カイザー・デルバイスの初恋

宵の月

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結婚式

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「アリス、どうして殿下を蹴るの? だめでしょ?」
 
 ぷりぷりしているアリスに言い聞かせるアーシェに、

「母様、アリスは悪くないよ! カイジャーが悪いの!」

 エルナンが庇いロシュも頷く。首を傾げたアーシェに、双璧は膝に乗せた子供達の頭を撫でた。

「アーシェ、子供達は悪くないよ? サリーがあれこれ頑張っても、全部無駄にしてるの殿下だし。ねー?」
「そうだ。子供達は落ち込んでるサリース嬢のために奮起した。褒められるべきだ」
「サリーのために……?」

 眉根を寄せたアーシェにデレデレと子供達を構うロイドとエイデンが、カイザーの紳士的態度の真相を語る。その思った以上のアホらしさに、アーシェは顔色を変えて立ち上がった。

「それ、本当……? 私、ちょっとサリーのとこに行ってくる……!!」
「え、アーシェ? ほっときなよ」
「アーシェ、二人の問題だ」

 引き止めるロイドとエイデンにアリスを預け、アーシェは急いでサリースとカイザーの席へと向かった。

「サリー! ちょっといい……!?」
「アーシェ? どうしたの?」
「夫人?」

 駆けつけてきたアーシェに驚いたように目を丸めるカイザーに、

「殿下、ちょっとサリーをお借りします」
「え、あ、ああ……」

 ポカンとしながら見送るカイザーを置き去りに、アーシェは会場端の花壇脇へとサリースを連れ出した。

「アーシェ? そんなに慌ててどうしたの?」
「サリー、あのね、殿下は……!」

 連れ出した勢いのまま一気に言い切ろうとしたアーシェは、見上げたサリースの姿に言葉を止めた。
 ずっとランドルフに恋をしていたサリース。その結婚式にいつになく着飾って臨もうとしている親友。とても綺麗でどこか寂しそうな、緊張した表情に何も言えなくなった。
 急に押し黙ったアーシェに、サリースが心配そうに首を傾げてくる。

「アーシェ?」
「…………」

 困ったようなサリースに、アーシェは唇を噛み締めた。カイザーの残念な下半身事情を、どう伝えたらいいのか分からない。今この時に伝えるべきかも分からない。そもそもそんなことを言われても、普通に困る。
 黙り込んだアーシェに、サリースは小さく微笑んだ。

「……心配、させてるよね。でも本当に大丈夫よ。カイザー様もお側にいてくださるし……」
「サリー……」

 その殿下のせいなの。アーシェはサリースをもどかしげに見つめる。
 今日のサリースはとても綺麗だ。いつになく着飾っているのは長い間想いを寄せていた相手の結婚式に対しての、決意と鼓舞のためだと流石にアーシェにだって分かる。
 サリースは今日、答えを出す。それ自体は必要なことだとアーシェにもわかっている。問題はその決断のベースだ。

「平気よ。アーシェ。カイザー様はずっと誠実に真摯に向き合って、見守って下さっていたわ。だから今度は私の番でしょ?」
「サリーの番?」
「うん……だって私、ずいぶんお待たせしてしまっているもの。ただ見守るのがどれほど難しくて苦しいか知ってるのに……」
「サリー……」
「……だからきちんとけじめをつけようって。そしてお伝えしようって。実はもうカイザー様にお願いしているの。式の後にお時間をいただけるようにって。その時にお伝えするつもり」
「……何をお伝えするの?」 
「……今の自分の気持ちを伝えたいの。カイザー様のさり気ない気遣いとか、何気ない微笑みにいちいち心臓がキュウって苦しくなるの。でももう申し訳なさだけでそうなるんじゃないの。だからケジメをつけてカイザー様の誠実さに、誠実さでお返しできるようにしたいの……」
「サリー……」
「ずっと私のペースに合わせて頂いたわ。私の方が焦ったく思うほど慎重に、大切にしてくださった感謝と今の気持ちをお伝えしたい……」

