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レイノルズの悪魔 南領へ行く
婚約者の訪問
しおりを挟むはっきりいって、震え上がった。この男に私は一度、断罪されたのだった。そのことをいま、どうしても思い出してしまう。
言葉にもならず、聞こえるのは私の浅い呼吸音くらい。
「レディ・レイノルズに非はありません」
未だに土下座ではありながら、ルーファスがきっぱりとした口調で話しはじめた。
「殿下におかれては、この世のものでない美姫をお探しとのこと。レディ・レイノルズはそれを気に病んだのです」
「…僕が悪いと?」
駄目だ!もう、ルーファスは死ぬしかない。少なくともいま、打擲くらいはされるんじゃないかな!わたしはぎゅっと目を瞑った。
「殿下の手紙がレディ・レイノルズを泣かせたのは真実です」
泣いてないわよ!いやな気持ちにはなったけど、正直なところ以前のクロードさまと、今のクロード少年ではなぜか同じものをそれほど感じないのだ。まるで兄と弟みたいで、別の人のようで。
しかし、クロード少年は腕をくんだまま眉を寄せた。
「アイリス・レイノルズが泣く?」
いかにもレイノルズの悪魔が?と言いたそうなクロード少年に、
「泣いていません!…ただ、わたくしの使用人のひとりが殿下の…その…」
おしりを箒で叩けといったのは、追及されたらトリスも私もピンチよね。
「とにかく、あの手紙は私を侮辱するものなので、怒ったほうがよいと…でも、私、両親も、祖母もなくなっておりますでしょう?」
段々何を言っているのかわからなくなってきた。支離滅裂だわ。
「それで、その、夫婦や婚約者というのがどんなものなのか、ルーファスに訊ねましたの……わたくしさえ、我慢すればいいものと思っていたのですが…」
めちゃくちゃになってきて、言葉に詰まって口を閉じた。もし、ルーファスが言う通り夫婦に必要なのが信頼できるかどうかだとしたら、わたしははじめからクロードさまとはうまく行かないはずだったのではないだろうか。
そもそものはじまりが、まちがっていたのだ。
「よくわからないが…きみは、さ。噂とは随分ちがうみたいじゃない?」
クロード少年は、こちらまで歩いてきて、しゃがみこんだ。急に態度が軟化したようなのも不気味で、身構える。
「クロード皇太子もちがいますわ。この間だって、突然走り出したりして…」
つい、口走ってしまった。クロード少年は目を大きくみひらいて、私の顔を見ている。
「嫌だったの?」
「鹿は可愛かったですが、殿下とお友だちは、なんというか…」
どう表現したらいいだろうか、ほんの何ヵ月か前まで、クロードさまは何でもできる完璧なひとだと思っていた。けれどこの少年は、完璧とは程遠い。
「レディ・レイノルズは幼くても立派な淑女ですから」
ルーファスは座ったまま、つい、というように口をはさむ。クロード少年に睨まれて口を押さえたが、聞こえてしまったあとだ。
「僕が、なんだって?」
「ショックだったでしょうね、あったこともない子供たちに、悪し様にいわれたのですから」
ルーファスはどうしてしまったのか、さっきからクロード少年に突っかかるようなことばかりいう。クロード少年はふうん、と変に素直にうなづいた。
「まあ、それはそうか…それは僕の友人らが失礼した」
いやいや、貴方もいってたじゃない。十歳かそこらのクロード少年は、あんまりに子供らしく無責任で、やはりわたしの知っているクロードさまとはずいぶん違う。
何時だって彼は皇太子という重責を負ってわたしの側にいたのに。あるいは、これがクロード様なのかもしれない?
私のしっていたクロードさまというのは、私がみていた皇太子という幻影だったのかしら?
「ああ、馬がいる!君、馬に乗れるのか?」
ほら、また話の途中で駆け出してゆく。まあ十歳位の子供なんてそんなものかしら。
わたしに腹をたててわざわざこんな遠いところまでやってきたのに、そんなことすっかり忘れているみたい。
「いま、練習中です。殿下はお乗りになりますか?」
「馬はいるけど、周りに14になる迄は乗らないよう、言われているんだ」
まあそうよね、皇太子になにかあったら大変だもの。と、わたしはうなづいていたのに、ルーファスときたら
「流星はおとなしい馬ですよ、遊園地の乗馬だったこともあるんです。のってみますか」
驚いて言葉もない私より先に、クロード少年は目を輝かせた。
「いいのか?」
私に聞かれても、責任なんて持てないのに!けど、クロード少年からすればルーファスは私の従者のひとりだ。
「ええ、その…危なくない程度なら」
「ありがとう!」
きらきらした、本当に子供らしい可愛らしさ全開の笑顔に、私は驚いてしまって、何も言葉を返せなかった。
クロードさまにこんな一面があるとは、思いもしなかった。
短気で早合点で、元気いっぱいで、外遊びが好きで、ちょっと強引で、そして
「かわいいわ」
年の離れた弟がいたらこんな感じだろうか?くるくる変わる表情に、思わず声を漏らすと
「アイリスの言う通りだ!馬はかわいい。僕もはやく自分の馬に乗りたいものだ」
ルーファスが手綱をひいている馬上から、クロード少年が手をふり、うれしそうにしているのを見ていると、とてもあの、威厳と誇りが服を着ているような男性になるとはおもえず、笑いがこみあげてくる。立場がかわると人も、ちがってくるのだろうか。
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