偽りの花嫁は貴公子の腕の中に落ちる

中村まり

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最終章 

最終話~4

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エリゼルが敵に切りつけられたことを知った騎士達は手早く周囲の敵を始末し、慌てて彼の元へと駆けつけた。それと同時に、エリゼルの努力も空しくマクナムが崖から転落するのを目撃して、彼女の探索に向ったものもいた。

「殿下、お怪我は?」

精悍な顔立ちの指揮官が医師を連れて慌ててエリゼルの顔色を確認する。随分と出血しているようだ。

「これは・・・随分と酷い」

医師は、手早くエリゼルの肩をむきだしにし、消毒と縫合の応急処置をしようとしているのをエリゼルは手で払いのけた。ジュリアが自分の手から滑り落ち、谷底へと転落していく様を目の当たりにしたエリゼルは激しく取り乱している。

「ジュリアを・・・早く、捜索隊を出せ。彼女を見つけ出せ」

エリゼルが取り乱した姿を見たのは誰もが始めてだったが、司令官は冷静な様子でエリゼルに向って言った。

「一部のものはすでにマクナムの探索に出ております。どうか医師に殿下のお怪我の治療をさせてください」

かなり出血したであろうエリゼルの顔色は血の気を失い始めている。早く早く止血して出血を止めなければ。

「あの人数では足りん。少なくとも、あの数の2倍は・・・探索にあたらせろ」

エリゼルが弱々しく息も絶え絶えに命じるものの、彼が酷い怪我を負っているのは明らかだ。

「それでは、こちらの手が足りなくなります。まずは殿下の身の安全を確保することのほうが先決です」

「構わん。いいからジュリアを探せ」

医師が懸命に努力をしているが一向にエリゼルの出血が止まる気配がない。だんだんと息が上がっていく彼を配下のもの達は心配そうに見つめていた。しかし、司令官は冷静で、己の本分を忘れない男だった。

エリゼルの横で跪いていた彼はすっくと立ち上がり、周りの部下をぐるっと見渡した。

「殿下は負傷されていて、正しい判断が出来る状態ではない。これより、規定通り私が指揮の全権を握る」

「ダメだ。私が最後まで・・・」

出血のせいで目眩が起きているのだろう。意識を保つのがやっとのエリゼルに指揮は無理だ。

「殿下、酷いお怪我をされているのですよ。出来るだけ早く近くの村までお連れします」

有無を言わさずに、担架に担ぎ上げられ、運び出されようとしているエリゼルは抗議の声を上げたが、それに耳を貸す者は誰もいない。彼が負っている怪我が酷いものであり、大量に出血していることも明らかだったからだ。マクナムの行方は気になるが、一刻も早く本来の護衛対象である殿下の無事を確保することが急務だ。

それほどエリゼルの容態も急変していたのだ。

出血量が増えていたせいでエリゼルの意識は朦朧となっていたが、エリゼルはうわごとのように、「ダメだ・・・ジュリアを・・・ジュリアを早く・・・」と何度も呟く。

素早く目配せをしあった司令官と医師は、エリゼルに薬を投与した。強い鎮静剤を嗅がされ、エリゼルは意識を失った。

「殿下がお眠りになっているうちに早く」

男達は、担架に乗せられたエリゼルを運び出し、近場の村へと急ぎ足で向った。



その頃、急流に飲まれ流されたジュリアは川岸に打ち上げられ、冷たい水に洗われながら、力なく石ころだらけの河原に横たわっていた。冷たい水にさらされたせいで仮死状態に陥り、うつむきに倒れていたジュリアの傍に数匹の猟犬がどこからともなくやってきて、ジュリアの頬に鼻を寄せ、くんくんと嗅ぎ回った後、大きな声でワンワンと吠えた。近くにいる主人に知らせるためだ。

「オーティス様、あんな所に敵の騎士が」

「そんなものは放っておけ」

隣国の騎士達に連れられてきた身分の低い下男は川岸に打ち上げられている騎士に近寄り、何か物色出来るものがないか調べたいらしい。

ジェラルド・オーティス侯爵は苛立たしげに上流の崖の上に視線を彷徨わせた。クレオールがエリゼルを襲撃すると聲高に宣言していたから、高見の見物にでも言ってやろうと思ったのに、残念なことに戦闘はすでに終了している。

「・・・随分と無駄足をしてしまったようだ」

こんな山奥にまでわざわざ足を運んでやったのに、と、忌々しげに呟く男に従者が静かに言う。

「あれほど、エリゼルを仕留めると豪語していたのにクレオールは口だけの男のようですね」

にやりと男は笑い、口元には嘲笑が浮かんでいる。

「裏切り者のすることだ。所詮、この程度だろう。部下からの報告では、襲撃に失敗したと言うことだが」

「どうもそのようですね」

上等な身なりをしている男達は隣国の衣装を身につけていた。数人の護衛に囲まれている男は忌々しげに、川岸に倒れている騎士にちらと視線をむければ、下男が川縁で倒れている男の持ち物を熱心に物色している所だった。

