鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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七章 帰参

五.帰参

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  七月に入っても、翔隆は美濃三人衆の下へ通い続けていた。
 稲葉邸にて道三の話をしていると、氏家直元がふと不思議に思った。
〈…そういえばこ奴、人質の話をしないが…〉
普通は、何にでも人質を取るもの。
口約束だけの寝返りなど、有り得ない…。
「篠蔦」
「はい?」
「そなた、まことに我らがこのまま寝返ると信じているのか?」
「え…はい」
「人質は取らぬのか?」
「………」
翔隆は驚いたような、困ったような顔をした。それを見て三人共笑った。
「あははははは!!」
「あ、の…」
そういえば〔一族〕とは違うのだ、と今更気付き翔隆は真っ赤になる。
それを見て、稲葉良通が笑いながら言う。
「安心せい。人質は、信長公に送ろう。お主は牢人故、な」
「…その…かたじけなく……」
そんな翔隆の様子に気を良くした三人は、酒宴の準備をした。



  強風が吹き荒れる八月一日。

 信長の下に朗報が届いた。
竹中に続いて美濃三人衆が寝返るので、人質を受け取りに来て欲しいというものだった。
信長はすぐに村井貞勝、島田秀満に受け取りに行かせた。
「出陣!!」
「はっ!!」
 重臣達は急いで準備に走っていき、ふと首を傾げる。
〈誰が内応させたのか…?〉
また木下秀吉か…。
小賢しい、などと思いつつ我先に走っていく。
具足を着けながら、信長はふと含み笑いをする。
〈翔隆め……〉

信長は侍女達までも引き連れて出陣した。
 総勢一万五千余―――。
強い風で旗指物が飛ばされる中、美濃に侵攻した。
 瑞龍寺山に一気に駆け上がると、稲葉山城下の井口まで攻め入り、町民達を避難させて焼き払った。
こんなすたれた町は、いらない―――新たに造り直すからだ。
それを、宣戦布告とした。
 それから城下を包囲させて陣を張った。
斎藤勢が討って出るであろうからだ。
 しかし、訳の分からないまま城下を焼かれた龍興は、すぐには出てこなかった。
敵か味方かなどと考えている間に攻撃されてしまい、恐ろしくて出てこられなかったのだ。

 翌日。
竹中重治が陣中に来た。
重治は無言で平伏する。
「―――はどうした?」
「さて…」
翔隆の事だとすぐに分かったが、重治はくすりと笑ってとぼけるように言った。
その返答に信長は眉を顰める。
しかし、わざわざ問うのも癪に障り、話題を変える。
「…龍興めは出てくるか?」
「まず出ないでしょうな。臆病者故、大軍に囲まれたと思っているでしょう」
「炙れば出るか?」
「城内の兵は、さ程多くありませぬ。籠城で一月…いえ、もっと早くに落ちましょう」
「左様か」
そう言い信長は稲葉山城を見つめた。

 それからすぐに、城の周りを猪垣ししがき(垣根)で囲むように指示した。
城を囲んでから、誰かが援軍に来る事は無い。
何故なら、残った美濃衆も続々と降ってきているからである。
 何の憂いも無いのだ。


  それから十二日経った。
中からの抵抗もあったが、城に居ただけの者達…。
たかが知れていた。
信長は重臣達と共に食事をしていた。
「さて…この稲葉山、このままでは住まぬぞ」
「…と、申されますと?」
〝住まぬ〟が〝済まぬ〟に聞こえ、勝家が恐る恐る尋ねてみる。
すると、信長はフッと笑って城を見た。
「難攻不落…とはいえ、このまま城は燃やす」
「そ、それでは…」
「新たに建てるのだ。傅兵衛ふのひょうえ!」
「はっ!」
答えて森可成の長男、傅兵衛ふのひょうえ可隆よしたか(十四歳)が絵図を手に中央に出る。
「まずは、山頂と麓に本丸を造ります。金華山きんかざん(稲葉山)の頂上の天守は急峻な谷。東に曲輪を設けていき、そこから屋根筋に道を造っていきます。麓の本丸の前に、皆様方の屋敷を造って、その前に市を造り、長良川の前にも屋敷を。そしてこれが城の普請ですが…」
その説明を、重臣達は目を輝かせながら聞いている。
しかし、それを見る信長はふてくされたような表情で見ていた。
〈…遅い〉
陣中に連れて来いと言ったのに、重治は全く動こうとしない。
翔隆が来るのを待っているのだろうが、来る気配も無い。
ちらりと重治を見るが、絵図を見て笑っているだけだ。
〈つまらん…〉
早々に陣中に来れば、すぐに許してやろうと思っていたのに…苛付いてくる。


