天使と悪魔の契約結婚

東 万里央(あずま まりお)

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2巻

2-3

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 セラフィナはそれから一週間、グリフィンが戻る日を指折り数えていた。彼の話したいことがなんなのかひたすら頭をひねる。
 そして、一週間後。戻ってきたのは、外務大臣とジョーンズだけだった。
 グリフィンはどうしたのかと詰め寄るセラフィナに、ジョーンズは謝罪をする。

「申し訳ございません、セラフィナ様。私がついておりながら……」
「なにが……いったいなにがあったのですか?」

 するとジョーンズが「どうぞ落ち着いてください」とセラフィナをなだめた。

「――グリフィン様はアレマニアとの交渉がまとまった翌日に、の地で失踪しっそうされたのです」

 腹心の従者である自分ですらまだ事態を把握できていないのだと言いつつ、ジョーンズは青ざめた顔で伝えてくる。
 そしてそれから三日が過ぎた。 
 セラフィナは居間の長椅子にそっと腰掛ける。つい二週間前までは隣にグリフィンがいたのに、なぜ今自分はひとりなのかと溜め息をく。
 王家やハワード家から内密に捜索隊を派遣しているだけでなく、アレマニアの宮廷とグリフィンの母・アナスタシアの実家であるアーレンベルク家にも協力をあおいでいる。それなのに、かんばしい結果は得られなかった。一日、二日と時が過ぎるごとに、不安で精神が摩耗まもうされていく。
 外務大臣とジョーンズによると、グリフィンは同盟のけつ後に大使館に宿泊した。翌日、朝食を取ったあと、付近を散歩してくるが、すぐに戻るので供はいらないと召使いに伝え、大使館を出たのだそうだ。
 ところが一時間経っても二時間経っても戻らなかった。
 失踪しっそうの理由もその行き先にも思い当たらず、ジョーンズは頭を抱えるしかなかったという。街中をくまなく捜索したが発見できなかったことを、繰り返し申し訳ございませんと謝っていた。

「グリフィン様……」

 セラフィナは力のない声でいとしい人の名を呼んだ。
 いったいどこにいってしまったのか。強盗、誘拐、殺人と、悪い想像ばかりが頭を巡る。グリフィンが強靭きょうじんな肉体と精神を持ち、体術にも剣術にも優れているのは知っているが、まさかという思いがぬぐえない。血まみれの彼を想像し、セラフィナは顔をおおう。
 ちょうどそのとき、居間の扉が二度軽く叩かれた。

「セラフィナ様」

 ――ジョーンズだった。
 セラフィナは慌てて目尻をくと、「どうぞ」と声をかける。ジョーンズは音もなく扉を開け、胸に手を当て軽く頭を下げた。

「グリフィン様の失踪しっそう後の足取りの一部がつかめました」
「……っ!!」
「現地の花売り娘が接触していたそうです」 

 グリフィンはアレマニアの帝都・アクアグランの街中を、ひとりの男性と歩いていたのだそうだ。花売り娘はグリフィンの美貌びぼう驚愕きょうがくし、花を売るのも忘れてれていたらしい。
 その際グリフィンの外套がいとうからハンカチが落ち、風に流されて花売り娘の足下に落ちた。娘は急いでグリフィンを追いかけ、ハンカチを手渡したということだ。
 そのとき、グリフィンは礼を言い、ふところから財布を出した。

『とても大事なハンカチでね、なくすわけにはいかないものだ。礼に君の売る薔薇ばらを一本もらおうか』

 そうして、花一輪の代金としてはだいぶ高い、銀貨三枚を握らせたのだそうだ。
 それを聞いたセラフィナは「ひとりの男性?」と首をかしげる。

「グリフィン様はどなたかとご一緒だったのですか」

 ジョーンズはしっかりと頷いた。

「娘によると、五十代ほどのそれなりの身なりの男だったそうです」

 その男性が何者なのかがまったく思い当たらず、セラフィナは唇を噛む。ただ、グリフィンはなんらかの事件に巻き込まれ、それにその男性が関わっている気がした。
 長椅子から立ち上がり、りんと前を見据えて彼女は言葉を紡ぐ。

