紅蓮の獣

仁蕾

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黒檀の章

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 それを知ってか知らずか。
 望は二人に向けていた視線を龍馬に移し、僅かな間を置いて厳かに言い放つ。
「あの方々が…お前の、本当のご両親だ」
 息が詰まり、感覚が襲い掛かる。
 自分とそっくりな桂木弥兎。否定しようがない。
「お前が心配で、人の輪廻から外れてお前の『魄霊』となられたんだ」
 いつの間にか、ダアトとククルカンの言い合いは収まり、ダアトが気まずそうに俯いている。柔和な笑みを浮かべているケテルがダアトの肩に手を回し、龍馬の前へと連れて来た。
 自分より少しだけ高い身長。同じと思っていた金の目が、自分より僅かに鈍く輝くのは、既に『花嫁』の座を退いているからなのか。肌に感じる圧倒的な存在感は、自分にはまだ備わっていない高貴なモノだ。
 隣に目をやる。
 神のように美しい顔。満月の瞳は優しく細められている。焔色の長い髪は、やや暗い炎の色。背丈はヒガディアルとあまり変わらないような気がする。賢帝の名に恥じぬ、雄々しくも神々しいまでの立ち姿。
 ただ圧倒されていた。
 ―本当にこの人達が…?
 とも思うが、自分の本能が認めている。
 彼らの実子という事実を。
《あー…ハジメ、マシテ?》
 困った表情で首を傾げる姿は、自分とそっくり。疑う余地はない。
 ―ぶふっ!
 我慢しきれず、口を押さえて吹き出す。
《え…?》
「や、やっぱ、俺、に、そっくり!」
 大爆笑。
 望も頷いて同意する。ケテルもフッと口元を緩め、小さく肩を揺らす。琥珀も見守るように微笑んでいる。
 そんな周りにあたふたするのはダアトだけ。
《何、何なの!?》
「あーおっかしー!…何か、逃げた自分が馬鹿馬鹿しい」
 笑いを収め、龍馬はダアトの白い手をそっと持ち上げ、鈍い金の目と目を合わせた。
「初めまして、弥兎様、アザゼル様。あなた達のお陰で、俺は愛せる人と巡り会う事が出来た。感謝しています。…でも、まだ父と母とは呼べない。あなた達の事をきちんと知らないし、父さん…琥珀とサラティアさんが親だと、今は思ってる」
《龍馬…》
 少し下がった眉尻に、切なさが滲む。
 でも、と龍馬は笑った。 
「あなた達も親だ。今思えば、あなた達に沢山助けられて来た。だから、今の俺が居る。…時間は掛かるかも知れない…でも、いつかきっと呼べる日が来るから、それまで待ってて」
 ぎゅっとダアトの首に腕を回し、抱き締めた。
 ダアトは泣きながら何度も頷き、龍馬の体を抱き返した。
《龍馬…》
 ケテルに名を呼ばれ、顔を上げるとケテルは龍馬の背後を指差していた。
 振り返り、目を見開く。
「ヒガ…さま…」
 少し距離を置いた場所。
 愛して止まないヒガディアルが、静かに佇んでいた。

   ***

「つっかれたー…」
 突然の声に康平、リーチェ兄妹、トラスティルは口に含んでいたものが危うく気管に入りかけ盛大に咳込んだ。
「え、何。どした?一応謝る?」
 自主的に謝ろうとしないのが、今し方目を覚ましてベッドに身を起こす彼、望らしい。
 大丈夫、と四人が噎せながら手で制した。
「あー…ビビったー…」
 一番に復活した康平がソファーに項垂れ、我関せずの望は大きく伸びをした。
「っ、んあー…体が軋むー…いてててて…」
 ぐるぐると肩を回したり、首を回したり。時折、関節がパキポキと鳴っている。
「んで、どうだった?」
 水の入ったグラスを手に、アイリーンはベッドサイドに腰を下ろし、望にそれを差し出した。望は礼と共にグラスを受け取り、一気に呷って息を吐く。
「はあ…まあ、ちゃんと真実と向き合ったよ。あとは帝王に任せて帰って来た」
「ふふ、望が戻って来たなら、もう大丈夫ね。精霊王とも向き合えるわ」
 ソニアの言葉に、全員が優しく微笑んだ。

