鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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四章 礎

二十六.睦月

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  山々が赤く染まる秋。
信長は〝熊野詣で〟と称して上洛した。
 供の者は金森五郎八長近、佐々内蔵助成政、丹羽五郎左衛門長秀、木下藤吉郎、蜂須賀小六正勝、まだ正式に出仕を許されていない前田又左衛門利家。
それに、篠蔦しのつた三郎兵衛さぶろうびょうえ翔隆と睦月、それに家臣の明智四郎衛門しろうえもん光征みつまさ
 
 熱田街道から熱田で船に乗り、桑名に上陸して四日市で泊まる。そして追分で鈴鹿峠に出て上洛し、木下藤吉郎に鉄砲を買い占めさせる為だ。
 
 四日市で、翔隆は光征を護衛として信長一行に付けて、後から前田利家、睦月と銭を括り付けた馬一頭と共に鈴鹿峠を目指す。
目的は、その銭を京の都にいる公家に届けるというもの。
峠を歩きながら、ふと馬の手綱を引く利家が呟く。
「のう、翔隆。何やら殺気を感じぬか? 何かこう…燃えさかる炎のような…」
すると翔隆は背の剣を抜いて、ニヤリとした。
「よく分かったな。この気は、一族のもの…それも憎悪だ。―――陽炎だろう! 出て来い!」
翔隆が叫ぶと、目の前に陽炎と見知らぬ男が現れる。
「遠路はるばる、何処へ行こうというのだ?」
陽炎は吊り上がった目を細めて、ニヤリと笑う。すると翔隆は、ギッと陽炎を睨み付けた。
「邪魔をするな、陽炎! これ以上…好き勝手にはさせん!」
「ほお…面白い!」
陽炎は愛用の槍を構えて、翔隆に斬り掛かっていった。
…翔隆は、明らかに憎悪と殺意を剥き出しにして戦っていた。
飄羅ひょうらに言った言葉など、すっかり忘れ去って…。
その戦いを横目に、見知らぬ男が冷笑して睦月の前に立つ。
「久しいな、睦月。まさか父上の腹心でもあったお主が裏切るとは、な…」
景羅かげら……こんな戦いを繰り返し、空しいとは思わないのか、貴方は!」
「楽しい。美しい鮮血と肉片となる人間の姿が、一番いい」
「狂っている!」
悲しげに目を細めて、睦月が言う。
と、京羅の四男である景羅かげら(二十三歳)は睦月の顎に手を掛けて、自分に向けさせた。
「離せ…っ!」
その手を振り解こうとして、睦月は景羅の目を見た。
その瞬間―――例えようもない感覚に襲われる。
〈しまった…!〉
そう思った時にはもう、景羅かげらの《精神制御》の術に陥ってしまったのだ!
 「狭霧に背いた罪を償え!」
景羅の声が、睦月を支配する…。
「………」
〝呪い〟を受けている今の睦月には、その一言だけで何をすべきかが理解出来た。
睦月はゆっくりと翔隆に向き直り、刀を抜いて虚ろな瞳で見ると、その切っ先を何のためらいもなく愛弟子に突き立てていった。
「!? 睦月どのっ! 貴様、睦月どのに何をした?!」
睦月の異変に対して、前田利家が景羅に斬り掛かる。崖っぷちでの激戦となった。
