紅蓮の獣

仁蕾

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翡翠の章

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「…あんた等と契約できないんじゃ…手立てがねー。他の精霊じゃ、あちらさんと競り負ける」
 康平の言葉に、琥珀とケテルの表情がフッと不敵に歪む。
《案ずる事はない。スィーレの中には、あと九名居る。ニディオラのセイレーンなど、赤子も同然》
 ケテルの言葉に、一同は再び愕然とした。
「あと…」
「九…」
「人…」
「うーっわ…」
 予想を遙かに上回る数の多さに、望、マツバ、トラスティル、康平の順に引いて行った。
 高等精霊の部類に入るセイレーンが、赤子同然。そう言えるだけの実力があるのだろう。
 僅かな静寂が降りた時、大広間の扉が静かに開いた。馴染み深い、強大な精霊力。
「帝王…」
 トラスティルの呟きに、誰もが扉の方に目を向けた。優雅な動作で歩み寄って来るのはヒガディアルである。
「如何されましたか?」
 マツバが問えば、ヒガディアルは柔和に微笑んだ。
「いや、精霊たちが妙にざわついていたからな。ドゥーラの姿も見えなんだ。気を追うてみれば…お初にお目に掛かります」
 ヒガディアルが恭しく陣の前にて膝をつく。それに慌てるのは、マツバだけではなくその場に居る全員だ。
王が、しかも世界を統治する『精霊王』が膝を着くなどあってはならない。例え、相手が高等精霊に成り得る『魄霊』と言えど、我が子でもある精霊に膝を着いて良い筈がない。
 しかし、ヒガディアルは動揺を露わにする周囲に構う事無く言葉を続ける。
「わたくしは、今代精霊王を勤めさせて頂いておりますヒガディアルと申します。以後、お見知りおきを…」
 呟き、そっと頭を垂れる姿は優雅なもの。肩を流れる焔の髪。
「賢帝〈アザゼル〉様、並びにその『花嫁』である〈弥兎〉様…」
 そう呟かれた名に、全員がその一瞬で思考を止めた。
 ―そんな、まさか。
 全員の心に過ぎった思い。
《…ヒガディアル様、顔を上げて下さい。私たちは既に過去の存在。…それに、私たちはその名を捨てました》 
《それが、守護神であるククルカンとの約束》
 ほんの少し寂しそうに揺れるダアトとケテルの声が、静寂の中に響き渡る。ヒガディアルは、そっと顔を上げ立ち上がった。
 賢帝〈アザゼル〉。
 『花嫁』〈弥兎〉。
 その名は、歴史上に刻まれた名。知らぬ者はこの世界には居ない。
全員、慌てて膝を付くが、その様子にダアト、もとい、弥兎は苦笑しか浮かばない。
《俺たちに膝を付く事はないのに…》
「そうはいきますまい。貴殿方は、素晴らしい歴史を残された。子供たちに語り継がれる寝物語で御座います」
 ヒガディアルが微笑めば、ケテルことアザゼルの口元も僅かに綻ぶ。
《いずれ、一対一で話したいものだ。…だが、今は急く時。本題に入る》
「御意に」
 ヒガディアルが頷いた事を確認し、ケテルが琥珀に視線を送った。それを受けた琥珀は小さく頷き、周囲に向かって口を開いた。
〔今、主様は深層心理の無意識下に沈んでいる。そしてそこに『傀儡ブラッティーノ』の鎖が侵入し始めている〕
 その場の空気が一気に張り詰めた。
《現在二名の『魄霊』が対応しておりますが、これ以上は限界でしょう…》
《我等はこのままスィーレの中に戻り、意識を誘導しながら事情を説明する》
〔その間、龍馬様は無防備になる。私はこのまま在り続けるが何分、大半の元老院が相手ではな…〕
 鼻で笑うように琥珀が言い捨てれば、ヒガディアルは満面の笑みを浮かべた。が、その目までは笑っていない。
「ならば、私が徹底的に排除致しましょう」
 その場に居る全員が、その深い笑みに嫌な寒気を覚えた。不意にフェニーチェの気が強くなる。途端、ケテルの表情が僅かに綻んだ。
《…そうか…『不死鳥』は、お前のものとなったか》
「ええ…あなた方の最初の『子』です。会われますか?」
 ヒガディアルが聞けば、ケテルはゆっくりと首を振り、否定の意を告げる。
《今は、時間がない。また、いつか会える日に…》
 ケテルは純白の焔に姿を変え、ダアトはケテルの焔に溶けるように姿を消す。白の焔が龍馬を包み込むように、体の内へと消えて行った。宙に浮いた龍馬の体。
 その時、鈍く輝く何かが龍馬に襲い掛かった。目で追えない黒い影。
 しかし、その影は漆黒の竜へと戻った琥珀の鱗により阻止された。雄々しく悠々たるその姿。花嫁の竜のみがなれる姿である、翼無き大蛇の『蛇龍だりゅう』。その金の目は怒りに揺れる。
 大広間の外。琥珀の前に舞い降りる、翼有する竜。赤竜のクプレオと、紫竜のリタだ。二頭の巨大な竜の頭上には、闘志漲る二人の青年。彼等もまた、怒りにより表情が消え去っている。 
「いつの間にやら…って感じ?」
「はっ、俺たちも舐められたもんだ」
 眼前。城壁に居るのは、深紅の弓矢構える衛兵。元老院の息が掛かった者たちである。
「帝王様、コレは俺たちの仕事」
「手出し無用」
 望と康平の殺気に満ちた声。トラスティルの口元がニヤリと歪んだ。
「いい気だ。帝王、こいつ等の実力試しにどうですか」
「そんな、っ、あんなに居るのに、たった二人で…」
 城壁の上には数百人。更にそれぞれにも契約精霊が居る為、その数は倍になる。
「あれくらい片せねば…ドゥーラの傍に居る資格は無い」
 穏やかな笑みながら、吐き出されるは冷酷な言葉。
「それは良いんですけど、事が終わったらさっきのこと、要説明でお願いしますよ!?」
 ヒガディアルの言葉には「何を今更」、と言った態度の望。康平が叫ぶのは、ケテルとダアトの事だろう。
「くく…あい、わかった。存分に愉しむがいい」
「御意!」
 何とも愉快気な表情で、望と康平は敵に向かって飛び出した。その背を見送りながら、ついつい笑いが零れてしまった。どうやら、龍馬はあの二人に相当好かれているようである。
 ヒガディアルは少しばかり機嫌が上昇しつつ、踵を鳴らし、自身の力で大広間全体に壁を作り上げた。
「フェニーチェ、城壁が崩れぬよう」
《御意》
 ヒガディアルの指示に、どこからともなく女性の声が響いた。
 望むと康平の二人は、若年ながらも近衛隊の中でも最強部隊である無神族帝王直属近衛隊〈バハムート〉の隊長と副隊長だ。師がトラスティルと言うのもあるが、その破壊力は皆目検討もつかない。城全てが破壊されかねない為、結界補強を指示した。
 そして、幕は落とされる…――。

