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紅蓮の章
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自嘲的な笑みは、僅かな苦笑へと変化する。
「あっちでは異常な事が、こっちでは当たり前にある。…そのお陰か、自分でも解る程に笑ってるし……望さん?」
話している最中に、望は堪え切れずに龍馬の体を抱き締めた。抱き付かれた龍馬は、狼狽するばかり。
「龍馬…辛い時は辛いって言えばいい。君は我慢し過ぎるみたいだね。…君の心には、どれ程の傷がついているんだろう…」
琥珀の瞳が、真っ直ぐ龍馬を捉える。
不意に龍馬の頬に、涙が流れた。拭っても止まらない涙。
「辛かったね…」
望の温かな手がそっと、龍馬の目を覆い隠す。
「お眠り…傷は…癒せるから…―」
その瞬間、ふっと龍馬の体から力が抜けた。
「催眠術?」
「みたいなもの」
望に寄り掛かる龍馬からは、小さな寝息が立っている。
「…傷付き過ぎたね。傷付いて、傷付いて…痛みすら忘れてしまった。…せめて、夢だけは安らかに…」
祈りの声は、静寂に薄れていった…―。
***
『―』
―声…?
『龍馬…俺とあの方の愛しい子…』
誰…―?
『お前とは一度も話が出来なかった…』
あんたは…誰…―。
『赤子のお前を倶梨伽羅とサラティアに預け、あちらの世界へ飛ばす時…本当は俺も一緒に行きたかった…』
とても…懐かしい…―。
『それでも、俺はあの方の傍に居たかったから。…結果的にお前を捨てるような事になってしまったけれど、俺もあの方も常にお前の事が心配だった。愛しい子…俺の血を継ぐ『紅蓮の花嫁』。いずれ、お前に出会えると信じているよ…―…‥』
貴方は…俺の…―。
***
穏やかな目覚めだった。カーテンの隙間から漏れる日差し。見上げるのは、見慣れない天蓋。室外はガヤガヤと慌しく、廊下を行き来している音。
それでも龍馬の心中は、静かに和いでおり、かつてない程の心地よさを感じていた。
ふと、隣に温もりを感じる。自分は一人で寝ていた筈。
―何故…?
顔を隣に向けてみる。
「うっ―っ!」
絶叫の手前。龍馬は己が手で、己の口を塞ぐ。そして、絶叫を防げた自分に拍手を送りたい。
横に居たのは、彼の美貌の人。火神族帝王であった。龍馬の心中は「何で!?」と大パニック。
逞しい腕に包まれて、温かいのは有り難い。だが、他人がこの様に近くで寝ていたのは幼少の頃のみ。焦る。かなり焦る。兎に角、この状況から逃れたい。
先程までの心中の穏やかさは何処へやら。今は、切羽詰って冷や汗がダラダラと流れる。しかし、起こしていいのか、いけないのか。
その時。
―コンコン
「サラ、起きてる…カァー…ぁ~らら」
龍馬を起こしに来たトラスティルの目に留まったのは、今にも泣きそうな異世界の客人と、すやすやと心地よさ気に寝息を立てる己の主。
どうしたもんか…と軽く頬を掻く。どうにかしてくれと訴えてくる金色の目が、突如一気に凍りつく。なんだと思い、トラスティルが龍馬の隣に目を向ければ、もぞもぞと動く山。どうやら更に密着され、身動きが取れなくなったようだ。
「…二度寝しろ。じゃ、また後で来る」
トラスティルは龍馬の返答を聞くわけでもなく、無情にも さっさと踵を返し去って行った。
***
『スカルラット』の扉の外。トラスティルは扉に背を預け、どうしたものかと考えてみた。
目の前には、長き眠りから目覚めた王に目通りをと望む元老院の者やら、特別階級の武官文官で人垣が出来ている。王の部屋が近い為、龍馬に宛がわれた子息の部屋前まで溢れているのだ。
(残念ながら、帝王は自室にはいらっしゃらないけどなー…)
