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王の夜明け
図書宮の窓から柔らかい風が吹き込んで、カーテンをふわりと揺らした。紅茶とケーキの甘い香りが広がる。
《わぁ、キレイな魔石。兄様、見て!ステルス魔石だそうです》
《本当だ。キレイだね》
《今度ウォロックに持ってきてもらえるように頼んでみます!もし見つけたら兄様にもお見せしますね!》
《…………ねぇアヴィー、ウォロックにお願いしなくても、僕が見せてあげるから……ね?》
《でも珍しい魔石みたいです》
《じゃあ、僕と一緒にリーベンまで見に行こう?そしたら頼まなくても見られるだろう?》
《本当ですか!?》
《ふふふっ。きっと楽しいよ。アヴィー、嬉しい?》
《はい!》
キラキラと嬉しそうに瞳を輝かせ、アルヴィナは頷くとまた魔石図鑑を覗き込む。あれもこれも見てみたいと楽しそうにはしゃぐアルヴィナに、カーティスは目を細めた。
《アヴィーは本当にかわいいなぁ》
《兄様……》
《大好きだよ、アルヴィナ。ずっと側にいて》
《兄様……。私も大好きです……》
真っ赤になるアルヴィナに勝手に笑みは浮かんでくる。カーティスは幸福感にため息をついた。
(あぁ、ここは温かい……ずっとここに……)
アルヴィナの髪を撫でながら、心を満たす安らぎを確かめるように噛み締めた。
《兄様、この魔石は錆を吸収するのですって……》
顔を上げたアルヴィナが、ひらりと視界を掠めた瑠璃色に立ち上がる。
《まぁ!兄様、見て!春告蝶よ!》
《本当だ。すごくきれいだ。あっ!アヴィー、危ないよ!走らないで!》
嬉しそうに蝶を追いかけ始めたアルヴィナに、カーティスは慌てて手を伸ばした。
《アヴィー……だめだよ、戻ってきて!》
《兄様!見て!こっちに……きゃぁ!!》
《アヴィー!!》
蝶ばかりに気を取られるアルヴィナに、カーティスは焦って立ち上がる。
(だめだ、行かないで。アヴィー!ずっと一緒にここにいよう!そっちは……!)
棚に戻す本が積み上げられたカートに、気付きもせずに瑠璃色に閃く蝶にアルヴィナは手を伸ばしている。
《アヴィー!》
寸でで引き寄せて、全身で庇うように抱き込む。ぶつかったカートが派手な音を立てて、カーティスの全身に呻くような鈍痛が襲う。
《……うっ……大丈夫?アルヴィナ。ケガはない?痛いところは?》
《……ふっ……あ……うぇ……兄様……ごめんなさい、兄様……》
そっと腕の中のアルヴィナを確かめると、状況を理解したアルヴィナが顔を歪めて泣き出した。
ひどく痛む腹に歯を食いしばりながら、カーティスはそっとアルヴィナを抱き締めて髪を撫でた。
《……大丈夫だよ、アヴィー。泣かないで》
《ごめんなさい……ごめんなさい……》
《僕は平気だから、ね?大丈夫だよ、泣かないで?》
小さな愛おしい頭の上に何度も口付けて、アルヴィナを宥める。
《だって……お腹から血が……カーティス……》
(……お腹……?……血……?)
《カーティス……いや……返事をして……おいていかないで!!》
泣き縋る愛らしく小さな妖精は、知性をたたえた瞳を涙で潤ませた、月下の女神へ姿を変えた。愛おしく憎らしいほど輝く美貌。
(あぁ、そうか。私は……)
巡らせた視線の懐かしい風景に、カーティスはゆっくりと瞬いた。
(ここには……)
幸福の全てがあった。疑いようもなく幸福を信じていられた。すっと息を吸い込み、諦観に瞳を閉じた。泣きじゃくるアルヴィナをそっと抱き寄せる。
「アヴィー、泣くな。おいてなど行かない。逝くならお前も連れて行く。」
アルヴィナの涙に濡れる頬を拭い、湖面の瞳を見つめた。置いてはいけない。
「アヴィー、もう泣くな。」
華奢な身体を抱き寄せ、額に口付けを落とす。幸福な夢に別れを告げ、視界はそのまますぐに暗転した。
※※※※※
じっと見つめたカーティスの瞼が震えた気がした。
「……カーティス……?」
そっと祈るように呼びかける。もう10日、カーティスは眠り続けていた。
「兄様、お願い……起きて……?」
静かに眠る美貌にふれ、アルヴィナは夜明けを願った。声にするとこらえ難くなった。寂寞と不安に押しつぶされ、涙となって思いが溢れた。
「お願い……一人にしないで……」
嗚咽を漏らすアルヴィナの頬に、大きく節くれ立つ手のひらが触れた。じわじわと染み込む体温に、呆然と顔を上げた先で、カーティスのアイスブルーと視線が絡んだ。
「……兄、様……」
「………アルヴィナ……」
掠れた低い美声に息が止まった。奥底から湧き上がった、うねるような感情の波に身体が震える。
安堵を押しのけるように、愛おしさに胸が引絞られ、勝手に身体が動き出しカーティスの胸に飛びついた。
「兄様……!!」
飛びついたアルヴィナを、カーティスが抱き止める。回された腕は、ずっと昏睡だったことを感じさせない程力強かった。
「お前はいつも泣いている……」
押し付けた胸から振動と共に、からかうような声音が響き、ますますアルヴィナの涙腺を刺激した。
「……兄様のせいです。」
「私のせいか……。もう泣くな、アヴィー。起きただろう?」
「……一人にしないで……置いていったりしないで……!!」
泣きじゃくるアルヴィナを抱きしめたまま、カーティスはくすりと笑みをこぼした。
何を心配することがあるというのか。過去において、現在にあって、この先の未来にアルヴィナはカーティスにとっての唯一であり続ける。置いてなどいかない。必ず一緒に連れて行く。
「……アヴィーは我儘だな……」
全てをかけて証明させ続け、なお注文をつけるアルヴィナに、カーティスは苦笑をこぼした。
「身にしみたか?アヴィー?」
残される側がどんな思いか。皮肉げな口調に、アルヴィナはへにゃりと顔を歪ませた。
「ははは。」
カーティスは笑い声を上げた。消えていた感情が、次々と浮かんでくるようだった。
「アヴィー。」
ようやく取り戻せた妖精を、思いのまま抱きしめる。ここにいる。手を伸ばせば触れられる。抱き寄せたぬくもりにため息がこぼれた。
たった一人全てをかけて求めた女が側にいること。アルヴィナには薄汚く映った夜明けは、カーティスにとって願い続けた夜明けだった。
側に彼女がいさえすればいい。ただ側に。
長く孤独に悪夢を彷徨った王は、願った通りの夜明けを迎えた。
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