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三流一流と出会う
第五話 こんなはずじゃなかった
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江戸の郊外へと続くこの道なりには茶屋などはない。
ただ田んぼと畑の景色が延々と続くというのに、この道だけは、昼も夜も人の往来が絶えない。
と言っても、歩いている大半は男である。
それもそのはず。
あぜ道の先にあるのは、男たちの桃源郷であり。
女たちの牢獄。
――――吉原なのだから。
出入口は山側に1か所のみ。
男たちにとっては、桃源郷の入口は女たちにとっては、一度中へと入れば次に出れるのは、死んだときか、年季が開けたときかの地獄の門だった。
なぜなら吉原は、周りをぐるりと囲むように、遊女たちが逃げ出せないようにと幅5間にもなるお歯黒溝に囲まれているからだ。
5間ものお歯黒溝は幅もそうだが、一度落ちれば自力でのぼることがかなり困難なほど深い。
このあぜ道の先にそんな女たちの牢獄があるというのに、ここをたまに通る少女たちの顔は明るい。
理由は簡単、連れてこられる少女の多くは、自分たちがどこに、何のために売られたのかをまだ知らないからだ。
不作の年には、遠方の農村部からここに閉じ込められるとは知らない少女たちが、半分物見雄山をしながら逃げ出すなら今が最後という時を悟られぬように実に楽し気に連れてこられる。
だが地獄の門をくぐったが最後。
愛想のよかった案内人の態度はがらりと一変し、すぐに服をひん剥かれどこの店に行くかの売り買いが始まる。
そんな少女たちのように、これから吉原にぶち込まれるとも知らずに、脈は速く少々急ぎ足で提灯を片手に吉原へと続く道を歩く少年がいた。
総司である。
まるで物見雄山にさせてもらい、これだけ大事にされるのだからさぞいい丁稚奉公先に紹介されるのだろう疑ってなどいない少女のように、総司の顔は緊張と少しの期待に満ちていた。
「吉原は知っていますか」
「も、もちろん。これでもいちおう男ですから」
総司は緊張を悟られぬようにすました顔をしていたが、世もや自分自身がそこに太夫としてぶち込まれるなど考えもしていなかった。
だって、総司は男としては華奢ななりだが、男性としての一物はちゃんと股の間にあったのだから。
だから、てっきり詐欺は死罪ということもあって。
まだ女を知らず、男になっていない総司に、そういう場を戦場に出る前に用意してくれているのだと都合よく考えていたのだ。
夜だというのに、吉原は明るい。
吊り下げられた赤の提灯がいくつも並び、店を照らす。
どこにこんなに人がいたんだというくらい、中は活気に満ちていた。
どこからか聞こえる三味線と鼓の音。
かぎなれない、おしろいとお香の香りと呼び止める女の高い声に思わず胸が高鳴ってしまう。
夜だというのに、提灯を片手に歩く人の多いこと多いこと。座頭からはぐれないように、総司は街の様子を見るのもそこそに進む。
それでも、夜にも関わらず活気のある街並みに思わずつぶやいてしまう。
「すげぇ」と。
「派手でしょう。ここで一晩で使われる金額は計り知れません。女を買えもしないのに来ている客も大勢いるんですよ」
総司のはしゃぎように、座頭はクスっと笑った。
「吉原はね。男たちに夢を売るんです。その代わり女たちは、女にいいところを見せようとする見栄をくすぐり大きな金を引っ張る――――君もその一員になるというわけです」
「へ?」
あれよあれよという間に連れてこられたのは、大店。
しかし、入るのは表口からではなく裏口からだった。
妙に手足の長い禿げ頭の爺さんは、あたりを見渡し、そして総司の顔を見るなり、『嘘だろう』とつぶやき天を仰いだ。
「あの、俺。なんでもやります」
この手足のながい爺さんは座頭の仲間だとわかった、俺は必死にそういって頭を下げた。
