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第7章
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しおりを挟む「…ツガイ殿は、難しく考え過ぎなのだよ」
眠りから目覚めた赤子のぐずる声に重ねて、少年皇は口元だけで笑う。柔らかな声に導かれるように康泰はのろりと顔を上げた。
「今のあなたはこの子と同じで、右も左も分からない赤子。『私』からすれば、あなたの魔力の暴走は赤子の癇癪と然程変わらない。『私』には、あなたをあなた自身から守る術はあるから安心なさい。あなたの『伴侶』を信じてあげなさい」
あうあうと泣きだした赤子の額に、艶やかな桜色の唇がふにりと触れる。
「それにね、制御と言うのは意外と簡単なものだ」
「…そう?」
「先に、最大限を知ってしまえばどうにかなるものさ」
もっと技巧的な、理屈的な助言が放られるものと思っていた。だが、寄越されたのは何とも危険で感覚的な言葉。
「もしくは」
「もしくは…?」
「さっさと番ってしまえば良い」
何の事は無いと肩を竦めた少年皇を見上げ、康泰はきょとりとまばたいた次の瞬間には声を上げて笑う。
「さすがにそれは時期尚早だな」
少年皇が告げる通り、早急に契りを交わす事が最短だと分かっている。自分も、魔皇も。
しかし、己の最大限を知るのは大事かもしれないと考える。冥幻魔界に影響を及ぼさずに行う為には、魔皇を筆頭に宰相であるミオンや皇の近衛隊隊長であるシュノア、王妃の一人であるヴィヴィアンの助力が必要だろう。
誰に声を掛けるべきか指折り数えていると、愉快気にそれを眺めていた少年皇が口を開いた。
「…ツガイ殿は、なぜ『この子』に会いに来たのだ?」
少年皇の視線の先。琥珀色の大きな瞳をまばたかせる生まれて間もない『星呂康泰』が、その小さな手に長い金の髪をひと房握り不明瞭な歓喜の声を上げている。
「…何も知らなかった頃に戻りたくて、此処に来たのかもな…」
膝を抱え込んで、意識を落とす直前のモニスの声を思い出す。聞いた事の無い、悲鳴に近い叫び声だった。
「その『康泰』は無垢で、純粋で、世界とは何たるかを知らない真っ白な存在だ。それが少しだけ、羨ましいのかも」
「成長とは、そう言う事でもあろう。さあ、そろそろ戻りなさい。長居すればそれだけ戻れなくなる。夢現の心地好さは、手放し難い。あちらに大切なものがあるのならば猶更だ」
「…そうだな」
ほろりと爪先から崩れ始めた自分の体に、仮初とは言え自分の身が消え行くのはあまり気持ちが良いものでは無いと苦笑する。
ふと、少年皇に目を向ければ、無表情ながらも穏やかな眼差しとぶつかった。身を傾け、皇と変わらぬ想いを浮かべる少年皇の額に口付けを贈る。
「いつも心配ばかり掛けてすまん。また来るよ」
「…出来れば、来て欲しくは無いのだがな」
そう冷たい事を言うなよ。
その言葉が少年皇に届いたかは分からなかった。意識は温かな闇に囲い込まれたから。
***
ぱちんと覗き込んでいた康泰の瞼が開かれ、モニスは肩を跳ね上げた。
「…良かった…」
零れ落ちた言葉は、吐息に混じって囁くような儚さで消えて行く。
「…すまん、心配掛けた」
苦笑する康泰に、モニスは首を横に振った。
「懸念していたほどの時間では無かったので…」
「そうか…どれくらいだろうか?」
「おおよそ半日ほど。具合はいかがですか?」
体を起こす康泰の手を支えながらモニスが問い掛ければ、康泰は問題ないと返す。
「ここは…?」
「馮族の塒、冰王が誂えて下さった寝屋です。冰王をお呼びしますのでお待ちください」
慌ただしく部屋を出て行くモニスの背を見送り、康泰は室内をぐるりと見渡した。
氷の壁と露出する岩肌。室内を照らす為の『熾火』の魔力と温める為の『熾火』び魔力。同じ魔力でも用途が違えば、繊細な魔力調整を必要とする。
感じる魔力は同じもの。細やかな調整を出来る事が、康泰にとっては羨ましい。
寝台の上、胡坐を掻いてため息を吐き出した。一人分の足音に顔を上げると入室して来たのは、青い女とその後ろに続くモニスの二人だった。
女の足音がしない事に気が付く。少しの間をあけて、その存在に違和感を覚えた。気のせいかとも思えるほどの小さな違和感は、喉に刺さった小骨のように妙な存在感がある。
「ああ、思うたよりもお元気そうじゃの」
康泰の正面に立った女の目元はベールで隠されているが、その口元は笑みの形を作っている。
「お初にお目に掛かる、皇の『玉』よ。妾は馮族を統べる『冰王』を継ぐものじゃ」
冰王の顔を見上げ、康泰は何度かまばたきを繰り返してその眉間に皺を刻み込んだ。
小さな違和感がじわじわと滲み始め、認識が不明瞭になって行く。
「今、何をしている…?」
思ったよりも強い声が出た。しかし、冰王の微笑みは微塵も崩れない。
突如ひりつき出した空気に、モニスは息を詰める。
「あなたが只人で無い事は、分かっているつもりだ。だが、それとは別の…」
眉間に更に力が加わる。
「ロイウェン皇ではない、『氷鏡』の…?」
康泰が感じ取ったのは魔皇の魔力である『氷鏡』なのだが、現魔皇の気配は感じず、複数の気配が混ざり合っている。
「さすがは『皇妃』の業を負う御方。幾重にも封印を施されているにも関わらず、よくぞお察しになられた」
皇の妃を躊躇いも無く『業』と称した冰王は、自身の喉元に手を添えた。
「我が身は『廟』。歴代の皇と妃の遺骸を封印せし『御陵』である」
冰王は言う。馮族は創り上げられたその瞬間から成すべき事が定められていたと。一族の繁栄でも、衰退でも、世界の循環でもない。
「待ってくれ。それは、俺が聞いても良い話か?モニスさんも居るが…」
「構わぬ。そこな天使族も問題無く。『皇』が許しを授けたゆえにの。まあなんだ、立ち話もなんじゃからそこに座るが良い」
ふいとモニスに目を向け、冰王はベッドの傍にある椅子に座るように勧めた。突如解けた緊張感に息を吐き、モニスはその言葉に従った。
冰王は康泰の正面に佇んだまま腕を組む。
「とは言え、特段長くなるような話でもない」
身構える康泰やモニスとは違い、寧ろ先程までよりも気を緩めているような雰囲気の冰王は康泰から視線を逸らして壁を見つめた。
そこに遠い過去を映し出す。
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