紅蓮の獣

仁蕾

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翡翠の章

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「思うが…まま…?何で、俺が…」
《……ある者が、お前に想いを寄せてしまった。故に、その精霊が暴走を始め、結果がこの術だ。それから逃れる為には、この者らと契約するしかない》
「え…っと…『魄霊』ってヤツ?」
 龍馬の問いに、ケテルは頷く。
《…あの者…今代の精霊王の傍に居たいか…?》
「……ん…」
 小さいながらも肯定の返事に、ケテルが満足そうに微笑んだ。
 龍馬の双眸は、真っ直ぐケテルの瞳を見つめる。
「契約すれば…傍に居られるの?」
《…今回は、な。しなければ、その鎖はお前の意思を蝕み、精霊王から離されてしまう》
「それは…ヤだ…」
 胸の奥から、熱い何かが込み上げてくる。 
《ならば、呼べ。この者等の真なる名を…》
 ケテルの金の目から視線を逸らし、見つめてくる青と濃灰の瞳に目を向ける。
「…っ、ケセド…神名しんめいを〈エル〉」
 ――ゴゥッ…――
 ケセドの姿が青い焔の人型へと変わると同時に、龍馬の足元から同色の焔が舞い上がる。
「コクマー…神名を〈ヨッド〉」
 ――ゴッ…――
 コクマーの姿が濃灰の人型へと変じ、龍馬の足元、青い焔と絡み合うように濃灰の炎が巻き起こる。
「今此処に…汝等との契約を承認する…!」
 龍馬の額に銀の宝玉が現れ、光が溢れ出した。

