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紫雲の章
26
しおりを挟む龍馬を筆頭とした子供達は、足音一つ立てないように、至極静かに歩いていた。警備兵にも見付からないようにそー…っと。
ドキドキしながらも、そのスリルに心弾ませながら、面々が向かう先は無神族専用稽古場。
それぞれの手には、酒瓶やら果物、簡単な料理が盛られた皿などが確保されている。そして、ヴェルジネの腕には、真白が抱かれていた。
ニンフェーアからのスリル満点の道程は、見付かる事なく無事完遂する。
専用稽古場は、外観は城内にあるものの、中は異空間の為、どれだけ騒いでも周囲の迷惑にはならない。
それぞれが契約竜や焔花を呼び出せば、それだけで騒がしさは更に大きくなる。
「あー!解放感!」
龍馬は大きな伸びをしながら叫んだ。
間髪入れず、康平とアイリーンは杯を配り、並々とアルコールを注いでいく。
「ベルは、ジュースな」
康平に渡され、ヴェルジネは不服そうに頬を膨らました。
「それでは!」
龍馬の叫びが稽古場に広がり、静寂が訪れる。
「ベルと康平さんの回復に、乾杯!」
***
寝付けない。
トラスティルはそっと長息を漏らした。
いつもと変わらぬ公務と訓練を終えた筈なのに、待てど暮らせど眠気は来ない。隣で眠るマツバを起こさぬようにベッドを抜け出し、静かに部屋を後にする。
見回りがてら散歩をしていたトラスティルは、ぼんやりと窓から外を見下ろしていると、何やら己の精霊がウズウズしているのを感じ取る。
「どうした、プローデ」
名を呼べば紅い虎が姿を表し、前足を手摺りに掛けて身を乗り出した。
「プローデ?」
《…いや》
長年苦楽を共にして来た精霊は、ある一点から視線を外す事なくその表情を緩めている。
《世界は、良い『花嫁』を手にしたようだ》
それだけを言い残し、プローデは姿を消した。
残されたトラスティルは、首を捻ってプローデが見つめていた先に目をやる。そこは、無神族専用稽古場。微かな明かりが漏れている。
「ノンかアイリーン、か?」
遅くまで頑張るなー…と考えていると、小さな楽の音が耳に入り込んだ。
「琴龍…康平の楽器か?」
長らく姿を見ない人物の楽の音が耳に入り込んで来た。
襲い来た歓喜に、眠気は遠退くばかりである。
***
雨降る夜
雲は月に寄り添いて
涙を拭い
地上に落とす
微かな衣擦れの音。
軽やかな足音。
伸びやかな歌声。
響く澄んだ楽音。
舞うのは龍馬と望。歌うのはソニア。琴龍を奏でる康平に琵琶を爪弾くアイリーン。
ヴェルジネは、キラキラと目を輝かせながら、その余興を楽しんでいる。
龍馬が手招き、榮烙と鉉煌も舞に参加する。
ふと楽しく舞い踊っていると、キラキラと輝く小さな粒が降り注ぎ始めた。
最初に気付いたのは康平だった。天井を見上げたまま、目と口を開いて手を止めた。
不意に止んだ音に、全員が不思議に思い、康平の視線を追い掛けるとそれぞれが動きを止めた。
全員の視線の先。
美しい女が、艶やかに舞い踊っている。正に天女。
長い髪の根本は菫色で、毛先に行くにつれ濃い紫となっている。長い袖や裾の薄紫の薄布は、女が舞う度にヒラヒラと空中を泳ぐ。 女は甘やかな笑みを浮かべながら、龍馬達に妖艶な流し目を向けた。
龍馬だけはそれが誰なのか直ぐさま理解し、満面の笑みを浮かべ、止めていた舞を再開して息を深く吸い込んだ。
天津焔が舞い踊る
天津風が吹き抜ける
国津清流澄み渡り
国津大地命育む
国津業火荒れ狂い
国津強風吹きすさぶ
天津濁流押し寄せて
天津大地揺れ動く
全てを包むは光と闇
光と闇は『無』に出ずる
森羅万象
全てのものが『花』に膝を付く
細かき粒の砂が如く
手を擦り抜けては消えて行く
手に入れたるは何者か
全てのものが『花』求む
―たん…
舞い終えた龍馬は肩で息を繰り返し、女が静かに龍馬の正面に舞い降りた。
龍馬と変わらぬ背丈の女は、小さく微笑み、静かに腰を折った。
《先日は無礼を行いまして、深くお詫び申し上げます》
凛とした美しい声。
女は顔を上げ、笑みを深めた。
《改めまして…わたくしの名はパールヴァティーと申します。以後、よしなに…》
