無明ノ郷(むみょうのさと)

SNOW❄️

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第弐章 面の家(おもてのいえ)

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足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
霧は薄れたが、音が一切なかった。
まるで世界が呼吸を止めている。

篠原優希は周囲を見回した。
古びた民家が並ぶ
——いや、「並んでいた」と言うべきか。
家々の軒は歪み、壁が波打ち、
窓が斜めに沈んでいる。

まるで建物そのものが、
生き物のように呼吸しているようだった。

「……誰か、いませんか」

声が妙に遠くで反響した。
返事はない。だが、
一軒の家の障子がゆっくりと開いた。

そこから、ひとりの老婆が出てきた。

白髪を後ろで結い、
色褪せた着物を着ている。

顔は深い皺に覆われていたが、
目は妙に澄んでいた。

「……おかえりなさいませ」

老婆の声は、
まるで土の中から響くようだった。

「あなた、ずいぶん遅かったのねぇ」

優希は言葉を失った。
初対面のはずなのに、
その言葉はまるで“知っていた”かのよう。

「え、あの……俺、篠原優希っていいます。ここは——」

「無明の郷ですよ」

老婆は微笑んだ。
唇が動いたのに、声が少し遅れて聞こえた。
録音を再生しているように、半拍ずれていた。

「泊まるのでしょう? 中へどうぞ」

断る間もなく、
老婆は背を向けて
家の中へ入っていった。

躊躇いながらも、
優希はその後を追った。

畳の上は、ほこりひとつない。

なのに、
誰かが何年も暮らしている気配もない。

壁に掛けられた写真立ての中には、
顔の部分が白く塗り潰された
家族写真が並んでいた。

「ここは、昔……」

老婆が急に口を開いた。
「“面の家”と呼ばれていたところです。
村の者はみんなここで顔をもらうんです」

「顔を……もらう?」

老婆は頷いた。

「生まれた時には顔がない。
みんな同じ、のっぺらぼう。
だから、この家で“選ぶ”のですよ。
どんな顔で生きるかを」

優希は言葉を失った。
老婆の目が、
ゆっくりとこちらに向けられた。
その瞬間、背筋を凍らせるものを見た。

老婆の顔に、縫い目があった。

まるで別人の皮を、
上から貼りつけたような。

目尻から頬へ、耳の下まで、
糸が細かく通っている。

口元だけが、異様に若い。

「あなたも、すぐに選ばなくてはね」

優希が一歩退いた時、
背後の障子が閉まった。

部屋の空気が重くなる。

「顔を持たぬ者は、村にいられません。
——すぐに“面無し”になってしまうから」

その言葉と同時に、
奥の部屋から音がした。

かすかな呻き声。

そして、
壁の隙間から何かが覗いていた。

白い、のっぺりとした“顔”。
目も鼻もない。
だが、確かに笑っていた。

優希は後ずさりし、逃げ出そうとした。
その時、老婆の声が背後から響いた。

「優希……ちとせが、待ってますよ」

振り返ると、老婆の姿はなかった。
代わりに、
壁に掛けられた
一枚の写真が目に入った。

そこには、三年前に
失踪したはずの千歳が写っていた。

彼女の隣には、無表情の優希がいた。

——どちらも、
顔が貼りつけられたように
不自然に笑っていた。

そして写真の下には、
手書きの文字があった。

「ふたり、もうひとりになりました」

家中の時計が同時に動き出した。
チク、チク、チク……
どれも、逆回転していた。

優希は叫びもせず、ただ玄関へ走った。
外に出ると、
もう昼のはずの空が夜に変わっていた。

遠くで拍子木が鳴る。
——カン、カン、カン。

どこかで、誰かが祭りの笛を吹いていた。

その音に導かれるように、
優希は走り出した。

だが知らぬ間に、
背後の家々の窓から同じ顔が覗いていた。
すべて、のっぺらぼう。
そして、その全員が——

同じ声で呟いた。

「ゆうき、かえろう」
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