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紫雲の章
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しおりを挟むそれはある晴れた日の午後に起こった。
「こんにちは」
布地を精霊力で紡いで行く衣精製工場。そこに訪れた望の表情は、満面の笑みである。先に様子を見に来ていたマツバは、「ああ…」と顔も感情も引き攣った。しかし、職人達は突然の訪問者を、口論の合間に睨み付ける。いつまで続くかもわからぬ口論は、宰相の言葉でも留まる事を知らない。
望はちらりと視線を左右に泳がし、現状を把握する。案の定、目的のものである代物が出来上がっている様子もない。
「あー…っと、望…?お、落ち着いてください…」
「え?俺は十二分に落ち着いていますよ?」
にっこり、と口元だけで笑う望は確かに冷静だ。焦るマツバに「失礼」と断りを入れた望は、躊躇う様子もなく足を進め、言い争う男達の間にある作業用テーブルに足を当てた。そして。
―ガッ!
―ズガンッ!
―…ビシッ…
重厚なテーブルが軽々と蹴り飛ばされ、壁に深々と突き刺さり、四方にヒビが走った。沈黙の中、職人達は青ざめた顔でゆっくりと壁に目をやり、マツバは「やっちゃった…」と額に手を当て天井を仰いだ。
「こんにちは」
にっこりと再び挨拶をすれば、小さいながらも疎らな挨拶が返って来た。
「マツバさん、ここのトップの方は?」
「え、あ、こちらの方です」
マツバが示したのは、マツバの隣に佇んでいた一人の男。その男は、トラスティルと同い年だと言う。
「初めまして、望様。僕が此処の統括者のヒビヤと言います」
切れ長の赤い目が、桜色の髪の向こうで細くなる。どこか望と似た雰囲気だ。
望とヒビヤはニッコリと笑い合う。
「ヒビヤさん、昨日が期限だったんですが?」
その問いに、ヒビヤは頭を掻きながら苦笑を浮かべた。
「あーっと…僕も気を付けていたんですが…彼等がどーしても一緒にやりたくないみたいで…あ、とりあえず、こちらを…」
ヒビヤから差し出されたそれは、衣服が作れるほどではない小さな物だが、見事な細工が施されている。注文した布地に近い物ではあるが、望が求める物には程遠い。
「へー…これを一人で?」
「ええ、まあ…ただ、数時間で作り上げたものなので、あまり納得のいくものではないですけど…」
望は裏返したり、方向を変えたりしながら、ヒビヤの作ったものを見ている。一通り見終えると、黙して様子を窺っている職人達を振り返る。その満面の笑みが恐ろしい。
「さて、皆さん?俺の言いたい事は解るよね?」
壮年の男達の肩が子供のようにびくりと跳ねた。
「ヒビヤさんだけに作って貰っても構わないんですけど…俺はね、火神族の力だけで紡ぎだされる物は求めてないんです」
首を傾げながら紡ぐ望に、職人達は人形のように何度も頷き続ける。
「やっぱさ?皆の力でやらなきゃ意味はないんじゃなーい?」
ゆっくりと口角が持ち上がる。背筋に走る悪寒。
「俺は、最初に言った筈ですよ?『全員でやる以上、争う事無く、最高の物を』と。…プロとして恥ずかしくないんですか?」
痛いところを突く。
納品日に間に合わないというのは、プロとして有るまじき事だ。最優先にしなければならないのは、依頼人との信頼関係である。それすら脳の隅に追い遣り、金にも信頼にもなりはしない矜持の為に仕事を放棄した事を恥じ入る。 それを見ていたヒビヤが、一つ口笛を吹いた。
「噂には聞いていましたけど、マジで仕事に厳しいんですね」
愉快気に零されたヒビヤの言葉に、望は少しだけ考えると「厳しい、とはちょっと違うかな?」と口を開いた。
「色んな人に言われますけど…どうやら俺と康平は、龍馬が関わるとかなり過保護になっちゃうみたいです」
年相応の、どこか幼さを垣間見せる苦笑を滲ませる。
耳慣れた名前に、ヒビヤはきょとりとまばたいた。
「あ、の…りょうま…って、『花嫁』様ですかね…?」
「え?もちろん」
肯定の言葉に、全員の表情が強張る。ヒビヤは胸に去来した嫌な予感に一瞬躊躇ったが、意を決して問い掛けた。
「あ、あなた様の役職をお聞きになっても…?」
「え?無神族近衛隊の隊長してますけど?あれ、言ってま、せんでしたっけ?」
依頼時の自己紹介を思い出したのか、マツバに視線を向ければ、苦笑を滲ませながら頷かれた。
「お伝えしていませんね」
「…何か、すみません…」
視線を明後日の方向へ向け、頬を掻く。
「もっ、申し訳ございませぬ!」
ヒビヤが叫んだ瞬間、職人達はすばやい動きでその場に平伏してみせる。突然の事に望は驚愕に肩を跳ね上げ、マツバは乾いた笑いを零した。
「お、恐れ多くもご依頼人が『花嫁』様のご側近とは露程も知らず、数々のご無礼、深くお詫び申し上げます!」
「え、えー…?」
突然の平伏に困惑を浮かべた望は、背後にいたマツバに目をやり、職人達を指差した。
「この人ら、俺の事何だと思ってるんです…?」
「…とても恐い人、という認識をしている事は確かですね」
マツバの言葉に、望は天井を仰いで息を吐き出した。
「あー…っと、俺、邪魔っぽいんで戻ります。えーと…また、一週間後…」
それだけを言い残し、望は逃げるようにして衣精製工場を後にしたのだった。
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