「ジョーンズさん。この件は社交界にもハワード家の親族の方々にも一切漏らさないよう、執事に伝えてください。王家にも事実は伏せるよう依頼し、グリフィン様は国の要請で現地での視察を続けている……表向きにはそう公表してもらいたいと、すぐにお願いして。ブラッドフォード公の不在の理由にはそれで十分でしょう」

 ハワード家の係累におけるグリフィンの影響力は絶大なものだ。グリフィンがいるからこそ、まとまっていると言える。もし、彼が失踪しっそうしたと知られれば、その平穏が揺らいでしまうだろう。
 今、セラフィナはたとえ偽りであれグリフィンの妻として、まずはその対策を講じなければならなかった。
 感情に任せて思いを吐き出し泣くことならば、いつでもできる。内心は不安で不安で、どうにかなってしまいそうだ。それでも――

「……っ」

 セラフィナはこぶしを固く握りめ、ぐっと涙を堪えた。
 愛する人の無事を信じ、行動する以外になにができると言うのか。
 大きく息を吐き次に思い切り吸い込むと、セラフィナはジョーンズを真っ直ぐに見つめた。
 ジョーンズは彼女のセレストブルーの眼差まなざしにはっとした表情になり、ふたたび胸に手を当て頭を下げる。

「かしこまりました。すぐにそのように取り計らいます」
「……ジョーンズさん、私はアレマニアへグリフィン様を捜しに参ります」

 セラフィナはドレスをひるがえして庭のほうへ歩き、窓枠をしっかりとつかんでつぶやくように告げた。

「ついてきて、いただけますか」

   ◇◆◇◆◇


 アルビオンの東にあるローレシア大陸には、今から数百年前、大帝国が存在していた。その帝国は広大な領土を有し、たくさんの植民地を支配して、この世の栄華を謳歌おうかしていたそうだ。
 ところがあるときを境に、異民族の侵入に苦しめられる。軍隊の維持費がかさんだため、徐々に属領を手放さなければ立ちいかなくなり、最後には分裂し、国の形を成さなくなった。
 それから千年以上もの時が流れ、暗黒の世紀と呼ばれる時代をた今、大陸には様々な国家が乱立している。
 とりわけ力を持っているのがアレマニア帝国で、近代的な工業技術と強力な軍隊を持っていた。
 ――アレマニア帝国南西部、ラーヴェ国際港。
 アルビオンの国際港から三日間の航海をて、セラフィナはそのアレマニアの港に降り立っていた。
 アレマニア最大の港と言うだけあって、船着き場の規模が大きい。灰緑色かいりょくしょくの海上には大型船がずらりと並び、そのマストには各国の国旗がはためいていた。
 旗と空の間を白い翼の海鳥が飛んでいる。
 波止場はとばには乗客らの手荷物が置かれ、船員たちが忙しく積み下ろしをしていた。輸出品を保管してあるのか、彼らの後ろには巨大な煉瓦造れんがづくりの倉庫がいくつも並んでいる。
 また、乗船客の疲れをいやすための、レストランや喫茶店も多くあった。
 今は正午近くという動きやすい時間帯のせいか、人と荷物の行き来が非常に激しい。
 人々は皆一様に寒さに耐えるため、外套がいとうと帽子、手袋を身にまとっていた。生地の色が黒、茶、こんなどの暗い色が多いせいか、ラーヴェ港は全体的にどこか重苦しく見える。
 セラフィナとともにきたジョーンズが、波止場はとばの片隅のベンチ近くで周囲を見回した。