 それ、殿下の息子さんのペース。頬を染めて恥ずかしそうに俯くサリースに、アーシェは項垂れた。合わせてたのはサリースじゃなく、遅い思春期を迎えたカイザーの息子さんのペースだ。カイザーはそんなに紳士じゃない。

「カイザー様は本当に優しくて誠実だわ……だからこそいつまでも優しさに胡座をかいて曖昧にしていたら、前に進めない……だから……きっとね、ずっと待ってくださる方だと思う。でも永遠に待てる訳じゃないって知ってる。自分の順番をくることを祈って待つのが、どれだけ辛いか知ってる。どんどん心がすり減っていくって。だから……それにカイザー様ほど素敵な人が、いつまでもお一人なわけないわ。私なんかより魅力的な人はたくさんいるんだし……」

「……サリー……」
 
 どうしよう。架空の殿下が紳士すぎる。微塵も息子さんが引きこもりに気づいていないサリースの、重ねている誤解が美しすぎる。そんな美しい誤解をベースにした決意が健気すぎる。とてもアホな紳士面の真相を口にできる雰囲気ではない。
 
「……一生懸命考えてるうちに気づいたことがあるの」

 顔を上げたアーシェに、サリースは優しく笑ってトドメを刺した。
 
「こんな風に勇気を出そうと思えたのも、カイザー様のおかげよ。だから大丈夫。臆病な私を辛抱強く見守って、背中をそっと押してくれる懐の深い方だから。もう逃げたりしないわ」
「……うん」

 サリースの美しい笑みでのトドメに、アーシェは力無く肩を落とした。無理だった。この美しい笑顔に向かって、残念なカイザーの下半身事情を赤裸々に語るのは無理だった。息子さんは単に絶賛引きこもり中なだけで、そんな紳士じゃないとはとても言えない。

「……ああ、もうアーシェも戻らないと」

 少し緊張した声を響かせたサリースの声に、アーシェは顔を上げる。騒めいていた会場内は、おしゃべりではなく招待席へ向かうざわめきへと変わっていた。結婚式が始まるようだ。
 開式の気配に少し顔を強張らせたサリースが、戻るようにアーシェを促した。アーシェは結局何も言えずに、何度も振り返りながら、親族席へと戻るしかなかった。

※※※※※

「サリー……」

 アーシェを見送っていたサリースは、カイザーの心配そうな声に振り返った。サリースは小さく苦笑して着席したタイミングで、控えていた楽団が祝福の曲を陽気に奏で始めた。
 ワッと上がった拍手と歓声に、サリースはカイザーに声をかけるタイミングを失った。祝福の花道を新郎新婦が笑みを輝かせながら、手を取り合ってゆっくりと歩いてくるのが見える。サリースが恋をした輝く太陽のような明るい笑顔は、今日はより幸せそうに輝いていた。

(とても、幸せそう……)

 見てるだけで心を弾ませた、今日の晴天のような大好きだった笑顔。それは隣に特別な人がいるからで、生涯を共にすると誓う今日だからこその笑顔。
 少しだけ胸が痛んだ。ずっと大好きな人だったから。二人が並んでいる姿を見るのはまだ少し辛い。
 隣のカイザーがそっと手を握ってくれた気配に、ちょっとだけ俯いてしまっていた顔を上げる。握られた手が励ますように力が強まった。大きくて温かなカイザーの手に、サリースは少しだけ救われたような気持ちになった。
 カイザーの手をそっと握り返して、サリースは幸せそうに笑みを交わし合う二人に視線を向けた。二人の人柄を表すような、賑やかで陽気な結婚式。誰もが楽しそうに笑う式は、二人がこれから築く家庭を予感させた。サリースはたくさんの祝福を受けるランドルフの幸福を、焼き付けるように壇上の二人に顔をあげた。

「それでは新郎新婦への贈り物授与を始めまーす! 席次の順に整列をお願いします!」

 式場職員の弾んだ呼びかけの声。職員さえも楽しんでしまうほど、終始賑やかに盛り上がった結婚式ももう終盤。
 招待客たちは二人への贈り物を直接手渡し、寿ぎの言葉をかけて結婚式は終わる。その後の二次会にはサリースは参加しない。これが言葉を交わす最初で最後の時間だった。サリースは小さく息を吐くと、用意した贈り物をそっと抱きしめた。
 贈り物を渡すための列へと移動するために、立ち上がりかけたサリースを引き止めるように手首を引かれる。振り返ると心配そうなカイザーの赤金の瞳と目が合った。

