紅蓮の獣

仁蕾

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青藍の章

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   ***

 大広間を出た康平は、昔覚えたクレアートの歌を口ずさみながら、己の部屋へと足を向けていた。
 しかし、彼が訪れたのは城内に幾つかある中庭の一つ。色彩豊かな花が咲き誇り、真ん中に大人五人掛かりでやっと届く太さの幹を持つ大きな桜の老樹。重ねた長い年月を感じさせないほど、青々とした葉が生い茂っている。
 老樹の前で立ち止まった康平は、踵を返すと不敵に口角を持ち上げた。
「よーう、暇人共。ご機嫌いかがだい?」
 良く通る声が柔らかな風が吹く空間に広がった。しかし、応答は何一つ返って来ない。
「おーい、シカトは良くないぜー?シカトは。話し掛けられたんなら、キチンと姿を見せて答えてもらわなきゃよー、テメーんトコのガキが真似して行儀のいいガキに育たねーぞ?」
 嘲るような笑みと口調。それでも、応答は無い。
 康平はつまらなそうに一つ舌打ちをすると、己の契約竜を烏ほどのサイズで呼び出した。
「リタ、お前の玩具が…四、五…十人ばっか居るけど?」
 康平が楽しそうに言えば、契約竜が嬉しそうに「ギャゥ!」と鳴きながら、康平の周りをパタパタと飛び回った。
「さーん、にー、いーち……零…」
 号令と共に、リタが猛スピードで宙を翔ければ、隙が出来た、と思った者等が四方から現れる。
 老樹の陰からも三つの人影が、真下に立つ康平へと凶刃を振り下ろした。 
「逆臣の首、とっ……ぎゃぁあぁ!!」
 男の悲鳴が木霊し、康平の眉間に皺が寄った。
「っるさいなー…」
 片耳に小指を詰め、深く息を吐き出す。
 ひょいと振った紫龍槍の刃に運悪く当たってしまい、利き腕を落としてしまったようである。辺りに血が飛び散り、鉄錆の臭いが漂い始めた。
 更に悲鳴が響き、木の上から血にまみれ事切れた男がひとり。ばさりと遺骸に降り立ったのは、口元を赤に染めた紫竜。双眸は獰猛に煌めき、低い唸り声が響く。
「あーのさーあ?…俺って、こーんな風にチャラけて見えても無神族帝王直属近衛隊〈バハムート〉の副隊長任されてんのよ?」
 呆れたようにそこまで言うと、す…と目が細まり感じないはずの冷気が、男達の体を包み込む。
「命狙うからには、それなりに覚悟して貰わなくちゃなー?」
 口角を吊り上げた康平がパチンと指を鳴らすと、背後上空に全長五十㎝ほどの四方手裏剣が二つ姿を現す。紫龍槍を作り出した時と同じ要領で作り出した物である。
「さて…愉しもうか…?」
 年齢と外見に似つかわしくない、酷薄な笑みを薄らと浮かべた…―。

   ***

 幾程待ったか。琴龍を取りに行った康平が、戻って来る気配が無い。
「どうしたのかな…」
 そう思いつつ、龍馬は内心「歌わなくていいのでは!?」と思っていたのだが。
「はあ、仕方ない…」
 望が取り出したのは二胡。何処から出したのかだなんて、それは聞いてはいけないお約束。
 望とトラスティル、そしてヒガディアルは気付いていた。康平がなかなか現れない理由を。微かに漂う血の臭いと、遠くに聞こえる断末魔。
 三人が三人共、小さく息を吐き出した。
「どうかしたの?」
 不思議そうに見つめてくる龍馬に対し、望が苦笑を浮かべると「なんでもない」と言った。龍馬はいまいち納得いかない様子だったが、歌うのかどうするのか聞いてみる。
「歌わせるに決まってるでしょ。でも、何歌うか知らないから、先にドウゾ」
 ニッコリ。その得も知れぬ威圧感に頷くしか出来ない。
 渋々と歌う準備をする。と言っても、対して何もする事は無いのだが。
 小さく深呼吸をして、深く息を吸い込んだ。
 優しく、柔らかな旋律が流れ出す。それに合わせるように、望の二胡の清らかに澄み渡った音が響きだした。
 それは、子守歌の様に緩やかな旋律。 

  天津 焔が舞い踊る
  天津 風が吹き抜ける
  国津 清流澄み渡り
  国津 大地命育む

  国津 業火荒れ狂い
  国津 嵐吹きすさぶ
  天津 濁流押し寄せて
  天津 大地揺れ動く

  全てを包むは光と闇
  光と闇は『無』に出ずる
  森羅万象
  『夢幻の花』に膝を付く
  細かき粒の砂が如く
  手を擦り抜けては消えて行く
  手に入れたるは何者か
  全てのものが『無』を求む

