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4 克実の話 後半
しおりを挟むある時、俺は居間で勉強していて、晋也さんは姉を迎えに家に寄ったところだった。姉はまだ帰ってきておらず、麦茶だけ出して俺は勉強を続けていた。
「克実くんは何か悩みとかないの? お姉さんには言えないような」
ふと晋也さんが俺にそう言った。晋也さんは小遣いの心配をしたのだと後で知ったが、その時はそんなこと思いもよらなかった。
「そうですね、クラスメイトの話してる内容がわからない時があって……」
「え、どんな?」
頼ってもらえると思った晋也さんは、俺の方に身を乗り出した。
「あの、『週に何回オナるか?』って話になったんですけど……」
晋也さんは目を見開いてかたまった。俺は、何か間違えたかと必死になって言葉を続けた。
今思えば相当困っただろうとわかる。中学から姉と二人暮らしだった俺は、朝にパンツが汚れてるのも、保健で勉強した範囲でしか知らなかった。そんなもんだろうと思っていたのだ。
「オナるって何のことだかわからなくて。おかずはスマホで用意するって話もしてて、でも俺スマホ持ってないから……でも姉さんに相談したら、スマホ持たせてあげれないって気にしちゃうから、相談できなくて……」
俺の言葉の途中から、晋也さんは額に手をあてて難しい顔をしていた。
俺は必死で言葉を続けていたが、晋也さんは難しい顔のままだった。
「あっ、あの……俺、何かまずいこと言ったかな……? わかんないけどわかんないって友達に言うのも恥ずかしくて……知ってる振りして適当に相槌打ってたんですけど……」
はーっと息を吐いた後、晋也さんはしばし考え込むように畳の縁を指でなぞって、意を決したように俺を見た。
「オナるって、オナニーのことなんだけど、そこはわかる? えーと、マスターベーション……自慰のことなんだけど……」
言いながら、晋也さんは顔を真っ赤にして、自分のスマホを操作して、ネット辞書の画面を見せてくれた。
「マスターベーション……自慰……ひとりエッチ……」
晋也さんのスマホの画面を見ながら、俺は顔が熱くなっていくのがわかった。
「あっ……あの、晋也さん……ごめん。俺、本当に知らなくて」
俺は動揺して、晋也さんの方が見られなくてうつむいたが、晋也さんはフッとちょっと笑った。
「知らなかったのはわかるよ。知ってたらこんなこと克実くんは言わないでしょ? 友達に適当に相槌打ったって言ってたけど、とんでもないこと言ってなかった? 大丈夫だった?」
そう言われて、俺は思い返す。
「おかず聞かれて……俺はおかずなしでいけるって。だってごはんがあれば何とかなるから……」
俺が言うと、晋也さんは面白そうに笑った。
「おかずっていうのは、エッチなことを考えるための材料っていうか……スマホでエッチな動画見ながらって人もいるし、エッチな写真とか……好きな人のことを考えながらって人も……」
たどたどしく、説明してくれる晋也さんに俺は顔を覆った。
「あー! 俺、何もなしでエロいことできるって言っちゃったってこと?」
顔を覆った俺に、晋也さんはおかしそうに笑う。俺は笑う晋也さんにむくれて、晋也さんにいじわるな質問を投げた。
「晋也さんのおかずは、姉さんなの?」
ちょっとふざけたつもりだった。そんなの「うん」って言えるわけないって知ってた。だって晋也さんはそういう人だから。わかってて聞いた俺のいじわるに、晋也さんは思った以上に過剰な反応をした。俺を見つめて、全身から血の気がなくなり青ざめた晋也さんの顔は、思ったより雄の顔をしていた。
「それ、本当に聞きたい?」
晋也さんはじっと俺を見つめた。
「僕の最近のおかず、君なんだ」
俺は目が逸らせずに晋也さんを見返していた。顔色は悪いのに真剣にこちらを見る目は強い。
「ごめん。克実くん、君に会ってから僕は君のことしか考えられなくて……好きになっちゃいけないと思ったけど、そういう時に考えるのが君になってしまって、だから……」
