紅蓮の獣

仁蕾

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紫雲の章

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 事の詳細を聞いた面々は納得したような、呆れたような、何とも形容しがたい複雑な表情で望に視線を向けている。
「着ていた服装が服装でしたし、依頼内容が内容でしたから、どこぞの上流貴族だろうとは皆さん思っていたみたいですよ」
「貴族になった覚えはないんですけどね」
「ふふ。まあ、その日以降、職人の皆さんは争う事無く、協力し合い、このように見事な布が出来上がったので結果オーライと言う事にしましょう」
 マツバが苦笑を浮かべれば、望は不満そうに表情を歪めて深く息を吐き出した。龍馬は赤くなったこめかみを揉みながら、ちらりと望を見上げる。
「…何」
「いえ、別に…」
 下手なことを口走れば痛い目に合うのは必至。龍馬は自分でも賢明な判断をしたものだと胸を撫で下ろしたのだった。
「ところで、ノン様が作るわけ?」
 艶やかな布地を指先でつまみながら康平が首を傾げれば、望は「うん、もちろん」と肯定する。
「ま、全部ではないけどね。監修と言う事で」
 望の指先が、さらさらと布地の上を優しく撫でる。何事かを考えていたソニアが、「はい!」と挙手をした。
「だったら、あたしも手を出しちゃおうかしら」
 いつも以上に素敵な笑顔。手を出す気満々だ。人手があるのは助かると望も快諾する。
「え、ちょっ、え!?」
 慌てふためく龍馬に、マツバは小さく笑みを零した。
 騒ぐ年若い面々を眺めながら、マツバの脳裏を過ぎるのは龍馬と出会った当初の事。あの頃は、周囲の人間や環境の変化に付いて行けず、いつも不安に彩られた目をしていた。それが今では一人前の帝王だ。何だか子供の成長を目の当たりにした親の気分である。
 ほのぼのとした心境のマツバを尻目に、望は「でもさ…」と憂いのため息を吐き出した。
「まだどんなのにするか決まってないんだよね。職人さん達からもデザイン募集してるんだけど…布がこれだけ上物なんだもん。やっぱ生半可なものは出来ないよね」
 その一言でマツバもはっと我に返り、望とソニアの三人で真剣な表情で討論を始めてしまう。康平とアイリーンはとっくに話から離脱しており、テラスでのんびりとお茶を飲んでいる。
 ひとり取り残された感が否めないながらも、龍馬は呆れた顔でゴロゴロと甘えてくる真白の腹を撫でてやりながら、胡坐を掻いた自身の膝に頬杖をつく。しばらくはそうやって見守っていたのだが、話し合いはどんどんと熱を帯び始め、時間が掛かると踏んで真白を抱き上げるとそっと部屋を出て行った。

