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紫雲の章
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雲ひとつない晴天の朝。
サラマンダー火神族王都『フオーコ』の中心に位置する王城『フィアンマ』。その一室で四つの人影が右に左にと慌しく動き回っていた。
「ねえ、これいるー?」
室内唯一の女性、無神族帝王直属近衛隊の紅一点でもあるソニア・リーチェが、深紅と桜色のグラデーションが綺麗な薄布を振り上げる。
「んー、まだ綺麗だから持って行こうか」
答えたのは、無神族帝王直属近衛隊隊長のあそうのぞむ麻生望だ。その両手には、本がぎっしり詰まった箱が二つ。平然と持っているが、その重量は成人男性が一人で持つには辛いほどである。
「アイリーン、これ、町に寄贈分」
望は手にしていた箱を軽々と放り投げた。扉付近にいる男、無神族帝王直属近衛隊の一人であり、ソニアの実兄であるアイリーン・アザゼル・リーチェは顔色を俄かに青くする。
「ちょっ、おまっ」
アイリーンは慌てて手を伸ばし、衝撃を和らげるように腕を下げながら受け止めた。思ったよりも勢いがあったのか、胸で受け止めてしまいゴフッと咽てしまうが、心配する人間はひとりもいない。
「アイさん、これも寄贈で」
テラスから顔を出したのは、無神族帝王直属近衛隊副隊長の立花康平。ひょいと片手で放ったのは、テラスに置かれていたチェア二脚。
重いものや大きいものが軽々と宙を舞い、ひとりの男の悲鳴が上がる中、ソファーの上で胡坐を掻いた青年がクッションを抱え、頬杖を付いて動き回る四人を眺めながら口を開いた。
「皆、元気だねー」
感心したようなのんびりとした声が響いた瞬間、動き回っていた四人はピタリと動きを止め、声の主であり自身らの帝王でもある青年、さらさりょうま更紗龍馬を睨み付ける。
「君の引越し準備でしょうが!」
「お前の引越し準備だろーがー!」
「テメーの引越し準備だろうが!」
「アンタの引越し準備でしょ!?」
城中に響かんばかりの声量で、異口同音に叫んだ。
しかし、当の龍馬はそれでも怯まない。きょとりと不思議そうな表情で首を傾げる。
「引越しったって『ニンフェーア』に移動するだけでしょ?」
龍馬はこの世界に来てから今日まで、火神族帝王子息の部屋『スカルラット』を自室として宛がわれていた。だが、先日、ようやっと正式に婚礼を挙げる決意を固めた為、一週間ほど前に王后の部屋『ニンフェーア』へと移る事が決定したのである。
しかし、せっせと動き回るのは龍馬ではなく、彼に付き従う四天王。最初は、龍馬も手伝いをしていたのだが、龍馬よりも他の四人の方が物の配置に詳しく、最終的にお役御免となってしまいほんの少しだけ拗ねてしまったのは龍馬だけの秘密だ。もちろん、他の面々にばれているのは重々承知である。
龍馬は移動するだけと言うが、その実、『スカルラット』から『ニンフェーア』に移動した意味は途轍もなく大きい。だというのに、当事者の呑気さと言ったら。望の口元は引き攣り、他の三人は若干の哀れみを持った呆れ顔となる。
「君はさー…」
般若を背負った望がゆっくりと口角を持ち上げ、それを真正面から見た龍馬は悲鳴を飲み込んだ。
「事の重大さを、理解してないよね?」
望の右手が龍馬の頭部を鷲掴み、その指先に少しずつ力が込められて行く。
「出た…ノン様のアイアンクロー…」
康平とアイリーンはそっと視線を逸らす。何度もその身に受けた制裁は、予想以上の痛みを伴い、二人の中で恐怖の対象と化していた。
望の手の甲には薄らと血管が浮き上がり、龍馬のこめかみがミシミシと悲鳴を上げている。
「ちょっ、やめ!痛い痛い痛い痛い!割れる!グシャッて、グシャッて逝く!」
「逝かせてみようか」
