偽りの花嫁は貴公子の腕の中に落ちる

中村まり

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最終章 

最終話~9

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「殿下、お加減はいかがですか?」

ロベルト・クレスト伯爵は、その日、負傷したエリゼルのもとを訪れていた。ジュリアが負傷し、行方不明という知らせを聞いて、いてもたってもいられず、エリゼルの所へ慌ててはせ参じたと言う次第だ。

エリゼルはまだ肩に包帯を巻き、寝台の上にいる。負傷が酷く、しばらくは療養生活を余技なくされていた。

エリゼル殿下も出血が酷いと聞いていたが、彼の様子を見て少しほっとしつつ、ジュリアが負傷し、行方不明になった状況を彼から直接聞きたいと思っていた。彼女がガルバーニ公爵と男女の仲だとはわかっていたが、それでも、ロベルトの胸の内には彼女がいたし、まだ、彼女のことが好きだった。ロベルトはたった一人の女を慈しむタイプなのである。

そういう訳で、冒頭部分に戻る訳であるが。

「傷のほうはまだ塞がってはいないし、医師からは絶対安静を言われているんだが」

エリゼルの整った顔が、皮肉な笑みを浮かべる。

「まさか、あんな所で敵の襲撃にあうとは思ってもみなかった」

「それで、ジュリア、いや、マクナム伯爵の行方は?」

「探索隊はすでに投入している。彼女が転落した地点から随分下流にまで探索の手を回したが・・・」

エリゼルの表情が曇り、言葉少なくなってきたのをロベルトは見逃さなかった。

「それで、何か発見は?」

「彼女がはいていたブーツが見つかった。川岸にブーツがあったと言うことは、彼女がそこから陸地に上げられ、どこかに連れて行かれた可能性がある」

「もしかしたら、敵に捕らわれた可能性は?」

「それも否定できない。ああ、くそっ、私の体が負傷さえしていなければ、夜通しでも彼女を探索しただろうに」

悔しげな表情を浮かべるエリゼルに、ロベルトの胸中は複雑だった。殿下も、もしかしたら、彼女のことを憎からず想っているような表情だったからだ。最も、今の所、彼女の心は公爵に向いていると言うのに。

扉をノックする音が聞こえ、外で控えている従者にエリゼルが入るように命じた。

「エリゼル様、マクナム伯爵の所在がつかめました」

扉から入って来た従者が静かな様子で、そのニュースを伝えれば、冷静沈着で名を馳せるエリゼルの顔色が少し変わる。

「それで? ジュリアは今どこにいる?」

エリゼルが厳しい口調で問いただし、その場にいたロベルトも、従者の報告を固唾を飲んで聞き入った。

「タリスと、ハルマールの間の国境地帯。ザビラの要塞都市のようです」

エリゼルが一瞬、息を飲んで瞠目したのをロベルトは見た。酷く悪いことが起きているような気がして、ロベルトもぐっと手を握り従者を見つめた。こんなこと、何かの間違いであってほしいと願いながら。そんなロベルトの願いも空しく、エリゼルは信じられないような口調で従者に言った。

「敵国の手に落ちたと言うのか?それで、彼女の容態は?」

「なんとか一命は取り留めたようですが、何しろ、あの負傷でございます。おそらく、今療養中かと思われます。敵の手に落ちてはいるものの、手厚く看護されているようですが、負傷の度合いが酷く、おそらくは、自力で逃げることは不可能かと」

「くそっ。私の体がこんなでなければ、すぐに救出に行くのに」

ロベルトは瞬時にエリゼルへと断言した。

「挙兵しましょう。ザビラに攻め込んで彼女を取り返し─」

「ならぬ!」

二人の会話を割り込んできた言葉に驚いて振り返ったエリゼルの目に入ったのは、母である女王陛下だ。気づけば、従者を連れて自分の部屋の戸口に立っていた。

「そなたの見舞いに来たのだが、残念ながら、それは容認できぬ」

女王の口元には深い皺が刻まれている。長年、一人で国を治めてきた故の心労の証だろうか。

「陛下・・・」

ロベルトはさっと跪き深い礼を取る。通常なら、女王陛下が現れた場合は、従者は呼び止められない限り、すぐにその場を後にするしきたりだ。

ちらりと、女王の顔色をうかがえば、わかっていると言わんばかりの女王の顔があった。

「クレスト伯爵、エリゼルと大事な話をするが、お前はこの場に留まり、議論に加わるように」

「かしこまりました。陛下」

それで、とエリゼルに視線を向けた女王の表情は厳しかった。

「今、ザビラを攻撃すれば、隣国と戦になる。我が国は今、隣国と戦う余裕はない」

「しかし、母上、ジュリアが捕らわれているのですよ」

王太子が立ち上がろうとしたが、うっと顔を顰めてベッドへと倒れ込んだ。エリゼルの肩の傷は依然として酷く、大量に出血したこともあり、今だに顔色は青白い。

「いけません。殿下。今は動かないで・・・」

ロベルトがエリゼルに寝台にいるように促した。女王の言葉はまだ続く。

「戦で奪われた娘は、その男のものになるのが宿命。そなたが動いてはなりませぬ」

「さように」

冷静に口を開いたのは、女王の側近の一人だ。

「今は、東部地域の紛争にかなりの兵力をさいております。今の我が国では、ザビラのような要塞都市に攻め込むには、兵の数が足りません」

「しかし、ジュリアが捕らえられているのだぞ」

エリゼルがここぞとばかりの言えば、女王が側近をかばうように言う。

「ジュリアとて騎士の一人。我が身に何かあった時に、どうなるかは元から覚悟の上のことじゃ」

「せめて・・・私が怪我さえしていなければ・・・」

悔しそうにエリゼルが呟く。

「ザビラの要塞都市は、敵の攻撃を想定した頑強な要塞。確かに生半可な攻撃ではびくともしないでしょう」

ロベルトは冷静に口を開く。

「さよう。周囲をぐるりと石の塀で囲まれ、難攻不落と言われている要塞都市。あそこを落とすのは並大抵のことでは無理じゃ。マクナム伯爵を救出したいのは我とて同じ。しかし、エリゼルが負傷している今、うかつに攻め込めば返り討ちにあうだけ無駄じゃ」