女を抱けるなどと思いあがってしまった自分が恥ずかしい……これまでの教養はこんな大店で下働きするためのものだと思っていたのだ。
その時までは……
「彼もそういっておりますから、さっさと準備をしてしまいましょう。ちゃんと準備は整っていますか?」
「お前さんのせいで1年もここで準備する時間があったからな。それにしても、今回は流石に無理じゃないか?」
「出来を見てから言ってほしいですね」
あれよあれよと今に、部屋に通されたと思えば、総司は服を着替えるように言われて、てっきり下働きの服だと思ったのだけれど……うんざりとした顔で着付け出したくも爺が総司に長じゅばんを羽織らせたことで、おかしいと総司が口を開いた。
「これ、どういう……」
それもそのはず、いつも袖を通すものとは違い絹地の襦袢は明らかに肌触りが違ったからだ。
「ほれほれ、時間がないんじゃから」
その迫力に押し黙るものの、その上に羽織らされたのは明らかに女ものの薄い藤色の衣。
そして、仕込まれた芸の数々……
総司は自身がどういう立場なのかをようやく悟った。
「こんなの聞いていない!? 俺は男だ」
「知っていますよ。だから君を選んだんですよ。男嫌いな君は絶対男になびかないし、惚れない……そうでしょう?」
「嘘だろ?」
「話し方に気をつけなさい。吉原に一歩踏み込んだ時からもう始まっているんですから。それではお手並み拝見といたしましょうか」
「お手並み拝見って……」
茫然とする総司を残して、座頭はさっさと後にしてしまったのだ。
「嘘だろう!?」
どうすんだよと、くも爺をみると、くも爺は困った顔をした後総司にこう言ったのだ。
「男だとばれればただでは済まない。少なくない金が動くからなぁ。さぁて、今亭主を連れてくるから、がんばるんじゃぞ」
「おい、がんばるんじゃぞじゃない!? おいってば」
場所が場所故に声を落として呼びかけたのが悪かったのか、くも爺はさっさとふすまを占めて行ってしまった。
そのため。
遊郭の一室で、真っ青な顔をして、ガチガチを奥歯を鳴らしながら、震える女郎が一人残された。
ただ田んぼと畑の景色が延々と続くというのに、この道だけは、昼も夜も人の往来が絶えない。
と言っても、歩いている大半は男である。
それもそのはず。
あぜ道の先にあるのは、男たちの桃源郷であり。
女たちの牢獄。
――――吉原なのだから。
出入口は山側に1か所のみ。
男たちにとっては、桃源郷の入口は女たちにとっては、一度中へと入れば次に出れるのは、死んだときか、年季が開けたときかの地獄の門だった。
なぜなら吉原は、周りをぐるりと囲むように、遊女たちが逃げ出せないようにと幅5間にもなるお歯黒溝に囲まれているからだ。
5間ものお歯黒溝は幅もそうだが、一度落ちれば自力でのぼることがかなり困難なほど深い。
このあぜ道の先にそんな女たちの牢獄があるというのに、ここをたまに通る少女たちの顔は明るい。
理由は簡単、連れてこられる少女の多くは、自分たちがどこに、何のために売られたのかをまだ知らないからだ。
不作の年には、遠方の農村部からここに閉じ込められるとは知らない少女たちが、半分物見雄山をしながら逃げ出すなら今が最後という時を悟られぬように実に楽し気に連れてこられる。
だが地獄の門をくぐったが最後。
愛想のよかった案内人の態度はがらりと一変し、すぐに服をひん剥かれどこの店に行くかの売り買いが始まる。
そんな少女たちのように、これから吉原にぶち込まれるとも知らずに、脈は速く少々急ぎ足で提灯を片手に吉原へと続く道を歩く少年がいた。
総司である。
まるで物見雄山にさせてもらい、これだけ大事にされるのだからさぞいい丁稚奉公先に紹介されるのだろう疑ってなどいない少女のように、総司の顔は緊張と少しの期待に満ちていた。
「吉原は知っていますか」
「も、もちろん。これでもいちおう男ですから」