「くっ…!」
翔隆は焦心していた。敏感な馬の側では、《力》も使えない。
しかも相手は百戦錬磨の陽炎だ。
加えて、睦月までもが攻撃してくる…。
〈不利だ…このままでは…!〉
焦りと苛立ちを抑えながら、翔隆は利家に寄る。
「馬を頼む!」
「…承知!」
自分がいては足手まといだと察して、利家は景羅の刃を弾いて馬の轡を取って走り出した。
それを見届け、翔隆は最大の憎しみを込めて《雷撃》を陽炎と景羅に放った。
だが、陽炎は瞬時にしてそれを弾き、景羅は〝代わり身〟を使ってかわす…。
その〝代わり身〟とは、外ならぬ睦月であった。
「ぐっ…!!」
《雷撃》をまともに食らった睦月は、体勢を崩してそのまま谷から落ちる…。
「睦月!!」
手を伸ばした時にはもう、睦月は地獄の底のような暗黒の中に消えてしまっていた……。
〈―――う…嘘…だろ…っ?!〉
一瞬の事で、何が起きたのか…事態が把握出来ない…。
耳鳴りと心臓の鼓動の音だけが、やたらと頭に響く。
「愚か者がっ!」
「危ない!」
 キイン と、後ろで音が聞こえた。
呆然としながらも振り返ると、そこに信じられない物を見た。
利家が―――義成や睦月でさえも敵わなかった陽炎から、槍を奪い取っているではないか!
「としい…え…!」
前田利家は見慣れぬ槍を手に、翔隆を庇うように立つ。
「槍においてはこの又左、誰にも劣らん! 卑劣な手で人を陥れる奴は断じて許せん! さあ!この前田又左衛門利家がお相手仕ろうぞ!」
ギラリと目を光らせて叫ぶ利家の気迫は、相手を怯ませるのに充分であった。
景羅は眉を顰めて消える。
「チッ!」
舌打ちして陽炎は去ろうとする。それを利家が呼び止めた。
「待たれぃ!」
陽炎が振り向くと、利家は異国の槍を投げ渡した。
「!」
「この日の本では二つとない品。かなり使いこんでいると見たので返す! 槍は、使い慣れたが一番じゃ!」
「―――」
陽炎は、驚いたような表情を隠すかのように立ち去った。
それを見送り、利家は翔隆を振り返ってギョッとする。
翔隆が底も見えないような谷底に、降りようとしていたのだ!
「翔隆!」
利家は慌てて翔隆の腕を掴み上げる。
「離してくれ!」
「何をしようというのじゃ! やめろ!」
「助けに行くんだ! 睦月が…っ! 私のせいで睦月が…っ!」
「しっかりせぬか!」
利家は、錯乱状態の翔隆の両肩を掴んで、じっと目を見つめる。
「あの薬師も〔一族〕であろうが! 死にはしない! …今、お主は何の為にここにいる! 家臣として、私情によって主君の任務が遂行出来ませぬなどという事は、許されんのだぞ!忘れたかっ?!」
「……っ!」
「きっと大丈夫だ。…な?」
諭すように言うと、翔隆は理性を取り戻した。
「…ん……済まん」
翔隆は苦笑して涙を拭う。
そうだ――――〔一族〕であり、〔忍〕でもある睦月が、そう簡単に死ぬ訳がないのだ。
今は、早く京に行き銭を送り届けなくてはならない…。
〈…許せ、睦月――――〉
自分の為に、睦月が不幸な目に遇うのは、これで三度目だ…。
そう思いながら、翔隆は利家を伴って先を急いだ…。