龍馬は「お願いします」と笑っているが、望達は「誰?」と言った顔をしている。
「この方、ククルカンの奥様で、無神族の守護神様だよ」
《いつも夫君がお世話になっております》
満面の笑みの二人に対し、望達は瞠目する。
各々の胸に去来したのは、苦々しい記憶。それに気が付いたのか、パールヴァティーは笑みを隠し、真剣な顔になると改めて深く頭を下げた。
《先日は、皆様方に多大なご迷惑をお掛け致しました事、誠に申し訳なく思います》
望達は何も言えない。
すると、ヴェルジネはパールヴァティーに近寄った。赤と緑のオッドアイが金の目とかち合う。
途端、ヴェルジネは破顔した。
「アイツはあんたじゃなかった。あんたが罪悪感を覚える必要はない。それでいいんじゃねーの?オレは、それで良いと思う」
そう言って康平を振り返れば、康平も小さな笑みを漏らした。
「いんじゃね?周りがどう言おうが、当事者の俺らが気にすんなって言ってんだ」
それでいーんだよ、と笑った。
「俺もベルも生きてる。だから、許せる。もし、ベルが死んでたら、許す事は無かったけどさ」
そう言って笑って見せた。
当事者二人がそう言うならと、望達も苦笑を漏らす。
そして、守護神すら巻き添えにした無神族帝王と近衛隊の大宴会は、空が白み始めるまで止まる事は無く、短い睡眠を貪る為に、そのまま稽古場で雑魚寝する事になってしまうのだった。
龍馬は、琥珀とパールヴァティーと共に、城の最上階の屋根の上で朝日が昇り始めるのを眺めていた。
「そう言えば、聞きたい事があるんですよね」
ぼんやりとした声で龍馬が問えば、パールヴァティーは笑みを含んだ声で「答えられる問いなれば」と頷いた。
「カーリーは真白から出て来たのだと聞きました。…何故、真白だったんですかね」
明確な答えを求めているのでも無いのだろう。ゆっくりと瞬く双眸は、騒ぎ付かれたのか幾分眠そうに見えた。
《恐らく、彼の存在が貴君の力で形成されていた事が一番の理由では無いでしょうか》
「俺の力…?」
まさかの答えにいくらか目が覚めたのか、龍馬は何度か瞬きを繰り返し、首を傾げて問う。
《カーリーを含め、『わたくし達』は無神族帝王の力に導かれます。通常ならば、貴君の前に姿を現すのが筋。ですが、カーリーは負の存在。破壊を司る者。貴君の前に現れるのは分が悪い。ならば、無神族帝王の力が次に強い存在は?》
結果、真白の意識をほんの一瞬だけ乗っ取ったのではないかとパールヴァティーは推測する。
《そして、彼女にとって好都合な事に、近くに居たのは破壊の力を有する康平様とヴェルジネ嬢がいた…》
重い沈黙が降りた。が、龍馬は深いため息を吐き出してその沈黙を吹き流す。
「そっかー…まあ、そう考えなきゃ、難しいよなー…」
天を仰ぎ、うあーっと唸り声を上げた。ふと、もうひとつの疑問を思い出す。
「もうひとつ良いですか?」
《ええ、どうぞ》
「パールヴァティー様は、カーリーとして出て来るまで何処に居たの?」
不意に思い付いた質問を投げ掛ければ、パールヴァティーは穏やかな笑みを浮かべて答えた。
《難しい質問ですわ…。ですけど、確かに抱かずには居られないですわね》
「うん…ククルカンもルドラ様もリル様もリャンファン様も、姿は無いけど気配は途轍もなく大きなものとして存在していたのに、あなただけが何の気配も無しにこの世に突然現れた。何もない筈なのに、物体が現れた感じ?」
少しの間を置き、パールヴァティーは口を開く。
《わたくしがこの世に出現する条件が揃った結果、としか言えませんわ。カーリーの人格で現れたのは、わたくしも予想外でしたけれど…》
「条件…?」
《火の力『神獣』、水の力『神刀』、風の力『神槍』、地の力『聖杯』》
それは、龍馬が手にして来たほうもつ宝物。
《本来、火の力は『紅疾風』という獣。事情により現精霊王と融合してしまったのですが、王が貴君をお認めになられていますもの。手にしているかどうかなど、今更の話ですわね》
袖で口元を隠しながら、くすくすと笑うパールヴァティーに頬を染めながらも、龍馬の脳裏には過日に目にした美しき紅の獅子。
《この四つの力が『花嫁』の下に集いし時、わたくしは初めて『クレアート』内に存在する事が出来るのです》
「クレアート、内?」
