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蒼き鎧
五
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「明日で決まるな」
蒼い暮靄が東垣の背後にある山々の稜線をなぞる頃、廉頗は八陣と入れ替えで九陣を進撃させた。意気揚々と一万の趙兵が、東垣の塞へと向かっていく。
(中山王は真に愚かな男だな)
恐らく公子董が抱える軍勢が、今や中山で一番の練度を誇るだろう。
幾度もの逆境に立たされ、実戦が彼等に進化を齎した。
昼夜問わずの十一日間にも及ぶ、攻勢をよく一万の兵だけで耐えてみせた。その忍耐力は賞賛にすら値する。本来、救援の可能性が皆無と分かった今、これほど早く勝負を仕掛けることはなかった。
霊寿に放った間者は、中山王は公子董に援軍を送る気配はないと報告を上げてきた。むしろ、自身が籠る霊寿の防禦は、地方軍を搔き集めて強固なものに仕上げているという。
だが、心は逸っていた。あの先に楽毅がいるのだと思うと、巡る血潮が灼熱と化す。
塞内は悲痛な声で満たされていた。営舎には怪我人で溢れ、面する広場には戦死した兵士達の屍が累々と並んでいる。その中には、少年兵三十名の遺骸も含まれている。蒼い具足を返り血で赤に染めた、楽毅は「すまない」と頭を下げた。
董を慕い、避難せず東垣に残った民達までもが武器を執る。今日で終わる。誰もが救いのない事実を胸に秘めていた。だが、誰一人として弱音を吐くことはしない。
趙兵が再び猛撃を仕掛けてきた。雲梯が城壁にかかる。衝車が城門を砕いた。雪崩れ込んでくる。
「戦え!まだ終わってはいない!」
董自ら、剣を振るい雪崩れ込んでくる趙兵を迎い討つ董を守る衛兵達が、戦功に逸る趙兵に次々に討たれていく。
「殿下!」
楽毅は歩墻の上から、董を囲む趙兵に矢を放つ。半呼吸にして五射。
「来い!司馬炎!魏竜!」
「おう」
掛け声と共に、三人が抜刀。階を駆け下り、董の元へ。 肉の壁を切り崩し、董の元へ。
「楽毅‼」
董の綺麗な顔は、血で朱に染め上がっていた。
「俺の後ろへ」
三人で董を囲み、豺狼の如く、餓えた眼を向ける趙兵に剣尖を向ける。
「拙いよ。楽毅」
弱音と共に魏竜が眼の前の敵を斬る。
「うるせぇ。黙って手を動かせ」
司馬炎は気炎を吐きながら、三人の敵を一息で斬り伏せた。
百人あまりの趙兵が円となる。
「くっ」
心身共に限界を超えていた。腕は鉛のように重く、肺腑は裂けんばかりに痛む。
視界は狭窄し、思考は霞がかっている。
何か手はないかと、思考の霞を振り払おうともがくも、絞り出せるのは虚無である。
「楽毅。もう良い。私が素直に投降すれば、お前達の命はー」
「嫌です!」
楽毅は涙を流し、声を張り上げた。
「最期まで、俺は殿下を守る勇者でありたいのです!」
たとえ志半ばで斃れようと、あの夢寐に見た、美しき大鵬に恥じない、死に方をしたい。
(そうさ。賜った具足と鎧の蒼さのように、清き志を抱いたままに)
「楽毅…」
刹那。全身を差すような、強い痛痒を覚えた。
「どけ!お前等」
円が割れる。傲然と矛を携え、現れる巌のような男。
「廉頗」
にやりと廉頗が嗤う。
「おう」
まるで旧友のように、さらりと手を挙げる。
廉頗がわざとらしく、周囲を見渡す。蝟集する趙兵達。中山兵の姿は屍以外、見当たらない。
「楽毅。賭けをしよう。一騎討ちでお前が俺に勝てば、公子にも手を下さず、東垣の生き残りごと見逃してやる」
「何?」
「つまり、東垣から退いてやるって言ってるんだよ」
思考が停まる。
「莫迦な」
「だが、お前が敗ければ、大人しく趙に降ってもろう。勿論、東垣の連中は公子を含めて皆殺しだ。じゃねぇと、賭けが成立しねぇからな」
「正気か?あんた」
「おう」
廉頗の眼は据わっている。奇妙な男だが、嘘を言っているようには思えない。
「あんたに何の得がある?」
「得?そんなもん、一つしかねぇだろ。お前と死合うことで愉悦に浸ることができる」
理解した。この男は徹頭徹尾、武人としての自矜を貫いている。幾らか偏ってはいるがー。だが、今は彼の偏った自矜が有難い。俺が勝てば、董を守ることができる。
「分かった」
「おい」
魏竜と司馬炎が制する。
「大丈夫。あいつは嘘をついていない」
董に向き直る。
「俺なら大丈夫ですから」
「楽…」
董の制止を覚悟で振り切る。
剣に付着した、血潮を振り払う。
「おいおい。そいつじゃねぇだろ」
廉頗は髪に隠れた、右耳を指した。耳翼だけを残した、歪な耳が露わとなる。
「ほら」