「そんな男は棄てておけ」

苛立たしげに下男に声をかければ、膝をついて騎士を熱心に物色している男が主に向って声をあげた。

「オーティス様、この者は男ではなく女です。しかも、かなりの上玉ときた」

相手が女だから、余計に嬉しそうに声を弾ませる下男に男たちは眉を顰めた。このような身分の低い者を同行させたくなかったのだが、この男以上に道に詳しい者がいないので仕方がない。それでも、やはり、下男が死体を浅ましく漁る姿は見ていて不愉快だ。

「男でも女でも絶命しているのだ。放っておけばよかろう」

「女はまだ息がありますよ? 虫の息ですがね。しかも、この女かなりの上玉ですよ」

「そのくらいにしておけ。行くぞ」

踵を返して去ろうとする男達を下男は意地汚く足止めした。

「オーティス様、お待ち下せえ。すぐに終わりますから・・・・それにしても、本当にこの女別嬪さんだ。儂がもらい受けてもよござんすかね?」

「お前の馬に乗せられればな」

下男に遠慮無く冷笑を浴びせかけてはいたが、オーティスは、今にも涎をたらさんばかりの下男の様子に、ほんの少しだけ好奇心をかき立てられた。女が倒れている所まで足を運び、慌てて後に下がった下男に構うことなく、女の肩を足で無造作に蹴り、仰向けにひっくり返した。

「確かに美しい女ではあるな」

血の気がうせた真っ白な顔を遠慮無しに見た。自分の好みとはかけ離れてはいるれど、剣を振るうような男勝りのような女には興味がないとばかかりに踵を翻そうとした男は、女の首に掛かったものに目が行き、ふと足をとめた。その整った顔は怪訝な表情が浮かんでいる。

「これは・・・」

はだけた女の首元からはみ出した細い鎖の先には指輪が一つ止められていた。それは見事な細工が施されており、どこか見覚えのある紋章が掘られている。紋章の入った指輪をするものは高位の貴族以外にはいない。男は女の横に片膝をつき、その指輪を手にとってしげしげと眺めた。その紋章には見覚えがある。そう、その紋章こそ、

「ガルバーニ公爵家の紋章・・・・」

決して忘れることのできないその印をオーティスが見間違えることはない。長い歴史の中で、幾度も煮え湯を飲まされた相手だ。しかも、一口にガルバーニ家と言っても、分家も多く、その存在は多岐にわたるが、その指輪は正当な継承権を持つものにしか与えられない紋章だったからだ。

好奇心にそそられ、じっと見つめれば、女は水に濡れ、顔には傷跡もあるが、端正な顔立ちをした美しい姿をしていることがわかる。身につけている騎士の衣装は高貴な身分を示すものであったし、手入れされた髪や肌が彼女の身分を明らかに示していた。

女の肩には矢が刺さっているが、出血はそれほどでもない。きっと川へ転落した際の衝撃でショック状態に陥っているに違いない。虫の息ではあるが、とりあえずは生きている。

─ 面白い。

ぐっしょりと水に濡れ、固く目をつぶったまま意識のない女の顔を見ながら、口の端に黒い笑みが浮かぶ。

あのジョルジュ・ガルバーニと縁続きのものだろうか。あの男には今まで散々と煮え湯を飲まされ続けてきた。もしかしたら、この女のおかげで長年の溜飲を下げることができるやもしれぬ。男は決断した。

「この女を私の馬に乗せろ。我が城につれて帰る」

自分の従者である騎士たちに命令を下す主を、下男はキツネにつままれたような顔をして見上げた。

「へ? ダンナ、儂にこの女をくださるのではないのですか?」

「下男の分際で隣国とは言え、貴族の娘をもらい受けられるとでも思うか」

「滅相もない・・・出過ぎた真似をお許しください」

冷や汗を掻き、慌てて平身を貫く下男に男はジロリと冷たい視線を向けた。

男達はジュリアを抱え上げ、乱暴な扱いで彼女を俯せにしたままオーティスの馬の鞍へと乗せた。

「面白い土産が手にはいったな」

気持ちよさげにオーティスが言えば、従者のものも機嫌よく対応した。

「さようにございますね」

男達はジュリア達の進行方向とは全然違う方向へ向って馬を走らせていった。その河原にはジュリアの靴が片方だけ残されたままだった。

「城塞へ向うぞ。空気が冷えてきたな。今夜は雪になるかもしれない」

吐く息が白くなり、男達はかじかむ手をさすりながら、手綱を握った。
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