総司は緊張を悟られぬようにすました顔をしていたが、世もや自分自身がそこに太夫としてぶち込まれるなど考えもしていなかった。
だって、総司は男としては華奢ななりだが、男性としての一物はちゃんと股の間にあったのだから。
だから、てっきり詐欺は死罪ということもあって。
まだ女を知らず、男になっていない総司に、そういう場を戦場に出る前に用意してくれているのだと都合よく考えていたのだ。
夜だというのに、吉原は明るい。
吊り下げられた赤の提灯がいくつも並び、店を照らす。
どこにこんなに人がいたんだというくらい、中は活気に満ちていた。
どこからか聞こえる三味線と鼓の音。
かぎなれない、おしろいとお香の香りと呼び止める女の高い声に思わず胸が高鳴ってしまう。
夜だというのに、提灯を片手に歩く人の多いこと多いこと。座頭からはぐれないように、総司は街の様子を見るのもそこそに進む。
それでも、夜にも関わらず活気のある街並みに思わずつぶやいてしまう。
「すげぇ」と。
「派手でしょう。ここで一晩で使われる金額は計り知れません。女を買えもしないのに来ている客も大勢いるんですよ」
総司のはしゃぎように、座頭はクスっと笑った。
「吉原はね。男たちに夢を売るんです。その代わり女たちは、女にいいところを見せようとする見栄をくすぐり大きな金を引っ張る――――君もその一員になるというわけです」
「へ?」
あれよあれよという間に連れてこられたのは、大店。
しかし、入るのは表口からではなく裏口からだった。
妙に手足の長い禿げ頭の爺さんは、あたりを見渡し、そして総司の顔を見るなり、『嘘だろう』とつぶやき天を仰いだ。
「あの、俺。なんでもやります」
この手足のながい爺さんは座頭の仲間だとわかった、俺は必死にそういって頭を下げた。
女を抱けるなどと思いあがってしまった自分が恥ずかしい……これまでの教養はこんな大店で下働きするためのものだと思っていたのだ。
その時までは……
「彼もそういっておりますから、さっさと準備をしてしまいましょう。ちゃんと準備は整っていますか?」
「お前さんのせいで1年もここで準備する時間があったからな。それにしても、今回は流石に無理じゃないか?」
「出来を見てから言ってほしいですね」
あれよあれよと今に、部屋に通されたと思えば、総司は服を着替えるように言われて、てっきり下働きの服だと思ったのだけれど……うんざりとした顔で着付け出したくも爺が総司に長じゅばんを羽織らせたことで、おかしいと総司が口を開いた。
「これ、どういう……」
それもそのはず、いつも袖を通すものとは違い絹地の襦袢は明らかに肌触りが違ったからだ。
「ほれほれ、時間がないんじゃから」
その迫力に押し黙るものの、その上に羽織らされたのは明らかに女ものの薄い藤色の衣。
そして、仕込まれた芸の数々……
総司は自身がどういう立場なのかをようやく悟った。
「こんなの聞いていない!? 俺は男だ」
「知っていますよ。だから君を選んだんですよ。男嫌いな君は絶対男になびかないし、惚れない……そうでしょう?」
「嘘だろ?」
「話し方に気をつけなさい。吉原に一歩踏み込んだ時からもう始まっているんですから。それではお手並み拝見といたしましょうか」
「お手並み拝見って……」
茫然とする総司を残して、座頭はさっさと後にしてしまったのだ。
「嘘だろう!?」
どうすんだよと、くも爺をみると、くも爺は困った顔をした後総司にこう言ったのだ。
「男だとばれればただでは済まない。少なくない金が動くからなぁ。さぁて、今亭主を連れてくるから、がんばるんじゃぞ」
「おい、がんばるんじゃぞじゃない!? おいってば」
場所が場所故に声を落として呼びかけたのが悪かったのか、くも爺はさっさとふすまを占めて行ってしまった。
そのため。
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