「サリー、俺が……」

 言いかけたカイザーにサリースは首を振った。今日はここへそのために来た。掴まれた手首に手を添えて、大丈夫と伝えるように撫でてサリースは立ち上がる。
 ランドルフらしい結婚式だったのは、サリースも恋した彼を妻となった人も大切にしているからだろう。とても素敵な結婚式だった。だから大丈夫。

「……行きましょう、カイザー様」

 カイザーと一緒に贈り物を渡す祝福の列に並ぶ。アーシェの心配そうな視線と、カイザーの気遣いの気配を感じながら、少しずつ近づいてくるランドルフと新婦を見つめる。まっすぐ二人を見つめるサリースは、自分にチラチラと注がれる視線も、もう気にならなかった。カイザーと出会ってからいつの間にか気にしなくなった。その理由に行き着いた時、

『殿下が好きなの?』

 アーシェに聞かれてきちんと頷けなかった、答えがわかった気がした。
 ゲロから始まり告白ばかりかプロポーズされた。その動揺が収まらないうちに、成功例のトレースという謎の暴露とカイザーの過去を知り、所詮男なんて本物の王太子だろうが同じだと怒りが爆発した。
 振り回されて迎えた結果は、今までと同じではなかった。連れ込まれたホテルで、カイザーは紳士だった。最後の一線をあの状況で守ってみせた。デートをするようになって、サリースから誘ってもカイザーは紳士のままだった。そんな風に大切にされたのは初めてだった。
 心地よかったホテルでの時間。カイザーと一線を越えようと、必死になって水着なったり寝たふりしたり。あの日の続きをと頑張る自分は、もう人目なんて気にもしていないことに気がついた。
 少しずつ前に進む列はゆっくりと縮み、もう次は前に並んでいるカイザーの番。
 サリースを気にしながら、カイザーが新婚の二人と言葉を交わす。寄り添って照れながら、王太子からの祝福を受け取るランドルフ。もしも勇気を出していたら、必死になって手を伸ばしていたら、今ランドルフの隣で笑っていたのは自分だっただろうか。少しだけそんなことを考えた。
 気遣わしげなカイザーの視線が振り返り、サリースは小さく微笑んでランドルフの前に立つ。大切に抱きしめていた包みを、結婚した二人に差し出す。

「ありがとう! まぁ素敵!」

 ガサガサと包装を解いたランドルフとリサーラが目を丸くする。金と銀の装飾と魔石を散りばめた異国の絵本。大好きだった『胴が長めの、ラプンチェル』。

「今日結ばれたお二人にぴったりの絵本だと思って……優しくてかわいい絵本なんです。お二人のお子さんにも読んで聞かせてあげてくれたら嬉しいです……」

 胴が長めだったからじゃない。たくさんのプレゼントしたからじゃない。どんな時も相手を支える心でつながり、結ばれる二人にこの物語を。ずっと胸に秘めていた想いを手放して、祝福と共に二人の門出に祈りを込めて。

「……これ、あの時の絵本だよな? ありがとう、サリース嬢。子供が生まれたらきっと読み聞かせるよ。これからもアーシェと仲良くしてやってくれよな」
「……っ!! ……はい……はい……あの時はありがとうございました。どうか、どうかお幸せに……」

 覚えていてくれた。なんなら存在も認識されていた。うっかり滲んでしまった目元に、力を入れて笑みを作ると長い時間伝え損ねていた「ありがとう」を伝える。太陽みたいに笑う大好きだった人。自分の王子様ではなかったけれど、今もその幸せを願ってやまない人。

「結婚、おめでとうございます」

 サリースはとびきりの笑顔で、長年の片思いに別れを告げた。その笑顔の美しさを、カイザーは切なげな表情で見守った。
 

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