   ***

「ヒガ様」
 覗き込んだのは王の間。名を呼ばれ、反応した神々しいまでの美貌が、龍馬の姿を認めるとふわりと綻んだ。
 艶を含んだ甘い笑みを浮かべたのは、火神族帝王のヒガディアル・イシュリヴィア・ドリアラスである。
 傍で書類を整えていた火神族帝王直属近衛隊〈ヴァルキュリア〉隊長のトラスティル・アイル・シュウが、やれやれと息を吐き出した。こうなってしまっては、仕事も進まない。
(ま…一週間分の仕事は片付いてるからいっか)
 相変わらず、どれだけ仕事能率が良いのかといつもと変わらぬ疑問を胸に、トラスティルは王の前にある書類を全て片付けると龍馬に向かって手招きをした。
 ヒガディアルの手が空いたのだと汲み取った龍馬は、嬉しそうに笑みを深めるとパタパタと足音を立てて駆け寄ってきた。
 真白が龍馬の腕の中から離れ、タタッとトラスティルの肩に駆け上がるとほぼ同時に、龍馬がヒガディアルの腕の中に飛び込んだ。ヒガディアルは、飛び込んで来た愛し子を優しくかいな腕に囲い込む。
「引越しは終わったのか?」
「まだです。何か、引越しそっちのけで俺の話が進んでて…」
「ふふ、逃げてきたか」
 微笑むヒガディアルに、龍馬は乾いた笑い声を上げた。
 その様子を見ていて、トラスティルが不意に思い出したのは、朝食が並ぶ前の自室のテーブル。その上に置かれていた質の良い木箱とマツバの腕に抱えられていた上質で美しい黒の布地。
「ああ、アレ、お前の婚礼衣装になんのか」
 さらりと言い退けたトラスティルを凝視して、龍馬は動きを止めた。徐々に顔が赤みを増していく龍馬を、ヒガディアルは穏かな笑みを浮かべながら眺め、それに気が付いた龍馬は見られるものかとその胸に顔を埋める。
(うわ…無意識にイチャつかれるのってムカつくー…)
 胸中で毒づいたトラスティルの視線は生温い。
 ヒガディアルは、龍馬の頭を優しく撫で口を開いた。
「望が繕うのか?」
「あ、いえ…望さん監修で職人さん方とソニアが作る的な話をしいてました…」
 拗ねたように零す龍馬に、ヒガディアルとトラスティルは目を合わせ苦笑を浮かべた。
 口ではブツクサと言いつつ、その声音は何処か嬉しそうである。お節介だと思いながらも周囲の心遣いが喜ばしいのだ。
 素直になり切れないその心。俗に言う『天邪鬼』である。
「では、ドゥーラ、今しばらく時間があるようだし、散策に出掛けるか」
「へ?」
「よいか?トラスティル」
「あ、はい、ドーゾ。この承認済みの書類の量見りゃ、マツバも文句は無いでしょ」
「そうか」
 トラスティルの言葉を聞き届けたヒガディアルは、小さく微笑むと龍馬を抱き込んだまま炎となって姿を消した。
 それを見送り、「やれやれ…」と息を吐き出したトラスティルは、部下達に書類を運ぶよう指示をして、自分も重要書類を手に王の間を出て行ったのだった。

