紅蓮の獣

仁蕾

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紫雲の章

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   ***

 ヴェルジネは長い階段を飛ぶようにして降りると、中庭へと足を踏み入れる。その時。
「にゃーう」
「シロ」
 足元に擦り寄って来たのは、猫の真白だった。先程までベッドに居たのを確認していた為、龍馬が寄越したのだろうと結論付けてそっと抱き上げれば、真白のしなやかな体は大人しく腕の中に収まった。
 真白とともに辿り着いた稽古場。
「ココだ…」
 見上げる大きな建物。ひとりで来たのはいいものの、稽古場には結界が張り巡らされているのを今更ながらに思い出す。
 しばらく悩んでいると、真白が一つ鳴いた。同時に、その身が淡い光を纏う。小さな鳴き声に呼応するように、稽古場を囲う見えない壁が波打った。
 真白は、ヴェルジネを見上げて小さく鳴いた。ヴェルジネは促されるように一歩踏み出すと、波打つ結界はヴェルジネと真白を招き入れた。
 ―キィ…
「コウ兄…?」
 大きな扉をそっと押し開けば、見た目よりも軽い扉に少しばかり驚く。
 ―ザッ
 稽古場の中心。
 康平が舞っていた。否、舞っているように見えるほど滑らかに、優美に、雅やかに紫龍槍を振るっていた。
 常の康平からは考えられない美しさに、ヴェルジネは感嘆の息を漏らす。
「すごい…」
「にゃうー…」
 一人と一匹がこぼした声が聞こえたのか、公平の動きがぴたりと止まった。
「ベル?」
 額から汗を流し、康平が出入り口に視線を向ければ、真白の手を振るヴェルジネが居た。
「汗、スゴイよ?」
 ヴェルジネは真白を降ろすと、近くの椅子に掛けていたタオルを手に取り、康平へと駆け寄った。
「ありがと」
 タオルを受け取り、康平はその場に腰を下ろした。紫龍槍がシャンッと音を立て、光の粒子へと変わる。
 ヴェルジネが正面に腰を下ろそうとすると、柔らかで温かな感触に弾かれたように立ち上がる。振り返れば紫の竜が「きゃお」と鳴いた。
「汚れるから、座りな」
 康平が笑えば、紫竜も促すように再び声を上げた。
「…アリガト」
「どういたしまして」
 ヴェルジネが康平の契約竜のリタに腰を下ろすのを見届け、康平が口を開いた。
「んで?どうかしたのか?」
「…皆、コウ兄が居ない事、心配してた」
 いつも居るのに。
 ヴェルジネが少し寂しそうに声のトーンを落とせば、康平は苦笑を浮かべる。
「そっか」
「…コウ兄こそ、どうしたんだ?」
 赤と緑の目に見つめられ、不思議な感覚が康平を包み込んだ。混血の無神族にはそんな力はない筈なのに。
「…コウ兄、一人で抱え込んでる。自分じゃ抑え切れない、戦いの本能。今にも爆発しそうな己の力」
 平静を装っているものの、康平の眼差しが微かに揺らいだのをヴェルジネは見逃さなかった。
 ヴェルジネは、知っていたのだ。時折居なくなる康平の事を。深夜、寝る間も惜しんで、内に膨らみ行く己の力を槍を振るって発散している事を。
 康平の闘争心は、荒ぶる鬼神の如く。大きな争い事がない平穏な『クレアート』では生き難い。
「大丈夫…?」
 ヴェルジネが、康平の顔を覗き込めば、その顔色は蒼白。唇は乾き、僅かに震えている。
「…じゃねーな…」
 ヴェルジネの膝の上に伏せていた真白が、胡坐を掻く康平の足に飛び乗った。
 稽古場の結界を開いた時と同じように、真白の目が淡い輝きを放ちだす。
『解放せよ』
 突如響いた女の声。
『汝が内に眠りし、破壊の力』
 二人の視線は、真白へと注がれる。
「この声…真白か…?」
『解放せよ』
 女の声は、繰り返す。解放しろ、と。
 康平は奥歯を噛み締めた。
 解放など、出来る訳がない。内に燻る力が、闘争心などでは無く、女が言う『破壊の力』だと言うのならば、解放する事など出来ない。
 破壊の力は、文字通り破壊しか出来ない。
「っ…出来る訳ねーだろっ」
『何れ、汝が崩壊してしまうであろう』
 真白の体から白い靄がゆらりと溢れ、女の姿を模った。
 女神と称するに美しい女は、感情の読み取れない無機質な双眸で康平を見下ろした。
『汝の力を、解放せよ』
 ―何も恐れる事などない。
 それは、どこか悪魔の囁きに酷似していた。

   ***

 奇妙な気配が王城を包んだ。
 王の間にて執務に精を出していたヒガディアルと、暇だからと龍馬のもとへ遊びに来ていた守護神『ククルカン』の化身、犬型のアグニが弾かれたように虚空へ視線を向けた。
「帝王?」
「アグニ?」
 傍で書類を纏めていたマツバはヒガディアルに、犬の腹を枕にしていた龍馬がアグニに対して声を掛けた。
「これは…いけない」
《これは…いかん!》
 ヒガディアルとアグニは、違う場所で同時に炎となって姿を消す。その場に居た全員が、突然の事に目を剥く。
 その時、龍馬と望も何かに気が付いた。
「ノン様、この気配…」
「康平みたいだけど…何か、おかしい…」
「…暴走の気配、だな」
「そうね」
 焦る龍馬と望に対し、アイリーンとソニアは落ち着いた語調。兄妹の様子に、龍馬と望はきょとりと瞬いた。。
「今回は、あたし達パスしていいかしら…」
 僅かに震えたソニアの声。
「え…どうしたの?」
 龍馬が声を掛ける。
 リーチェ兄妹は、顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
「力の強い奴の暴走は、誘発作用が強くてな…」
「竜の血が薄いあたしでも、引き摺られそうなくらいね」
 だからパス、と仲良く手を振った。
「早く行け。あそこにゃベルも居る。下手したら巻き込まれるぞ」
 アイリーンが真剣な面持ちで言葉を掛けた瞬間、龍馬と望は、全速力で駆け出した。

