紅蓮の獣

仁蕾

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青藍の章

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   ***

「何…?間違いないのか」
「はっ」
 男の問いが、光の差さぬ地下室に不機嫌に響いた。暗闇の中、卓上に揺らめく蝋燭の儚い揺らめきだけが頼りだ。
 若い男の返答に、男は隠す事無く盛大に舌打ちをする。
「たかだか無神族に、上級精霊が付くとは…」
「いかが致しますか?」
「…更紗龍馬に手を出す事は叶わん…得体の知れぬ精霊共に護られているからな。…あの四人…竜と得物さえ封じれば亡き者に出来ると思うたが…チッ、侮ったわ」
 男の人差し指が不愉快に机を叩く。
「仕方あるまい。捕えておる竜の子を責めよ」
「し、しかし!」
「案ずるな。殺さぬ程度に、だ。子が泣いて親に伝えるであろう。その者等を抹殺せねば、死んでしまう…とな」
 男の口角が冷酷に持ち上がった。

   ***

 突如、竜の動きが激しくなった。
 四頭の獅子は駆けながらも、竜たちの様子がおかしい事に気付き、大きな雌獅子が一頭、望の元へ駆け寄ってきた。
《望様》
 あの、年長である女性の声だ。
《一刻も早く此処からお逃げ下さい》
 真剣でいて焦りを含んだ声に何か危機を察するが、逃げろと言われても肝心の逃げ場が見当たらない。
「何かあるの?」
《わかりません。ですが、竜たちの攻撃が増したのは事実。このままでは我等すら命が危うい》
 荒れ狂う竜が起こす轟音は、一向に留まる気配を見せない。 

   ***

 龍馬は琥珀の背に乗り、暗闇の中を翔けていた。額には銀の宝玉が輝いている。
 琥珀は何もない闇の中を、目的を持って真っ直ぐに飛翔し続ける。
 龍馬と琥珀の耳には、泣き声が届いていた。
 ―キュゥ…キュゥー…
 か細い泣き声は、悲痛に叫ぶ。
 ―痛いよ…助けて!
 その悲痛な声が突然途切れた。入れ替わりで聞こえたのは、男達の下卑た笑い声。傷付ける事を愉しんでいる声に、龍馬の眉間に盛大に皺が寄る。
「許せねー…」
 低く唸ると、それに同意するように琥珀も低く喉を鳴らした。
 淡い光を見つけ、琥珀は迷うことなくそれに飛び込んだ。
 そこは地下牢を模した異空間だった。篝火が室内を照らし出し、血の臭いに龍馬は表情を歪める。
 地面には首を鎖で拘束され、全身の傷から血を滲ませる小さな竜が横たわる。
 男たちは突如立ちはだかった龍馬に驚きを隠せない。容易く部外者が入れるような空間ではないからだ。
「だ、誰だ!テメーッ!」
 剣が抜かれ、切っ先が龍馬に向けられる。
「泣き声辿って来てみりゃ…ふざけた事しやがって…!」
 震える白刃に怯える素振りもなく、龍馬は男たちを睨み据えた。その眼光は全てを射殺すほどに鋭く、全てを凍て付かせるほど絶対零度の眼差しであった。
 青い炎が龍馬の周りを舞い始める。時折強く激しく燃え盛るその様は、龍馬の怒りを反映しているかのようにも見えた。
 苛烈な眼差しに、男たちは息をする事すら忘れてしまう。
 龍馬は男たちの横を通り過ぎて竜の子へと歩み寄り、その場にしゃがみ込んで首に巻かれた鎖に触れれば、鎖はその一瞬で原形を留めず溶け去った。無粋な拘束具から解放された竜の子は、龍馬に甘えるように擦り寄る。衣類が血で汚れるのも構わず、龍馬は竜の子を愛しそうに抱き締めた。
 その瞬間、鋭い殺気が襲い掛かった。
 ―バキィンッ!!
 龍馬に触れる前に激しい音を立て破壊された槍と剣。同時に怒りに満ちた、地を轟かす程の低い唸り声。
「ひぃ…っ!」
 恐怖に彩られた声は、他の者の恐怖を更に助長する。
 男たちの前で悠然と尾を翻した琥珀は、その金色の瞳で惑う者たちを睨み据えた。その目は、雄弁に語る。

 主ノ邪魔ヲスル者、命惜シクバ手出シスル事、得策デハナシ。ソレデモ尚、己ガ主人ノ指示ニ従ウ者、今コノ場ニテ我ガ牙デ、ソノ血肉喰ロウテヤロウゾ…―?

