紅蓮の獣

仁蕾

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青藍の章

16

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   ***

 王の間。
 一番奥の玉座に深く凭れ、ヒガディアルはひたすらに正面を睨み付けていた。
 玉座を覆い隠す幾重もの薄布が、風も無くユラユラと踊る。ヒガディアルの抑え込んでなお溢れ出る憤怒がそうさせるのだ。
《精霊たちが怯えている》
 笑みを含んだ男の声。
 衣擦れの音と共にヒガディアルの背後から現れたのは、笑みを浮かべた男。火神族守護神であるククルカンだ。
 ヒガディアルは彼を一瞥しただけで正面に視線を戻した。
《今にも獅子に変じて、『アレ』の喉元を食いちぎってしまいそうだな》
「…ふん…戯れ言を…」
《隠すな、隠すな。下手に隠すのはみっともないぞ。それに、そのような状態はお前だけではない。ニディオラもリオッタも似たようなものらしい。ルドラとリルが困っているぞ?王たちがこれでは、自分達の出る幕がない、とな》
 ルドラは風神族守護神であり、リルは水神族守護神である。
「…はて、リル嬢はまだドゥーラとは面識が無いはずだが?」
《その辺りが我ら守護神の不可思議なところよな》
 呵呵(かか)と笑うククルカンに、ヒガディアルは深くため息を吐き出した。
《だが、守護神が動くのも当然と言えば当然だな。『アレ』は『花嫁』とその眷属を弄び過ぎた》
「私を裏切っただけでなく、元老院を裏で操り、あの子を傷付けた…」
 怒りは炎となり、花弁のようにヒガディアルの周りを舞う。
《あの元老院たちは、自分たちが操られているなど爪の先程も思っていないだろうよ》
 ククルカンは真剣な面持ちで腕を組んでヒガディアルの正面に佇んだ。
《世界の母たる『花嫁』を傷付ける事は重罪。それに加え、世界の統治者たる精霊王を裏切るとは…業(ごう)も此処まで深まれば天晴れとしか言いようもないわ》
 呆れてものも言えん、と鼻で笑い飛ばす。
《さて、王よ。覚悟は決めたかえ?》
「…ああ」
 二人の男を深紅の炎が包み込み、緋く大きく燃え上がって宙に消えた。
 そこにヒガディアルとククルカンの姿はない。