更に望の手に力が込められ、龍馬の悲鳴が大きさを増した時。
「何されているんですか?」
無駄に張り詰めた雰囲気に不釣合いな、柔らかい声が扉の方から響いた。
「あ、マツバさん」
一人黙々と荷物を片していたソニアが声の主を呼ぶ。ソニアの声につられ、龍馬達も扉へと顔を向けた。苦笑を浮かべるのは、火神族宰相のマツバ・エイド・セレスティナである。
現時刻、朝の八時。朝からテンションの高い面々を見渡し、マツバはため息を吐き出した。
「サラの声、廊下まで響いていますよ?」
「申し訳ない!いだだだだ!」
龍馬は謝罪をしながらも、継続される望の制裁に声を上げる。
マツバは苦笑を深めながら、腕に抱えていた布地を龍馬の座るソファー前のテーブルへと置いた。
「望、これの確認をお願いします」
「はい」
マツバの手招きに、望は即座に龍馬の頭を離した。望に促され、痛みに呻く龍馬も身を乗り出してマツバの手元を覗き込む。
望の手でしゅるりと布が広げられ、中から艶やかな漆黒に染められた木箱が姿を現した。カタンと小さな音を立てて開かれた箱の中には、黒の布地。手触りの良い上質な布地を飾るのは、金の糸で施された細かな刺繍。
「わ…綺麗…」
いくら兵士より強くとも、女性。美しい見事な細工に、ソニアはうっとりと目を細めた。
望は丁寧な手付きで布地を掬い上げると、真剣な面持ちで布の感触や細工の一つ一つを吟味し始める。ほんの短い沈黙の後、望は満足そうに表情を緩めて頷いた。
「…うん、素晴らしいですね。理想通りだ。職人の方々に、今度いい酒を送りますとお伝えください」
その言葉に、マツバは頬を緩めてホッと胸を撫で下ろした。
「よかった…皆、喜ぶでしょう。相当、苦戦していましたから」
「そんなに難しかったんです?」
アイリーンが首を傾げれば、マツバは遠い目をしながらそっと微笑んだ。もちろん、その目は欠片も笑っていない。
「確か、これで試作品三十四号ですね」
マツバの言葉に、望以外の四人は顔を歪めた。
「龍馬、これどう思う?」
そ知らぬ顔をした望が、箱の中を興味心身で覗き込んでいた龍馬へと問い掛けた。急に話を振られ、数度瞬きを繰り返す。
「ん?綺麗だと思うよ?でも、ノン様が着るにはちょっと地味すぎない?」
「これで地味とか…って言うか、俺のじゃないし。俺のものをわざわざマツバ様にお願いするわけないでしょうが」
望の手が、龍馬の額をぺちりと叩く。
「いたっ…じゃあ、これで何つくんのさ?」
額を擦りながら、龍馬は布の端を手に取って眼前に翳した。問われた望は、先ほどの龍馬と同じようにきょとりとまばたき、ことりと首を傾げた。
「決まってるでしょ?婚礼衣装つくんの」
何言ってんの?と怪訝な表情の望と、言葉が飲み込めていない龍馬の視線が交錯する。沈黙が横たわる事、およそ十秒。
「え?」
ぽつりと零れた言葉に、康平、アイリーン、ソニアの三人は吹き出す事が我慢できなかった。そのまま、腹を抱えての大笑いへと移行する。三人の呵呵大笑を尻目に、龍馬は目を白黒させ、望は呆れたように深く息を吐き出した。
「あのね、この中で気付いていなかったの君だけだから」
「えっ!?嘘っ!?」
「いや、そんなくだらない嘘付く訳ないでしょ」
「し、知らぬは本人ばかりって、やつ、よね」
無理矢理に笑いを収めたソニアが、目尻を拭いながら龍馬の頭に手を置いた。
控え目ながらもクスクスと笑みを溢していたマツバが、木箱の縁に掛かる布を箱内に収めながら口を開いた。
「今回は他種族の職人も招いて精製しましたけど、争い事無く作れたのは望のお陰ですね」
今回の布地は特別なものである為、火神族帝王であり精霊王、そして龍馬の伴侶であるヒガディアル・イシュリヴィア・ドリアラスを介して他種族の帝王に声を掛け、各種族から数人の職人を招いていた。
当初は各宰相達の心配通り、職人同士での言い争いが続き、布地を作るのすら滞る始末。連日、互いの矜持をぶつけ合っていれば、提出期限に間に合う訳も無く。