 微笑んでいるようにも見える眇められた金の瞳。
 男たちは退くか否か、行動に移しかねている。何故なら、此処で「はい、そうですか」と退いてしまっても自分たちの命があるかどうかは、雇い主の気分次第と言っても過言ではないからである。
 その時、喉の奥で低く笑う男が一人。不愉快気に龍馬の眉間に皺が寄った。
「退こうと退かなかろうと、どうせ辿るは同じ道。ならば、功を立てて名誉の死を遂げるのみ!」
 剣を片手に龍馬へと躍りかかった。
 ―愚カナリ…
 琥珀の瞳が見開かれ、縦に割れている瞳孔が更に細くなり煌いた。瞬間、赤黒い炎が襲い来る男を包み込み、灰も残らず燃やし尽くした。
「琥珀…」
 やり過ぎだと責めるような声音に、琥珀は気にした様子は見せず、寧ろこの制裁が至極当然とばかりに低く唸った。
 男たちの顔色は蒼白に近い。
 龍馬は全員の戦意喪失の色を見て取ると、竜の子を腕に抱いたまま琥珀の背に飛び乗った。
「命が惜しいのならば、しばし身を隠すがいい。…いずれ、決着は付く…」
 その言葉を最後に、龍馬の姿は消え去った。

   ***

 暴れ狂う二頭の竜。四頭の獅子たちも次第に防戦一方へと追いやられ始めた。
 不意に二頭の口が大きく開かれ、耳を劈く超高周波の音と共に現れた虹色の大きな球体。
「いやいやいやいや!それはねーだろ!」
 康平の叫びも虚しく、虹色の球体はじわじわと大きさを増していく。
 望たちは、瞬時にして絶望に身を侵された。獅子たちは顔を見合せ、小さく頷き合うとその姿を人型に戻し、望たちの正面に立った。
《短い時間でしたが、皆様のお傍に居られてとても幸せでした》
 女性は笑う。他の三人にも美しい笑みが浮かんでいた。
 何故。
 問う間もなく、四人の背後で球体が一際強く輝いた。
 四人の姿が歪み始めた。命を使い、望達を守ろうとしているのだ。
 閃光が襲い来る。
 その時。

 命を粗末にしたら駄目だよ…―?

 全てを優しく包み込むような柔らかな声が、全員の耳に届いた。
 強い光の中。望は懸命に目を凝らす。
 光の洪水の中に佇む影。
「龍馬…!」
 望たちが見上げた先には、黒龍の背に跨る王の背中。片手に竜の子を優しく抱き、鳴響詩吹で光を切り裂く漆黒の髪の無神族帝王。
 数秒後には光はキンッと刹那の耳鳴りだけを残して瞬時に消え去った。
「ふいー…間に合ってよかったー」
 場違いなほどのんびりとした声が沈黙の中に響き、それに同意するかのように竜の子がキュウと鳴く。
「ほら、お父さんとお母さんだよ」
 鳴響詩吹がシャンと音を立てて龍馬の手の内から姿を消す。
 両手で竜の子を抱き上げれば、小さな翼がパタパタと動き始め、そっとその手を放した。
 ―キュウッ!
 ―グオゥ…
 ―グルルルル…
 竜の親子は再会に頬を擦り寄せ喜びの声を上げると、龍馬と琥珀に視線を移し目礼を捧げると、翼を大きく広げて空に向かって羽ばたいた。
 竜たちを見送った龍馬は琥珀の背から下り、その眉間を優しく撫でる。琥珀はくるくると喉を鳴らしていたが、しばらくして満足したのかその姿を消した。
 龍馬が振り返れば、四人のアルビノが恭しく膝を付いてこうべを垂れていた。純白の髪が小さな音を立てて肩を流れていく。
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