趙兵から槍を一本受け取り、楽毅の足許へ投げる。穂先を蹴り上げ、槍を掴むと、柄を半分の長さに叩き折り、扱いやすい長さに整えた。
廉頗は此方の心機が整うのを、闘志滾る眼で睨み付けている。
蒼い暮靄が東垣の背後にある山々の稜線をなぞる頃、廉頗は八陣と入れ替えで九陣を進撃させた。意気揚々と一万の趙兵が、東垣の塞へと向かっていく。
(中山王は真に愚かな男だな)
恐らく公子董が抱える軍勢が、今や中山で一番の練度を誇るだろう。
幾度もの逆境に立たされ、実戦が彼等に進化を齎した。
昼夜問わずの十一日間にも及ぶ、攻勢をよく一万の兵だけで耐えてみせた。その忍耐力は賞賛にすら値する。本来、救援の可能性が皆無と分かった今、これほど早く勝負を仕掛けることはなかった。
霊寿に放った間者は、中山王は公子董に援軍を送る気配はないと報告を上げてきた。むしろ、自身が籠る霊寿の防禦は、地方軍を搔き集めて強固なものに仕上げているという。
だが、心は逸っていた。あの先に楽毅がいるのだと思うと、巡る血潮が灼熱と化す。
塞内は悲痛な声で満たされていた。営舎には怪我人で溢れ、面する広場には戦死した兵士達の屍が累々と並んでいる。その中には、少年兵三十名の遺骸も含まれている。蒼い具足を返り血で赤に染めた、楽毅は「すまない」と頭を下げた。
董を慕い、避難せず東垣に残った民達までもが武器を執る。今日で終わる。誰もが救いのない事実を胸に秘めていた。だが、誰一人として弱音を吐くことはしない。
趙兵が再び猛撃を仕掛けてきた。雲梯が城壁にかかる。衝車が城門を砕いた。雪崩れ込んでくる。
「戦え!まだ終わってはいない!」
董自ら、剣を振るい雪崩れ込んでくる趙兵を迎い討つ董を守る衛兵達が、戦功に逸る趙兵に次々に討たれていく。
「殿下!」
楽毅は歩墻の上から、董を囲む趙兵に矢を放つ。半呼吸にして五射。
「来い!司馬炎!魏竜!」
「おう」
掛け声と共に、三人が抜刀。階を駆け下り、董の元へ。 肉の壁を切り崩し、董の元へ。
「楽毅‼」
董の綺麗な顔は、血で朱に染め上がっていた。
「俺の後ろへ」
三人で董を囲み、豺狼の如く、餓えた眼を向ける趙兵に剣尖を向ける。
「拙いよ。楽毅」
弱音と共に魏竜が眼の前の敵を斬る。
「うるせぇ。黙って手を動かせ」
司馬炎は気炎を吐きながら、三人の敵を一息で斬り伏せた。
百人あまりの趙兵が円となる。
「くっ」
心身共に限界を超えていた。腕は鉛のように重く、肺腑は裂けんばかりに痛む。
視界は狭窄し、思考は霞がかっている。
何か手はないかと、思考の霞を振り払おうともがくも、絞り出せるのは虚無である。
「楽毅。もう良い。私が素直に投降すれば、お前達の命はー」
「嫌です!」
楽毅は涙を流し、声を張り上げた。
「最期まで、俺は殿下を守る勇者でありたいのです!」
たとえ志半ばで斃れようと、あの夢寐に見た、美しき大鵬に恥じない、死に方をしたい。
(そうさ。賜った具足と鎧の蒼さのように、清き志を抱いたままに)
「楽毅…」
刹那。全身を差すような、強い痛痒を覚えた。
「どけ!お前等」
円が割れる。傲然と矛を携え、現れる巌のような男。
「廉頗」
にやりと廉頗が嗤う。
「おう」
まるで旧友のように、さらりと手を挙げる。
廉頗がわざとらしく、周囲を見渡す。蝟集する趙兵達。中山兵の姿は屍以外、見当たらない。
「楽毅。賭けをしよう。一騎討ちでお前が俺に勝てば、公子にも手を下さず、東垣の生き残りごと見逃してやる」
「何?」
「つまり、東垣から退いてやるって言ってるんだよ」
思考が停まる。
「莫迦な」
「だが、お前が敗ければ、大人しく趙に降ってもろう。勿論、東垣の連中は公子を含めて皆殺しだ。じゃねぇと、賭けが成立しねぇからな」
「正気か?あんた」
「おう」
廉頗の眼は据わっている。奇妙な男だが、嘘を言っているようには思えない。
「あんたに何の得がある?」
「得?そんなもん、一つしかねぇだろ。お前と死合うことで愉悦に浸ることができる」
理解した。この男は徹頭徹尾、武人としての自矜を貫いている。幾らか偏ってはいるがー。だが、今は彼の偏った自矜が有難い。俺が勝てば、董を守ることができる。
「分かった」
「おい」
魏竜と司馬炎が制する。
「大丈夫。あいつは嘘をついていない」
董に向き直る。
「俺なら大丈夫ですから」
「楽…」
董の制止を覚悟で振り切る。
剣に付着した、血潮を振り払う。
「おいおい。そいつじゃねぇだろ」
廉頗は髪に隠れた、右耳を指した。耳翼だけを残した、歪な耳が露わとなる。
「ほら」
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