壊れた王のアンビバレント

宵の月

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決別



 「……そうか……」

 寝台に支えられた窶れた王は、ただ疲れたようにぽつりと漏らした。重く沈んだ室内に、静かな沈黙が澱んで混じる。
 王がゆっくりと顔を上げたとき、固く閉ざされた扉の外が騒がしくなった。制止の声を振り切った王太子は飛び込むように寝室に押し入った。

 「フォーテル公爵っ!!」

 苛立ちと焦燥に美貌を歪ませた王太子は、王の寝台の横に立つ男に縋るように手を伸ばした。

 「公爵!お願いだ!考え直してほしい!私が……私が必ず……!!」
 「……申し訳、ありません。」

 公爵はわずかに視線を逸らし、食いしばった奥歯を軋らせ詫びた。それだけでどれほど決意が固いかを王太子は悟る。それでも懇願せずにはいられなかった。

 「頼む!どうか……っ!!アヴィーを、アルヴィナを心から愛しているんだ!!命に代えても今度こそ必ず守る!!どうか……お願いだ……っ!!」

 震える手で公爵の袖を掴む王太子の手を、公爵はゆっくりと丁重に振り払った。

 「……カーティス殿下……不忠をお許しください。フォーテルを愛し、この国を愛しております。それでも妻とアルヴィナを引き換えにはできない。私も愛しているのです。妻をアルヴィナを……。」
 「……公爵……」

 苦悶に顔を歪ませながら公爵は、それでも絶望にアイスブルーの瞳を滲ませたカーティスとまっすぐと向き合った。

 「私が示せる最後の忠節です。どうかお受け取りください。」

 公爵は後ろで恭順の礼を取る3人を振り返った。騎士、女、アルヴィナのドレスを着た小柄な少年。そのうちの一人は紙束をカーティスに捧げていた。受け取ったカーティスが視線を走らせて目を見開いた。

 「……これは……っ!」

 驚愕に目を見開いたカーティスに、公爵は頷いて見せた。驚愕から立ち直れないままカーティスは、紙束に視線を落とす。顔を上げた時には、その表情を絶望と怒りで歪ませていた。
 ドレスを着た小柄な少年を憎悪の眼差しで睨みつける。少年はひどく怯えて肩を揺らし、掴みかかろうとしたカーティスから女が少年を庇った。

 「殿下、どうか落ち着かれてください。彼を今殺すことに何の益もございません。」

 毅然とした声で割って入った女を睨みつけ、血走った眼でその背に庇われ怯えている少年を睨みつける。身の内から湧き上がる殺意を、カーティスは必死に抑え込む。

 「……陛下……これを。」
 「……」
 「父上!!」

 恭しく捧げられた革張りの証書を受け取る王に、カーティスは鋭く非難の声を上げた。それに振り返らず、王は弱った手を上げ署名し玉印を押下する。そのうちの一枚を押し頂くように受け取った公爵は、深く頭を下げた。

 「……申し訳ございません。」
 「ゲイル、謝るのは私の方だ。これは王家の……いや、私の失態だ。」
 「父上!どうか取り消してください!父上!」
 「カーティス……すまない……」

 厳然とカーティスを見据えた王に、カーティスは言葉を失った。止められない。カーティスの唇が震えた。
 フォーテル家の爵位返上と、王家へ領地献上。フォーテル家は貴族籍を放棄した。野心など微塵もない王国一の忠臣は、混乱の最中の国と領民を捨てる。身分を連綿と受け継がれてきた栄誉を捨て、平民となって隣国へと亡命することを決断した。誰よりも重い献身を手土産にして、国を捨てて王家を捨てた。

 「……っ!!アヴィー!!」

 手のひらに顔を埋め、カーティスが愛しい名を呟いた。妻になると信じていた美しいカーティスの婚約者。フォーテル家が爵位を捨てたことで、彼女は王太子の婚約者たる資格を失った。
 埋めた手のひらの隙間から涙がこぼれる。

 「行かないで、アヴィー……愛しているんだ……」

 もうずっと、初めて出会ったあの時から。堪えきれない嗚咽を漏らしながら、眼裏に浮かぶ少女に縋りつく。彼女しか愛せない。彼女しか欲しくない。彼女だけを愛している。妻どころかもう容易に会うことさえかなわない場所に、彼女は行こうとしている。自分を捨てて、国を捨てて。

 「……どうか、お元気で……」

 公爵の残酷な声が室内に零れ、カーティスの心を粉々に打ち砕いた。引き留める声は涙に詰まった喉でせき止められる。どうして引き止められようか。フォーテルが王家を見捨てた理由は明白だった。アルヴィナは今この世にいなかったかもしれない。それでも。
 遠ざかりやがて聞こえなくなった公爵の足音。絶望に沈んだ心に、ふつふつと湧き上がってきたのは憎悪だった。身を焼き焦がす憤怒だった。

 「……許さない……」

 立ち上がった時には、カーティスの絶望の震えは止まっていた。みなぎるように沸き立つ怒りに、瞳が瞋恚に染まる。国を壊したものを、裏切りに手を染めたものを、自分を捨てた愛する人を。

 「……許さない……!!」

 紙束を握る手に力がこもった。

 「……ついて来い。」

 押し出された平坦で冷淡な声にか、立ち上る鋭い覇気にか、公爵が残していった3人にぞくりと震えが走った。逆らうことが許されない声に、3人は畏怖を持って従った。
 この日粉々に砕けたカーティスの心は、二度と元の形に戻ることはなくなった。


 妻と娘に偽装させた者を置いて、一人王宮を出た公爵は、先に隣国へと発った家族のもとへ辿り着くことはかなわなかった。
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