   ***

 琥珀が嬉しそうに喉を鳴らしながら、目覚めた龍馬に頭を摺り寄せた。龍馬はその眉間を優しく撫でる。
 魔法陣から幾程か上方に、龍馬が浮いていた。
 その額にあるのは、白銀に煌く宝玉。爛々と輝く金の目は、懐いて来る琥珀のように瞳孔が縦に割れ、肩につくか微妙だった髪は肩甲骨ほどに伸びて風に撫でられているかのように漂っている。その表情には、感情は何ひとつ浮かんでいない。
「ケセド」
 名を呟いた瞬間、左腕の服が弾け飛ぶ。紋章の一つが青く輝き、炎の塊が駆けた。それは次第に大狼の姿へと変じ、虚空を駆けて城壁へと進路を取る。衛兵たちは恐れ戦き逃げ惑う。
「…鍛え直し、だな」
 トラスティルの的外れな言葉に、マツバの眉間の皺が増えた。マツバとトラスティルが龍馬の方に目を向ければ、額の鎖が徐々に消えつつある。
「コクマー」
 更にもう一つ名を呟く。次は違う紋章から、濃灰の炎が現れた。その炎は大きな豹の姿を模り、そのまま飛び上がると体を丸めてとパッと消えて居なくなった。何処に行ったのかと問う暇もなく、バサッと羽音がしたかと思うと、風が室内に入って来た。
「只今戻りました」
「よえーのなんの」
 帰還した望と康平の体中には、浅いながらも多くの切り傷がある。そこからは僅かながらも血が流れ落ちている。二人は流れる血もそのままに、龍馬の元へと歩み寄った。
 龍馬は地面に降りてくると何も言わずに望と康平の頬に手を伸ばし、指先が触れた瞬間、二人の体を淡い光が包み込み、見る間に傷が塞がって行く。
「契約、出来たんだね?」
 望が微笑めば、龍馬は眉尻を下げ、泣きそうな表情を浮かべながら小さく頷いた。
 青い大狼が龍馬の背後に降り立ち、甘えるように擦り寄ると、その姿は炎となって紋章へと消える。
「さっきの黒っぽいのは?」
 龍馬が口を開こうとした瞬間、望と康平の背後を黒い影が通った。振り返れば、大きな豹は炎となって姿を消し、そこには。
「…ニア様…」
 そこには、ニディオラが立っていた。 室内を支配するのは、気まずい沈黙。動いたのは、ヒガディアル。
「皆、この部屋から出て貰っていいか?」
 その表情も声音も、穏やかなもの。争う事は無いだろうと判断した僧侶達は、深く腰を曲げると大広間から静かに出て行った。トラスティルも躊躇うマツバの手を引き出て行く。
 望と康平は、意に介した様子も無く微動だにしない。ヒガディアルは、龍馬に近付く。
「ヒガ様…」
 少しだけ苦しそうな、切なそうな声音でヒガディアルの名を呼ぶ。
「疲れたであろう…ゆるりと眠るがよい」
 温かな指先が、龍馬の頬にそっと触れた。同時に龍馬の体から力が抜け、ヒガディアルの腕の中に倒れ込む。
「望、康平…頼んだぞ?」
 薄く笑みを刷いた唇を龍馬の額に寄せ、康平の腕へとその痩躯を託す。
「帝王様は…?」
「少々、話をつけねばならん」
 頷いた望たちは振り返る事無く、扉を閉めた。残された琥珀は、興味なさ気にその姿を消した。
 静まり返った室内。ヒガディアルとニディオラは、背中合わせで床に腰を下ろしていた。背中の温もりを懐かしく感じるほど、長く寄り添うことも無かったとしみじみ思う。
「…ヒガ…」
 先に口を開いたのはニディオラだった。
「なんだ…?」
 ニディオラが天井を見上げれば、必然的にヒガディアルの肩に後頭部が寄せられる。
「私は」
「ニア、私はお前以外に風神族の王は務まらぬと思っている」
 何かを述べようとしたニディオラの言葉を遮り、ヒガディアルが言葉を紡いだ。
「っ!」
 言葉を先読みされたニディオラは息が詰まった。ヒガディアルは愉快そうに小さく笑った。寄り掛かる背中からは、小さな振動を感じる。
「根が堅実なお前の事だ。今回の事、責任を取る等と言って、風神族帝王から退こうとでも思って居ったのだろう?」
 クツクツと漏れる笑い。ニディオラは、苦虫を噛み潰したかのように表情を歪めた。
「相変わらず食えん男だな、お前は…」
「幼い頃からお前を知っているのだ…何を思っているか等、解るさ」
「では、尚更だ。尚更、この座を退かねば…」
「…ニア、教えただろう?」
 静かに優しく響く低い声。昔と変わらぬ穏やかさに、ニディオラの目には涙の膜が揺れている。それに気付いているであろうヒガディアルは、敢えてそれに触れない。口元はただ穏やかに微笑んでいる。 
「悪いと自覚があるのならば、まず責任云々の前に素直に謝れ。男が女々しくも言い訳なぞするな。あるがままに非を認め、罵倒されるのならばそれを受け入れろ。…それに、心配することはないさ。ドゥーラ…あの子ならば笑って許してしまうだろうよ」
 ヒガディアルの手が、肩に触れるニディオラの頭を そっと撫でた。その優しさにニディオラが瞼を閉じた瞬間、透明な雫が一筋、ほろりと流れ落ちた。
「ヒガディアル」
「うん?」
「おれは…」
「ん…」
「あの子の事が…」
「ん…」
「好きだったのかもしれない…」
「…ああ、そうかもな」
「でも、本当に欲しかったのは……お前の優しさだったのかも、な…」
 予想外の言葉に瞠目した、その時。
 ――ちゅ……
 頬に柔らかな感触。ヒガディアルは硬直し、ニディオラはしたり顔で不敵に笑った。
「さてっと、『花嫁』様に土下座でもしに行くか」
 心情を吐露した事で気が晴れたのか、ニディオラは鼻歌交じりで大広間から出て行った。ヒガディアルはその背中を見ながら、大きな溜息を吐き出すしかない。
「まったく…あの悪ガキめ…」
 どこか呆れ返った様な、それでも優しい微笑みが向けられていた。