 望と康平の髪が強めの風に弄ばれる。
「クプレオ。お前は、リタと共に精霊を制圧しなさい」
《ノン様は?》
 望の声に答えたのは、まだあどけなさ残る青年とも少年とも言える声。
「俺は康平と白兵戦」
「リタ、わかった?」
《解ってるわよ、坊や》
 楽しそうな康平に答えたのは妖艶な女性の声。
「そんじゃま、いっちょ派手に」
「やったりますか!」
 二頭の竜が、主に呼応するように猛スピードで城壁に近付いた。
 望と康平は、各々の竜の頭を蹴り宙に飛び出る。同時に数十本もの矢が次々に襲い掛った。
 ―ガガガガガガガッ!
 康平の紫龍槍が、飛来する矢の群れを容赦のない素早い動きで叩き落していく。
 ―ダンッ!
 城壁に到達したと同時に、幾本もの槍や剣が二人に襲い来る。が、着地した勢いを生かし、再び空中に舞い上がった。
 望が音を立てて赤華扇を開き、下方の衛兵に投げ放った。赤華扇はクルクルと綺麗に回転しながら、槍なら柄を、剣ならば刀身を折って行き、望の手の内へ戻る。 望は武器を失った兵の中に着地をすると、容赦なく足払いを掛け、倒れて尚襲い来る輩に拳やら足技やらをお見舞いし気絶させて行く。
 康平は槍の柄で一人の兵の脳天を叩き、勢いを殺して地面に着地をすると剣を振り翳す後方の男の腹部に槍の石突の部分を減り込ませた。衛兵の呻く声など気にする事なく、側頭部を蹴り倒し地に沈める。しかし、リーチの長い槍。隙を突かれ、剣が胴体を狙う。それを読んでいたかの如く康平が手首を捻れば、槍の柄がガシャンッと音を立てて多節棍へと変化し、鞭のようにしなやかに襲い来る刀身を食らった。
 舞うように滑らかに、しかし的を射た鋭さで望も康平も衛兵を沈めていく。
 二人の契約竜も呼吸の合った間合いで、精霊たちを再起不能にしていく。しかし、倒れ行く衛兵は誰もが致命傷を負っていない。酷くて脱臼か骨折程度だ。
 つまり、二人は本気で相手をしているのだ。意識的に怪我で済ませようとすると、人を絶命させるよりかなりの技術と集中力を必要とする。しかし、いかに二人が上手く立ち回ろうとも、頬や体に赤い筋が増えていく。見守っていたトラスティルが舌打ちをし、壁を越えようとした瞬間。
 銀色の輝きが背後から溢れ出した。