背後の室内の事を思い出す。ヒガディアルは腹心のトラスティルとマツバの前でも、あれほど無防備に眠らない。近くに気配が有っても無くても、眠りが極端に浅い。故に、少しでも空気が動けばすぐに目を覚ます。
しかし、先程の王は今までにない程、無防備に深い眠りに就いていた。トラスティルの気配に気付かないほどに。
「トラスティル」
ざわめきの中でトラスティルが聞き取ったのは、聞き慣れたマツバの声だった。
「よー、大丈夫か?」
「ええ、どうにか…」
額に微かな汗を滲ませ、人の波を掻き分けて来たマツバは、僅かに不安な表情を隠し切れていなかった。
「どうかしたのか?」
「部屋に帝王がいらっしゃらなかった。何処に行かれたのか…」
眉尻が下がるのを可愛いと思いつつ、トラスティルは少しばかり身を屈めてマツバの耳元でそっと囁いた。
「帝王なら心配いらん。一人寝が寂しくて、サラのところにいる」
マツバの目が、驚愕に開かれる。ついでに言うと、危うく叫びそうになった。が、トラスティルに口元を押え込まれて、どうにか叫ばずに居られた。
「ど、どう言う事なんですか」
「や、どうもこうも…。帝王が安心しきって寝てたんだ。起こせるかっての」
トラスティルがそう言ってやれば、マツバは深く項垂れ深い溜息を吐き出した。
「確かに起こし難いとは思いますけど…」
トラスティルはマツバの言葉に苦笑を漏らしながらも、放って置けばいいんだよ、と促して子息部屋から離れた。
一方、龍馬は未だに如何したものかと悩んでいた。腰はガッチリと抱え込まれて、動こうにも動けないのが現実。トラスティルからは、二度寝しろと無理難題を突き付けられたのだが、本当に無理そうだ。
(おいおい、マジで俺はどうしちゃえば良いの!?)
あまりのパニックに心の内で叫ぶ日本語すらおかしい。嫌な汗を掻きながら溜息を吐き出し、隣に寝転がる美貌の人の顔を見つめてみる。これ程間近に王の顔を見た者はいないだろう。
程よく日に焼けた肌。漆黒の長い睫毛。形の整った凛々しい眉。不可思議な紅に燃える長い髪。スッと通った鼻筋。仄かに色付き、歪みが無く整った薄い唇。
正真正銘のイイ男。
『深紅の衣、纏いし炎帝。月神へ祈りを捧げ、アルケーの竜王をその手に宿す…』
呟く様に紡がれる歌。所々掠れつつも、それが得も知れぬ色気を醸し出す。日本語で歌うその歌詞は、クレアートの者からすれば神秘的な言葉だろう。
ヒガディアルの目がゆっくりと開かれるが、龍馬は目を閉じ、何処かに意識を飛ばしている為、その事に気が付かない。ヒガディアルの耳に入り込む異世界の言葉。それは耳に心地よく、ヒガディアルの憂鬱とした気持ちを払拭していく。
『月の神に導かれ、炎帝は時空を飛び回る。不死鳥従え時移り、真の花嫁、攫い行く…』
「ふふ…それでは、ただの人攫いのようだ」
笑い混じりに言えば、歌がピタリと停止した。
バッと龍馬の目が見開かれ、ヒガディアルと目が合えば見る間に真っ赤になっていく。
口は何かを言いたげに、パクパクと開閉を繰り返しているが、ヒガディアルからすれば、その動作は可愛らしい事この上ない。そして何より、金の瞳が羞恥により潤んで行く様は美しい。
「おはよう、ドゥーラ」
「ぉ、ぉおおはよ、ございます…ヒガ、様…」
どもりにどもっている。それすら愛しく、ヒガディアルは真っ赤な龍馬に微笑みかける。
「ぁ、あの、俺、顔洗ってきます!」
ヒガディアルの腕の力が緩んだ隙をついて、龍馬は慌ててベッドから降り、洗面所へと走り去って行った。残されたヒガディアルは、枕に顔を押し付け、笑いを堪えていたとか。
衣服を整えながら龍馬が出て来るのを待っていると、控えめに扉がノックされた。顔を出したのはマツバだった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「寝起きのところ申し訳御座いません。みなが帝王を待っております…」