カターンと座卓に置いていた麦茶のグラスが倒れた。俺が引っ掛けてしまったのか、座卓に膝があたってしまったのかもしれない。
「あっ、プリント!」
慌てて避けたら、ズボンが濡れた。慌てた俺と一緒に慌てて、とっさに台布巾をもった晋也さんが固まる。俺の股間は、晋也さんに告白された時から硬くなっていた。
「あ、俺……何でかな」
晋也さんに見られていることを意識してしまうと、頬が熱い。オロオロしていた俺は、晋也さんのも硬くなっていることに安堵する。
「晋也さんも同じ……」
勃ってしまったのは生理現象で気にすることはないと晋也さんは苦笑した。君が可愛いからだよと言いながらも、まなざしは真摯で、真剣に俺と向き合ってくれているのがわかった。
「克実くん、それ……こういう時に、オナるんだよ」
「俺、やったことない。しばらくすればおさまるから」
「それだと、朝しょっちゅう大変なことにならない?」
おかずにしていると言いながらも、心配する瞳に下心は感じなかった。
晋也さんは俺が夢精しないように、ひとりエッチの仕方を教えてくれた。
そして、晋也さんは本当に真面目な人だったのだ。馬鹿正直に姉に話したようだった。
姉は泣いた。
泣いて泣いて、姉はそれでも晋也さんと結婚すると言い張った。晋也さんは姉を無碍にできず、俺は晋也さんの気持ちに応えることはできないと姉にも言ったため、二人は付き合いを継続した。
しかし、晋也さんは姉に対する罪悪感から、姉に対して欲情することがなくなったらしい。その頃から姉は少しおかしくなった。
子どもが欲しい、子どもがいれば結婚できると思っているようだった。勃たない晋也さんとでは病院で治療でもしないと無理なのに、どうしても子どもが欲しいという意識だけが強くあるようだった。
夜中に目が覚めると、姉が俺を覗き込んで俺の上にいることがあった。怖かった。
けれど、俺には姉を突き飛ばすことも、誰かに相談することもできなかった。
そして、姉は「晋也さんとの子どもができたから結婚する」と言った。
晋也さんはその段階でようやく姉がどうなったか、そして、どうしたかに気づいたようで、俺の前で泣き崩れた。泣きながら自分のせいでと俺に謝る晋也さんと、にこにこ笑っている姉を見ているだけで、俺は何も言えなかった。
姉は譲らなかった。
結局晋也さんは俺のことを考えて、姉と結婚するのが一番良いのではないかと言ってくれた。
俺は二人に何も言うことができなかった。
結婚式、幸せそうに微笑む姉に反して、晋也さんは地獄だったと思う。
かろうじて笑顔を作っていたが、俺から見たら、その顔はプリントアウトして糊で貼りつけた幸せの表情だった。俺は笑顔で二人に「おめでとう」と言った。そうでなければ姉は壊れてしまうと思ったから。いや、もう全員壊れていたのかもしれない。
子どもができたことも知っている人は知っていて、「おめでとう」と声をかけられていた。みんなから祝われ、晋也さんは相当まいってしまったのだろう。結婚式の夜、姉が疲れて寝てしまった後に、ボソリと何かをつぶやいて、俺のことを抱きしめた。その言葉は聞こえなかったが、俺は「ごめん」かなんかだと思っていた。聞き返すこともできず、俺は晋也さんの肩をポンポンと叩いた。
死ぬなんて思わなかった。
俺は涙も出なかった。
どこか他人ごとのように遠くで感じていた。
晋也さんの部屋の布団に入りながら、俺はこの天井を晋也さんが毎日見ていたことを思った。
その時だった。
ギシッ、ギシッと足音が聞こえ、階段から廊下へ誰かが二階へ上がってきたようだった。廊下を移動する足音が、奥にくるのがわかり、俺は身を縮めた。
襖の向こうで足音は止まった。
いつまでも、声はかからなかったし、襖も開かなかった。
◆ ◆ ◆
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