「このあたりにアーレンベルク家から迎えがきているはずなのですが……」

 アーレンベルク家はアレマニアの貴族で、アーレンベルク侯の呼称とそこそこの領地を持つ。そして、グリフィンの母の生家でもあった。
 今回セラフィナがグリフィンの捜索をするにあたり、彼らは人と宿の提供を申し出てくれたのだ。
 現当主は、グリフィンの母の長兄の長男――すなわちグリフィンの従弟いとこに当たる。顔を合わせるのは初めてだが丁重に礼を言わなければならないと、セラフィナは今のうちから気を引きめていた。
 てつく寒さに身を震わせつつジョーンズに尋ねる。

「ジョーンズさん、迎えの方に目印はありますか?」
「はい。A・Bと書いた看板を持っているからと聞いているのですが……」

 セラフィナは、注意深くA・Bの看板を探した。ところが数分後、目的の看板ではなく、見覚えのあるたくましい背を目にする。全身が歓喜で沸き立った。

「グリフィン様……!?」
「――セラフィナ様?」 

 ジョーンズの声にも構わず、夢中で駆け出す。今見失っては、また会えなくなってしまう――その一心で必死に二本の足を動かした。
 人込みの中に遠ざかる背を逃すまいと、漆黒しっこく外套がいとうに包まれた腕をつかむ。

「……グリフィン様!!」

 しかし、その男性は、愛する人とは正反対の色彩をびていた。 

「……っ!?」

 セラフィナは目をまたたかせる。
 グリフィンは直毛の黒髪をいつも丁寧に整えているが、この男性は金髪のくせ毛をさらりと流していた。それは夜のやみではなく夏の陽の光を思わせる。瞳はサファイアの最高級色であるヤグルマギクの青だ。
 ただ彼とグリフィンは、背格好だけではなく、顔立ちもよく似ていた。
 男性は帽子を取り胸に当てると、セラフィナを明るい笑みで見下ろした。

「やあ、綺麗なお嬢さん。俺になんの用だ?」

 ――それは、アレマニア語だった。
 声も、グリフィンの低くつややかなそれではなく、冬の空に朗々ろうろうと響き渡るテナーだ。
 セラフィナはしばし呆然としていたが、やがて心のうちでがっくりと肩を落とした。
 グリフィンではない。
 彼はこの世にたったひとりしかいない。
 どれだけ似ていようとこの男性は別人でしかないのだ。第一これほど簡単に見つかるのなら、誰も苦労はしないだろう。
 勘違いで我を忘れただけではなく他人に迷惑をかけてしまったと、セラフィナは自己嫌悪にさいなまれる。
 男性の腕から手を離し、丁寧に謝罪の言葉を述べた。覚えたてのつたないアレマニア語が、なんとか形になったのが救いだ。

「お手数をかけてしまい、申し訳ございません。……人違いでした」

 もう話は終わったと、セラフィナはジョーンズのもとに戻ろうとする。ところが、今度は男性から肩をつかまれてしまった。

「待った!!」
「……っ!?」

 すでに歩き出していたためにバランスを崩し、セラフィナは背中から男性の胸に倒れ込む。
 急に肩をつかまれたことにもだが、男性の言葉がアルビオン語だったのに、彼女は驚いた。しかもかなり流ちょうだ。

