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降伏
目覚めたときにカーティスはもういなかった。寝台から起き上がり、引き出しの奥に隠していた薬瓶を取り出す。
《アヴィー……》
キロレスの使節訪問から3週間。使節は先日帰国したらしい。今度会うときは側妃として対面することになるのだろう。その日はできるだけ遅ければいいと願った。
使節が来てから1度も、カーティスは顔を出さなかった。飲む必要がなかった避妊薬をじっと見つめる。
《アヴィー……どうか……》
縋るようにアルヴィナを、抱きしめたあたたかな腕。優しく掠れた、切実さが滲む声。
蓋を開けようとした手が止まった。カーティスは子を強く望んでいる。ノーラの診察を確かめるほど。
(兄様はまだ若い。セレイア妃も……)
正当な王家の血筋と言えるのは、今はカーティスのみ。傍系も数人いるが、その血は薄い。後継者が問題なのは確かでも、あれほど子供を望むことに違和感が拭えなかった。
(……カーティス兄様の子……)
猶予は10時間。切実な縋るような声が、繰り返しよぎり、迷いなく飲んでいた避妊薬を飲む手が惑う。
ノックの音にハッとして、アルヴィナは避妊薬を引き出しに戻した。
「お嬢様、準備はよろしいですか?」
「え、ええ……行きましょう。」
慌てて立ち上がり、ノーラの後について白亜宮を後にした。
「お嬢様。」
マルクスの小声の鋭い警告に、アルヴィナは視線を上げた。翠蒼宮と本宮の境に、メナードが立っていた。
燃えるような赤毛に一瞬怯むも、以前のように怯えることはなかった。今はもう恐怖より怒りが勝る。アルヴィナよりも先に、ずっと見ていたらしく、すぐに視線が絡んだ。
(……え?)
アルヴィナはメナードの、顔色は土気色に窶れた顔色に驚いた。絡んだ落ち窪んだ琥珀の瞳はひどく翳り、不穏な眼差しでアルヴィナを見ていた。
メナードは無言で礼を取ると、そのまま歩き去った。
「病気、かしら?何があったの?」
「さぁ?色々あったのでしょう。」
思わず漏れた呟きに、マルクスは仄暗い笑みを一瞬浮かべてアルヴィナを促した。
「行きましょう。陛下に見つかっては困ります。会議の間に済ませましょう。」
「ええ……」
キリアンからカーティスに、見つからないよう念押しされている。
わざわざリースまで巻き込んで、マルクス以外の護衛も外れる時間帯に抜け出してきていた。アルヴィナは促されるまま歩き出した。
※※※※※
関係貴族家門が居並ぶ会議室は紛糾していた。頬杖をつきカーティスは、薄く笑みを浮かべてその様子を眺めていた。
「今は疫病の兆候がないとはいえ、これ以上のキロレスとの関係悪化は国益に関わります!」
「ナイトメアは一旦の終結をみても、爪痕は大きい。完全終息のために、キロレスとは解毒薬精製のためにも、盤石な友好関係こそ築くべきです!」
ベルタングに近しいネズミや狸は、忠臣の皮を被って騒ぎ立てている。金と権力はここまで人を堕落させる。
(選別は十分。リーベン大公家で動かないほど愚鈍なら、そもそもが必要ない。
……それにしても、まるで見世物小屋だな)
年に一度来ていた、調教した動物の芸を見せる一団を思い出し、カーティスは呆れたように面々を見回した。
「国の混乱に乗じ出入国制限された我が国に、密入国・密輸を繰り返しているのは事実です。」
「他国が我が国の情勢から制限に誠意を示す中、基本的な国際法も無視する国を信頼せよと?」
フォーテルやレジストに近い面々は、躾の行き届いた猟犬のように泰然と無表情を貫いている。歴然としたその差に、笑いがこみ上げてくる。
「………信頼の置けない国に借りを作ることになる。その判断は慎重にすべきです。」
会議室内に声のないざわめきが起きた。カーティスも発言者に、思わず片眉を上げた。中立と言う名のベルタングの操り人形。
婚姻や廃嫡によって、没落または実質ベルタング派閥になったかつての面々。その一つ有力家門デセンシア。
「陛下はどのように思われますか?」
カーティスの眉根を寄せた視線と、参席家門の視線を一心に集めたまま、デセンシアは笑みを浮かべてみせた。
その表情と視線は、ベルタングからの離脱をはっきりと示していた。
(……少なくともレジスト側につくか……)
巡らせた視線で姻戚関係にある、ベルタング家門の当主が、怒りに震えているのを確認する。
レジスト陣営に動揺はない。そればかりか他の中立家門も顔色を変えなかった。
(なにが……)
巡り始めた思考を遮るように、キリアンが静かに入室してくる。手渡された文書を読み下す。仄暗い笑みを口元に刻み、キリアンに戻し頷いてみせる。
視線を吸い寄せたキリアンが、会議室内に向き直った。
「こちらは、キロレス公国より、公示の取り下げの正式通達となります。
また合わせて公主の解任。新公主選定まで、前外務大臣が臨時就任するとの告知書です。
輸出制限解除の申し入れと、その対価にナイトメアの解毒薬、3千回相当を無償提供・医師派遣の提案書も同封されております。」
沈黙が会議室内を支配し、愕然としたようにベルダング家門側から顔色が失われていく。その様子をカーティスはせせら笑いを浮かべて見守った。
「……どうなってる!?」
絞り出すような呟きが漏れ、傘下家門は一斉にメナードに視線を向けた。メナードは凄絶な色を瞳に灯し、ひたすら前だけを見つめている。
「……3千相当、か……まるで前もって準備していたかのような用意の良さだ。」
嘲笑うようなカーティスの声に、ベルタング家門は唇を引き結んだ。
「ナイトメア唯一の対抗策なら、莫大な利益を産みだし、絶対優位の切り札となるだろうにな?
無償提供に踏み切るほど、飢え死の危機に瀕しているらしい。気の毒に。」
ニイッと口角を上げたカーティスに、ベルダング家門は震えて俯いた。
「キリアン、打診の日時は?」
「早急にとのこと。こちらに合わせるそうです。」
「ハッ!当然だな。待たせておけ。キロレスからの文書は回覧させる。各自公国への提示草案を作成しろ。」
「はい。」
レジスト陣営だけが恭順の礼を取り、慌ててベルタング家門も呆然としたまま頭を下げた。
そのままカーティスはペリースを翻し、そのまま会議室を後にした。
「キリアン、中立派の動向を調べろ。」
「……はい。」
執務室に向うカーティスの背中を、キリアンは見つめたままこぶしを握った。
【後書き】
※公国………貴族制の国。投票で選任された貴族が公主を担う国。としてこの作品では扱っています。
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