私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私は実は“本物の聖女”でした。 

さら

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第3話 穏やかな村の日々


 丘を下りきったところに、小さな村があった。
 煙突の煙が空に溶け、木造の家々が並んでいる。石畳は少し欠けていたけれど、花の鉢が並び、どの家も丁寧に手入れされていた。どこか懐かしい匂いがして、胸の奥がじんと温かくなる。

「ここが、リオネルさんの村……?」

「ああ。ルルド村だ。辺境の中でも小さな村だが、人は悪くない」

 リオネルの言葉どおり、畑仕事をしていた人々が彼を見ると笑顔を向けた。
 子どもたちが駆け寄り、口々に名前を呼ぶ。

「リオ兄ちゃん! おかえり!」
「今日も狩りの帰り?」

「いや、今日は客を連れてきた」

 そう言って彼が私の肩に手を置いた。
 その瞬間、村人たちの視線が私に向く。異国の服、異なる髪と瞳。好奇と警戒が入り混じった目が、わずかな沈黙を生む。
 私は居心地の悪さに小さく身をすくめた。

「この人は怪我をしていた。しばらく俺の家で休ませる」

 リオネルの言葉に、村の空気が和らぐ。
 年配の女性が「まぁ、かわいそうに」と息を呑み、かごの中の焼きパンを差し出してくれた。

「ありがとう、ございます……」

 焼きたての香りが鼻をくすぐる。指先が温かくて、思わず涙が出そうになった。
 私は、こんなふうに“優しくされる”ことを忘れていたのかもしれない。



 リオネルの家は村のはずれにあった。石造りの壁と木の梁、窓際に小さな花が飾られている。室内は質素だが、きちんと片づいていて、どこか落ち着く匂いがした。

「ここを使え。寝具は洗ってある」

 差し出された部屋は、簡素なベッドと棚、机だけの小さな空間。それでも、まるで宝石みたいに心が満たされた。
 私は荷物もない手を膝の上に置いて、深く頭を下げた。

「本当に……ありがとうございます」

「気にするな。助けたのは俺の勝手だ」

 そう言いながら、リオネルは小鍋に湯を沸かし始める。
 彼の動きは無駄がなく、静かで、どこか整然としていた。湯気の向こうに見える横顔は、やはり優しい。

「王都では……酷い目に遭ったのか?」

 不意に問われ、息を呑んだ。
 言葉にすれば、すべてがまた現実になってしまう気がして、少しだけ迷う。

「はい。でも……もう、大丈夫です」

「そうか」

 それ以上、彼は何も聞かなかった。
 ただ、湯気の香るスープを木椀に注いで差し出してくれた。
 具は少なかったけれど、飲み込むたびに体がじんわりと温まる。

「おいしい……」

 小さくこぼした声に、リオネルはわずかに笑った。
 それは、ほんの一瞬の微笑みだったけれど、あの夜の冷たさをすべて溶かしてくれるほど優しい笑みだった。



 次の日から、私は少しずつ村の手伝いを始めた。
 洗濯を干し、パンを焼くのを手伝い、畑で野菜を収穫する。村人たちは最初こそ遠巻きにしていたが、すぐに気さくに話しかけてくれるようになった。