マツバが申し訳なさそうに目を伏せて報告をした。ヒガディアルは小さく息を吐き出した。
「ハァ…気の利かない連中だ。…マツバ、長い間苦労を掛けたな」
かけられた穏やかな声音に、マツバは不覚にも目頭を熱くしてしまい慌てて頭を下げた。
「も、勿体なきお言葉…」
少しばかり声が震えてしまったのに、僅かばかりの羞恥を覚えて耳を赤くする。ヒガディアルは目を細めて、口元は緩やかな弧を描いた。
「すぐに行く。先に」
「御意」
言葉少ななやり取りを終え、マツバは静かに退室した。
再び息を吐き出したヒガディアルは、龍馬が逃げ込んだ扉へ向かって足を踏み出した。
―ガチャ…
「ドゥーラ」
「っ!はいぃ!」
開いた扉の隙間から顔を出せば、鏡越しに目が合った龍馬の肩が盛大に跳ね上がり、驚愕と緊張で力の入り過ぎた返事が響いた。龍馬は恥ずかしそうに俯き、ヒガディアルは笑いを堪えるように少しばかり俯く。
「あー…急用が出来てしまった…本当はもう少しゆっくり話をしたかったのだが…」
「あ、お、お気遣いなく…」
顔が上げられず俯いたまま呟けば、ヒガディアルは謝罪を述べて扉を閉ざした。ふわりと香った甘い匂いに、頬の熱がほのかに上がったような気がした。
その時、刺す様な鋭い痛みが背に走り、声を上げる間もなく反射的にしゃがみ込んだ。息を詰めて痛みを堪える。
突然の痛みは恐怖となって龍馬を襲う。
(何だよ、急に…ってか、マジいてーっ…!)
激しい痛みにより、涙で視界が徐々にぼやけ始める。
痛みの原因。背に咲く紅の蓮と、それに連なる『魄霊』の契約痕が何かに対し共鳴するように仄かに光を放っているのだ。それは龍馬自身に降り注ぐ幸福に対してなのか、襲い掛かる危機に対してなのかは謎である。
『っ、だれ、か……』
痛みのあまり意識が朦朧とし始め、その現実から逃れようとする。そして、意識が途切れる寸前、誰かの声が響いた。
―龍馬…―…‥
優しく温かなその声は、龍馬に確かな不安と不確かな安堵感を与えた。
「あっちでは異常な事が、こっちでは当たり前にある。…そのお陰か、自分でも解る程に笑ってるし……望さん?」
話している最中に、望は堪え切れずに龍馬の体を抱き締めた。抱き付かれた龍馬は、狼狽するばかり。
「龍馬…辛い時は辛いって言えばいい。君は我慢し過ぎるみたいだね。…君の心には、どれ程の傷がついているんだろう…」
琥珀の瞳が、真っ直ぐ龍馬を捉える。
不意に龍馬の頬に、涙が流れた。拭っても止まらない涙。
「辛かったね…」
望の温かな手がそっと、龍馬の目を覆い隠す。
「お眠り…傷は…癒せるから…―」
その瞬間、ふっと龍馬の体から力が抜けた。
「催眠術?」
「みたいなもの」
望に寄り掛かる龍馬からは、小さな寝息が立っている。
「…傷付き過ぎたね。傷付いて、傷付いて…痛みすら忘れてしまった。…せめて、夢だけは安らかに…」
祈りの声は、静寂に薄れていった…―。
***
『―』
―声…?
『龍馬…俺とあの方の愛しい子…』
誰…―?
『お前とは一度も話が出来なかった…』
あんたは…誰…―。
『赤子のお前を倶梨伽羅とサラティアに預け、あちらの世界へ飛ばす時…本当は俺も一緒に行きたかった…』
とても…懐かしい…―。
『それでも、俺はあの方の傍に居たかったから。…結果的にお前を捨てるような事になってしまったけれど、俺もあの方も常にお前の事が心配だった。愛しい子…俺の血を継ぐ『紅蓮の花嫁』。いずれ、お前に出会えると信じているよ…―…‥』
貴方は…俺の…―。
***
穏やかな目覚めだった。カーテンの隙間から漏れる日差し。見上げるのは、見慣れない天蓋。室外はガヤガヤと慌しく、廊下を行き来している音。
それでも龍馬の心中は、静かに和いでおり、かつてない程の心地よさを感じていた。
ふと、隣に温もりを感じる。自分は一人で寝ていた筈。
―何故…?
