紅蓮の獣

仁蕾

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翡翠の章

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「『花嫁』の願い、聞き入れてはくれぬか?」
 その言葉に俯いていた顔が勢い良く上げられ、驚きに瞬きを繰り返している。泣きすぎなのか、目元が仄かに赤い。
「嫌か?」
《め、滅相も御座いません!とても光栄で御座います!!》
 慌ててもう一度頭を下げる。その返事に、至極喜んでいるのは龍馬。
「やった!二人目の女の子の友達ゲットー!」
「二人目…?ああ、一人目はクリオスちゃん」
「そ!」
「フェニーチェ様は?」
「あの人は、友達って言うより…お姉様?」
 龍馬の物言いに、頷く面々。迦陵頻伽は苦笑を禁じ得ない。頷いていいのやら…と言った感じか。 
「今代の『花嫁』様は、愛らしいわねぇ」
 ふわふわと花を飛ばすティアナに、龍馬は首を傾げる。それに気付いた望が耳打ちをした。
「水神族の近衛隊隊長で、ティアナさん」
「隊長…見えない…」
 マジマジと見ていると、バチッと目が合ってしまった。ふんわりと微笑まれ、龍馬も笑顔で応える。が、その背筋に走る悪寒。どうやら、本能は彼女を危険人物と捉えたらしい。
「初めまして、『花嫁』様。ティアナ・クライ・シースと申します」
「さ、更紗龍馬です」
「では、サラ様ですわねぇ?」
 パム、と嬉しそうに手を叩かれ、反論をしようという気も起きない。寧ろ、諦めの境地。
 話もそこそこに、龍馬は再びセイレーンの方を見て笑みを浮かべた。
「セイレーン、いつでも遊びに来てね」
 嬉しそうに言う龍馬に、セイレーンがおずおずと聞き返す。
《ほ、本当に、宜しいんですか…?》
「勿論。あ、迦陵さんも来てね?また一緒にお茶しよう」
《ええ、喜んで…》
 迦陵頻伽の優しい笑みに、龍馬には照れ笑いを浮かべる。そのはにかんだ笑みに空気が和らいだ、その瞬間。
 ――ガシャンッ!
「リョーマ!」
 ドドドッ―!
 ガラスが砕ける音。ジークを始めとする全員の叫びが交錯する。そして、ほぼ同時に響いた鈍い音が三つ。その場の誰もが動けなかった。
 龍馬は、目の前に流れる色に身動きが取れない。薄黄緑の美しい髪が、割れた硝子窓から入り込む風に美しく舞っている。
 ――ずる…
「帝王!」
 ジークの声が響いた瞬間、室内空気が張り詰め、喧騒に包まれた。
「イル!医療班を!!」
「康平!!」
「了解!」
 トラスティルはイシュバイルに指示を出し、ジークは康平と共に割れた窓から飛び出した。
 龍馬とヒガディアルは、動かない。否、――動けなかった。
 ベッドに伏すのは、先程まで申し訳なさ気に微笑んでいた人。その背に刺さる三本の矢。一本は血を滴らせ鈍く輝く矢じりが胸から見えている。
 白いシーツに染み渡る紅。
 二人の見開かれた目には血に濡れたニディオラの姿が、映し出されていた。

