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続・聖女は魔王に嫁ぎます!
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そびえ立つ山の頂は、分厚い雲の向こう側だった。
下からは見ることのできない山頂からは、絶えず白い煙が噴き出している。
深い樹林におおわれた麓から山頂へ進むにつれて岩肌が目立ち、雲に覆われているすぐ下の山肌は赤く毒々しい色をしていた。
「本当にわたしの願いを叶えてくれるんでしょうね?」
ぞっと背筋の凍るような雰囲気を醸し出している高い山を前に、マディーは眉をひそめた。
隣ではマルベルと名乗った赤い髪の女が艶然と微笑んでいる。
聖なる森の奥――『悪魔の城』のそばにいたマルベルは、悪魔らしい。
驚くマディーを前に、マルベルは「願いをかなえてあげるわよ」と笑った。
半信半疑であったが、悪魔の城の扉が開かない限り、マディーが悪魔の生贄――もとい、魔王の花嫁になれるはずもなく、悪魔たちが暮らす魔界に連れて行ってくれるというマルベルの誘いに乗ることにしたのである。
「そうよ。この山の頂――、煮えたぎるマグマの中に、龍が封印されているの。しばらくおとなしかった山から煙が上がりはじめたから、封印はそろそろ解けるころだけど、封印を解くにはまだ少し足りないのよ」
「その龍とわたしの願いの何が関係するの?」
「あなたには龍の封印を解く助けをしてもらうわ。そのかわり、龍があなたの願いをかなえてくれるのよ」
マディーは胡乱気にマルベルを見上げた。
魔王の花嫁になりたいというマルベルの願いを、どうやって龍が叶えるというのだろう?
するとマルベルは、マディーの心の内を読んだかのように言った。
「あら、あなたには邪魔者がいるのではなくって? その邪魔者さえいなくなれば、魔王の妻の座はあなたのものになるのではないかしら? だって――、あなたは『その二人』よりもずっと優れた姫なのでしょう?」
マディーはハッとした。
そうだ。自分を差し置いて魔王の妻になった異母妹と異母姉。この二人が魔王の花嫁に選ばれたのは何かの間違いに違いない。この二人がいなくなれば、その間違いは自然と正されて、二人よりも優れている自分が選ばれるに違いないのだ。
王妃を母に持ち、誰よりも気高くあれと教え育てられたマディーが、側妃を母に持つ二人に劣るはずがないのである。
「つまり――、目覚めた龍に邪魔者を消してもらえばいいのね?」
マディーはニヤリと口端を持ち上げた。
「それで、龍を目覚めさせるにはどうすればいいの?」
マルベルは雲に覆われた山頂を指さして、答えた。
「山頂で説明するわ」
「来てくれて嬉しいわ、シェイラ!」
魔王の一人であるアズベール様の城に向かうと、五歳年上の姉のアマリリスが駆け寄ってきた。
地味な黒髪と黒い瞳のわたしと違い、まっすぐな淡い金髪に空色の瞳を持ったアマリリスは、わたしの自慢のお姉様よ。
そんなアマリリスは、つい半月ほど前にアズベール様に見初められて魔界にやってきた。
新婚夫婦の邪魔をしたら駄目かと思って、遊びに行くのを我慢していたんだけど、久しぶりに見る姉は人間界で暮らしていたときよりも生き生きとしているように見える。
アマリリスと一緒に、お茶会の用意がされている庭へと向かう。
ジオルドと一緒に来たんだけど、姉妹の語らいの邪魔をしてはいけないからと、アズベール様とともに席を外してくれたから二人っきり。
色とりどりのお菓子が用意されている席に着くと、アマリリスがはぁと物憂げなため息をついた。
「ねえ、シェイラは毎日何をしているの?」
「そうねぇ、本を読んだり、ジオルドとおしゃべりしたり、気まぐれにやってくる先生にお勉強を見てもらったりって感じかしら? どうかしたの?」
おっとりとアマリリスが頬に手を当ててもう一度ため息をつくさまを見て、何か悩み事かと思ったけど、姉の口から飛び出したのは「暇なのよ」という言葉。