 堺で信長らと合流した後、翔隆は許しを得て睦月を探す為に鈴鹿峠に向かった。
落ちた谷やその周辺全てをしらみ潰しに見て探し、〝気〟を以て探ってみたが、睦月の姿は何処にもなかった…。
〈…まさか…死んで野犬に食われたり……そのまま、歩いて何処かで倒れて―――…〉
考えが、どうしても悪い方にばかり向かってしまう…。
 ポツリポツリ、と雨が降ってきた。

…まるで、天が人の死を嘆き悲しむかのように…。
 
そんな中、翔隆は悔しげに俯いて尾張に帰っていった。
〈……これを知ったら…今度こそ拓須に殺されるな…〉



  邸に戻ると、翔隆は一部始終を皆に話した。
 すると、やはり拓須はその優しい顔を鬼のような形相に変えて激怒した。
「そのまま…通り過ぎただと…?」
「――はい…」
「…き…さまっ!!」
ダンッ!!
 拓須は翔隆の首を掴んで押し倒し、上に乗って首を締めた。
何故なにゆえすぐに探さなかった! 睦月よりも、信長の方が大事だというのかっ!! 今まで! 誰のせいで睦月が傷付き! 苦しんできたと思っているのだっ!?」
「ガハッ…ゲホ…ぐっ…!!」
 このままでは翔隆が締め殺される!
咄嗟に、侍女の葵と鹿奈かな似推里いおりと嵩美が拓須を引き離そうとする。
「おやめ下さい!」
「翔隆が死んじゃう! やめて!」
「拓須様!」
「うるさい! 引っ込んでろ!!」
そう叫び、拓須は四人を容赦なく《術》で吹き飛ばした。
似推里以外は、皆気を失ってしまう。
「鹿奈、葵、嵩美! しっかり…」
身重の篠姫が、樟美と起き上がった似推里と共に三人を揺り起こす。
すると、それまで黙って見ていた義成が、忠長、光征と共に一気に拓須を引き離して押さえ込んだ。
「やめぬか!」
「離せっ!! そ奴のせいで睦月が不幸になるのだっ! 今殺してしまわねば、睦月は…!」
「まるで女の癇癪だっ! やめてくれよ師匠!」
忠長が言うと拓須はピクリと眉を動かし、溜め息を吐いて二人の手を振り解いて立ち上がる。
その間に、咳き込む翔隆の背中を一成が撫でていた。
「大丈夫ですか…?」
「ゲホッ…あっ…ありがとう……一成。もう、平気…だ」
蒼冷めながら立ち上がると、翔隆は拓須の目をじっと見つめる。
「…拓須…」
「声も聞きたくないっ! …睦月が…〝あの子〟が、まことに死んでいたら、その時は! 我が《力》総てを懸けて、貴様を殺すと覚えておくがいいっ!!」
そう怒鳴り付けると、拓須は消えてしまった…。空しい雨音だけが響く。
「…お前のせいじゃないか?」
ふいに、忠長が一成に近寄って言う。
「…私は…」
「お前が来てからというもの、ろくな事がない! 貧乏神か死に神ではないのかっ?!」
「…!」
一成は、ここに来て初めて悲しげな顔をした。
「随分、毒舌だなぁ」
ふいに縁側から声がした。
そういえば、もう一人居たのを忘れていた。雪孝は中に入ってきて、忠長の前に立つ。
「誰の責任でもあるまい? こんな事は我ら〔一族〕にとって、ごく当たり前の事だ。…死者が出ないなんて方がおかしい」
「フン!」
冷静に雪孝が言うと、忠長は言葉を無くして行ってしまう。
そんな忠長を見送り、雪孝は呆然としている翔隆の側に歩み寄って片膝を撞く。
「翔隆…いえ、お屋形・・・。睦月殿は、狭霧の中でも有望な忍であったと聞きまする。死にませぬよ」
ついこの間まで口もきかなかった雪孝に急に話し掛けられて、翔隆は正気に返る。
「…雪孝…?」
「心配ご無用! ……わたしも、お屋形のお力になりたく存じます! どうか、家臣にしては下さいませぬか?」
その言葉に、翔隆は思わず嵩美を見た。嵩美は、ただ微笑んでいるだけ…。
「しかし、裏切りは…」
「はい。〝二度の裏切りは死罪〟……それでも、わたしは貴方に魅かれたのです。この命、貴方に捧げたく!」
雪孝が真剣に力強く微笑んで言うと、翔隆は苦笑した。
「いい事は、何もないぞ?」
「苦境にいる方が、戦い甲斐があるというもの! あ……まだ名乗ってもいませんでしたね。椎名しいな雪孝ゆきたか、十二歳! 氷や氷柱つららを操ります! どうぞ、よしなに」
「――――私で良いのならば、好きにしなさい。歓迎しよう」
翔隆は微笑んで言った。
…そのやりとりを、一成はただ黙ってじっと見つめていた…。とても羨ましそうな瞳で。
〈もしも私が信長公に似ていなければ…ここには置いてもらえなかったのだろうな……〉
そんな一成の気持ちを、翔隆が知る由もなかった。
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