   ***

 静かな空間だった。
 数人の存在が確かにあるはずなのに、そこは二人だけの世界のように、向き合って、見つめ合って微動だにしなかった。
「…帰りたいか…?」
 静かな声が問い掛けてくる。
 ―この低くて、穏やかな声が好き…
 問い掛けに返事をする事無く、じっと注視する龍馬に、金と銀のオッドアイが不安に揺らめいた。それすらも、愛しい。
 ―あの優しい目が好き…
「…龍馬?」
 普段の凛とした姿を思い出す。まっすぐに伸ばされた背筋。まさに、威風堂々。誰の前でも『王』である男が、今、自分の言葉を待って焦れている。
 ―嗚呼、愛しい…
「大好きです」
 突然の告白に、ヒガディアルは言葉を飲み込み、驚きに目を見開いた。
 龍馬は穏やかな笑みを浮かべ、ヒガディアルの珍しいその姿を見つめ続ける。
「あなたは世界の統治者だ。世界に選ばれた、世界の王。誰もがあなたを欲している。でも、俺は例えあなたが燃え盛る炎でも、流れ行く水でも、吹き荒れる風でも、揺れ動く大地でも…きっと、あなたを愛するでしょう。何があろうと、あなたから離れる事なんて出来ない。あなたが、俺から両親を奪ったのだとしても。…俺は万物に感謝する。あなたという魂の片割れを齎してくれた事を。俺はあなたを」
 ―愛しています…
 静かに、心を、命を込めて紡がれる言霊。 
 水晶が造り出した世界は、両親が居て、平和で楽しい世界だった。だけど、常に何かが足りなかった。
 胸に出来た大きな穴は、どんなに楽しい事があっても埋まらなかった。寧ろ虚しいだけ。
 実の両親であるダアトやケテルに邂逅したときも、大きな戸惑いと小さな嬉しさを感じながらもその胸の穴は埋まる事はなかった。
 ―だけど、今にも泣いてしまいそうなあなたを見た瞬間、これ以上ないくらいに満たされたんだ…
 真っすぐな想いは、ヒガディアルを更に躊躇わせた。
「今なら…あちらに戻してやる事も、可能だ…」
「あっちに未練なんてありません」
「もう、二度とこのような考えは浮かばぬかもしれん」
「構いません。俺は、あなたの傍に居たい」
 龍馬は無邪気で、どこか恥じらいを見せる笑みを浮かべた。
「一度は逃げてしまった奴ですけど…あなたのお傍に置いて下さいますか?」
 躊躇いがちな言葉に、ヒガディアルは微笑み、龍馬の体を抱き締めた。
「勿論だ」
 淡い光が二人を包み込んだ。

   ***

 ―カシャン…
 涼やかな音を立て、水晶が砕け散る。水晶の傍で今か今かと待ち侘びていた望は、腕を伸ばし、傾いだ龍馬の体を抱き留めた。
「ん…」
 小さく身じろぎ、睫毛が震えて金の目が現れた。
「龍馬、大丈夫?」
「のぞむ、さん…?」
 掠れた声。
 ソニアが水の入ったグラスを差し出せば、龍馬は微かに震える手で受け取ると一口飲み込み、一度息を吐き出して残りを一気に飲み干した。
「っ、あー!生き返る!」
 望の腕の中からガバッと起き上がり、望同様に骨をパキポキと鳴らし始める。
「大丈夫?色々と」
「うん、もう逃げない。…てか、元々悩むようなキャラじゃないしね」
 なんか、悩んで損した気分。
 そう笑って立ち上がる。
「行く?」
「モチ!」
 望が少し乱暴に龍馬の頭を撫でた次の瞬間、龍馬の体が炎に包まれ、その場から消え去った。