 イシュバイルが呼びに行った医師が駆け付け、そのまま『スカルラット』で治療が行われた。ティアナの協力により大出血の事態は免れてはいるものの、このままでは危険であると言うのが医師の診断だ。
「傷口が塞がりません。縫合するにも命の危険が伴います。現在、ティアナ様により持ち堪えてはおりますが…」
 何かを言い淀む医師に、誰もが嫌な予感を胸に抱く。世界屈指の医師の治癒術を以ってしても塞がらない傷口。
「…呪術の一種…でしょうか?」
 マツバの問いに、医師は躊躇いがちに頷いて見せた。
「恐らく、その類でしょう。矢傷にしては出血が多すぎます」
「…解りました。そのまま治療を続けて下さい。ティアナ、申し訳有りませんが…」
「お気になさらないで、マツバ様。困った時はお互い様でしょう?」
 ニディオラの右手を握り、血流をコントロールしているティアナが小さく笑った。マツバはティアナに笑みを返し、ソファーの方に視線を走らせる。 そこには、ニディオラに負けず劣らず、顔面蒼白の龍馬が望に縋り付いている。ヒガディアルは緊急だと言う元老院に呼び出されてしまい、今はいない。
「…矢の色は?」
「不明。と言うより、感じる気配からして全種族の力が籠められてるな」
 トラスティルとイシュバイルは、ニディオラから抜かれた矢を調べていた。
「謀ったのは、どうせ元老院だろ…」
 犯人を取り逃がしてしまった康平は、苦々しく吐き捨てた。その表情は、憎悪に満ちている。
「ジークにも調べて貰ってはいますが…恐らく、尻尾は掴めないでしょう」
 マツバの言葉に、誰も口を開かない。聞こえるのは、医師が出す指示の声だけだ。全員が肌に感じるのは、弱々しいニディオラの精霊力。
「…精霊力と生命力…両方とも、徐々に喰らわれている状況です…。少々、調べてきます」
 マツバがイシュバイルを連れて部屋を出ようとした時、龍馬がストップの声をかけた。
「コクマー」
 精霊の名を呼べば、左手の上に掌サイズの小さな豹が現れた。掌に豹を乗せたまま、ニディオラの方へ歩み寄る。
「中の術がどうなってるのか見て来て。対処できそうなら、そのまま留まっていいから」
 簡単に指示を出せば、豹は一つ頷いて、掌からニディオラの胸へと飛び降りた。
 ―トプン…
 豹の姿がニディオラの中に吸い込まれるように消えて行く。 
「望さん、俺、ちょっと眠ります」
 ソファーに戻って来ると、クッションを抱きかかえ、望に宣言した。
「いいけど…大丈夫?」
「気分とかは全然平気。ちょっと、会いたい人がいるから」
 そう言って、すっと眠りに就いた。
「はやっ」
 トラスティルがその場の代表として声を上げた。
「会いたい人…?」
「俺らより頼りになる方々が、コイツの中にいるからな」
 首を傾げたジークに答えながら、トラスティルは小さな苦笑を浮かべた。
「あいつには?」
「俺の精霊を飛ばした。すぐ来るだろ」
 望の隣で眠る龍馬の額。銀の宝玉が鈍く輝いていた。

