「俺と……競争をしませんか?」
「競争?」
「50メートルだけ」
その言葉に、美咲の胸が小さく跳ねる。
「いいですよ」
二人は隣のレーンに並び、スタート台に立つ。
「じゃあ……よーい」
合図と同時に、二人は水に飛び込んだ。
美咲の身体は、驚くほど自然に動いた。水を捉える感覚、呼吸のタイミング。忘れていたはずの感覚が、一気に蘇る。
ゴールの壁が近づく。最後の一掻き――。
タッチ。
ほぼ同時だったが、美咲の指先が、わずかに早かった。
「……」
顔を上げると、秀一が少し悔しそうに、そして驚いたようにこちらを見ている。
「負けました」
そう言って、苦笑する。
「俺、けっこう自信あったんですけど……」
息を整えながら、続けた。
「水泳、やってたんですか?」
美咲は一瞬迷い、それから素直に答えた。
「実は……私、学生時代は水泳部だったんです」
「やっぱり」
秀一は納得したように頷き、そして笑った。
「どうりで、きれいな泳ぎだと思いました」
水面に反射する光の中で、二人は並んでプールサイドに掴まりながら、笑い合った。
過去の自分と、今の自分。
その両方が、この水の中で、静かにひとつになっている気がして、美咲は小さく目を閉じた。
「品川に、最近できた温水プールがあるんです。もしよかったら、一緒にどうかなと思って」
秀一の声は、いつもと同じ落ち着いた調子なのに、その奥に少しだけ緊張が混じっているのが分かった。
「温水プール……」
一瞬、迷いはあった。けれど、頭の中に浮かんだのは、幼い頃、父に連れられて行った市民プールの光景だった。
「……行ってみたいです」
秀一がほっとしたように息を吐いた。
翌日、美咲は商店街へ向かった。目的は、水着。昭和の商店街には、今ほど種類は多くないが、実用的な品がきちんと揃っている。
「これなんか、動きやすいですよ」
店の奥から出てきた年配の女性店員に勧められ、シンプルな紺色のワンピース型を手に取る。余計な飾りのない、それでいて身体の線をきれいに見せる水着だった。
「これにします」
鏡に映る自分を見ながら、少しだけ胸が高鳴る。水着を買うなんて、何年ぶりだろうかしかも女性の水着を買うのは初めてだ。
日曜日の朝。美咲はいつものように丁寧に身支度を整え、水着をバッグに入れて家を出た。
大井町駅の改札前には、すでに秀一が待っていた。
「おはようございます」
「おはようございます。今日は、よろしくお願いします」
二人は笑顔を交わし、駅を出る。今回は電車には乗らず、品川まで歩くことにしていた。
「今日は、ちゃんと歩くんですね」
美咲がそう言うと、秀一は少し照れたように笑う。
「はい。距離もそこまでじゃないですし」
住宅街を抜け、少しずつ大きな道へ出る。会話をしながら歩くと、距離は思ったほど長く感じなかった。
品川の温水プールは、新しく、明るい建物だった。中に入ると、塩素の匂いと、反響する水音が広がる。
更衣室で着替え、プールサイドに出た瞬間、美咲は思わず懐かしさに息を呑んだ。
水面に映る照明、規則正しく並んだレーン。身体が、自然とその空間を思い出す。
「泳ぐ前に、少し準備運動しましょうか」
「そうですね」
軽く体をほぐし、シャワーを浴びて水に入る。温水とはいえ、最初はひんやりとした感覚が肌を包んだ。
数本、軽く泳いだ後、秀一がこちらを見て、少し楽しそうに言った。
「美咲さん」
「はい?」
「俺と……競争をしませんか?」
「競争?」
「50メートルだけ」
その言葉に、美咲の胸が小さく跳ねる。
「いいですよ」
二人は隣のレーンに並び、スタート台に立つ。
「じゃあ……よーい」
合図と同時に、二人は水に飛び込んだ。
美咲の身体は、驚くほど自然に動いた。水を捉える感覚、呼吸のタイミング。忘れていたはずの感覚が、一気に蘇る。
ゴールの壁が近づく。最後の一掻き――。
タッチ。
ほぼ同時だったが、美咲の指先が、わずかに早かった。
「……」
顔を上げると、秀一が少し悔しそうに、そして驚いたようにこちらを見ている。
「負けました」
そう言って、苦笑する。
「俺、けっこう自信あったんですけど……」
息を整えながら、続けた。
「水泳、やってたんですか?」
美咲は一瞬迷い、それから素直に答えた。
「実は……私、学生時代は水泳部だったんです」
「やっぱり」
秀一は納得したように頷き、そして笑った。
「どうりで、きれいな泳ぎだと思いました」
水面に反射する光の中で、二人は並んでプールサイドに掴まりながら、笑い合った。
過去の自分と、今の自分。
その両方が、この水の中で、静かにひとつになっている気がして、美咲は小さく目を閉じた。
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