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身も心も縛られて(2)

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 金沢に到着したのはそれから約二時間半後で、真琴はホームから降りたところで直樹と別れた。直樹は早急に土産物が必要になったため、すぐに売店へ行かなければならないのだそうだ。

 途中、振り返ったかと思うと、笑いながら大きく手を振る。

「んじゃな。楽しんでこいよ。こっちでわかんないことあったら、連絡くれてもいいから。電話番号もLINEも昔と変わってないし」

「うん、ありがとう。仕事頑張ってね」

 真琴も人の流れに乗り改札を目指す。

(……ちょっと寒いな)

 暖房はかかっているのだろうが、どこか肌寒くコートの襟を合わせた。

 それとも、再び薫と暮らすことへの恐れが、体を凍り付かせようとしているのだろうか。

 いずれにせよ、今日は雪が降ると聞いている。折り畳み傘を用意しておいて正解だった。

 やはり、太平洋側と日本海側は気候が違う。薫は風邪を引いていないだろうか、体調を崩していないだろうかと、ふと昔のように心配になってしまった。

 脳裏にまだ義弟だった頃の薫の、同級生の中でも一際小柄で華奢で、よく少女と間違えられた、可愛らしかった中学時代が思い浮かぶ。

(あの子、あの頃喉痛めやすかったもんね。ちゃんと野菜、果物食べてるかな。ビタミン、ミネラルって男飯だと不足しがちだって聞いたし……)

 薫はしっかりしているが、勉強や趣味に夢中になると、食事が適当になる傾向があった。自分がいない間にコンビニ弁当などで済ませていなければいいがと思う。

 切符を改札に潜らせ接続された駅ビルに出ると、急に行き交う人の数が増え、辺りがにぎやかになった。ショッピングモールやレストラン街目当てだろう。東京から直通の観光地だけあり、軽装の外国人も多く見かける。

 だが、どの通行人も真琴とたった今すれ違った、着物姿の男性ほど印象的ではなかった。

(わっ……着物?)

 つい振り返って後ろ姿を目で追ってしまう。

 栗皮の着物を臙脂の帯できりりと締め上げ、漆黒の羽織をさり気なく着こなしている。濃い色が長身痩躯をよく引き立てていた。気負いのなさと迷いのない歩き方から、普段から身に纏っているのだと見て取れる。

 年は三十代後半から四十代前半だろうか。くぼんだ頬とどこか影のある切れ長の目、整えられた黒髪から一筋、二筋落ちているところに色気があった。

(雰囲気ある人だな。お茶の先生とか?)

 さすが歴史と伝統の街だと感心しつつ、人通りを避けて近くの柱に背をつける。

(えっと、薫の暮らすマンションの住所は……)

 スマートフォンを取り出し、アドレス帳を立ち上げていると、どこからか「真琴!」と掠れた声に呼ばれて顔を上げた。

「えっ……?」

「真琴!」

 肩を叩かれその手の主にぎょっとする。スーツにトレンチコートを羽織った薫だった。

「か、薫!? 修習中じゃないの!?」

「今日は早く終わったんだ。LINE見た?」

 慌てて再びスマートフォンに目を落とすと、確かに薫から何件もメッセージが届いていた。

「ごめん、気が付かなかった。でも、これだけ込んでいるのに、よく私がわかったね?」

「そんなの当然だろ」

 真琴の到着時間に間に合うと踏んで、急いで迎えに来たのだという。

「真琴、方向音痴だろ。絶対に道に迷うと思ったから。飯食って一緒に帰ろう」

「……」

 確かにずっと地図を読むのが苦手で、道に迷うのはもはや特技である。しかし、改めて指摘されるとなんとなく腹が立つ。

 なけなしの義姉としてのプライドが、ここまで来ても捨てられないのが悲しかった。

「あれ、拗ねた?」

「拗ねてなんか……」

 いい年をして、子どもでもあるまいしと気を取り直し、「じゃあ、ご飯に行こうか」と身を翻そうとしたその時だった。なんの前触れもなく背に腕を回され抱き締められたのだ。

「か、薫……」

 頬と耳が厚い胸に押し付けられ、コートとスーツ越しに心臓の鼓動が聞こえる。

 直樹と付き合っていた時ですら、人前でいちゃついたことなどない。真琴は日本人として人並みの感覚の持ち主なので、「ちょ、ちょっと!」と手足をばたつかせた。

「こ、こんなところで……」

「真琴、会いたかった」

 切なげな声が耳をくすぐる。

「何、言って……」

 薫と別に暮らしていた期間は二週間もない。相思相愛の恋人だって長年連れ添った夫婦だって、これくらい会わないことは珍しくないだろう。

「俺にとっては長かったんだよ。こんなに真琴と離れていたのは初めてだ」

「……」

 腕に力が込められ、息苦しさに喘ぎながら、真琴は薫の恋情はやはり錯覚なのではないかと感じていた。

 薫には幼い頃から寂しがり屋のところがある。六歳で父親をガンで亡くし、十三歳で母親を事故で亡くしているので、トラウマになっていても不思議ではない。

 だから、いつもそばにいてくれた存在に執着するのではないか。

(もう、元に、戻れないのかな……)

 悲しさに瞼をかたく閉じ、薫を抱き締め返しながらそう思う。

 まだ家族としての薫が諦め切れなかった。



 薫の暮らす1LDKのマンションは、繁華街から歩いて十分ほどのところにあった。周囲には公園やヨーロッパを思わせる教会があり環境がいい。観光地やデパート、スーパーへのアクセスもよく、この辺りでは一等地なのではないかと思われた。

 まだ築五年だからか、部屋のクリーム色の壁紙に劣化はなく、ナチュラルな木目のあるフロアも傷一つなく滑らかである。キッチンはシンクもヒーターも広く使いやすそうだった。

 真琴にとってキッチンは聖域なので、機能性と清潔さに胸を無で下ろしながら、「ここ、家賃いくら?」と不安にもなっていた。
 
 いくら地方とはいえ、どう考えてもお安くはない。

 「ここがトイレ、ここが風呂」などと案内されつつ、恐る恐る肩の上にある薫の顔を見上げる。

「ねえ、薫。ずっと聞きたかったんだけど、お金、大丈夫? その……」

 眼鏡のレンズの向こうの黒い目が面白そうに細められた。

「真琴は何も心配することはないから」

「……」

 金の出どころを聞きたかったのだが、吐かせるのは手こずりそうだった。

 ひとまず手持ちの荷物を整理し、身を清めようと浴室へと向かう。

 脱衣所でカーディガンを脱ぎ、疲れから一息吐いた次の瞬間、背後からカチリと音が聞こえたので、何事かと振り返って目を見開いた。

 薫が鍵を掛けていたのだ。

「ど、どうしたの……」

 怯える真琴を素早く捕えて抱き締め、背を愛おしげに何度も撫でながら、「ああ、真琴の香りだ」と溜め息を吐く。
 
「もっと真琴を感じたい」

「か、おる、ま、待って……」

 服を脱がされ下着を剥がれ、肌が薫の目に晒され身を震わせる。

「真琴、好きだよ」

 眼鏡を外した薫の瞳は、凪いで優しくすらあった。
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