 ヒガディアルとアグニは、ほぼ同時に専用稽古場の扉の前に舞い降りた。
「アグニ、どう言う事だ。『彼女』の目覚めはまだ先の筈…」
《恐らく封印が解け掛けている。…無神族の龍王、風神族の神槍、水神族の神刀、そして、神族の神獣と融合したお前。四種族の宝珠が揃ったんだ。こんな事が起きるのも仕方あるまい》
 ヒガディアルが手を伸ばして結界に触れた瞬間、火花が飛び散り、外部からの干渉を阻んだ。
「これは…」
《康平の気配が濃い…》
 その時、二つの足音が近付いて来た。
「ヒガ様!」
 龍馬と望である。
「康平さんは…っ!?」
「中に入れぬ故、見当も付かん。…しかし、侵入を拒むは康平の気配」
 僅かな沈黙が場を支配する。
「…仕方ない。強制的に結界を破壊するか」
 呟き、望が気を練り始める。
「咲夜姫」
《御意ですの》
 ヒガディアルの呼び掛けに、少女の声が答えた。正面に翳されたヒガディアルの右手に子猫が現れたかと思うと、子猫、咲夜姫は飛び上がり、稽古場と龍馬達を包み込む結界へと変化した。
「お心遣い、感謝致します」
「気にするな」
 望の手が九つの印を素早く組む。
「守の壁を構築する四の礎。今、麻生望が命じる。崩壊せよ!」
 その瞬間、結界に亀裂が走り、薄いガラスのように甲高い悲鳴を上げて砕け散った。同時に襲い来る強烈なまでの悪意滲む精霊力。
「琥珀!」
 龍馬の呼び掛けに黒龍が姿を現し、全員を取り囲むと、強固な結界が三人と一匹を囲んだ。その間に、ヒガディアルとアグニはそれぞれ分厚い結界を纏う。
 琥珀は、尾の近くの鱗を一枚、銜え剥がすとそれを望に渡した。望が受け取ったのを確認し、雄大な姿を小さくし、龍馬の首に巻き付いた。
「行こう…」
 龍馬が促し、扉はゆっくりと開かれた。

   ***

 時は僅かに遡る。
 ヴェルジネは、力なく横たわる真白をその腕に抱き上げていた。小さな体の自由は見えぬ鎖で封じられ、指先ひとつ動かす事もままならない。
 正面には大きな水晶の玉座。女が優雅に腰掛け、意識を失う康平に膝枕をしていた。
 女の姿は酷く曖昧だった。霧のような、靄のような不確かな存在。全てが白い。肌も床にまで流れる長い髪も、波打つ衣装も。ただ、目だけが鮮やかな金色をしていた。
「お前…何者だ…」
 問い掛ける少女の声は震えていた。
 女は微笑んだ。
《…そうだの…『カーリー』とでも名乗っておこうか…》
 張り付けられた笑みは魔性を感じさせる。
「コウ兄をどうするつもりだ」
《…この者の闇は深い…故に美味。妾の手駒に丁度良い》
 その時、ゆらりと康平が身を起こした。紫龍槍の刃が、女、カーリーの喉に突き付けられる。
「っだ、れが、テメ…の、手駒…っだって…?」
《ほう?妾の術に掛からぬか…なかなか意気のある男じゃ》
 カーリーの金の目がにやりと細くなる。同時に輝き出す瞳。
《じゃが、妾に敵う者など居りはせぬ》
 カッと見開かれた瞬間、康平の意識は再び失われた。
 カーリーはクツクツと笑っている。その笑みに、ヴェルジネの背には嫌な汗が流れた。
 不意に金の目が、ヴェルジネを捉える。
《汝も、使えそうだが…何分、その封印が邪魔をしている故、手が出せぬの…》
 カーリーが視線で示したのはヴェルジネの胸元。その視線に抗うかのように煌いた琥珀のアミュレット。中に閉じ込められているのは、顔も覚えていない父の血で描かれた竜。
 血の竜は『血戒』。ヴェルジネの中に眠る力を抑え込むお守りだ。
 ヴェルジネもまた、『破壊の力』を持つ。しかし、康平のように囚われなかったのは、抗う術があったからである。
《魂にて描かれ、魂にて包まれし封印は破壊の出来ぬ代物…何とも、忌まわしいの…手駒が減ってしもうては、余興も盛り上がりに欠けてしまう…》
 そう言ってため息をこぼす女は、何とも淫靡な空気を纏う。
 張り詰めた緊張感の中、ヴェルジネはどうにかして康平を助け出そうかと模索する。しかし、意識の無い康平を侍らせ、寛ぐ女には隙らしい隙が見当たらない。
 ぎり、と奥歯をかみ締めた、その時。轟音とも言える破壊音と共に、稽古場の扉が砕け散った。
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