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最終章 

舞踏会の出来事~2

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王女が主催する舞踏会の幕が今まさに上がろうとしていた。

楽士が美しいメロディーを奏で、そこかしこに花が飾られている中、色とりどりの美しいドレスに身に纏った令嬢たちや気取った様子の子息達が楽しげにお喋りに興じている。そんなざわめきの中、舞踏会場では、カトリーヌ王女のもとには、特に仲の良い令嬢たちが集まってきた。

「王女様、本日はお招きいただきましてありがとうございます。エリゼル殿下も、本日はお日柄もよく・・・」

ありきたりな言葉の遣り取りはいつものことで退屈だ。カトリーヌは、柔やかに挨拶を返しながらも、心の中では一人の来賓を待ちわび、気もそぞろだった。ガルバーニ公爵様。母の目を盗んで招待状を送りつけたのだが、彼は来てくれるのだろうか?

誰かを待ちわびるなどしたことがないカトリーヌは少しばかり不機嫌な様子をみせ、その隣にたっているのは、エリゼル王太子だ。

「母上からこのようなことを仰せつかるとはね・・・」

女王の話から察すれば、どうも、誰がカトリーヌをエスコートするのかで、母である女王とカトリーヌの間で少しもめたらしい。それで、拗ねたカトリーヌの面倒を兄である自分に押しつけられたという訳だ。

女王からは、カトリーヌがはめを外さないようにと釘をさされていたが、エリゼルだって暇ではない。この後、大切な執務や会議が詰まっているのだ。だから、エリゼルも出来るだけ早めに席を外したいと思っていたのだが。

外交とも無縁だし、国の政治に関わる宴会でもない。ただ若い貴族達がカトリーヌの気晴らしのために集う意味のない退屈な夜会だったが、唯一の救いは、カトリーヌが命じて、ジュリア・フォルティスが夜会に来ていることくらいだ。

「お兄様にエスコートしていただかなくても、私一人で十分ですわ」

すこしむすっとした顔つきのカトリーヌは、やはり、どうも拗ねているらしい。何かの我が儘が通らない時に、彼女はよくこんな顔をするのだ。

「誰をエスコート役に指名したんだい? カトリーヌ。おおかた、どこかのバカな子息でも指名したんだろう」

「お兄様には関係ないことよ」

王女はつんとした様子で兄の揶揄をさらりと躱した。ガルバーニ公爵をエスコート役に指名したいと言った言葉が、何故か母の耳に届いてしまったのだ。カトリーヌは女王に呼び出され、散々、お説教をされる羽目になった。あの男とは直接でも間接的でも、例え、どんな形でも関わり合ってはいけないのだ。と叱られた。

その意味を問えば、女王は意味深な顔をしてい言うのだ。

「長生きしたくば、安寧な生活をしたければ、あの男とは関わり合ってはならぬ。悪魔に魂を売ることになるぞえ」

あんなに素敵な方なのに、その言いようはないだろうと、カトリーヌは思ったのだが。

貴族令嬢達も、ガルバーニ公爵の姿が見えないことに気がついていたのだが、誰も、王女にそれを告げるほど野暮ではない。あの方のスケジュールは一切公にされず、今、どこにいるのか、何をしているのか、知る者は誰もいない。

(そうよね。ガルバーニ公爵様が表舞台に立つわけがないんだわ)

令嬢達は納得していたが、音楽が鳴り響き、ダンスのステップを踏む頃には、そんなことは頭からすっかり抜け落ちていた。ただ一人を除いては。

(公爵様にも招待状を送って、参加されるとのことだったのに・・・)

カトリーヌは、会場に公爵の姿が見えないことに、微かな苛立ちを感じていた。母には内緒で、せっかく招待状を送らせたのに。

闇の王家とも言われる実力者が王女の誘いにのれば、宮廷内でもガルバーニ公爵の支持を得られていると、王女にも箔がつく。それなのに、隣に立っているのが兄上とは。王太子エリゼルが傍にいれば、いつもの仲良しの令嬢達もおいそれとは近づけない。公爵様もいない。

「・・・・やっぱり、つまらないわ」

つんと顔を背けて呟いた。兄というお目付役のせいで、羽目も外せないし、楽しみも半減するではないか。主催したのは自分だが、王族は最後まで舞踏会にいる必要はない。

「今日は早めに退出しようかしら」

カトリーヌが無愛想に言えば、エリゼルもまたそれに同意した。

「そうだな。私も次の執務が詰まっているんだ。どういう風の吹き回しか知らないが、今日に限って事務官が重要案件が沢山持ってきてしまったんだ。早めに引き上げてくれると助かるよ。カトリーヌ」

それが偶然の産物としては出来すぎだと誰も知る由はなかった。



「王女様、本日はご機嫌麗しく・・・」

ジュリアは美しい水色のドレスを纏い、王女の御前で恭しく礼をとった。ジュリアの亜麻色の髪に、濃い青の瞳にとてもよく似合っている。その横には、元老院が同じく正装をして、王女の前にいた。齢70を超えるであろう元老院も目尻を下げ、柔やかに佇んでいた。

「元老院様、まさか、貴方様がいらっしゃるとは思いも寄りませんでしたが」

エリゼルが驚いたように言う傍ら、王女はさらに憂鬱な気分になっていた。

女王のご意見番である元老院が来てしまえば、王女はさらに窮屈さを感じる。今日はもう早めに引き上げてしまおうと思った。今日の自分の行動は逐一、母である女王陛下に報告されてしまうに違いない。

