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それから、いくつもの季節が過ぎた。
あのとき花咲く丘に吹いていた春風は、やがて夏の熱を帯び、秋の穂を揺らし、冬には雪の香りを運んでくるようになった。
時間は流れた。それでも村は変わらず穏やかで、私たちの日々も静かな幸福の中にあった。
◇
冬の朝。
外はうっすらと雪が積もっていて、空気がひやりと冷たい。
私は焚き火の前でミルクを温めながら、窓の外を見ていた。
白い息がガラスに曇り、そこに指で小さな花を描く。
「寒くないか?」
背後から声がして振り向くと、リオネルが毛皮のマントを肩に掛けて立っていた。
髪に雪が少しだけ積もっていて、それが光に反射してきらきらと輝いている。
「平気です。……それより、髪が濡れてますよ」
「森の見回りに行ってきた。狼の足跡があったが、もう消えていた」
「今日も早いですね。さすが村の守り人さんです」
笑いながら、彼のマントに付いた雪を払う。
その指先を彼がそっと掴んだ。
「おまえこそ、冷えてるじゃないか」
掌を包み込むように、リオネルが自分の手で私の手を温める。
そのぬくもりに、心臓がふっと跳ねた。
「……これくらい大丈夫です」
「聖女が風邪をひいたら、国中が大騒ぎになる」
「もう、“聖女”なんて呼ばれたくないんですけどね」
私が笑うと、彼も苦笑した。
その顔が昔より少し柔らかくなった気がする。
「けど、誰もがあの夜のことを忘れちゃいない。あの光が国を救ったんだからな」
「光は……私じゃなくて、みんなの願いが生んだものです」
私は小さく呟いた。
リオネルが何かを言いかけて、ふと笑う。
「おまえはいつだって謙虚だな」
「そういう性格なんです」
「そこが、おまえのいいところだ」
その言葉に頬が熱くなる。
彼は私の髪に手を伸ばし、指先でそっと撫でた。
「……もう少ししたら雪が止む。散歩に出よう」
「はい」
その返事に、胸の奥があたたかくなった。
◇
昼過ぎには雪がやみ、村は柔らかな光に包まれた。
屋根の上からぽたりぽたりと雪解け水が落ち、地面には小さな水たまりができている。
私は毛糸のマントを羽織り、リオネルと並んで丘へ向かった。
雪の下からは、春を待つ草の緑が少しだけ顔を出していた。
空気は冷たいのに、太陽の光があたたかい。
「この季節の匂い、好きなんです。冬と春の境目みたいで」
「ああ。新しい始まりの匂いだ」
リオネルが頷く。
そして、歩きながら不意に言った。
「ミリア。……この村に教会を建てたい」
「教会を?」
「おまえの力を、もっと多くの人に届けるために。王都まで来られない人でも、ここに来れば癒しを受けられるように」
その提案に、胸が熱くなった。
「でも……そんな大きなこと、私にできるでしょうか」
「できる。おまえだからこそできる」
彼の瞳は真剣だった。
風に銀の髪が揺れ、その中で彼の声がやわらかく響く。
「俺が守る。おまえは祈りを。ふたりでなら、どんな場所にも光を灯せる」
その言葉に、涙があふれそうになった。
私は手袋越しに、そっと彼の手を握る。
「……はい。リオネルさんと一緒なら、どんなことだってできます」
「よし。じゃあ決まりだな」
彼が笑い、私も笑った。
冬の空気の中に、小さな春の気配が混じったように感じた。
◇
数ヶ月後。
丘の上に、白い石造りの小さな教会が完成した。
鐘の音が鳴り響き、村の人々が集まってくる。
私は祭壇の前に立ち、祈りの言葉を口にした。
「この光が、誰かの痛みを癒やしますように。
この場所が、誰かの心を支えますように――」
祈りの途中で、胸元のネックレスが淡く光った。
光はやがて教会全体を包み、ステンドグラスを透かして虹色の光が床に落ちた。
人々が歓声を上げる。
その光景を見ながら、私は胸の中でそっと呟いた。
――ありがとう、この世界。
リオネルが隣で微笑み、私の手を取る。
その手のぬくもりは、あの日と変わらず優しい。
「おまえの光は、まだ終わらないな」
「終わりませんよ。だって、これからも一緒に灯していくんですから」
外では、春の風が花の香りを運んでいた。
青い空の下、教会の鐘が再び鳴る。
それは祝福の音。
“聖女”と“騎士”の物語が、確かに続いていることを告げる鐘の音だった。
丘の上の花が揺れ、光が世界を包み込む。
そして私は祈る。
――この光が、永遠に誰かを照らし続けますように。
リオネルの手を強く握りながら、私は微笑んだ。
