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事務所にて(前編)
しおりを挟む「朔ちゃんやん……朔ちゃんやーっ!」
「いやなんで俺!?」
櫂が開けた事務所の扉。
「おかえりー」と振り返ったKANの目に映ったのは、櫂の後ろに立つ朔良。その朔良の腕を掴んだままの櫂は、驚くKANの顔を見て少し得意げで、そんな櫂に、KANは飛びついた。
「朔良は後ろだからーっ!」
長い手足をジタバタさせKANを引き剥がしリビングへ逃げた櫂を、朔良は無言で追いかける。
「いや朔ちゃん! 言うことあらへんの!?」
「……特には……」
「なんでやーっ!!!」
半泣きのKANに、朔良は静かに笑った。
居酒屋のバイト帰り。
水音を聞きながら、料理の油と、酒と煙草と、入り混じる雑なニオイを綺麗に落とす。
「ケツも洗ってくる?」
そんな冗談を言う櫂を蹴飛ばして、朔良はシャワーを浴びた。
「朔ちゃんも今日泊まって行き。もう終電ないやろ。ここ着替えおいとくでな」
まだ何も話していない。
KANはいつも通り、世話を焼く。
ここで、どれだけの撮影が行われてきたんだろう。
男だけで運営されるこの事務所が、こんなにも整理され綺麗であるのは、KANの気遣いあってこそだろう。
わしゃわしゃとタオルで髪を拭きながら、KANの用意した甚平を着る。
「お、ええやん。それ、りっちゃんがデビューしたてのときに着たやつや」
「え、それ着ていいんすか」
「ええよ。ファンはみんな知っとるでなかなか使えへんねん」
濃紺の甚平を着て、朔良はソファに座る。そこには櫂が既に座っていて、ビールを片手につまみを頬張っていた。
「朔ちゃんも飲む?」
KANに手渡されたビールをプシュッと開ける。
コクリと、喉が鳴る。
「えっと……」
来たからには、何か言わなければならない。
でも、何を話せば良いか、朔良はわからなかった。
そもそも何か心を決めたからここにきたわけではなくて。言うべきことが、思い浮かばない。
「朔ちゃん、もうカラダは大丈夫なん?」
「もう……大丈夫です」
「ごめんなぁ……」
「だからなんでKANさんが謝るんですか」
「んー、どうにかしたかってん……でもやっぱりできひんねんなぁ」
「KANさんのせいじゃないじゃないすか」
ダイニングに座り、KANは同じようにビールに口をつける。
「……あっちの撮影でな、何人もモデル辞めとんねや」
「なんか……わかる気がします」
「でもなぁ、辞めて欲しくないねん」
「じゃぁ……なんであの撮影に俺を出したんすか?」
「あっちが普通やねん。あの撮り方も。あれはキツい撮影やったけど、でもプロセスを大事にするココの撮り方とは違う」
「あっちのモデルは、辞めないんすか?」
「辞めんで」
「え?」
ポリポリとナッツを噛む音が、櫂から響く。
「使い捨てやねん」
「使い捨て?」
「モデルも、長くやろうなんて思っとらん子が殆どや。同じ子が出続けても、ファンも飽きるしな。こっちの子らは長い方やねん。年単位でやってんねやから。でも、あいつらまだ引退させるには早いねん。まだまだやれる。こっちのファンは固定ファンが多いで、辞める必要ないねんや」
「そもそも、考え方が違うんですね」
納得したように朔良は、グビグビッと酒を流し込んだ。
「なぁなぁー、撮影だったの?」
静かに聞いていた櫂が、突然声を上げた。
「え?」
「んや、俺話見えんからさー、喧嘩でもしたのかと思ってたー」
「だから喧嘩って、子どもか! こないだ櫂もやったやろ? あっちの撮影」
「あーー、だから元気ないの?」
「別に元気なくないし」
「朔良またムキんなってるー」
朔良の反応に、櫂がケラケラと笑う。
その反応に苛立ちつつも、櫂も経験したという言葉に朔良は、少し心が軽くなる自分を感じた。
「そうだよなー撮影の仕方も違うし、とりあえずスタッフが冷たいし。モデルは優しかったけど」
ビールをカタンとローテーブルに置き、櫂は身を乗り出した。
同じだ、同じ思いを、櫂もした。
「櫂はどんなんやったの?」
櫂がどんな経験をして、どんな思いでいるのか。
「え? きく? エグかったよマジ」
「なに?」
「2本挿し」
「は?」
「エグいでしょ、マジやばかった」
「え、挿したの? 挿されたの?」
「挿されたんだって、キレたよケツ」
「マジで!? エグっ! つーか入るの?」
「え、朔良は?」
「5人にまわされた」
「マジで!? それもキツー!」
相変わらず櫂はケラケラ笑っている。
そんな櫂につられるように朔良も笑みが溢れ、それをKANが安心したように見つめている。
KANが心配しているのはわかっていた。
「あのモデルさー……」
「渉?」
「んや、あいつはムカついただけ……あいつ以外」
「あぁ、怖かったやろ?」
「最中は本気でムカついたけど、カットかかると優しくてさ、プロだなぁと思った……だけ」
「あの人ら、ホンモノやねん」
「ホンモノ?」
「ゲイなんよ。あの子ら」
「は?」
撮影中は本気でムカついた。
終わったらキレて殴りかかりそうなくらいに。
カットがかかった瞬間に、真っ先に謝る彼らは、撮影用にあの顔をして、あの行為をしていたのだと思うと、プロとしか思えなかった。
「あっちの部署はゲイの子多いで。顔出ししとる子もおるし」
