鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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七章 帰参

四.今孔明

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  あれから、翔隆は七日ごとに西美濃三人衆の内の三人に会いに行っていた。


翔隆は一言、二言だけ告げては消えた。

 これまでの龍興の内政、重臣への態度…。美濃の在るべき姿、織田との違い…。

このまま龍興を〝主〟とたてまつっていても、龍興は自分に媚びへつらう者やお気に入りの者しか重用しない。
いつまで経っても、無骨者や諌言をする者などは早々に追い払い続ける…。
戦でどれだけ織田を追い払おうが、どれ程の武功を立てようが、龍興は変わらない。


 六月にもなると、稲葉・氏家・安藤の三人は織田に降る決意を固めていた。
今日は安藤邸にて集まり、話し合っていた。
「見限るとしても、信長の返答次第よな」
安藤守就(五十一歳)が言うと、稲葉良通(五十三歳)が頷く。
「うむ。仮にも亡き大殿の孫…殺したくはない」
ここで言う〝亡き大殿〟とは、斎藤道三の事である。
「…では、次にあ奴が来たら降る旨を言うか…」
氏家直元(四十九歳)が言った時、庭から
まことですか?!」
という声がした。
ギクリとして障子を開けると、そこには翔隆が立っていた。
「いつの間に…」
安藤守就が驚いて言うと、翔隆は縁側に来る。
「今しがた…。それよりも、今の話は真ですか?」
「…うむ、龍興どのを殺さなければ…な。もし殺すのであれば…」
「私が、必ず守ります! 責任を持って、落ち延びさせて差し上げます」
真剣に言う翔隆を見て、三人は頷いた。
そして良通が言う。
「約束は守れるな?」
「はい。道三様の血を絶やしたくはありません。それにもう、荒れ果てた美濃を見たくないのです。それ故、こうして…」
「分かった。お主の心意気に免じて、降ろう」
「ありがとう存じまする」
翔隆は深々と一礼した。すると、氏家直元が側に寄る。
「中に入れ。段取りを聞こうか」
「あ、はい」
言われるまま中に入って、説明した。
 内容は簡単だ。
ただ信長が本格的に稲葉山を攻める時に、寝返ればいいというだけだ。
それまでは疑われぬように、と…。
 そんな話の中、守就だけが何やら思案していた。
守就には、もう一人織田から勧誘する者が居た。
 ―――木下藤吉郎秀吉である。
だが秀吉は、まだ娘婿の竹中重治すら落とすのに苦戦していると聞く。
その点、調べによれば翔隆は重治とは旧知の仲であるという。
そして道三が可愛がっていた、という事実がある。
だから守就は翔隆に降ると決めたのだ。
「では、よしなに…」
そう言い、深く一礼して翔隆は去っていった。