そして、魔王が降臨してしまうのである。
サラマンダー火神族王都『フオーコ』の中心に位置する王城『フィアンマ』。その一室で四つの人影が右に左にと慌しく動き回っていた。
「ねえ、これいるー?」
室内唯一の女性、無神族帝王直属近衛隊の紅一点でもあるソニア・リーチェが、深紅と桜色のグラデーションが綺麗な薄布を振り上げる。
「んー、まだ綺麗だから持って行こうか」
答えたのは、無神族帝王直属近衛隊隊長のあそうのぞむ麻生望だ。その両手には、本がぎっしり詰まった箱が二つ。平然と持っているが、その重量は成人男性が一人で持つには辛いほどである。
「アイリーン、これ、町に寄贈分」
望は手にしていた箱を軽々と放り投げた。扉付近にいる男、無神族帝王直属近衛隊の一人であり、ソニアの実兄であるアイリーン・アザゼル・リーチェは顔色を俄かに青くする。
「ちょっ、おまっ」
アイリーンは慌てて手を伸ばし、衝撃を和らげるように腕を下げながら受け止めた。思ったよりも勢いがあったのか、胸で受け止めてしまいゴフッと咽てしまうが、心配する人間はひとりもいない。
「アイさん、これも寄贈で」
テラスから顔を出したのは、無神族帝王直属近衛隊副隊長の立花康平。ひょいと片手で放ったのは、テラスに置かれていたチェア二脚。
重いものや大きいものが軽々と宙を舞い、ひとりの男の悲鳴が上がる中、ソファーの上で胡坐を掻いた青年がクッションを抱え、頬杖を付いて動き回る四人を眺めながら口を開いた。
「皆、元気だねー」
感心したようなのんびりとした声が響いた瞬間、動き回っていた四人はピタリと動きを止め、声の主であり自身らの帝王でもある青年、さらさりょうま更紗龍馬を睨み付ける。
「君の引越し準備でしょうが!」
「お前の引越し準備だろーがー!」
「テメーの引越し準備だろうが!」
「アンタの引越し準備でしょ!?」
城中に響かんばかりの声量で、異口同音に叫んだ。
しかし、当の龍馬はそれでも怯まない。きょとりと不思議そうな表情で首を傾げる。
「引越しったって『ニンフェーア』に移動するだけでしょ?」
龍馬はこの世界に来てから今日まで、火神族帝王子息の部屋『スカルラット』を自室として宛がわれていた。だが、先日、ようやっと正式に婚礼を挙げる決意を固めた為、一週間ほど前に王后の部屋『ニンフェーア』へと移る事が決定したのである。
しかし、せっせと動き回るのは龍馬ではなく、彼に付き従う四天王。最初は、龍馬も手伝いをしていたのだが、龍馬よりも他の四人の方が物の配置に詳しく、最終的にお役御免となってしまいほんの少しだけ拗ねてしまったのは龍馬だけの秘密だ。もちろん、他の面々にばれているのは重々承知である。
龍馬は移動するだけと言うが、その実、『スカルラット』から『ニンフェーア』に移動した意味は途轍もなく大きい。だというのに、当事者の呑気さと言ったら。望の口元は引き攣り、他の三人は若干の哀れみを持った呆れ顔となる。
「君はさー…」
般若を背負った望がゆっくりと口角を持ち上げ、それを真正面から見た龍馬は悲鳴を飲み込んだ。
「事の重大さを、理解してないよね?」
望の右手が龍馬の頭部を鷲掴み、その指先に少しずつ力が込められて行く。
「出た…ノン様のアイアンクロー…」
康平とアイリーンはそっと視線を逸らす。何度もその身に受けた制裁は、予想以上の痛みを伴い、二人の中で恐怖の対象と化していた。
望の手の甲には薄らと血管が浮き上がり、龍馬のこめかみがミシミシと悲鳴を上げている。
「ちょっ、やめ!痛い痛い痛い痛い!割れる!グシャッて、グシャッて逝く!」
「逝かせてみようか」
更に望の手に力が込められ、龍馬の悲鳴が大きさを増した時。
「何されているんですか?」
無駄に張り詰めた雰囲気に不釣合いな、柔らかい声が扉の方から響いた。
「あ、マツバさん」
