性転換タイムトラベラー

廣瀬純七

文字の大きさ
28 / 35

駅前のラーメン屋

しおりを挟む
 京浜東北線が減速し、大井町駅のホームが近づいてくる。車内アナウンスが流れると同時に、美咲は小さく息を整えた。泳いだ後の心地よい疲労が、体の奥に残っている。

 電車が止まり、二人は並んでホームに降りた。夕方から夜へ移る時間帯で、駅構内には仕事帰りの人と、休日の余韻を残した人が混ざり合っている。

 改札を抜けたところで、秀一がふと思い出したように足を止めた。

「美咲さん」

「はい?」

「お腹、空いてませんか?」

 その一言に、美咲の胃が正直に反応する。そういえば、プールの後からずっと、何か温かいものが食べたいと思っていた。

「駅の近くに、美味しいラーメン屋さんがあるんです」

 少しだけ身を乗り出すようにして続ける。

「もしよかったら、一緒に行きませんか?」

 一瞬も迷わず、美咲は笑った。

「いいですね」

 そして、素直な気持ちをそのまま口にする。

「私、ラーメン大好きです」

 その答えに、秀一は嬉しそうに目を細めた。

「よかった」

 二人は駅前の通りを歩き出す。夜の大井町は、昼とは違う顔を見せる。ネオンの灯り、呼び込みの声、立ち上る湯気。どこか懐かしく、活気に満ちている。

 目的のラーメン屋は、駅から少し入った路地にあった。派手さはないが、暖簾が少し色あせていて、長く続いている店だと分かる。

「ここです」

 秀一が暖簾をくぐると、美咲も続いた。

 店内はカウンターが中心で、仕事帰りの客が数人、黙々とラーメンをすすっている。スープの匂いが一気に鼻をくすぐり、美咲の空腹感がさらに増した。

「いらっしゃい」

 店主の声に迎えられ、二人は並んでカウンターに座る。

「何にしますか?」

「私は……醤油ラーメンで」

「じゃあ、俺も同じで」

 注文を終えると、二人は自然と顔を見合わせた。

「プールの後にラーメンって、最高ですね」

「ですよね」

 秀一が頷く。

「泳ぐと、どうしてあんなにお腹が空くんでしょう」

「昔から、そうでした」

 思わず出た言葉に、自分でも少し驚く。けれど、秀一は特に気にする様子もなく笑った。

「やっぱり、水泳部ですね」

 ほどなくして、ラーメンが運ばれてくる。湯気の立つ丼を前にすると、言葉はいらなかった。

 一口、スープを飲む。

「……美味しい」

 思わず声が漏れる。

「でしょう」

 秀一も満足そうに箸を進めている。

 しばらく、無言でラーメンをすすった後、秀一がふと顔を上げて言った。

「そうだ」

「はい?」

「今日は……私の奢りです」

「え?」

 美咲が驚いて顔を上げると、秀一は少し照れたように笑った。

「美咲さんに、競泳で負けちゃいましたからね」

「そんな理由ですか」

 美咲はくすっと笑った。

「でも、ありがとうございます」

「どういたしまして」

 箸を持つ手を止め、改めて言う。

「負けたけど、楽しかったです」

「私も」

 ラーメンの温かさが、体だけでなく心まで満たしていく。

 こうして並んでラーメンを食べている時間が、特別でも何でもないはずなのに、美咲にはとても大切なものに感じられた。

 過去と未来の狭間で揺れながらも、今はただ、目の前の一杯と、隣にいる人との時間を味わっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あべこべな世界

廣瀬純七
ファンタジー
男女の立場が入れ替わったあべこべな世界で想像を越える不思議な日常を体験した健太の話

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

秘密のキス

廣瀬純七
青春
キスで体が入れ替わる高校生の男女の話

ボディチェンジウォッチ

廣瀬純七
SF
体を交換できる腕時計で体を交換する男女の話

不思議な夏休み

廣瀬純七
青春
夏休みの初日に体が入れ替わった四人の高校生の男女が経験した不思議な話

OLサラリーマン

廣瀬純七
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...