  一方その頃。
竹中重治の下にも、訪問者があった。
「…これで、五十五度目だ」
重治が溜め息混じりに言うと、秀吉はガバッと平伏する。
「もうこの秀吉、後には退けませぬ! ここで〝孔明〟と言われる貴殿を味方にせねば、二度と信長さまの下へは帰れませぬ!!」
「…木下殿……」
ここまでしつこいと、呆れて物が言えない。五十四回も毒舌を言われて帰って行ったというのに、まだやってくるとは…。
〈…どうあっても、あの信長が味方にしろと言ってきたか…〉
重治はきちんと座り直すと、今までに見せた事のない殺意を帯びた目を向けた。
ドキリとして、秀吉も背を正した。
「では―――拙者も、木下殿に正直に申そう」
「な、何でも言うて下され!」
「我が君は龍興にあらず。かというて浅井でもなければ、信長でもござらん」
「で…では、どなたじゃと……?」
恐る恐る尋ねると、重治は目を光らせる。
「既に十六年前に、主君は一人と決めておる」
「十六年…?!」
今、重治は二十四だと聞いた。
では八歳の時に主を決めた事になる。
…考えられるのは、斎藤道三くらい…。
「それ程までに、道三公を…?」
その言葉に、重治は片笑む。
「…そうですな…これを言えば、切れ者の貴殿ならばお分かりかな? ―――我が君の目は青く、髪は雪のような色…」
「ま、まさかとび…!?」
秀吉は、サアーと蒼白した。
〈主が翔隆さま?! そんな…〉
その様子で、秀吉が全てを理解したと察し、重治は茶をすする。
〈どうしたらいい?! 翔隆さまは解任されておる……再士官の話をしようものなら、激怒される程だぎゃ……恐ろしいおそがいぃ…〉
秀吉は冷や汗を拭いながら、茶を見つめる。更に重治は続けた。
「…これは、以前に前田利家殿にも申したが…我が君を解任した男に味方などしない。もし、どうしてもと言うのであれば、我が君を再士官されよ。そうでなくば、この重治、例え我が君の命でも従わぬ」
こう言い切られてしまうと、もはや退くのも進むのもままならなくなる。
蒼白して小刻みに震える秀吉を見て、重治は微苦笑を浮かべる。
〈…少し、手厳しかったかな?〉
重治はこほんと咳払いをしてから、喋る。
「こう、申してしまっては貴殿の立つ瀬が無くなる…。故に、拙者自らが信長公にお会いして話しましょう」
「ええ?!」
「拙者がじかに話す故、座を計らって下され」
「し、しかし…」
秀吉は完全に狼狽していて、そんな大それた事が出来そうもない。
重治は静かに溜め息を吐いて、空笑いを浮かべて秀吉を見る。
「貴殿はいつものように、信長殿に会って、私を説き伏せたと告げれば宜しい。〝竹中自ら殿にお話ししたい事がある〟と言えば良いでしょう? 貴殿は何の話かも聞かされていない振りをすればいいだけ…」
「…なる程」
秀吉はそれに従うしかなかった。
何しろ信長は竹中を落とし次第、美濃攻めに掛かると言っているのだ。
これ以上、待たせる訳にはいかない。



 秀吉は、早速竹中重治を伴って小牧山城へ向かった。
そして、邸の側で重治を待たせて中に入っていく。
暇な重治は、うまやに行って馬を眺めていた。

  広間には、重臣達が揃っていた。
 さすがに北伊勢攻略を命じられた滝川一益は居なかったが、林、柴田、佐久間、塙、河尻、金森…前田、佐々、丹羽、池田、平手、蜂屋などなど。
 ズラリと居並んでいたのだ。
そんな中へ堀久太郎に案内されて来た秀吉は、内心冷や汗を掻きながらも、平伏してからにかっと笑顔を見せる。
「いやはや、ようやく口説き落としました!!」
「…〝いま孔明こうめい〟をか」
「はい! これが骨を折りまして、お百度を踏んでようやく! 中に入れて貰えまして…」
「良い。して」
長々と聞きたくないらしい。
そうくるのを狙っていた秀吉は、心中でそっと胸を撫で下ろした。
「それでですな、何やら話があるから、殿に会いたいと申しまして…外に待たせておりますが」
「話? 何じゃ」
「さて…それが、わしには話したくない、直に殿に話すと言って聞かず…」
「良かろう。連れて参れ」
「はっ!」