「ミリアちゃんの手、器用だねぇ」
「この包帯の巻き方、上手だわ」

 そう褒められるたびに、胸の奥が温かくなる。
 日本では誰にも認められなかった自分が、ここでは役に立てている。
 それだけで、生きている実感があった。

 夕暮れ時、川辺で洗濯物を干していると、リオネルが馬を引いて戻ってくるのが見えた。
 夕陽に照らされたその姿は、まるで物語の中の騎士みたいだった。

「おかえりなさい」

「ただいま。……今日はよく働いたな」

 リオネルが近づき、私の頬の泥を指先で拭う。
 心臓が跳ねた。距離が近すぎて、息が止まる。

「すまん、汚れていた」

「あ……いえ、大丈夫です」

 頬の熱を誤魔化すように視線を逸らすと、リオネルが微かに笑った。

「おまえが来てから、村の空気が明るくなった」

「え?」

「子どもたちも笑っている。……それは、おまえの力だ」

 その言葉が、胸の奥に深く染みこんだ。
 “力”。その響きが、昨日までとまるで違う意味を持って聞こえる。

 私はそっと胸元のネックレスに触れた。
 淡い光が、夕陽のように一瞬だけ灯る。
 リオネルの瞳がそれを見て、やさしく細められた。

「やっぱり……おまえは不思議な人だ」

「そんなこと……」

 否定しかけて、言葉が消えた。
 彼の視線があまりにも穏やかで、何も言えなくなった。

 その瞬間、胸の奥で小さな音がした。
 風の音でも、鳥の声でもない――心が、かすかに震えた音。

 知らない世界で、初めて“居場所”を見つけたような気がした。
 そして、その中心にいるのは――間違いなく、彼だった。




 夜になると、村はしんと静まり返った。
 窓の外には虫の音が続き、遠くで犬の遠吠えがこだまする。ランプの明かりが壁に柔らかな影を揺らし、木造の家の中を穏やかに照らしていた。
 私は寝台の上に腰を下ろし、昼間の疲れが心地よい重さとして体を包むのを感じていた。
 ほんの数日前まで、石の床に倒れていた自分が嘘のようだ。

 机の上には、リオネルが持たせてくれたミルクとハチミツの入ったカップがある。
 ひと口飲むと、やさしい甘さが喉に広がった。

「……幸せ、だな」

 思わず口からこぼれた言葉に、自分でも驚く。
 誰に聞かせるでもなく、ただ静かな空間に響いたその声が、やけにあたたかく感じられた。

 扉の外で、かすかに足音がした。
 ノックの音。

「起きているか?」

「リオネルさん?」

「入ってもいいか」

「はい」

 扉が開く。
 灯を手にしたリオネルが立っていた。
 淡い光に照らされた彼の表情は、昼間より少し柔らかく見える。

「眠れないのか?」

「少しだけ。まだ、この静けさに慣れなくて」

 私が笑うと、彼もわずかに頬をゆるめた。

「王都は夜もうるさいからな。ここでは、星の音の方がよく聞こえる」

「星の……音?」

 私が首を傾げると、彼は窓の外を見やった。

「風が木々を揺らす音を、子どもたちはそう呼ぶ。聖女の息吹が、夜を歩くんだと」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。
 彼の声は穏やかで、まるで本当に星が歌っているみたいに優しかった。

「リオネルさんは……昔、王都で戦っていたんですよね?」

 少しの沈黙。
 炎のはぜる音だけが間を埋めた。

「ああ。護衛隊にいた。だが、仲間を失ってな。戦いに嫌気がさした」

 静かに語られた言葉には、痛みよりも深い諦めが滲んでいた。
 私は息を詰め、そっと膝の上で手を握った。

「……つらかったですね」

 彼は何も言わなかったが、ほんの一瞬、瞳が揺れた。
 そしてゆっくりと微笑んだ。

「おまえは、変わった娘だな。誰かの痛みに、そんな顔をする」

「痛みを知らなかったら、きっと分からないから……私も似たようなものです」

 そう言うと、リオネルの瞳が驚いたようにこちらを見た。
 だがすぐに、その目がやさしく和らぐ。

「そうか」

 その一言に、不思議な安心感が宿っていた。
 沈黙が再び訪れる。
 けれど、それは居心地の悪い沈黙ではなかった。

 リオネルは手にしていたランプを机に置くと、部屋の真ん中まで歩み寄った。
 炎の明かりが彼の髪を照らし、銀色が金のように輝く。

「ミリア」

 名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。
 彼の声は低く、けれど温かかった。

「おまえが来てから、村が少しずつ変わっていくのを感じる。俺自身もだ」

「……私が?」

「ああ。笑う顔を見ていると、悪いものが全部流れていく気がする」

 その言葉に、喉が詰まる。
 返事をしようとしても、声が出なかった。
 気づけば涙が一粒、頬を伝って落ちていた。

「ごめんなさい……泣くつもりじゃなかったのに」

「泣いていい。ここでは誰も、おまえを責めたりしない」

 リオネルがそっと手を伸ばし、私の髪を指先で撫でた。
 大きな手のひらの温もりに、心がほどけていく。

「……ありがとう」

 震える声で言うと、彼は静かに頷いた。

「もう休め。明日は村の集会がある。村人たちに、おまえを紹介する」

「はい」

 扉の外に出る直前、リオネルが振り返った。

「ミリア」

「はい?」

「おまえのその光――見たとき、俺は久しぶりに“救い”という言葉を思い出した」

 そう言って、彼はゆっくりと微笑んだ。
 その笑みは、どこか寂しげで、けれど確かに温かかった。

 扉が閉まり、静寂が戻る。
 胸の中で何かが静かに脈打っていた。
 ネックレスの奥で、淡い光がやさしく瞬く。

 私はその光に手を重ね、目を閉じた。
 リオネルの声と、星の音が混じり合いながら、心の奥に溶けていく。

 ――明日、もう一度、笑顔で会えますように。

 そう祈ったとき、夜空のどこかで、小さな星がひとつ瞬いた。




 翌朝、村の広場は朝露に濡れた草の香りで満ちていた。空は高く澄み、太陽の光が麦畑を金色に染めている。私は村人たちの輪の中で、胸の前で手を組んで立っていた。
 リオネルが隣にいて、皆に向かって口を開く。