   ***

 龍馬は初めて自分の意思で、この真っ白の空間に来ていた。目的でもある深紅が白の中に鮮やかに映えている。
《…今回はどうした》
 空間の主であるケテルは薄く微笑み、主を迎え入れた。
「ニア様の…呪いは何?」
 龍馬の金の目が、強く光り輝く。怒り心頭、と言ったところか。常に無い主の覇気に、ケテルが満足そうに微笑んだ。
《…『枯渇エザウスト』と言う。コクマーを使いに出したようだが…恐らく手の出しようは無い》
 ケテルの無慈悲な言葉に、龍馬は表情を歪めた。だが、今此処で凹んで居ても何も変わらない。
「効果は…?対処法は、ないの?」
《『枯渇』の効果は、徐々に生命力も精霊力も減っていき、最後には『から』…つまりは、死に至る。上級魔術として書物には載っている。対処法は『花嫁』の契約竜の鱗を砕き、粉にして、『花嫁』の血である程度練ってから傷口に塗り込む。しかしそれで傷口が塞がる保障はない》
「完全に解く方法は?」
《…術者の意思でしか解けん》
 その答えに龍馬の肩が落ちた。眉間に皺を寄せ、何かを考える。
 ケテルはその様子を楽しそうに見ている。主の成長が嬉しいのだろう。
「…精霊が離れられる距離って」
《…通常ならば、個人の精霊力によるが…お前の場合、制限なぞ存在しない》
 ケテルの怖いほどの満面の笑みに、若干引いてしまう。
《『枯渇』は主に加護無しである無神族が使う。つまり…お前の民だ》
「俺の…」
《本来、民は王に危害は加えない。だが、無神族だけは違う。己が認めた者にしか膝を着かない。故に金で雇われ、王の命を狙う輩が現れる。…勿論、暗殺してしまえば、犯人は死ぬより惨い仕打ちにあうがな》
 翳りのある深い笑みに、龍馬は無意識の内に自身の腕を一度撫でた。
《スィーレ…行動を起こす事に恐れを抱くな。精霊王と私と…アヤツがついている》
 今までにない穏やかな笑み。龍馬の意識はそこで途切れ、ほぼ同時に勢い良く起き上がった。その場に居たトラスティル、望、ジークが驚いて肩を跳ね上げると、話を中断して龍馬に目を向ける。
「『枯渇』…」
「エザウスト?」
 ぼんやりと呟かれた言葉を望が聞き返せば、龍馬は深く頷いた。
「ニア様に掛かった呪い」
 龍馬はソファーから立ち上がり、真っ直ぐにニディオラに向かった。
 ベッドサイドに佇めば、ニディオラの胸から小さな豹が現れた。どうやら、打つ手なしのようだ。しかし、龍馬がコクマーを体内に戻す気配は無い。
「ケセド」
 迷い無く新たに精霊を呼び出せば、大型犬ほど大きさをした青狼が現れる。コクマーはニディオラの胸から降りると、ケセドと大差ない体躯に戻った。
「トラ隊長たちの精霊も借りていい?」
「いいが…何か解ったのか?」
「ニア様に呪いをかけたのは…無神族の奴等だ」
 ぎり、と奥歯を噛み締める音。
「ケセドとコクマーは、このまま力のにおいを追って」
 龍馬の指示に二頭は頷くと、炎となってその場から消えた。トラスティル、ジークの精霊も可能な限り遠くまで飛ぶよう指示を受け、素早く窓から飛び去った。
 ニディオラの胸には紅い水溜りがどんどん広がっていく。
「琥珀」
 ぽうん、という音を立て、ニディオラの胸の上に小さな竜が現れる。龍馬の意図が解っているのか、器用な動作で尾の部分から鱗を一枚、パキン、と取った。
「ごめんね、痛い思いさせて…」
 そっと撫でれば、甘えるようにキュウと鳴いた。
「血を押さえといてね」
 琥珀の金の目が一層強く輝いたかと思うと、見る間に流血の勢いが治まって行く。が、やはり完全に止まる気配は無い。
「その鱗…どうするの?」
「砕く」
 望の言葉に簡潔に答えると、医療道具の中から薬を練る為の皿を手に取り、その中に鱗を入れた。そのまま親指で押し潰す。
 ――カシャン…
 軽い音を立てて鱗が粉々になったのを確認し、視線を巡らせて刃物を探す。果物の盛り合わせの器にあった小さなナイフを見付けると、器をテーブルに乗せ、躊躇いなくナイフを抜いて左手の掌に刃を走らせた。
 突然の行動にその場にいた全員が驚きに目を開くが、龍馬は気にした素振りもなく粉々の鱗が入った器に血液を流し込んだ。乳棒で砕いた鱗と血液を混ぜ合わせ、再びニディオラの元へと歩んだ。胸に置かれたタオルやガーゼを退かし、血の浮かぶ傷口を見つめる。シーツを引き上げて溢れる血を拭い去ると、器から粘り気を帯びた鱗を掬い取り、そっとニディオラの胸に撫で付けた。
「………琥珀」
 琥珀がゆっくりと離れる。
 ドプッ…――!
 溢れ出す血液。咄嗟に手で押さえ付けるが、龍馬の手が一瞬にして真紅に染まる。
「クソ…!止まれよ…止まれってば!」
 強く願うが、無情にも流れ続ける血。噎せ返る程に濃くなっていく血の臭いに、ぽろりと涙が流れ落ちた。その時。
 ――カッ!
 額の宝玉が一層強く輝き出した。
 清廉された精霊力が、龍馬の体から溢れ出す。そのあまりの大きな力がひしめき合いぶつかり合う度に、耳に心地よい美しい音色が響き合う。同時に温かな光が室内に広がり、どこからともなく集まり始めた精霊たちが歌いだす。それは、人には解らぬ精霊だけの言葉。美しい音色にあわせて、様々な精霊たちが舞う。鮮やかな光の中、ニディオラの胸の傷から溢れ出る血の勢いが、徐々にだが緩やかになっていく。
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