「アズベールと一緒にいるのは幸せだけど、なんていうのかしら――、このままだと、自分が怠惰な人間になりそうで怖いのよね」
あー、その気持ちはわかるわ。
「悪魔って、暇がなにより尊いって感じで、とにかく、のんびりっていうのかしら? 一日お茶やお菓子を前にぼーっとしていることが多くって。この半月でわたし、絶対太ったと思うのよ」
うん、わたしも間違いなく太ったと思うわ。わたしの場合、塔で毎日粗食だったから、むしろ標準の体型に近づきつつあるって前向きにとらえているからそれほど深刻には考えていなかったけど、アマリリスには切実な悩みのようよ。
聞けば、毎日庭を歩き回って少しでも運動しようと頑張っているらしい。
塔の中で何もすることのない日々を暮らしてきたわたしと違って、お城で生活していたアマリリスにとっては「暇」は恐ろしく苦痛なのかもしれないわ。
「刺繍をしようと思ってアズベールに刺繍糸と針を頼んだら、自分で刺繍をしなくても完成品を用意してやると言って取り合ってくれないし、じゃあ、お菓子でも焼こうかしらって思ったら、火を使うのは危ないからってキッチンに入らせてくれないし、それならいっそ掃除でもと思ったら、魔王の妻が掃除なんてするものではないってたしなめられちゃうし、もうどうしていいやら」
あー……、アズベール様、このままだとアマリリスが臍を曲げちゃうわよ。
ジオルドも暇が美徳のような生活を送っているけれど、わたしがしたいと言ったことを止めるようなことはしない。おかげで暇だ暇だと思っているけれど、することさえ思いつけば暇をつぶすことはできるのよね。例えば庭師が花を植えているのを見て手伝いたいって言っても止められなかったし、ミントと散歩中にメイドたちが洗濯物を干しているのを見て手伝っても怒られなかったし。
ジオルドとアズベール様が、わたしたち姉妹が自由に会えるように移動魔方陣をそれぞれの城に用意してくれているけれど、アマリリスもわたしに気を遣って勝手に会いに来ないようにしていたらしいわ。
「シェイラお願いよ。週に一度でもいいわ。一緒にお喋りする時間を作ってくれない?」
アマリリスの提案には、もちろん異論はない。
わたしが頷くと、アマリリスがホッとしたように笑った――その時だった。
バサリと大きな音が響いたかと思うと、突然空が陰って、わたしは不審に思って顔をあげて――、息を呑んだ。
見上げた先に、大きな影があって――それは、つい先日読んだ龍の本の挿絵にあった龍そのものの姿だったからだ。
「見つけた――」
大地が震えるような声とともに、遠い空の上にいた龍が、滑空した。
下からは見ることのできない山頂からは、絶えず白い煙が噴き出している。
深い樹林におおわれた麓から山頂へ進むにつれて岩肌が目立ち、雲に覆われているすぐ下の山肌は赤く毒々しい色をしていた。
「本当にわたしの願いを叶えてくれるんでしょうね?」
ぞっと背筋の凍るような雰囲気を醸し出している高い山を前に、マディーは眉をひそめた。
隣ではマルベルと名乗った赤い髪の女が艶然と微笑んでいる。
聖なる森の奥――『悪魔の城』のそばにいたマルベルは、悪魔らしい。
驚くマディーを前に、マルベルは「願いをかなえてあげるわよ」と笑った。
半信半疑であったが、悪魔の城の扉が開かない限り、マディーが悪魔の生贄――もとい、魔王の花嫁になれるはずもなく、悪魔たちが暮らす魔界に連れて行ってくれるというマルベルの誘いに乗ることにしたのである。
「そうよ。この山の頂――、煮えたぎるマグマの中に、龍が封印されているの。しばらくおとなしかった山から煙が上がりはじめたから、封印はそろそろ解けるころだけど、封印を解くにはまだ少し足りないのよ」
「その龍とわたしの願いの何が関係するの?」
「あなたには龍の封印を解く助けをしてもらうわ。そのかわり、龍があなたの願いをかなえてくれるのよ」
マディーは胡乱気にマルベルを見上げた。
魔王の花嫁になりたいというマルベルの願いを、どうやって龍が叶えるというのだろう?