「紹介する。この娘はミリア。王都の近くで倒れていた。しばらくこの村で暮らすことになる」

 静かなざわめきが広場を包んだ。
 子どもたちが興味津々に私を見つめ、年配の女性が「まぁまぁ」と柔らかく笑った。
 誰も、軽蔑の目で見たりはしない。
 ただ、私という存在を“受け入れてくれている”――それだけのことが、胸に沁みて泣きそうになった。

「どうぞよろしくお願いします」

 お辞儀をすると、小さな拍手が起こった。
 その音が、私の心を温かく満たしていく。



 その日から、私は本格的に村の仕事を手伝うようになった。
 朝はパン焼きの手伝い、昼は薬草採り、夜は子どもたちの相手。
 忙しいけれど、ひとつひとつの仕事に“誰かの笑顔”が繋がっているのが嬉しかった。

「ミリアちゃん、これ、昨日よりも焼き色がいいわね!」
「この包帯の巻き方、痛くない!」

 そんな言葉をかけられるたび、胸の中で何かが満たされていく。
 あの日、王城で突きつけられた「無能」という烙印が、少しずつ剥がれていくような気がした。



 日が沈む頃、リオネルが畑の手伝いを終えて戻ってきた。
 肩に鍬を担ぎ、額の汗を拭いながら歩いてくる姿は、どこか穏やかで頼もしい。
 私は水桶を持って駆け寄った。

「おかえりなさい。お水どうぞ」

「助かる」

 彼が桶を受け取り、ごくごくと飲む。
 喉を鳴らす音が、なぜか耳に心地よく響く。

「今日もよく働いたな」

「はい。パンを少し焦がしちゃいましたけど」

「焦げた部分が一番うまいんだ」

 リオネルが笑った。
 その笑顔が、夕陽の光と重なってまぶしかった。

「リオネルさん」

「なんだ?」

「……私、ここに来てよかったです」

 ふとこぼれた言葉に、彼は一瞬目を見張った。
 けれどすぐに、優しく目を細めて言った。

「そうか。なら、この村もおまえを歓迎してる」

 短い言葉。それだけなのに、胸が熱くなる。
 私は笑いながらうなずいた。



 その夜。
 月明かりが窓から差し込み、部屋の中に白い影を落としていた。
 眠れずにベッドから起き上がると、胸元のネックレスが微かに光っていた。

「また……光ってる」

 そっと手で包み込む。
 すると、不思議なことに、窓の外の花々が淡く揺れ、光に応じるように咲き誇った。
 その光景に、息を呑む。

 リオネルが言っていた“聖花”。
 あのときの光と同じ。

「もしかして、これが……」

 小さく呟くと、心の奥にやわらかな声が響いた気がした。
 それは風か、あるいは――神の囁きかもしれない。

 ――あなたの力は、癒しの光。恐れずに、信じて。

 胸の中に、温かいものが満ちていく。
 涙が頬を伝った。
 今度は悲しみじゃない。
 自分がこの世界で生きていることを、ようやく受け入れられた証の涙だった。

「ありがとう……」

 夜風がカーテンを揺らす。
 その先で、リオネルの家の灯りがまだ点いているのが見えた。
 私は胸元の光をそっと押さえ、微笑んだ。

 ――この村でなら、生きていける。
 そう思えた瞬間、胸の奥の光が優しく脈打った。

 それは、まだ静かで小さな奇跡。
 けれど確かに、“聖女”としての目覚めの始まりだった。




 翌朝、夜明け前の空は群青から淡い金へと移り変わっていった。霧が地面を撫で、村の屋根を静かに包みこむ。私はまだ薄暗い室内で目を覚まし、窓を少しだけ開けた。外の空気は冷たくて、でも不思議と心地よい。遠くの小川の音と、鳥の鳴き声が混じり合っている。