 康平の耳にも、歌の音色が微かに聞こえていた。
「ありゃ…始まっちまったか…俺もまだまだだねー」
 残念がる康平の周りには三十もの血に濡れた遺体。何処にそんなに隠れていたのかと言いたくなるほど、次から次へと襲い掛かってきた。
「金のある奴は違うわなー…」
 ヒュッと紫龍槍を振り滴る血を払えば、刃毀れ一つ無い美しい刃が顔を出した。紫龍槍よりも血に塗れた手裏剣は、クルリと一度回転するとシャン…と小さな音を立てて姿を消す。
 康平はしゃがみ込み、近くに伏している男の懐を探った。指先に触れたものを引っ張れば小さな鎖の音。更に引っ張り出し、眼前に翳してしばらく眺めた。
「ビンゴ」
 眼前で煌めくのはシルバープレート。そこに記してあるのはある暗号。それを見て、康平がニヤリと口角を吊り上げた。
 ――チャリッ…パシン
 一度宙に放り、上機嫌にキャッチする。
 遺体の折り重なる地面にある隙間に器用に足を踏み出し、城内へ通じる廊下へと足を踏み入れた。
「リタ」
 康平の呼び掛けに、遊び足りないとばかりに遺体の上を飛び回っていたリタが顔を向ける。
「お片付け宜しく」
 そう微笑んで、康平は城内へと戻って行った。 

   ***

 緩やかな音色が室内に満ちる。その場に居る全員だけでなく、声が届く範囲に居る者はその表情がふんわりと緩んでいた。
 不意に龍馬の声と望の二胡の旋律に混じる甲高く澄み切った音色。空気を裂くようなその鋭さの中に、聞く者を魅了する柔らかさが垣間見える。
 全員が振り返れば、全長が六十㎝程の水晶のように美しい弦楽器を膝に乗せ、滑らかに弦を爪弾く康平が入り口付近の椅子に腰掛けていた。その口元が楽しげに笑っている。
 すると、望が顎で何かを示す。人の居ない広い空間だ。 望がニヤリと口角を持ち上げ、康平との意思疎通が完了する。 仕方がないと腰を上げた康平は、隣の椅子に琴龍を置くと示された空間に足を踏み出す。
 ―たん…
 ―…バサッ
 軽い音を立ててステップを踏み出す。後を追うように、衣服の裾が音を立て翻る。
 わっ…―!
 その場が一瞬だけ異様に盛り上がったが、しかし、舞は静かに緩やかに。自然と静まり返る室内。
 美しい声。
 美しい音。
 美しい舞。
 幻のように、朝日の中に溶けて行った。
 最後の音が鳴り響き、一瞬静かになる室内。その空気を裂くように一気に歓声が沸き上がった。ヒガディアルも満足そうな微笑みを浮かべ、龍馬を見つめていた。
「これが、夜だったらなー」
 手を叩きながらもどこか悔しそうに呟くトラスティル。それを聞き、マツバが手を打った。
「でしたら、今宵、宴でも開きましょうか。望と康平の就任祝いもしてなかったですし。…サラの就任祝いは、まだ先になってしまいますけど…」
「そうなんですか?」
 息を整えながら龍馬が問えば、マツバは柔和に微笑んだ。
「ええ。無神族帝王の就任の儀は、婚礼の儀と共に行われます。クレアート全体を巻き込んだ、三日三晩続く盛大な宴になります」
「ク、クレアート全体…三日三晩…」
 回答にほんの少しだけ、意識が飛びかけた。
 談笑を続けていると、行商隊の飼うオオタカが何羽も大空を舞い、声高に鳴き声を上げ始める。市場が賑やかになり始める時間だと判断したマツバが、パンッとひとつ手を打った。
「そろそろいい時間ですね。皆さん、本日も一日健やかに」
「世界の祝福が、世界に生きる皆に降り注ぐよう」
 ヒガディアルの穏やかな声と共に、長い朝食が終わりを告げるのだった。

 午前の仕事の前。望と康平は執務室のテラスでゆっくりとした時間を過ごしていた。
 円卓テーブルにアイスティーを乗せ、そよ風に髪を遊ばせながら向かい合っていた。康平の爪弾く琴の音が、ポロン…ポロン…と響いている。
「で?何してたの?」
 頬杖をついてストローを噛む望の目が光ったのを見て康平は含んだように笑うと、琴を引く手をそのままにもう片方の手で懐から取り出したシルバープレートを望に投げた。 
「R・E・A・L・E・Ⅵ…レアーレの六番目?…レアーレは暗殺集団の事だろ?」
「うん。ココまで証拠が揃うと、逃げ場はないかもねー?」
 その笑みは、悪役。長年傍に居る望ですら呆れるほどに、楽しそうに笑っている。
「何にせよ、お前は少し大人しくしとけよ?あまり派手に動くと、面倒臭い事になる」
「えーっ?」
 そんなのつまんないと声を上げる康平に、望はため息を吐き出した。
「分かった?」
「もー…仕方ないな。ノン様の命令だもの」
 ポロンと最後の弦を弾くと、カタンと席を立ち部屋から出て行った。その背中の違和感に、望は首を傾げたが敢えて止める事なく扉の向こうに見送った。
 望の仕事部屋を後にした康平は、鼻唄交じりに先程の中庭へと向かっていた。
「あらぁ?康ちゃん?」
 のんびりとした女性の声が、康平が向かう方向とは違う方向から聞こえてきた。
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