あのとき花咲く丘に吹いていた春風は、やがて夏の熱を帯び、秋の穂を揺らし、冬には雪の香りを運んでくるようになった。
時間は流れた。それでも村は変わらず穏やかで、私たちの日々も静かな幸福の中にあった。
◇
冬の朝。
外はうっすらと雪が積もっていて、空気がひやりと冷たい。
私は焚き火の前でミルクを温めながら、窓の外を見ていた。
白い息がガラスに曇り、そこに指で小さな花を描く。
「寒くないか?」
背後から声がして振り向くと、リオネルが毛皮のマントを肩に掛けて立っていた。
髪に雪が少しだけ積もっていて、それが光に反射してきらきらと輝いている。
「平気です。……それより、髪が濡れてますよ」
「森の見回りに行ってきた。狼の足跡があったが、もう消えていた」
「今日も早いですね。さすが村の守り人さんです」
笑いながら、彼のマントに付いた雪を払う。
その指先を彼がそっと掴んだ。
「おまえこそ、冷えてるじゃないか」
掌を包み込むように、リオネルが自分の手で私の手を温める。
そのぬくもりに、心臓がふっと跳ねた。
「……これくらい大丈夫です」
「聖女が風邪をひいたら、国中が大騒ぎになる」
「もう、“聖女”なんて呼ばれたくないんですけどね」
私が笑うと、彼も苦笑した。
その顔が昔より少し柔らかくなった気がする。
「けど、誰もがあの夜のことを忘れちゃいない。あの光が国を救ったんだからな」
「光は……私じゃなくて、みんなの願いが生んだものです」
私は小さく呟いた。
リオネルが何かを言いかけて、ふと笑う。
「おまえはいつだって謙虚だな」
「そういう性格なんです」
「そこが、おまえのいいところだ」
その言葉に頬が熱くなる。
彼は私の髪に手を伸ばし、指先でそっと撫でた。
「……もう少ししたら雪が止む。散歩に出よう」
「はい」
その返事に、胸の奥があたたかくなった。
◇
昼過ぎには雪がやみ、村は柔らかな光に包まれた。
屋根の上からぽたりぽたりと雪解け水が落ち、地面には小さな水たまりができている。
私は毛糸のマントを羽織り、リオネルと並んで丘へ向かった。
雪の下からは、春を待つ草の緑が少しだけ顔を出していた。
空気は冷たいのに、太陽の光があたたかい。
「この季節の匂い、好きなんです。冬と春の境目みたいで」
「ああ。新しい始まりの匂いだ」
リオネルが頷く。
そして、歩きながら不意に言った。
「ミリア。……この村に教会を建てたい」
「教会を?」
「おまえの力を、もっと多くの人に届けるために。王都まで来られない人でも、ここに来れば癒しを受けられるように」
その提案に、胸が熱くなった。
「でも……そんな大きなこと、私にできるでしょうか」
「できる。おまえだからこそできる」
彼の瞳は真剣だった。
風に銀の髪が揺れ、その中で彼の声がやわらかく響く。
「俺が守る。おまえは祈りを。ふたりでなら、どんな場所にも光を灯せる」
その言葉に、涙があふれそうになった。
私は手袋越しに、そっと彼の手を握る。
「……はい。リオネルさんと一緒なら、どんなことだってできます」
「よし。じゃあ決まりだな」
彼が笑い、私も笑った。
冬の空気の中に、小さな春の気配が混じったように感じた。
◇
数ヶ月後。
丘の上に、白い石造りの小さな教会が完成した。
鐘の音が鳴り響き、村の人々が集まってくる。
私は祭壇の前に立ち、祈りの言葉を口にした。
「この光が、誰かの痛みを癒やしますように。
この場所が、誰かの心を支えますように――」
祈りの途中で、胸元のネックレスが淡く光った。
光はやがて教会全体を包み、ステンドグラスを透かして虹色の光が床に落ちた。
人々が歓声を上げる。
その光景を見ながら、私は胸の中でそっと呟いた。
――ありがとう、この世界。
リオネルが隣で微笑み、私の手を取る。
その手のぬくもりは、あの日と変わらず優しい。
「おまえの光は、まだ終わらないな」
「終わりませんよ。だって、これからも一緒に灯していくんですから」
外では、春の風が花の香りを運んでいた。
青い空の下、教会の鐘が再び鳴る。
それは祝福の音。
“聖女”と“騎士”の物語が、確かに続いていることを告げる鐘の音だった。
丘の上の花が揺れ、光が世界を包み込む。
そして私は祈る。
――この光が、永遠に誰かを照らし続けますように。
リオネルの手を強く握りながら、私は微笑んだ。
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