「な、なにっ……?」

 男性は口では「おっと、ごめん」などと言うものの、セラフィナの腰に手を回し抱き寄せたままだった。

「そのなまりはアルビオン人だろう? 今この国に到着したばかりか?」

 男性は微笑ほほえみながら顔を覗き込んでくる。

「まあ、なんでもいい。この出会いを人違いから本物にする気はないか? 一目惚れなんだ。君は運命を信じるかい?」

 グリフィンとはほど遠い、女好きの軟派男なんぱおとこそのものの台詞せりふに、セラフィナはかえって冷静になった。

「……私はその運命の方ではありません」

 体勢を立て直して男性から離れると、素早く外套がいとうの乱れを整える。そして、左手の薬指にはめられた、GとSのイニシャルの刻印がある黄金の指輪を見せた。

「私は、もう結婚しています」

 すると、男性のサファイアブルーの目が、落ちるのではないかと思うほど見開かれる。

「ですから、ご期待には添えないかと……」

 結婚指輪の効果は抜群だったらしく、男性の肩ががっくりと落ちた。

「既婚……人妻なのか」

 ところがしばらくすると、彼はがばっと顔を上げ、今度はセラフィナの両手を握りめてくる。

「あ、あの!?」
「だったら期間限定で火遊びなんてどうだい? せっかくアレマニアにきたんだ。アレマニア男を味見してみるのもありだろ。後悔はさせないよ?」

 白昼堂々公衆の面前で不倫を誘われ、セラフィナはさすがに絶句した。冷静に、冷静に、とみずからに言い聞かせつつ、やんわりと男性の手を振り解く。

「味見などという真似をする気はありません。どうぞ別の方になさってください」

 そのけんもほろろな態度に、男性が苦笑した。

「アルビオン人はお堅いって聞いたけど、それで人生楽しめるのかい?」

 余計なお世話だと憤慨ふんがいしつつ、セラフィナは身をひるがえしてその場を立ち去った。
 どれほどそっくりの美貌びぼうであろうと、彼とグリフィンはまったく違う人間だと実感する。
 ふと、指輪の冷たさを感じた彼女は、立ち止まって右手で左手をそっと包み込んだ。
 現在グリフィンとの繋がりがあるものは、この仮初かりそめの結婚指輪だけだ。
 それは、決して外すわけにも失くすわけにもいかなかった。


 ふたたびジョーンズと合流したセラフィナは、アーレンベルク家の迎えを見つけ、ようやく馬車に乗り込むことができた。それから一日半をかけて、アーレンベルク領を目指す。
 アーレンベルク領までの道のりの景色は、馬車道の両脇にずらりと並ぶ針葉樹に、それらと地を包み込む雪、青灰色せいかいしょくの冴えない空がすべてだった。
 アルビオンよりも寒さが厳しく、外套がいとうを二枚重ねなければ耐えられない。
 針葉樹の枯れ茶色と雪の純白、空の青灰色せいかいしょくの三色を見慣れたころに、その屋敷は突如として姿を現す。
 針葉樹におおわれた小山の上にアーレンベルク邸はあった。
 東側にそびえ立った石造りの見張り塔は、いかにも堅牢けんろうに見える。一方で、居住区となる中央の邸宅は、青灰色せいかいしょくの屋根と白壁が美しい華麗なものだ。アレマニアの冬の空、雪の色と同じであるところが小粋である。
 もともとは九百年前に要塞として建てられ、以後改築をくり返して現在の姿に落ち着いたらしい。特異なその外見から一帯の目印となっており、領民から「アーレンベルク城」と呼ばれているのだそうだ。
 馬車は専用の通路を上っていく。門番の控える愛想のない門をくぐり、跳ね橋を伝って中へ到着した。
 建物内はアルビオンの貴族の屋敷とそう変わらない。玄関には豪奢ごうしゃな空間が広がり、それに美術品を飾った廊下が続く。そして、応接間をはじめたくさんの部屋があった。ただ、金箔でそうごんに飾られた家具が多く、絵画の色彩は黒や茶にかなりの配分がかれていて重苦しい。この暗い美しさがアレマニアの特徴なのだろうか。
 セラフィナとジョーンズは、現当主でありグリフィンの従弟いとこ――ジークフリート・フォン・アーレンベルクに挨拶あいさつをするために、応接間へ通された。
 その部屋の四方の壁には、それぞれアレマニアの古代の神話を描いたタペストリーがかけられている。家具と壁紙は屋根の色に合わせたのか、青灰色せいかいしょくに金の刺繍ししゅうほどこしたもので統一されていた。
 セラフィナは長椅子に腰掛け、現アーレンベルク当主であるジークフリート・フォン・アーレンベルクについての情報を、ジョーンズに確認する。
 ジークフリートは十七歳で当主の座につき、現在二十二歳になる。いまだに独り身で、結婚するなら政略ではなく、みずから見初みそめた人と、と豪語しているらしい。
 話を聞くだけでは相当の変わり者である。