するとマルベルは、マディーの心の内を読んだかのように言った。
「あら、あなたには邪魔者がいるのではなくって? その邪魔者さえいなくなれば、魔王の妻の座はあなたのものになるのではないかしら? だって――、あなたは『その二人』よりもずっと優れた姫なのでしょう?」
マディーはハッとした。
そうだ。自分を差し置いて魔王の妻になった異母妹と異母姉。この二人が魔王の花嫁に選ばれたのは何かの間違いに違いない。この二人がいなくなれば、その間違いは自然と正されて、二人よりも優れている自分が選ばれるに違いないのだ。
王妃を母に持ち、誰よりも気高くあれと教え育てられたマディーが、側妃を母に持つ二人に劣るはずがないのである。
「つまり――、目覚めた龍に邪魔者を消してもらえばいいのね?」
マディーはニヤリと口端を持ち上げた。
「それで、龍を目覚めさせるにはどうすればいいの?」
マルベルは雲に覆われた山頂を指さして、答えた。
「山頂で説明するわ」
「来てくれて嬉しいわ、シェイラ!」
魔王の一人であるアズベール様の城に向かうと、五歳年上の姉のアマリリスが駆け寄ってきた。
地味な黒髪と黒い瞳のわたしと違い、まっすぐな淡い金髪に空色の瞳を持ったアマリリスは、わたしの自慢のお姉様よ。
そんなアマリリスは、つい半月ほど前にアズベール様に見初められて魔界にやってきた。
新婚夫婦の邪魔をしたら駄目かと思って、遊びに行くのを我慢していたんだけど、久しぶりに見る姉は人間界で暮らしていたときよりも生き生きとしているように見える。
アマリリスと一緒に、お茶会の用意がされている庭へと向かう。
ジオルドと一緒に来たんだけど、姉妹の語らいの邪魔をしてはいけないからと、アズベール様とともに席を外してくれたから二人っきり。
色とりどりのお菓子が用意されている席に着くと、アマリリスがはぁと物憂げなため息をついた。
「ねえ、シェイラは毎日何をしているの?」
「そうねぇ、本を読んだり、ジオルドとおしゃべりしたり、気まぐれにやってくる先生にお勉強を見てもらったりって感じかしら? どうかしたの?」
おっとりとアマリリスが頬に手を当ててもう一度ため息をつくさまを見て、何か悩み事かと思ったけど、姉の口から飛び出したのは「暇なのよ」という言葉。
「アズベールと一緒にいるのは幸せだけど、なんていうのかしら――、このままだと、自分が怠惰な人間になりそうで怖いのよね」
あー、その気持ちはわかるわ。
「悪魔って、暇がなにより尊いって感じで、とにかく、のんびりっていうのかしら? 一日お茶やお菓子を前にぼーっとしていることが多くって。この半月でわたし、絶対太ったと思うのよ」
うん、わたしも間違いなく太ったと思うわ。わたしの場合、塔で毎日粗食だったから、むしろ標準の体型に近づきつつあるって前向きにとらえているからそれほど深刻には考えていなかったけど、アマリリスには切実な悩みのようよ。
聞けば、毎日庭を歩き回って少しでも運動しようと頑張っているらしい。
塔の中で何もすることのない日々を暮らしてきたわたしと違って、お城で生活していたアマリリスにとっては「暇」は恐ろしく苦痛なのかもしれないわ。
「刺繍をしようと思ってアズベールに刺繍糸と針を頼んだら、自分で刺繍をしなくても完成品を用意してやると言って取り合ってくれないし、じゃあ、お菓子でも焼こうかしらって思ったら、火を使うのは危ないからってキッチンに入らせてくれないし、それならいっそ掃除でもと思ったら、魔王の妻が掃除なんてするものではないってたしなめられちゃうし、もうどうしていいやら」
あー……、アズベール様、このままだとアマリリスが臍を曲げちゃうわよ。
ジオルドも暇が美徳のような生活を送っているけれど、わたしがしたいと言ったことを止めるようなことはしない。おかげで暇だ暇だと思っているけれど、することさえ思いつけば暇をつぶすことはできるのよね。例えば庭師が花を植えているのを見て手伝いたいって言っても止められなかったし、ミントと散歩中にメイドたちが洗濯物を干しているのを見て手伝っても怒られなかったし。
ジオルドとアズベール様が、わたしたち姉妹が自由に会えるように移動魔方陣をそれぞれの城に用意してくれているけれど、アマリリスもわたしに気を遣って勝手に会いに来ないようにしていたらしいわ。
「シェイラお願いよ。週に一度でもいいわ。一緒にお喋りする時間を作ってくれない?」
アマリリスの提案には、もちろん異論はない。
わたしが頷くと、アマリリスがホッとしたように笑った――その時だった。
バサリと大きな音が響いたかと思うと、突然空が陰って、わたしは不審に思って顔をあげて――、息を呑んだ。
見上げた先に、大きな影があって――それは、つい先日読んだ龍の本の挿絵にあった龍そのものの姿だったからだ。
「見つけた――」
大地が震えるような声とともに、遠い空の上にいた龍が、滑空した。
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