聞き返すが、パールヴァティーは笑みを浮かべるに留まった。
《これ以上は、わたくしに言う権利は御座いません。ただ言えるのは、四つの力は元々お一人が有していたものだと言う事》
優しく笑む姿は、深い慈愛を滲ませている。
疑問が解決した訳では無いが、龍馬は追求する事なく膝の上の琥珀を撫でた。
「じゃあ、ヒガ様かククルカンに聞いてみるよ」
《ふふ、お話が早くて助かりますわ》
ころころと笑う様は、至極楽しそうだ。
朝日が眩しさを増したのを感じ、パールヴァティーは「それでは」と龍馬に頭を下げてその姿を消した。
龍馬がその場から飛び降りれば、そこは『ニンフェーア』のテラス。
窓を開いて室内に足を踏み入れれば、沢山の小さな精霊が舞い踊っている。
精霊達の歌は、不思議な言葉の羅列。 人間などが理解できない、崇高な言葉。
愛らしい笑みで舞う姿に、自然と微笑んでしまう。その中をゆっくりとした足取りで歩き進んでいく。
ぶつかり合う精霊力が、キラキラと輝きを放つ光景は美しいとしか言えない。燐光は龍馬の周りに浮遊し、淡い光で包み込む。陽光を浴び、その姿は神々しく見える。
風の精霊達は、伸びた黒髪を楽しそうに揺らしている。
ソファーに腰を下ろし、小さな精霊達と遊んでいると、控え目なノックが来訪者を告げる。朝早くに誰かと思いながらも入室を許可すると、静かに扉が開いた。
「お早う御座います、龍馬様」
柔和な笑みと共に現れたのは、侍女のルシルだった。
彼女も康平達が昏睡だった時に、世話をしてくれた一人だ。
「おはよ、ルシルさん。早いね」
「ええ。誰かさん方が、病み上がりも気にせずにコソコソとしているのが気になりまして…」
耳の痛い話である。
ルシルは持っていた大きな長方形の箱を、テーブルに置いた。
「何?それ。」
「あなたの婚礼衣装です」
即答かつ素敵な笑顔で返され、反応が見事に遅れてしまう。気恥ずかしさで、ルシルから視線を逸らし、ガリガリと頭を掻いた。
ルシルが笑みを浮かべながら、幾つもの箱を開いて行く。綺麗な薄布のレースや、宝石が輝く装飾具が姿を現す。
「望が採寸した通りに作りましたが、試着して頂かないと、微調整が出来ませんから」
「えー…あー…はい…」
逆らう等出来る訳が無い。大人しく渡される物を、身に纏い始める。
さらさらと肌触りの良い布地は、見るからに高価だろう代物。
汚さないかと恐れ戦きながらも、衣装を重ねて行き、ルシルの手を借りて装飾具を身につける。
「…もう少し、中のレースを短くしましょうか」
そう言って、何処から取り出したのか、まち針をさくさくと刺していく。
「後ろの裾は、ベールより少し長めが良いですね」
着々と裾直しを進めるルシルに、龍馬は声を掛けた。
「ねぇ…俺のがあるって事は…ヒガ様のもあるんだよね…?」
その声はウキウキと弾んでいるように聞こえ、ルシルは苦笑を漏らした。細かい裾直しのメモを取りながら、ルシルは「駄目ですよ」と先に断った。
「精霊王の衣装は、本番までお見せ出来ません。精霊王だって、龍馬様の衣装をご覧になられてないんですから」
優しく言われ、龍馬は唇を尖らせた。
その龍馬の表情に、ルシルは苦笑を漏らしながら、首飾りや耳飾りを外して衣装を脱がして行く。
龍馬は相当脱ぎたかったのか、細心の注意を払いながらも、素早く脱ぎ去っていく。
「ああ、それと、王の衣装は花嫁衣装に合わせて作られますから、アザゼル様に聞いても無駄ですからね?」
にっこりと笑顔で言われ、龍馬は一瞬手が止まった。が、惚けながらせかせかと脱いで行く。
ルシルは笑みを浮かべ、衣装を綺麗に畳み、箱に収めていく。
「そうですね…婚礼の儀の主役は『花嫁』ですから、王の衣装は派手さを抑えております。あまり飾り気は無いですよ」
何気ない事のように伝えてくれたルシルに心中で礼を述べながら、龍馬は照れ臭そうにはにかんだ。
「それと、『試着を終えたらおいで』と精霊王から言伝です」
ルシルが言えば、龍馬は嬉しそうに口角を上げ、ルシルに礼を述べて炎の花を残して時空を飛んだ。
残されたルシルは、笑みを零した。
「まったく…本当、精霊王がお好きなんですから」
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