「ずいぶん変わ……面白い方なのですね。金髪碧眼きんぱつへきがんだとのことですが、グリフィン様に似ていらっしゃるのでしょうか?」

 セラフィナの質問に、ジョーンズは書類を仕舞いつつ、首をかしげた。

「さあ? そこまでは存じません。ただ、グリフィン様は先代のブラッドフォード公よりも、奥方のアナスタシア様に似ていらっしゃるとうかがっておりますので、それなりに似ているのではないかと思われます」

 そういえば港のあの男性は本当にグリフィンに似ていたとセラフィナがなにげなく思い返したとき、扉が叩かれる。そして、メイドが音もなく扉を開けた。
 これも屋根の色に合わせたのだろうか、青灰色せいかいしょくの紳士服を身にまとった、金のくせ毛の男性が現れる。

「お待たせして申し訳なかった」

 セラフィナは思わず腰を浮かし、セレストブルーの目をまん丸にした。

「あ、あなたは……!!」

 あの軟派男なんぱおとこではないか。
 男性も一瞬目を丸くしたが、「やっぱり運命か?」と笑いつつ、楽しげに腕を組んだ。

「また会ったな、亜麻色あまいろの髪の天使」

 朗々ろうろうとしたテナーが室内に響き渡る。

「ではあらためて。初めてお目にかかる。アーレンベルク家現当主、ジークフリート・フォン・アーレンベルクだ」

 一昨日おとといの軟派な態度が嘘のように、男性――ジークフリートは、対面する長椅子に堂々と腰を掛けた。こうして見ると立派なアーレンベルク侯である。
 彼はいかにも心を込めて、セラフィナにねぎらいの言葉をかけた。

「はるばるアルビオンから大変だっただろう。当家もブラッドフォード公の捜索に全力を尽くすつもりだ」

 そう言って、グリフィンの捜索に全面的に協力すると約束してくれた。
 列強の一国である大アルビオン王国の有力者に、アーレンベルク家の血を引く者がいるということは、アレマニア帝国としてもアーレンベルク家としても大きな利になる。その縁を失うわけにはいかないということだろう。

「だが、奥方に一つ確認しておきたい」
「なんでしょうか?」

 セラフィナは背筋を引きめた。
 ジークフリートが彼女の目に自分の目を合わせる。彼の瞳のサファイアブルーが港で見たときより濃く深く見えた。

「酷な話だが、男はいくつもの愛を持つことのできる生き物だ。行方ゆくえくらましていると思ったら、愛人のもとにしけこんでいた――そんな話はうんざりするほどある。グリフィン殿には何度かお会いしたことがあるが、女が放っておくとは思えない、いい男だ。本当に行き先に心当たりはないのか?」

 面白がっているような、試すような眼差まなざしだ。
 セラフィナはそれをしっかりと受け止めたうえで、静かに首を横に振る。

「いいえ、ありません。おっしゃるような理由ならよかったと思います。それだけなら、私もここまできませんでした」

 グリフィンに真に愛する人がいるのなら、その人のもとへいくのを止める権利は、自分にはない。身を引き裂かれるように辛いだろうが、偽りの妻になにか言えるわけがないと自覚している。
 だが――
 セラフィナは真っ直ぐにジークフリートを見つめた。そのセレストブルーの瞳に浮かぶ強い光に、ジークフリートが息を呑む。

「グリフィン様は責任を放棄できる方ではありません。あの方は誰よりもなによりも、ブラッドフォード公であることに誇りを抱いていらっしゃいます。こうして行方が知れないのは、なんらかの理由があるに違いないのです」