 胸元のネックレスを指でなぞる。昨夜、あの光が消えたあとも、ぬくもりだけが残っていた。まるで心臓の奥にもうひとつ小さな命が宿ったような感覚だ。

 そのとき、戸口の方からノックの音がした。

「ミリア、起きているか?」

 リオネルの声。私は慌てて身支度を整えた。

「はい、すぐに!」

 扉を開けると、朝の光を背にしたリオネルが立っていた。肩に布袋を下げていて、うっすらと汗が光る。

「市場に出る荷を運ぶ。手が空いてるなら一緒に来るか?」

「行きたいです。お手伝いさせてください」

「助かる。初めての市だから、気をつけろよ」

 そう言って、リオネルは微笑んだ。
 その笑顔は、昨日よりも少しだけ柔らかかった。



 村の外れの道を進むと、丘の向こうに小さな市場が開けていた。
 木造の屋台が並び、果物やパン、布地や陶器が並んでいる。人々の声が飛び交い、活気に満ちていた。

「わぁ……こんなに賑やかなんですね」

「辺境でも月に一度は交易がある。今日は珍しい薬草商も来てるらしい」

 リオネルが言いながら、荷車を押して屋台の隅に止めた。
 私は果物の並ぶ棚を見て目を輝かせる。赤い実、黄色い実、どれも甘い香りがして、日本で見た果物とはどこか違う。

「触ってみるか?」

「いいんですか?」

「おまえのその顔、子どもみたいだな」

「えっ……!」

 リオネルがくすりと笑う。私は耳まで熱くなり、思わず視線を逸らした。
 でもその笑い方があまりにも穏やかで、胸の奥が温かくなる。

 そのとき、後ろから声がした。

「リオネル、久しぶりじゃないか!」

 振り向くと、浅黒い肌の青年が大きな籠を担いで近づいてきた。
 リオネルとがっしり握手を交わす。

「おまえこそ、相変わらずだな。元気そうで何よりだ」

「そっちは珍しいな。女連れとは」

「ち、ちがっ――!」

 思わず声を上げると、青年が陽気に笑った。

「冗談だよ、嬢ちゃん。リオネルが女を連れて歩くなんて初めて見たもんでな」

「……おまえ、余計なことを言うな」

 リオネルの低い声に青年が肩をすくめる。
 その様子がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。
 リオネルがこちらを見て、少しだけ口元をゆるめる。

「笑うと似合うな」

 その一言に、心臓が跳ねた。
 視線を落とすと、指先に握ったネックレスのガラス玉が、また微かに光っている。



 市場の片隅に、小さな祈りの像があった。
 石でできた女神の像。手を広げ、慈悲の笑みを浮かべている。
 私はその前で足を止めた。

「この像、綺麗ですね」

「“聖母リアナ”。古い信仰だ。病や傷を癒す女神だと言われている」

 リオネルの言葉に、胸の奥がざわめいた。
 癒し。――それは、私が感じ始めている力の正体でもある。

「……私、あのときの光が怖くなくなりました」

「光?」

「丘で、花が咲いたときの……。あれが自分の中から出ているって思うと、前は怖かったんです。でも、今は――」

 言葉を選びながら、胸に手を当てた。
 あのときの光の温かさが蘇る。

「今は、その力が“誰かのためにある”なら、使ってもいいと思えるんです」

 リオネルは黙って聞いていた。
 やがて、静かに言葉を落とす。

「……それでいい。力は奪うためじゃなく、与えるためにある。そう思えるおまえなら、きっと間違えない」

 彼の言葉が風に乗り、胸の奥にしみこんでいく。
 気づけば、涙が滲んでいた。

「……ありがとう」

「何度も礼を言うな」

「だって、本当に――」

 言葉を飲み込む。
 目の前の男の瞳は、夜空のように深く、どこまでも優しかった。

 市場の鐘が鳴る。昼を告げる音。
 その瞬間、太陽の光が差し込み、女神像の周りが金色に輝いた。
 まるでこの瞬間を祝福しているかのように、私とリオネルの影が重なり合った。

 風が吹き抜け、花の香りが舞い上がる。
 その香りの中で、私はひとつの確信を抱いた。

 ――この人となら、きっとどんな運命が来ても恐れない。

 そう思ったとき、胸元のネックレスがまた柔らかく脈を打った。
 まるで、その想いに静かに応えるように。




 午後、村へ戻る道はやわらかな陽に包まれていた。
 風が吹くたびに木々の葉がざわめき、遠くで小川がせせらいでいる。荷車の上に積まれた果物やパンの香ばしい匂いが、ゆるやかに流れていった。
 私はリオネルの隣を歩きながら、先ほどまでの市場の賑わいを思い出していた。