「一人の人間を救出するために、何千、何百という兵士を犠牲にする訳には・・・・」

側近たちも女王の言葉に追従するように次々と口を開く。

「誠にその通りでございます。それに隣国に兵を差し向けたとなれば、隣国も黙っておりますまい」

「ザビラを攻略している間に、手薄な戦力を逆手に取られて、隣国より攻め入られるかもしれません」

だからと言って、このままジュリアを放置して言い訳がない。エリゼルは怒りの視線を従者達に向けた。

「軍の指揮権を握っているのは私だ。ジュリアを救出するかどうかは私が決める」

「ならぬ。これは国としての決断じゃ。戦をするかどうかの決定権は我にある」

女王とエリゼルは鋭い視線をお互いに向け、緊張した空気が二人の間を流れた。

「エリゼル様、どうかお気をお鎮めください。今戦を挑めば負け戦になりまする」

「そうじゃ。エリゼル。大局的な目をもて」

「しかし!」

反論するエリゼルに女王は確認するかのように言う。

「奴らは、確かに、マクナムをまだ生かしているのだな」

「はい。彼女の無事は確認出来ております」

「もし、用済みであれば、さっさと亡き者にしているはずじゃ。それをわざわざ生かしておくのであれば、それ相応の理由があってのこと。おおかた、こちらに交渉を求めてくるはず。交渉に乗ってやれば、向こうはマクナムを返してくるじゃろう」

「陛下、私は納得が行きません。彼女は私が愛する娘。彼女を奪われて、指をくわえて見ているのは、許しがたい屈辱」

その時、緊張した空気を破るかのように、従者の声が響いた。

「緊急のご報告です」

エリゼルの部屋の扉が大きな音を立て、将軍が慌てた様子で息せき切って駆け込んできた。

 「なんだ?将軍、何事か?」

将軍は、さっと片膝をつき、胸に手をあて礼をとるや否や、即座に重要な報告を始めた。戦慣れしている将軍でさえも、すこし顔色が青ざめていた。これは、相当な事態が勃発したのだと、ロベルトとエリゼルは直感的に理解した。国を揺るがすような事態でなければ、将軍のこの顔色はありえない。

ましてや、女王の御前で、なんの先触れもなく、将軍が殿下の部屋へと直接足を運ぶことも通常はない。異例の事態を前にして、女王も固唾を飲んで、将軍の報告に耳を傾ける。

「ただいま、ガルバーニ領が挙兵したとの情報が入りました」

「なんと。この期に及んで、反乱か?」

「どれほどの数の兵なのだ?」

「は、おおよそ二万程度かと」

「二万・・・」

ロベルトは青ざめた顔で言った。

「ほぼ、ガルバーニ領全ての兵士ではないか。全力で挙兵してきたたとしか思えません」

反乱なのだろうか? まさか女王陛下に刃を向けるつもりなのだろうか?

あのガルバーニ公爵が?

その場にいた全員が息をのみ、信じられない気持ちでお互いの顔を見つめ合った。ガルバーニ公爵領の全兵士が王都に攻め入ったとなれば、勝ち目は五分五分、いや、もしかしたら、負ける可能性だってあるかもしれない。

全員が沈黙した中、それを破ったのは女王だった。冷静な声で一言呟くように言う。

「闇のガルバーニが行動を起こすとはよほどのことじゃ」

我に返った将軍が女王に許可を求める。

「陛下、こちらも武装し応戦の許可を願います」

「ガルバーニがこちらに刃を向けるとは思えんのじゃが」

困った顔で思案する女王に、また新たな情報が舞い込んできた。別の騎士が息を切らせたように、慌てて部屋へと駆け込んで来たのだから。

「サンド侯爵領も挙兵したとの情報が入りました」

「ダリウス伯爵領も挙兵。順次、行軍するとのことです」

「ロシーナ子爵領も少ないながら、兵を起こしたとのことです」

続々と耳に入ってくるのは、周辺の貴族領が挙兵したという情報だ。

「いずれもガルバーニ家とつながりが深い貴族達だ」

ロベルトは自分の耳を疑った。その戦力を合計すれば、この国が保有する戦力さえも上回るかもしれない。

我が耳を疑っている女王達にまた一つ、新たな情報が寄せられた。

「隣国の騎士団も次々と蜂起しているようです」

「は?」

「ですから、隣国の領内を管轄する貴族達も挙兵して、兵を進めているとの報告が」

「どういうことだ?」

エリゼルの顔には厳しい表情が浮かんでいた。

「まさかガルバーニが王家の許可無く、隣国へと戦を挑んでいる、ということか?」

思いがけない情報の渦に巻き込まれて、その場にいたものは全員が困惑した視線を向けた。口元を厳しく引き締め、何かを思い悩むような顔をするエリゼルがいた。
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