顔を隣に向けてみる。
「うっ―っ!」
絶叫の手前。龍馬は己が手で、己の口を塞ぐ。そして、絶叫を防げた自分に拍手を送りたい。
横に居たのは、彼の美貌の人。火神族帝王であった。龍馬の心中は「何で!?」と大パニック。
逞しい腕に包まれて、温かいのは有り難い。だが、他人がこの様に近くで寝ていたのは幼少の頃のみ。焦る。かなり焦る。兎に角、この状況から逃れたい。
先程までの心中の穏やかさは何処へやら。今は、切羽詰って冷や汗がダラダラと流れる。しかし、起こしていいのか、いけないのか。
その時。
―コンコン
「サラ、起きてる…カァー…ぁ~らら」
龍馬を起こしに来たトラスティルの目に留まったのは、今にも泣きそうな異世界の客人と、すやすやと心地よさ気に寝息を立てる己の主。
どうしたもんか…と軽く頬を掻く。どうにかしてくれと訴えてくる金色の目が、突如一気に凍りつく。なんだと思い、トラスティルが龍馬の隣に目を向ければ、もぞもぞと動く山。どうやら更に密着され、身動きが取れなくなったようだ。
「…二度寝しろ。じゃ、また後で来る」
トラスティルは龍馬の返答を聞くわけでもなく、無情にも さっさと踵を返し去って行った。
***
『スカルラット』の扉の外。トラスティルは扉に背を預け、どうしたものかと考えてみた。
目の前には、長き眠りから目覚めた王に目通りをと望む元老院の者やら、特別階級の武官文官で人垣が出来ている。王の部屋が近い為、龍馬に宛がわれた子息の部屋前まで溢れているのだ。
(残念ながら、帝王は自室にはいらっしゃらないけどなー…)
背後の室内の事を思い出す。ヒガディアルは腹心のトラスティルとマツバの前でも、あれほど無防備に眠らない。近くに気配が有っても無くても、眠りが極端に浅い。故に、少しでも空気が動けばすぐに目を覚ます。
しかし、先程の王は今までにない程、無防備に深い眠りに就いていた。トラスティルの気配に気付かないほどに。
「トラスティル」
ざわめきの中でトラスティルが聞き取ったのは、聞き慣れたマツバの声だった。
「よー、大丈夫か?」
「ええ、どうにか…」
額に微かな汗を滲ませ、人の波を掻き分けて来たマツバは、僅かに不安な表情を隠し切れていなかった。
「どうかしたのか?」
「部屋に帝王がいらっしゃらなかった。何処に行かれたのか…」
眉尻が下がるのを可愛いと思いつつ、トラスティルは少しばかり身を屈めてマツバの耳元でそっと囁いた。
「帝王なら心配いらん。一人寝が寂しくて、サラのところにいる」
マツバの目が、驚愕に開かれる。ついでに言うと、危うく叫びそうになった。が、トラスティルに口元を押え込まれて、どうにか叫ばずに居られた。
「ど、どう言う事なんですか」
「や、どうもこうも…。帝王が安心しきって寝てたんだ。起こせるかっての」
トラスティルがそう言ってやれば、マツバは深く項垂れ深い溜息を吐き出した。
「確かに起こし難いとは思いますけど…」
トラスティルはマツバの言葉に苦笑を漏らしながらも、放って置けばいいんだよ、と促して子息部屋から離れた。
一方、龍馬は未だに如何したものかと悩んでいた。腰はガッチリと抱え込まれて、動こうにも動けないのが現実。トラスティルからは、二度寝しろと無理難題を突き付けられたのだが、本当に無理そうだ。
(おいおい、マジで俺はどうしちゃえば良いの!?)