「そうじゃの。儂もこのような会は滅多に来ないがの」

と一息ついて、ジュリアを見つめた。

「このお嬢さんに悪い虫がつかんように、儂が目を光らせておかねばらなんのじゃ。なにしろ、マクナムの一人娘じゃからの。大切にしてやらねば」

和やかな談笑をしている翁の笑顔には一種の狡猾さがあった。でなれば、陰謀が渦巻く宮廷内で女王のご意見番にまで伊達にのし上がれる訳がなかろう。油断してはならない爺だ。とエリゼルは思った。

「私も悪い虫に分類されましょうか? 彼女と一曲踊りたいのですが」

「ふむ。お前さんも彼女に不埒な振る舞いをすればそうなるじゃろうが、今の所その可能性は低いじゃろうて」

「では、お許しをいただけましたので」

「フォルティス。私と一曲踊ってくれないか」

エリゼルが優雅にその手を差し出せば、ジュリアも仕方なくその腕に自分の手を重ねた。お互いに手を取り合いながらホール中央に進みでた。令嬢たちが、殿下とフォルティス様が踊られるようよ、と囁きあっているのが見えた。

お互いに立ち止まり、踊るためのポジションをとる。すっと背を伸ばしエリゼルが差し出した手をジュリアはとった。

「今日の君は一段と美しい」

「殿下、部下にそのような甘言は不要です」

「私は本気でそう思っているのだよ。最初に会った時から君は美しかった」

エリゼルは片手をジュリアの腰に手を回し、もう片方の手で、彼女の手を握った。ただ、一緒に踊るだけなのに、なぜか殿下と抱き合っているような気がした。彼は恋人でも何でも無く、ただの上司なのに。

そういう王太子は優しげな緑色の瞳でジュリアを見つめた。彼がジュリアを握る手は男性のそれだった。大きくて、しっかりした手。ジュリアだって大柄なほうだったが、彼の大きな手がしっかりとジュリアの手を包み込んでいた。

「私のことを・・・エリゼルと呼んではくれないかな?」

今日は、何故か殿下が甘い。いつもの厳しい顔ではない。一体、どうしたことだろう。

「それは・・・私には恐れ多いことでしょう」

「どうして?」

美しい衣装を纏い、淡い金髪の巻き毛、整った顔立ち。近い所で踊れば否応にも彼の顔の造作がはっきりと分かる。甘さを増した眼差しで自分を見つめる様は、まるで恋人のようだとジュリアは思った。

「まさか王族の方とは身分が違いすぎます。それに・・・」

ジュリアが逡巡した様子を見せた。そこで、エリゼルはジュリアを一度ターンさせ、再び自分の胸の傍に引き寄せた。

「私は・・・もう心に決めた人がいるのです」

思い詰めたように語るジュリアにエリゼルは追い打ちをかけた。

「そうか・・・ならば、こうしよう」

「私にもチャンスをくれないか? 君をどれだけ愛しているか、それを示す機会がほしい」

「えっ?」

「そこで、君が判断してくれればいい。君にふさわしい男が一体誰なのか」

「殿下が振られる可能性もありますよ? よろしいのですか?」

「ふふ。大丈夫さ。私はそんなにヤワな男ではないと思うけど?」

ぐっと、ジュリアの手を取る彼の力が強くなった。艶っぽい声でジュリアの耳元でそっと囁く。

「私が君をどれだけ愛しているか、知りたいとは思わないかい?」

エリゼルはそう言って、口の端をあげて柔らかな微笑みを見せた。甘い声、あたかも誘惑するかのような囁き。甘い毒に痺れるように、ジュリアの心は麻痺してしまいそうだ。こういう時の殿下は、悪魔的で、普段の厳しい様子で執務に挑む様とは全く違う。初めてみた彼の側面はもっと繊細で、もっと魅惑的で、甘い毒で人を惑わすのだ。

「私は男として魅力が足りない?」

そう切なげに問われ、はっとして顔をあげれば、エリゼルの淡い緑色の瞳が自分を寂しげに見つめていた。普段のちょっと意地悪で傲慢な様子とは全く違う。

「・・・まさか、そんなことは。王太子殿下ともあろうお方が・・・」

「私だって、一人の人間だ。肩書きとか、そんなことの前に、一人の人間として私を見てくれないだろうか?」

甘く柔らかく耳に馴染むその声、それはどこか切なげで。この人は、もしかしたらすごく繊細なのかもしれないとジュリアは思った。自分の腰に当てている彼の手が熱い。

彼がまた手を挙げ、ジュリアを再びターンさせた。後から彼がジュリアを支え、その耳元でそっと囁いた。

「どうか、私にも目を向けてほしい。一人の男として私を見て欲しいんだ。ジュリア」

彼が初めて自分をジュリアと呼んだ。フォルティスでもなく、マクナムでもない。その言葉の端々に浮かぶ懇願するような響きが、自分の胸の奥に響いてしまった。ジュリアは戸惑いながら、彼の瞳をそっと伺った。

悪魔のように魅惑的なのに、どこか寂しげで、一人の人間として自分をみて欲しいと言う。踊っているジュリアの耳元で囁くので、まるで頬に唇を寄せられているようだ。

頬が赤く上気しているのが自分でも分かる。熱のこもった瞳で見つめられ、ジュリアはどうしていいのかわからなくなった。



後日、多少、加筆するかもしれません。
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