   ***

 ―カツン…カツン…
 緩やかな足音だけが響いている。しかし、回廊を歩く男の心情は穏やかなものではなかった。
 ふと気付く。
 ―此処は、何処だ…城内では、ない…?
 男が歩いていたのは、確かに城内の長い廊下だったはずである。歩みを止め、ゆるりと辺りを見渡した。
 幾重も幾重も重なる赤や薄紅の薄布や装飾紐で囲まれた部屋。王の間を彷彿とさせるが、そこは決して王の間ではない。何故なら一際飾られた奥の間から感じるのは、慣れ親しんだ王の気配ではないからだ。
 見た事のない室内に、男は警戒心を強める。
 不意に、気配が動いた。
 聞こえて来たのは、小さな笑い声。
「…誰だ」
 心中とは裏腹に毅然と問えば、小さな笑いは徐々に大きくなった。
 そして、気が付く。布の向こう側。気配が、五つ。
「あんたがそれを言っちまうのかい?」
 若い青年の声。笑いを含むその声は、聞いた事がある。
「…立花…康平…?っ、生きていたか…!」
 カツン。踵を鳴らして布の奥から現れた康平に対し、男は僅かに動揺を見せた。
「おーう、お陰さんでな。残念ながら、俺だけじゃねーぜ?」
 康平は口元に冷ややかな笑みを浮かべ男を見た。同時に、男の喉元に冷たい感触と視界の端に煌めくもの。
「動けば首が飛ぶわよ?」
 若い女の声は、無機質に鼓膜を震わせる。年は目の前に居る康平よりも若い。
 ―年頃の娘が此処まで感情を消せるとは…
 男の背筋はヒヤリと嫌な汗を流した。
「さて…」
 更に声が重なる。笑みを湛えた声は、男の身体を震わせるには十分なものを含んでいる。それでも薄布の向こうの気配は、まだ動く事はない。
「まだ安心してていいよ」
 小さな笑いは空間内に異様に響く。
「ヒガ様が貴方への処罰をお決めになられる。まー…それ次第では、貴方の頭は体とさよならするけどね」
 足音が響き、布の向こう側から現れた黒髪金眼の青年。
「更紗…龍馬…っ!」
 男は鋭い目付きで龍馬を睨み付けた。
その眼光を捉えた瞬間、龍馬の表情がガラリと豹変する。
「よくも竜の子を虐めてくれたね」
 龍馬の金の目が次第に銀の輝きを帯び始める。
「それだけでは飽き足らず、子の命を盾に親を操り、俺の仲間を傷付けた」
 額に宝玉が現れ、金の煌めきを燈す。左腕の袖が飛び散り、魄霊の契約痕から青の炎が溢れ出し獣の形をとった。青い毛並みの狼。その巨躯は龍馬の背丈ほどもある。低い唸り声が腹の底に響く。
「尚且つ、己が主への裏切り…度重なる業罪、万死に値する!」
 突如、男の片膝が崩れ落ちた。龍馬とその側近達のプレッシャーに耐え切れなくなったのだ。
 男は思う。
 ―たかが十数年生きただけの小僧共が何故これ程の気迫、精霊力を有するのだ…―!
 汗が一筋、額から頬へと流れ落ちる。
「なかなか、勇ましき『花嫁』だ」
 愉快げな声と共に軽やかな笑いが響き、龍馬の背後に焔の花が咲く。そこから現れた男の手が、龍馬の頬を優しく包んだ。
「ヒガ様」
 嬉しそうな龍馬の声に、焔の中から現れたヒガディアルは深い笑みを向ける。
「よくぞ怒りに身を任せず、堪えたな」
「あ、いえ、爆発する直前でヒガ様がいらっしゃったんです」
 龍馬の言葉に、康平とソニアは深々と頷いた。その様子に、ヒガディアルは苦笑を漏らす。
 ひとつ息を吐き出し、視線を向けた先には先程までの恐怖を拭い去り、惑う事無く佇む男。
 ヒガディアルのオッドアイが底冷えするような光を灯し、ゆるりと眇められた。
「黒幕がお前だったとは…残念でならん…が、それもまた当然と言えば、当然なのだろうな…」
 怒気と落胆が綯い交ぜになった声。
「さて…先程、我が花嫁が言った通り、お前の罪は万死に値するもの。……何か弁明はあるか?」
 ヒガディアルから放られた小さなものが、光を反射してきらりと光った。
「元老院総括であり、我が腹心…―」
 高い音を立て、床に落ちたのは金色の硬貨。
「―…レアルタ・ジューダよ」
 足元に跳ねた硬貨を見つめていた男が顔を上げる。
 男は私利私欲の為ではなく、真なる忠誠を誓いてヒガディアルに仕えていた者。
 ―レアルタであった。
 康平は、目の前の光景を見つめながら冷静に考えていた。
 彼がこの世界に招かれてから数年。火神族の領土に住み始めてからしばらく。当然ながらレアルタとも顔を合わせ、様々な面で世話になって来た。
 とても頭の回転が早く、話し上手で長い講義を聞いていても飽きる事はなかった。そして他の元老院とは違い、身体を使う事を良しとしていた為、何度も手合わせをしてきた。誰が見ても人当たりが良く、ヒガディアルに強い忠誠心を抱き、裏表のない心豊かな人物であった。
(人間ってなー腹の底じゃ何を考えてるのか解らんねー…ホント、恐い生き物だよ)
 瞼を閉じ、積年を思いつつ深く息を吐き出した。
 レアルタは毅然と自身の王を見据えた。
「我が王よ…私を変えたのは、貴方です」
 静かに紡がれた言葉に、龍馬の眉が軽く跳ねた。金色の瞳は憤怒に彩られ、それに呼応するかのように、青き大狼が身を低く構えて鋭い牙を剥き出しに低く唸った。
 しかし、レアルタは怯む事無く、更に言葉を続けた。
「貴方はシエラ・ディオーラを覚えておいででしょうか…」
 龍馬たちは聞き覚えのない名に首を傾げるが、ヒカディアルの双眸には遠き過去を懐かしむ色が滲んだ。
「シエラ…勿論、覚えている。私の妹のような存在だった…」
「ならば…彼女は王に対する反逆の疑いで、私の手により火刑を施行されたのも、覚えておいででしょう…」
 ヒガディアルは悲痛に顔を歪ませ、瞼を閉じた。
「っ、貴方に解るか…?実の姉を手に掛けた私の苦しみがっ」
 唸るように吐き出したレアルタの目からは涙が溢れ出ていた。ヒカディアルのオッドアイが驚愕に見開かれた。
「やはり…シエラはお前の…?」
「公務に支障をきたす故、黙っておりましたが彼女は五つ違いの姉でした。…と言っても、幼少の頃に父母が別離し、共に暮らした時間は短かったのですが…。ご存じの通り、彼女はとても聡明で忠義に厚い方だった…」
 レアルタの目が眇められる。脳裏に去来するのは、穏やかな微笑みを浮かべた美しい姉。
「あの方が反逆を企てる訳がないのは、貴方が一番解っていたはずだ!」
 ヒガディアルの唇が何か言いたげに開かれるが、言葉は紡がれる事無く再び静かに閉ざされた。責められる事を受け入れたかのような動作に、龍馬は哀しみの表情を浮かべた。
 場は誰もが黙し、微動だにしない。
 重苦しい空気を裂いたのは…―。
《やれやれ…こうなる事は予想出来ていた筈だろうに…》
 焔が小さく灯り、徐々に大きくなると美丈夫が愁いを帯びた表情でヒガディアルの背後に現れた。同時に、その場に居た無神族近衛隊の面々は、片膝を付き頭を下げた。
「守護神…ククルカン…」
 レアルタの呟きが妙に大きく響いた。
《やはり、あの時真相を伝えておくべきだったのだ…》
 悔恨を含ませたククルカンの声音に、ヒガディアルは吐息で笑う。
「外部には漏らさぬと言う…亡き者との約束だ…破るわけにもいかぬだろう…」
《なんとまあ、真面目な事。結果、反旗を翻されては意味も成さぬであろうに…》
 ククルカンの視線が、ヒガディアルからレアルタへと向けられた。
《レアルタとやら…己が王を恨めば、うぬが姉すら呪ってしまうえ…?》
 その言葉に、レアルタは表情を歪めるしかない。
 何が言いたいのかが解らない。何故、守護神はそんな事を言うのか。
《確かに汝が言う通りシエラ・ディオーラ・シュエランディに反逆の罪はなかった》
「ククルカン…」
 ヒガディアルの咎める声を気にする事無く、ククルカンは話を続けた。
《あの女傑は、汝が言うよう聡明で忠義の厚い者であった。王を裏切るような事もせなんだ…。しかし、ある日…―》
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