あまりのパニックに心の内で叫ぶ日本語すらおかしい。嫌な汗を掻きながら溜息を吐き出し、隣に寝転がる美貌の人の顔を見つめてみる。これ程間近に王の顔を見た者はいないだろう。
程よく日に焼けた肌。漆黒の長い睫毛。形の整った凛々しい眉。不可思議な紅に燃える長い髪。スッと通った鼻筋。仄かに色付き、歪みが無く整った薄い唇。
正真正銘のイイ男。
『深紅の衣、纏いし炎帝。月神へ祈りを捧げ、アルケーの竜王をその手に宿す…』
呟く様に紡がれる歌。所々掠れつつも、それが得も知れぬ色気を醸し出す。日本語で歌うその歌詞は、クレアートの者からすれば神秘的な言葉だろう。
ヒガディアルの目がゆっくりと開かれるが、龍馬は目を閉じ、何処かに意識を飛ばしている為、その事に気が付かない。ヒガディアルの耳に入り込む異世界の言葉。それは耳に心地よく、ヒガディアルの憂鬱とした気持ちを払拭していく。
『月の神に導かれ、炎帝は時空を飛び回る。不死鳥従え時移り、真の花嫁、攫い行く…』
「ふふ…それでは、ただの人攫いのようだ」
笑い混じりに言えば、歌がピタリと停止した。
バッと龍馬の目が見開かれ、ヒガディアルと目が合えば見る間に真っ赤になっていく。
口は何かを言いたげに、パクパクと開閉を繰り返しているが、ヒガディアルからすれば、その動作は可愛らしい事この上ない。そして何より、金の瞳が羞恥により潤んで行く様は美しい。
「おはよう、ドゥーラ」
「ぉ、ぉおおはよ、ございます…ヒガ、様…」
どもりにどもっている。それすら愛しく、ヒガディアルは真っ赤な龍馬に微笑みかける。
「ぁ、あの、俺、顔洗ってきます!」
ヒガディアルの腕の力が緩んだ隙をついて、龍馬は慌ててベッドから降り、洗面所へと走り去って行った。残されたヒガディアルは、枕に顔を押し付け、笑いを堪えていたとか。
衣服を整えながら龍馬が出て来るのを待っていると、控えめに扉がノックされた。顔を出したのはマツバだった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「寝起きのところ申し訳御座いません。みなが帝王を待っております…」
マツバが申し訳なさそうに目を伏せて報告をした。ヒガディアルは小さく息を吐き出した。
「ハァ…気の利かない連中だ。…マツバ、長い間苦労を掛けたな」
かけられた穏やかな声音に、マツバは不覚にも目頭を熱くしてしまい慌てて頭を下げた。
「も、勿体なきお言葉…」
少しばかり声が震えてしまったのに、僅かばかりの羞恥を覚えて耳を赤くする。ヒガディアルは目を細めて、口元は緩やかな弧を描いた。
「すぐに行く。先に」
「御意」
言葉少ななやり取りを終え、マツバは静かに退室した。
再び息を吐き出したヒガディアルは、龍馬が逃げ込んだ扉へ向かって足を踏み出した。
―ガチャ…
「ドゥーラ」
「っ!はいぃ!」
開いた扉の隙間から顔を出せば、鏡越しに目が合った龍馬の肩が盛大に跳ね上がり、驚愕と緊張で力の入り過ぎた返事が響いた。龍馬は恥ずかしそうに俯き、ヒガディアルは笑いを堪えるように少しばかり俯く。
「あー…急用が出来てしまった…本当はもう少しゆっくり話をしたかったのだが…」
「あ、お、お気遣いなく…」
顔が上げられず俯いたまま呟けば、ヒガディアルは謝罪を述べて扉を閉ざした。ふわりと香った甘い匂いに、頬の熱がほのかに上がったような気がした。
その時、刺す様な鋭い痛みが背に走り、声を上げる間もなく反射的にしゃがみ込んだ。息を詰めて痛みを堪える。
突然の痛みは恐怖となって龍馬を襲う。
(何だよ、急に…ってか、マジいてーっ…!)
激しい痛みにより、涙で視界が徐々にぼやけ始める。
痛みの原因。背に咲く紅の蓮と、それに連なる『魄霊』の契約痕が何かに対し共鳴するように仄かに光を放っているのだ。それは龍馬自身に降り注ぐ幸福に対してなのか、襲い掛かる危機に対してなのかは謎である。
『っ、だれ、か……』
痛みのあまり意識が朦朧とし始め、その現実から逃れようとする。そして、意識が途切れる寸前、誰かの声が響いた。
―龍馬…―…‥
優しく温かなその声は、龍馬に確かな不安と不確かな安堵感を与えた。
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