「ねえ、リオネルさん。あの市場の人たち、みんな優しかったですね」

「ああ。辺境の人間は飾り気がない。良くも悪くも、嘘をつけない」

 彼は穏やかに笑いながら言った。
 その声を聞くだけで、不思議と心が落ち着く。

「……王都の人たちは、違うんですか?」

「王都は栄えているが、その分だけ他人を疑う。誰もが自分を守るために仮面を被る。俺も――そうだった」

 彼の声に、かすかな影が落ちた。
 私はそっと視線を向けた。
 銀の髪を風に揺らしながら、彼は遠い空を見つめていた。

「でも、今は違うんですね」

「そうだな。ここに戻って、少しずつ人間らしい息の仕方を思い出した。……おまえが来てからは、特にな」

 その言葉に胸が跳ねた。
 息を吸い込むと、花のような甘い香りが鼻をくすぐる。
 何かを返そうとして、言葉が見つからない。
 私の代わりに、胸のネックレスがかすかに光った。

「光ってるぞ」

「え? また……?」

 リオネルが立ち止まり、私の胸元に視線を落とす。
 ネックレスのガラス玉が淡い金の光を放ち、リズムを刻むように脈打っていた。

「昨日よりも強いな……。おまえの感情に反応しているのかもしれない」

「感情……?」

「喜びや、優しさ。そんなものが強くなると、力も応えるのかもな」

 彼はそう言って、微笑んだ。
 私は頬が熱くなるのを感じた。
 ――この人の隣にいるだけで、どうしてこんなにも心が穏やかになるんだろう。



 夕暮れ、村へ戻ると、空は茜色に染まっていた。
 広場では子どもたちが駆け回り、家々からは夕餉の香りが漂ってくる。
 私は荷物を下ろして息を吐いた。

「おつかれさま。たくさん売れましたね」

「ああ。村の冬支度には十分だ」

 リオネルは満足げに頷いた。
 その横顔を見ていると、胸がくすぐったくなるような幸福感が広がる。

「今夜は少し休め。明日は森の外れまで行く。薬草が必要だ」

「はい」

 頷いたあと、ふと気づいた。
 リオネルの手に、小さな切り傷がある。

「……その手、怪我してる」

「たいしたことじゃない。縄を締めたときに少し擦れただけだ」

「見せてください」

 私は彼の手を取った。
 皮膚がざらりとしていて、厚く、温かい。
 指先に、血がにじんでいるのが見えた。

「動かないでくださいね」

 両手を包むようにして、そっと祈る。
 胸の奥が温かくなり、ネックレスが淡く光る。
 次の瞬間、掌から柔らかな光があふれ、彼の手を包んだ。

「……!」

 光が消えると、傷が跡形もなく消えていた。
 私は驚いて息を呑む。

「治ってる……」

 リオネルが自分の手を見つめる。
 その瞳が驚きと感嘆に揺れ、やがてゆっくりと私に向けられた。

「おまえ、本当に――」

「……聖女、なんでしょうか」

 そう呟くと、胸が少しだけ震えた。
 自分の力をまだ信じきれない。でも、確かにこの手は“癒した”。

 リオネルがゆっくりと手を重ねてきた。
 彼の掌が私の手を包み込む。

「怖がるな。これはおまえに授けられた祝福だ。誰かを救う力は、何よりも尊い」

 その声は、まるで祈りのように穏やかだった。
 私は唇をかみ、涙がこぼれそうになる。

「ありがとう……。私、ずっと“無能”だって言われてきたから」

「それは違う。おまえが無能なら、この世界の誰も救えやしない」

 リオネルの目が真っ直ぐに私を見つめていた。
 その瞳の奥に、自分が映っているのが見える。
 小さく震える自分――でも、その手は確かに光を宿していた。

 風が吹く。
 夜がゆっくりと村を包み、遠くで鐘の音が響く。
 私はリオネルの手を握り返し、微笑んだ。

「……私、もう怖くありません」

「ああ。その笑顔があれば、何があっても大丈夫だ」

 彼の言葉に、胸の奥がまた熱くなる。
 ネックレスが再び光り、ふたりを淡く照らした。
 その光は、まるで月明かりのように優しく村の夜に溶けていった。

 星が瞬き、風が静かに吹く。
 そしてその夜、私は初めて心から“この世界に生きている”と感じた。
 ――それは、聖女としてではなく、一人の人間としての、確かな息吹だった。
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