 王の間には、玉座身を預けた状態で瞼を閉じるヒガディアルと床に胡座を掻いて寛ぐハーティリアの姿だけがあった。
 どれ程の時間が過ぎたのか。ハーティリアが「そろそろ叩き起こしてやろうか…」とひとりの時間を持て余し始めた頃、ヒガディアルの指先が小さく跳ね、ゆっくりと瞼が開かれた。
 天井を見上げたまま数度瞬きを繰り返し、ヒガディアルはゆっくりとその体を起こした。
「気分はどうよ」
 頬杖をついてお座成りに投げ掛けた問い。ヒガディアルは気分を害した様子も無く、寧ろ上機嫌と言った様相でふっと微笑んだ。
「すこぶる、いい」
 蕩けそうなほどの甘い吐息交じりの声に、ハーティリアは口角を引き攣らせ、一瞬言葉に窮した。
「っかー!惚気か!惚気だよな、明らかに!」
 ハーティリアの叫びに、ヒガディアルは愉快気に喉を震わせる。
 その時、二人の間に小さな白い炎が燃え上がり、刹那の間に大きな炎へと姿を変えるとゆらゆらと人の形を模っていく。ヒガディアルが手を差し出せば、炎の手がそっと乗せられ、人の肌へと変化した。
「ヒガ様」 
 花が咲いたように麗らかに微笑む龍馬が現れる。つられてヒガディアルもとびきり優しい笑みを向け、腕の中にその痩躯を迎え入れた。
 ハーティリアからしてみれば、砂を吐き出したい状況だ。しかし、龍馬とヒガディアルの二人は、そんな事などお構いなし。寧ろ、眼中に入っていない。
「わー…盛大にムカつくんですケド」
 笑う頬の筋肉が僅かに引き攣る。
 突然の声に肩を跳ね上げた龍馬は、ヒガディアルの腕の中で振り返り、首を傾げた。
「えっと…どちら様?」
 もっともな質問である。
 ハーティリアは、眉を跳ね上げ、その口元に笑みを刷くと恭しく腰を深く曲げた。
「お初にお目に掛かる、『花嫁』殿。ハーティリア・クリスハートと申します」
「地神族帝王の座に就いている。あの水晶達の飼い主だ」
 ヒガディアルの紹介に、龍馬も笑みを浮かべて「初めまして」と言葉を紡ぐ。
「更紗龍馬です。一応、無神族の王様みたいです。お願いします。あ、あと、あの水晶達壊れちゃいましたけど…大丈夫ですか?」
 眉尻を下げて心配そうな表情で問う龍馬に対し、ハーティリアはきょとりと瞬くと、苦笑を浮かべて手を振った。
「あの子達の根底は『鉱石』だからね。破壊されたからって、死ぬわけじゃないよ。安心なさいな」
「ああ、そうなんですね…よかった…」
 安堵の息を漏らした龍馬に、ハーティリアは苦笑を微笑みに変えてヒガディアルへと視線を移す。
「稀に見る天然な『花嫁』だな。裏も表もなく、何か企みがある訳でもない。…いい『花嫁』だ」
 ハーティリアの目が細められ、ヒガディアルも同じように笑って見せた。
「さて、俺は引き上げるよ」
「ああ、またな」
「おう」
 ヒラヒラと手を振ると、ハーティリアの身体が水晶に変わり、カシャンと砕けた。
 龍馬は一瞬驚いたものの、自身やヒガディアルも炎と化すではないかと思い直した。
 大きな手が、龍馬の頭を優しく撫でる。
 見上げれば、眉尻を下げたヒガディアルの顔。
「…もう、戻れぬぞ?」
「まだ言います?いいんですって」
「更に辛い事があるかも知れんぞ…?」
「その時は、その時じゃないですか?逃げないって決めましたから。アザゼル様達に笑われちゃいます」
 ふふっと笑い、ヒガディアルの逞しい身体に抱き付いた。
「もう、逃げません」
「……そうか」
 ヒガディアルがそっと抱き締め返せば、龍馬の耳に聞こえるのは、ヒガディアルの心臓の音だけ。鼓膜を震わすゆったりとした心音に、睡魔が忍び寄る。
 龍馬は感じていた。
 背中に咲く紅い蓮の花が何かを予感し、疼くのを。 



 全世界が歓喜に沸いた。

 ―精霊王ご婚礼―

 人から人へ。
 精霊から精霊へ。
 動物から動物へ。
 巡り巡ってクレアート全土に広まる。

「いやー、めでたい事だ!」
「ホントに!」
「『花嫁』様は相当な器量良しだそうだよ!」
「あの精霊王が入れ込むくらいだからな!」

 老若男女関係なく大騒ぎ。
 種族間の争いすら収まり、杯を交えるほど。

 クレアートが歴史上最大の繁栄を見せるまで、あと少し。



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