一人黙々と荷物を片していたソニアが声の主を呼ぶ。ソニアの声につられ、龍馬達も扉へと顔を向けた。苦笑を浮かべるのは、火神族宰相のマツバ・エイド・セレスティナである。
現時刻、朝の八時。朝からテンションの高い面々を見渡し、マツバはため息を吐き出した。
「サラの声、廊下まで響いていますよ?」
「申し訳ない!いだだだだ!」
龍馬は謝罪をしながらも、継続される望の制裁に声を上げる。
マツバは苦笑を深めながら、腕に抱えていた布地を龍馬の座るソファー前のテーブルへと置いた。
「望、これの確認をお願いします」
「はい」
マツバの手招きに、望は即座に龍馬の頭を離した。望に促され、痛みに呻く龍馬も身を乗り出してマツバの手元を覗き込む。
望の手でしゅるりと布が広げられ、中から艶やかな漆黒に染められた木箱が姿を現した。カタンと小さな音を立てて開かれた箱の中には、黒の布地。手触りの良い上質な布地を飾るのは、金の糸で施された細かな刺繍。
「わ…綺麗…」
いくら兵士より強くとも、女性。美しい見事な細工に、ソニアはうっとりと目を細めた。
望は丁寧な手付きで布地を掬い上げると、真剣な面持ちで布の感触や細工の一つ一つを吟味し始める。ほんの短い沈黙の後、望は満足そうに表情を緩めて頷いた。
「…うん、素晴らしいですね。理想通りだ。職人の方々に、今度いい酒を送りますとお伝えください」
その言葉に、マツバは頬を緩めてホッと胸を撫で下ろした。
「よかった…皆、喜ぶでしょう。相当、苦戦していましたから」
「そんなに難しかったんです?」
アイリーンが首を傾げれば、マツバは遠い目をしながらそっと微笑んだ。もちろん、その目は欠片も笑っていない。
「確か、これで試作品三十四号ですね」
マツバの言葉に、望以外の四人は顔を歪めた。
「龍馬、これどう思う?」
そ知らぬ顔をした望が、箱の中を興味心身で覗き込んでいた龍馬へと問い掛けた。急に話を振られ、数度瞬きを繰り返す。
「ん?綺麗だと思うよ?でも、ノン様が着るにはちょっと地味すぎない?」
「これで地味とか…って言うか、俺のじゃないし。俺のものをわざわざマツバ様にお願いするわけないでしょうが」
望の手が、龍馬の額をぺちりと叩く。
「いたっ…じゃあ、これで何つくんのさ?」
額を擦りながら、龍馬は布の端を手に取って眼前に翳した。問われた望は、先ほどの龍馬と同じようにきょとりとまばたき、ことりと首を傾げた。
「決まってるでしょ?婚礼衣装つくんの」
何言ってんの?と怪訝な表情の望と、言葉が飲み込めていない龍馬の視線が交錯する。沈黙が横たわる事、およそ十秒。
「え?」
ぽつりと零れた言葉に、康平、アイリーン、ソニアの三人は吹き出す事が我慢できなかった。そのまま、腹を抱えての大笑いへと移行する。三人の呵呵大笑を尻目に、龍馬は目を白黒させ、望は呆れたように深く息を吐き出した。
「あのね、この中で気付いていなかったの君だけだから」
「えっ!?嘘っ!?」
「いや、そんなくだらない嘘付く訳ないでしょ」
「し、知らぬは本人ばかりって、やつ、よね」
無理矢理に笑いを収めたソニアが、目尻を拭いながら龍馬の頭に手を置いた。
控え目ながらもクスクスと笑みを溢していたマツバが、木箱の縁に掛かる布を箱内に収めながら口を開いた。
「今回は他種族の職人も招いて精製しましたけど、争い事無く作れたのは望のお陰ですね」
今回の布地は特別なものである為、火神族帝王であり精霊王、そして龍馬の伴侶であるヒガディアル・イシュリヴィア・ドリアラスを介して他種族の帝王に声を掛け、各種族から数人の職人を招いていた。
当初は各宰相達の心配通り、職人同士での言い争いが続き、布地を作るのすら滞る始末。連日、互いの矜持をぶつけ合っていれば、提出期限に間に合う訳も無く。
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