 そのままセラフィナはじっとジークフリートを見つめる。
 一分、二分、三分と時が過ぎ、沈黙を破ったのはジークフリートだった。

「……愚問だったな」

 綺麗な口元には苦笑いが浮かんでいる。やがて彼は立ち上がり、窓に目を向けた。

「委細承知した。捜索は三日後から始めよう。宿泊の間、この城を自由に使ってもらって構わない」

 彼の青い目には、降りしきる雪が映っていた。


 大陸の冬の夜はアルビオンのそれよりも、暗く、寒く、風の音が低かった。
 セラフィナは小さく溜め息をいて寝返りを打つ。獣のうなり声にも似た風が吹雪を起こして、窓をきしませていた。
 アレマニアではこうした夜を「狼の冬」と呼んでいるそうだ。その呼称は古代の神話に登場する獣神に由来する。獣神は白い狼の姿をしており、この神が太陽を喰らうために冬が訪れるのだと信じられていたらしい。
 不安と緊張からか、セラフィナの目は冴えてしまっていた。温かい茶を用意してもらったが、二杯飲み終わっても眠気がまったく訪れない。
 やむを得ずベッドから起き上がると、枕元にあったランプを片手に持って部屋を出た。
 アーレンベルク城は廊下に彫刻や絵画が多く置いてある。歴代の当主が揃いも揃って収集家であるからだ。それらを鑑賞して、気分を変えようと考えた。
 廊下にある大型の絵画は、季節の風景を描いたものがほとんどだ。春、夏、秋の花や緑、実りを主題とした作品が主で、冬の雪を描いたものは少ない。アーレンベルク城の青灰せいかいと白で十分だと思ったのかもしれない。
 最後の一枚を見終えたセラフィナは、ランプをかかげつつ引き返そうとした。ところが、途中、一室の扉が開いているのに気づいて、足を止める。
 ジークフリートに昼間受けた簡単な案内によると、絵画の収集室だという部屋だった。客人が滞在中は、自由に鑑賞してもらえるよう、日中、開放されているのだそうだ。
 召使いが閉め忘れたのだろうかと思いつつ、セラフィナはそろそろと足を踏み入れた。
 収集室は思っていた以上に広くて天井が高かった。どうやらかつては舞踏室だったようだ。
 東側の壁には古代アレマニア神話の神々の絵画、西側には現代のアレマニア人が信仰する西方教会の宗教画、南側にはアレマニアの歴史を描いたもの、北側には数世代に渡る家族の肖像画が飾られている。
 東側から見始めたセラフィナは、一時間半後にようやく北側に辿たどり着いた。飛ばして見たつもりなのに、あまりにも絵画の数が多く、思ったよりも時間がかかってしまった。
 家族の肖像画は、先々代のアーレンベルク当主――ジークフリートの祖父の世代からのものだった。出兵前らしく軍服を着た先々代は、いかめしい表情で勇ましく見える。その隣にはたっぷりとしたドレスを身にまとった、まだ若く美しい奥方の肖像画があった。
 現アーレンベルク公であるジークフリートの立ち姿も描かれている。彼は顔立ちこそグリフィンとよく似ているが、髪と瞳は母親譲りらしい。下に飾られている両親の肖像画がそれを示していた。
 こうして様々な年代のドレスを見るのは楽しく、セラフィナは久々に心を弾ませた。さらに隣の肖像画を見ようとランプを近付ける。そしてあっと声を上げそうになった。

「これは……」

 家族の巨大な肖像画だった。左側には先々代が、右側にはその奥方が、間には六人の子どもたちが並んでいる。
 セラフィナが驚愕きょうがくしたのは、その中の、漆黒しっこくの髪と瞳をした十歳くらいだと思われる少女のせいだ。
 目を見開き、「……似ている」とつぶやく。
 そう、少女はセラフィナの知るその人によく似ていた。
 く心を抑えて、セラフィナは隣の絵にもランプを近付ける。そこでは一抱えほどの大きさの肖像画が、ところ狭しと壁を埋めていた。


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