秀吉は飛ぶように走って外へ行き、きょろきょろと辺りを見回す。


そして、番兵に聞いて慌ててうまやに駆けて行った。
厩で馬と戯れる重治を見つけて、秀吉は蒼白しながら駆け寄る。
「こんな所に! 早う中へ!」
「ん? ああ…つい、いい馬だったので。さすがは尾張守、駿馬ばかりで…」
「そんな事よりも!!」
「分かっている。さて…参ろうか」
馬の首を叩いてから、重治は歩き出す。
悠長な態度の重治に、秀吉はハラハラしながらもただついて行く。
  座に着くと、重治は背を正して真正面から信長を見据えた。
「竹中重治にござる」
「うむ。永禄四年の十面埋伏の陣、また、六年もそなたの戦法だ。見事よな」
「お褒めにあずかり光栄で…」
「うむ。して…」
信長が言い掛けると、重治は左右に並ぶ重臣達を見回す。
「満座の席で言う事ではござりませぬ故………まずは、柴田勝家殿、塙直政殿、森可成殿、前田利家殿、丹羽長秀殿、佐々成政殿、池田恒興殿以外は、席を外し、お人払いをお願い致す」
いきなりの言葉に、一同が騒然とする。
〈…そうか〉
ここで信長は、十一年前の道三の死の折に〝半兵衛〟という名を聞いたのを思い出した。
「…良かろう。外せ」
信長が目を光らせて言うので、皆は渋々出て行き堀久太郎が人払いをする為に出る。
すると重治は重臣達を見て微笑んでから、鋭い目で信長を見た。
「さて…私が仕えるには、がござる」
「言うてみよ」
「我が主君は龍興にあらず。のみにござる」
七人…利家以外の者が、ぎょっとして重治を見た。
〈やはり言ったか!〉
利家は蒼白しながら、信長を見た。
他の六人も、信長の表情を窺った。
信長は動じずに真顔で重治を見ている…。
重治は、睨むように信長を見ながら淡々と喋る。
「ご自身が一番ご存じの通り、我が君は牢人の身。…我が君と対面し、再士官させる事。それが条件にござる」
「なっ……!」
思わず声を出してしまい、勝家達は口を押さえる。
再士官の事は、ここに居る皆がずっと具申し続けて叱られてきた事である。
それを条件にするなどと、信長が呑むとは思えない…。
信長は、無表情で重治を見据える。
「―――では、主は変えぬのか?」
「私は既に十六年、翔隆様に仕えておりまする。終生、翔隆様に付き従いまする。…今更誰かに心移りするような、軽微けいびな忠誠ならとっくに見限っておりましょう。…故に、主が織田家臣でなくば、お力添えは出来申さん」
「十六年、か」
「はい」
「…奴は………何かしたか?」
とは、牢人中に何かをしたのかを問うているのだろう、とすぐに分かった。
〈…気になるか……手放して後悔したのだな〉
重治はフッと笑って答える。
「翔隆様なれば、一族の者を説き伏せ、敵とたたこうておられまする。今頃は…いや」
一度話を切ってから、また続ける。
「…ご存じか? 翔隆様は常に成長なされておられる。弓栩羅ゆくらと見事に戦われて、美濃を救ってな。貴殿が翔隆様を解任される前の年の事」
「………」
信長は片目を細める。重治は尚も続けた。
「北を手中に収める弓駿ゆみはやも退かせ、浅間陰山を救った。春日山では、陽炎と清修を相手にして重傷を負われたが…やっと治したようで…。そろそろ、全国の頭を説き伏せて…きちんと長になられるでしょうな」
言っている事がよく分からないまでも、敵将の名前と地名だとは分かる。
特に陽炎は兄だと言っていたので、覚えていた。
〈…こ奴……〉
信長には、重治が遠回しに〝人間などと関わらなければ、これ程の事が出来るのだ。これ以上邪魔をするな〟と言っているように聞こえた。
〈自慢か? …警告か…〉
翔隆を返せと言っているようにも聞こえ、信長は一笑してから重治を睨むように見据えた。
「…そうか。陽炎以外の名は知らぬが…」
「左様で。…我が君の事を、真に知っておられるのか?」
「竹中!」
挑発するような言葉に森可成が制するが、それが重治の狙いであった。
「陽炎に集落を落とされた晩に、那古野に入ったのは何故か…」
重治は塙直政を見て言った。
「他に…行き場が無い、と…」
「頼られて、城に入った―――して? 我が殿が陽炎と戦い、三人の師匠と戦いながらも取り戻している間、貴殿達は何をされた?」
「わしらは…」
成政が言い掛けるが、重治の殺気を帯びた瞳に気圧されてしまう。
「師匠達が、いかような人物かきちんとご存じか?! 殿のご兄弟、親類…家臣達全員を……不知火の頭達、仕組みを知っておられるか!?」
そう、言われても返答に詰まる…。そんな事は、全く聞いた事が無いのだ。
 聞いても、他家の事のみで…―――。
重治の目は、〝それで友と言えるのか!〟と責めていた。
森可成と柴田勝家以外の五人は、考え込んで俯いた。
その様を見て少しスッキリした重治は、再び信長に向き直る。
「さて……それでも、拙者をこの織田へ?」
「………」
信長は無言で目を閉じ、思案する。
重治の言葉で、いかに翔隆が自分の事を周りに言っていないのかが分かった。
〔一族〕の事を、どれだけ内密にしているのかが…。
信長は、解任の理由よりもそちらの方が腹立たしく感じる。
〈…戻ったら、全て話させよう〉
そう考え、信長はカッと目を見開く。
「八月には総攻撃に掛かる。その陣中に、翔隆を連れて参れ!!」
「―――承知」
重治はニヤリとして答え、平伏した。
 これだけの情報を言えば、信長は必ず再士官させると確信していたのだ。
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