   ***

 ―ぺちぺち
《おーい、生きてるかー?》
 ―ぺちぺち
 優しく頬を叩かれる。龍馬がうっすらと瞼を開いていくと、一人の青年が幾本もの鎖を背景に覗き込んでいた。
《ケセド、おやめ》
 聞いた事のある声に意識が急浮上し、バチッと目が覚める。
《お、起きた》
 青年の満面の笑みがそこにあった。青年の他に逆さまになったケテルが視界に入り、どうやら自分はケテルに膝枕をされている状況だと思い至った。その瞬間、羞恥のあまり勢い良く起き上がったのだが、強い眩暈が襲って来た。
 額を押さえながらのろのろと辺りを見渡せば、白い空間のあちらこちらに大小様々な鎖が現れている。ジャラリと音を立て白い空間に侵入してくる鎖を食い止めようとしている男が視界に入った。
《スィーレ、紹介する。これはケセドと言う。あそこにいるのはコクマーだ》
 ケテルがコクマーという男を呼び寄せる。その時、何処からかもう一人、男が現れた。コクマーに代わり、鎖を食い止める作業に入る。
「…あの人は?」
《…まだ、知るべき時に非ず…と言っておこう》
 コクマーがケセドの隣に膝を付く。
《お初にお目に掛かる、主殿。ワシの名はコクマーと申す》
 人は見掛けによらず、とは正にこの事か。一見、美形の男性。口を開けば、なんとやら。
《はは、驚いてる驚いてる》
《ふむ…やはり、直した方がよさそうじゃな》
《えー、面白いからいいよ》
 龍馬の前で、じゃれ付き始めるケセドとコクマー。まるで兄弟だ。
 ケテルが呆れた声で「時間が無いんだぞ」と注意を促せば、ケセドとコクマーは苦笑を浮かべつつ龍馬に向き直った。
《では、改めて…》
 ケセドは、コホン、と小さく咳払いをし、片膝を付き龍馬に向かって頭を下げた。
《我が名はケセド。『慈悲』を担いし青き焔司りし者》
《我が名はコクマー。『知恵』を担いし濃灰の焔司りし者》
《我等が名を呼び、汝が魂に刻め。さすれば我等、真なる力甦り、主たる更紗龍馬を守護する事、此処に誓いを立てる》
 朗々と二種の声で紡がれた言葉。二つの強い眼光が、龍馬を凝視する。しかし、龍馬は何がなんだか、と追い付けていない様子。
《…お前は、現在、あの鎖に捉えられようとしている》
 ケテルが指差したのは、謎の人が侵入を防いでいる鎖。あの鎖が何かと聞けば、ケテルの表情が歪んだ。
《あれは…人を思うがままに操る『傀儡』という術が具現化したものだ》
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