   ***

 龍馬とヒガディアルが辿り着いたのは、開かずの間の扉の前。龍馬は此処でリオッタに呼び止められた出来事を思い出した。
 もしかして、とヒガディアルが自身をこの部屋の前に連れて来た意図を感じ取り、その双眸を見上げる。それは間違いではなかったようで、ヒガディアルは微笑んだまま小さく頷き、龍馬も笑みを浮かべ頷いた。
 扉に手を伸ばせば、扉に鎮座する大きな紅玉が輝き出す。
 ―こぷ…
 小さな音を立てて現れた紅い肌の女性の上半身。
〔遺伝子照合完了。一致シマシタ〕
 機械的な声に、微かな懐かしさを感じた。そんな自分に苦笑を漏らす。
〔第二ノ照合ヲ行イマス。あなたノ名ヲ入力シテ下サイ〕
 かつてのように、半透明の画面とパネルが現れ、それに触れれば自動的に名前が入力されていく。
 ―ピピ…
〔第二ノ照合クリア。第三ノ照合ヲ行イマス。あなたハ、黒鴉ノ選出者デスカ?〕
 パネルが消え、画面映像が〔YES・NO〕と表示し、龍馬は迷う事なく〔YES〕を選択する。
 ―ピピ…
〔照合中…第三ノ照合クリア。最終照合ニ移リマス。あなたハ何者デスカ?〕
 以前は此処で駄目だった。しかし、今は全てを知った。
 龍馬は迷う事なく口を開く。
「賢帝アザゼルとその『花嫁』桂木弥兎の間に生まれた双子の弟…真血の龍王だ」
 晴々とした声は、躊躇いなど微塵も感じない。
 ―ピピ…
 暫くの沈黙。
〔―…一致シマシタ〕
 すると、女性の閉ざされた瞼が開き、口角がやんわりと持ち上がった。
『お待ちしておりました…我等が王后様…』
 機械的ではない、慈母の如き優しい声が響いた瞬間、強い光が視界を覆った。
 光が消え去ると、目の前に扉は無く、幻想的な風景が広がっていた。
そこは一度だけ訪れた事のある場所。
「守護神の…部屋…?」
 龍馬が小さく呟く。
 腹心を亡くしたヒガディアルが、自分の肩で泣いた場所。それを思い出し、ほんの少しだけ胸の奥が痛んだ。
 龍馬の悲哀を感じ取ったのか、隣に立つヒガディアルは苦笑を滲ませながら龍馬の頭を優しく撫でた。
《お前達、人様の部屋でイチャつくんじゃない》
 呆れた声が響き、二人の目の前に炎と共に黒い犬が現れる。
「あ、不法侵入の犬」
《今更それを蒸し返すな!》
 叫び、牙を剥く犬。もといアグニに対して、龍馬は舌を出して茶化し、アグニは低く唸りながらも感情を抑え込む。
 古馴染みのように気兼ねなく振る舞う一人と一匹を眺めながら、ヒガディアルは小さく肩を揺らした。
「守護神も、今代の花嫁の前では形無しだな」
《失礼極まりない花嫁だ、まったく。少しは敬え。守護神だぞ》
「敬って欲しいなら、少しは守護神らしくしろよ」
 イッと歯を見せた龍馬に、アグニの怒りマークが二個三個と増えていく。
《ふん…どこまでも失礼なガキめ》
 龍馬が言い返してくるだろうとアグニは軽く身構えた。しかし、何も言葉は返ってこない。
 おい、どうした。
 その言葉を紡ごうと口を開いたその時、目の前の二人が片膝を地につけ、左胸に右手を添え、アグニに向かって頭を下げた。その姿は、王に頭を垂れる騎士の如く。
 突然の行動に、アグニの目が見開かれ、唖然と見つめる。
「火神族守護神『ククルカン』様におかれましては、ご機嫌麗しく存じ上げます」
 穏やかなヒガディアルの低音が空間に響き渡った。
 舞い踊る精霊達も、その厳かな空気に息を潜め、静かに状況を見つめている。
「我ら、あなた様へご報告致したく参上仕りました」
「わたくし…アルケー無神族帝王に就かせて頂いております更紗龍馬と、精霊王であり火神族帝王であるヒガディアル様…この度、婚姻の儀を執り行わせていただく事に相成りました」
 何処か照れと緊張を含んだ龍馬の声。俯いている顔を見なくとも、首まで真っ赤になっている所を見れば、相当照れくさいのだろう。今にも煙を出して爆発してしまいそうだ。
 今回、二人が正面からこの開かずの間であった『守護神の部屋』に訪れた理由は一つ。
 晴れて永久の契りの儀を執り行う為の許可を、火神族守護神であるアグニ、もとい『ククルカン』に取りに来たのである。
 ククルカンからすれば、何もそこまでしなくともという思いがある。
 無反応な彼からそれを読み取ったのか、ヒガディアルが顔を上げ、驚愕に人型となってしまったククルカンを見据えた。
「私とドゥーラなりのけじめなのだ。…お前を始め、様々な者達に多大な迷惑を掛けて来た。お前達が気にするなと言っても、我らがそれを素直に聞き入れるとは思っていないだろう?」
《…そりゃ…そうだな》
 驚き半分、呆れ半分。その中に、僅かに紛れる嬉しさ。
「俺、覚悟決めたんだ。この世界で…ヒガ様の隣で生きて、死んでいくのを」
 龍馬が顔を上げた。その凛と張り詰めた表情は、いつかの『花嫁』桂木弥兎と瓜二つ。
 ククルカンは、思い出す。
 龍馬の両親であり、現在『魄霊』として息子の中で生きているかつての精霊王アザゼルとその伴侶である桂木弥兎の事。

 遠い、遠い過去の記憶。
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