   ***

 龍馬の自室である『スカルラット』は静寂に支配されていた。
 龍馬も望も康平も、ついでにマツバもトラスティルもイシュバイルも。目の前の光景に唖然としている。
「本当にすまなかった」
 ベッドに腰掛ける龍馬の足元。額が床に付きそうなほど低姿勢なニディオラの、土下座。
「て、帝王が…」
「本気で…」
「土下座だな」
「土下座ですねぇ」
「ぎゃー!」
 悲鳴を上げる康平の肩越しに現れたのは、現在、本気で土下座をしている風神族帝王の近衛隊隊長のジーク。そして、望の隣に立つのは、水神族女帝直属近衛隊のティアナだ。
「ジーク、いいのか?王が膝ついて」
 トラスティルが呆れた眼差しをジークに向ければ、ひらりと手を振られた。
「気にすんな。相手は『花嫁』だぞ?止める理由なんざないね」
 その通りだと同意したのは、ニディオラ自身だった。
「精霊の暴走とは言え、全ては私の為と思いしてしまった事」
「ちょ、ニア様…っ!」
 焦りに焦る龍馬。しかし、ニディオラは聞く耳持たない。
「あ、あの、お気になさらないで下さい!」
「だが…」
「その代わり、えーと…セイレーンさん?呼んでくれます?って言っても…見えてるけど」
 龍馬がちらりとニディオラの左隣に目を向けた。先程からニディオラの隣で、同じように土下座をしている女の子がいる。柔らかく波打つ若葉色の長い髪をした可愛らしい十五歳ほどの少女。大きな目からはボロボロと涙が流れ続けている。 
 龍馬が彼女の名を呼ぶと、その小さな体をビクリと震わせた。プルプルと小刻みに震える体に、苛めている心境になってしまう。
「セイレーン、泣いてばかりではなくお前からも謝りなさい」
 ニディオラが名を呼べば、その姿が鮮明に現れた。
《ま、誠に申し訳御座いませんでした!》
 愛らしい声が涙に揺れて響いた。その時、セイレーンの隣に迦陵頻伽が膝を付いて現れた。
《レジーナ様…此度のご無礼、誠に申し訳御座いませんでした》
 彼もまた床に手を付き、頭を垂れた。
《セイレーンは、私にとって我が子も同然。責めるならば、この子を育てた私を》
《迦陵様ぁ!》
 迦陵頻伽の進言に慌てたのは、龍馬だ。
「ちょ、ちょっと待って!俺は、セイレーンを責めようと思って呼んで貰った訳じゃないよ!?」
《…違うんですか?》
 首を傾げる迦陵頻伽に対し、龍馬は何度も頷く。
「過程はどうであれ、彼女のお陰で…ってのも変だけど…精霊と契約出来たんだし…結果オーライで仲良くなれたらなー…って思ってー…」
 軽い調子で放られた言葉に全員が脱力感に見舞われ、龍馬だけが不思議そうに首を傾げた。
「君って子は…」
「お人よし」
 望と康平の呆れた声音の中に、諦めの色。お前ってそんな奴だよ、と〈バハムート〉の二人は受け入れるしかない。その時、堪えた笑い声が密かに聞こえて来た。
「ヒガ様…」
「済まない…皆があまりにも間の抜けた顔でな」
 ヒガディアルは微笑みながら龍馬に歩み寄ると、その前髪を撫で上げた。露わになった額。先程あった筈の銀色の宝玉が消えている。親指がその場所をゆるりと撫でた。
「精霊を呼び出した時だけ、現れるのか…?痛いか?」
「痛くは無いですけど、何か違和感はあります」
 龍馬の笑みに「そうか」と微笑み、ヒガディアルはセイレーンに向き直った。
「セイレーン」
《は、はい…!》
 恐怖のあまり、セイレーンの声が震えている。その様子に、ヒガディアルは苦笑を漏らしてした。
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