「え、マジで!? 俺が相手した奴も?」
「多分そうやと思うで」
「えーマジかー」
櫂も同じく驚きの声を上げる。
知らされずにやることが多い、この仕事。
いや、セクシャルな部分を告白してから仕事をする必要はないだろう。
「ちなみに俺もそっち側やで」
「へ?そっち側って……」
「ゲイってこと」
「え……」
さらりと、KANが言った。
いつもモデルの世話係のように、忙しなく動いているKAN。今も同じように、事務所の散らかったビールの缶やつまみのゴミを片付けながら。ガサガサとゴミ箱にゴミを投げ入れて、食器を洗いながら。
水音がジャージャーと流れる音が、そこに響く。
「わからんかった?」
「わかんないすよ、しかもそんなさらっとカミングアウト?」
「隠してもしゃーないやん」
隠してもしゃーないと言いながら、今度はハハっと乾いた声を出して、笑った。
今まで、そんな奴らがいたのだろうか。
自分の周りにも。
所謂、LGBT というヤツ。
テレビやネットで最近よく耳にする。特にソレに対して偏見はない、と思っている。が、今目の前にそれを告白された朔良は、なんと答えたら良いのか、わからなかった。
「そーなんだー。え、それってさー、女が裸で寝とってもなんも思わないの?」
なんと反応したら良いか悩んでいた朔良の隣から、櫂はあっけらかんとした声を出した。その顔は瞳をキラキラ輝かせていて、子供のようで。
「櫂、興味津々やな」
「だって周りにいないし!」
「せやな、女に対してはなんとも思わないかなぁ」
「え、俺らの絡みはどんな感じで見てんの?」
「え、それは単純に仕事やん」
「AV見てる感じにはならないの?」
「んーならんなぁ。アンタたちの作品はそーゆー目では見れへん」
「へぇープロだな~」
「そーゆー目で見てしまうからこの仕事できんって人はいるかもしれへんけどな」
朔良は、あっけらかんと話す櫂の言葉を聞きながら、自分の心が整理されていく気がした。
ゲイに対する偏見があったわけではない。
差別的感情があったわけではない。
でもそれ以上に、その人たちに対して、なにも考えてこなかったんだろうと、思った。
「櫂はすごいな」
コクリとビールを飲みながら、朔良は呟いた。
「なにが?」
「そのキャラ好きだわ」
「え、もう1回言うけどさ、朔良もそっちなん?」
「ははっ」
「否定せぇへんのかぃ!」
ここにいると、よく笑う気がする。
こんな世界。
に、夢を見た自分への苛立ち。
こんな世界があることを知って、たった数ヶ月。
その現実を知った自分の苛立ちが、少しだけ軽くなる。
やっぱりここの人たちは、あたたかい。
でも、あの現実を、自分は乗り越えられるのだろうか。結局は、あれが現実。
「俺、編集あるであっちの部屋おるで、飲みすぎんなや。アンタら一応未成年やから」
「はーい」
朔良と櫂は、ソファの背もたれにしなだれかかりながら静かに話した。
「なぁ櫂、俺さ、まじ無理かもと思った」
「この仕事? 俺もだよ」
「てか今も思ってる」
「俺もそんな話、SUUさんとした」
「え、辞めんの?」
「ううん。辞めん、辞めるのはいつでもできる」
「かっこいいな……」
「多分……SUUさんたちが守ってくれるて」
守ってくれる。
そんな言葉、言われたことなんてない。
もちろん、言ったこともない。
その言葉がズシンと心に響いて、朔良は櫂を見上げた。ソファにしなだれかかり、トロンとした瞳をこちらに向けた櫂は、いつもと少し違う。
なにが違うのだろう。
あぁ、風呂上がりの、髪をセットしていない櫂だから、少しいつもより幼く見えるんだ。
そう気づいて少し、心臓の動きが速くなるのを感じた。
なんだろう。
なにに俺の心は、反応しているのだろう。
そんな心の戸惑いを、朔良は自覚せざるを得なかった。
「朔~辞めるとか言うなよぉ~?」
櫂は甘えた声を出し、今度は朔良にしなだれかかった。
「え、ちょっと櫂、酔いすぎじゃねぇ?」
慌てた朔良は櫂から逃れようと身体を捩るが、長い腕に抱きしめられて逃れられない。
「なんだよぉ~あんなことした仲だろぉー?」
「え、いきなりそーゆー感じ? なんなん?」
「朔良がいてよかった……」
櫂は小さくそう言って、そして、「もう眠い……」と呟き全身の力を抜いた。
「え、重っ!」
ズシンとのしかかる櫂の体重に、抗うのを辞めた。
高鳴る鼓動に違和感を覚えながら朔良は、そっと櫂の髪に触れた。
仔犬みたい。
櫂のそのセットされていないふわふわの髪を撫でながら、朔良もカラダの力を抜いた。
・
「あんたら、なんなんよ?」
その声に、朔良はうっすら目を開けた。
そこには、カメラ片手のKANが立っていて。
「モデル同士の恋愛はOKやけど申告してなー? カメラ渡すで、ちゃんと撮影しといてや」
意味が分からなくて。
全身が、痺れているような気がして。
ふと隣を見ると、まだ夢の中の櫂は、朔良の腕にギュッとしがみつき、静かに寝息を立てている。
「そんなピッタリ抱き合っちゃって」
いつのまにか朝になり、眩しい光が、ふたりを照らす。
そんな眩しさの中に在る、目の前の櫂の寝顔にまた、朔良の心臓は音を少しだけ、高くしたような気がした。
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