 その頃、長良川に四人の武者の姿が来ていた。
氏家直元、稲葉良通、安藤守就と、陣笠を被った翔隆である。
翔隆は三人を見て言う。
「これより先は、〝木下殿より降った〟として中にお入り下され」
「!? それは出来ぬ」
直元が言うと、守就も頷いて言う。
「我らは貴殿だからこそ、降ると決めたのだ。貴殿が行かぬのであれば、龍興の下に戻るしかない」
「そんな…」
牢人の身で陣中に案内しろなどと、無理難題である。
困り果てていると、一人の男がやってきた。
「お待ち申しておりましたぞ、翔隆様」
「は…半兵衛?!」
具足姿の竹中重治を見て、四人共驚いた。
そして、守就が言う。
「お主、いつここへ…」
「舅殿お久しゅう。話は後程」
軽く躱すと、重治は翔隆に向き直る。
「簡単に申します。木下殿の仲介で、織田に仕えました。そして、貴方を陣中に案内するように申し付かっておりますので、お早く」
「…申し…その…」
「早う!」
重治は翔隆の手を引いて、足早に歩き出す。それに三人がついていった。
引っ張られながらも、翔隆は声すら出ない程、狼狽していた。
頭は真っ白で、心臓の鼓動が体中に響き、今どうやって歩いているのかさえ分からない…。
 その内に、見知った兵士や侍女達がこちらを見て驚いているのが目に映る。
いつの間にか本陣に来ると、重治は陣幕をまくり上げて笑顔で言う。
「篠蔦殿、お見えにござるぞ」
そう言われて一同がこちらを見る中、重治に背中を押されて中に入れられた。
いきなり放り込まれて、翔隆はふらつきながらもとにかく跪いた。
「翔隆!!」
「お主…」
まだ城普請を決めている最中に現れたので、皆も驚いている。
翔隆は震える体で平伏する。
「し……篠蔦、翔隆にござりまする……」
震えた声で、どもりながらも何とか言えた。対して信長は無表情で言う。
「ん。後ろの者は」
「…はっ、み、美濃の…その、三人、衆の…」
「安藤殿、氏家殿、稲葉殿にござる」
見兼ねて重治が言うと、一同は驚愕してざわめいた。
この三人が降ったのは知っていたが、まさかこんな所に挨拶に来るとは思ってもみなかったのである。
「…入れ」
「失礼致す」
三人が入り、一礼する。
降った三人は、翔隆を見る。
紹介と、降る条件を言うのを待っているのだ。
皆の目も自然と翔隆に向けられた。
降った三人が、何故翔隆の案内で来たのか…それを聞く為である。
当の本人は、俯いたままである。
「軍門に降った三人と、何故共にいるのだ」
佐久間信盛が不機嫌そうに問う。
翔隆が迷っているように見えたので、氏家直元が喋る。
「我らは、篠蔦どのの言葉で降ったのだ。案内あないして貰うのは当然の事」
「なっ…」
てっきり、木下秀吉が安藤を降したから他の二人も来たのだと思っていたので、言葉を失った。
氏家直元は驚いてこちらを見ている翔隆を見つめる。
その目を見て、翔隆は条件を思い出し、息を整えてから覚悟して信長を見つめた。
「されど、一つ条件がございます」
「ほう…何だ?」
「…龍興公は、お斬りにならぬ事…」
「それは考えてある。他は」
「ござりませぬ」
「よし。ではその龍興が早く落ち延びるように、〝条件〟好きの美濃衆にも早速働いて貰おうか。三左ッ!」
「はっ!」
「案内し、話してやるがいい」
「はっ」
森三左衛門可成が三人と共に陣幕の外へ出て行くと、重治が信長を見てニヤリとする。
「では、我が条件の方もよしなに…」
そう言い残し、後を追って出て行く。
翔隆は何の事か分からずに、それを目で追った。
その間に重臣達が外に出て行き、その場には柴田勝家、前田利家、丹羽長秀、佐々成政、池田恒興達が残る。
まだ呆けている翔隆を見て、勝家がゴホンと咳払いをした。
ハッとして前を見ると、凄まじい表情の信長と目が合い、翔隆は平伏する。
「―――あの、お前を許す事を条件としおった。…〔一族〕であったな」
「はっ…」
「農地と道が増えてな。…城もな、なぁ」
「はい、武器…特に火縄銃が、綺麗になっておりました」
それに長秀が答え、信長は頷く。
「樟美より、総て聞いた。それは後で問い質そう。…あの頑固者三人、どうやって口説いた」
「…はっ、昨年の十二月から…六月まで邸を訪れて。七月も話をしました…」
およそ八ヶ月程通ったとなると、二・三ヶ月の秀吉よりもしつこい。
信長は真顔で翔隆を見る。
「何の、為ぞ?」
「………」
翔隆はためらって俯いた。
「―――これで、もう稲葉山は落ちた」
信長は苦笑して、頭を掻く。
そして、また喋る。
「して、他に何をした?」
「…―――」
「言えぬか? …ならば言ってやろう。まず、お菊を無事送り、権六の命を救い、猿めの築城を手伝い、五徳を送った。―――違うか?」
「―――…」
翔隆は何も言えなかった。言えば、皆の立場が無くなる。しかし、
「仰せの通りで」
と勝家が言い、一同が頷いた。
「ふん…それだけやったのであれば良かろう。許して…」
「お待ち下さい!!」
〝許してやる〟と言い掛けたというのに、翔隆がそれを遮った。
そして、二・三歩後ろに飛び退いて平伏する。
「もうご存じの通り、私は不忠者です! 上杉、武田のみならず、島津と北条にも…士官致しました! この上、信長様にお仕えしては、家臣の方々に示しが付かないばかりか、申し訳が立ちませぬ! …これよりは、影より―――」
言い掛けてビクリとする。
地面に、影がある…信長が、すぐ側に立っていたのだ。
信長は手を回して翔隆の顎を掴み上げて、顔を上げさせる。
すると、翔隆は震えながら滝のような涙を流していた。
それを見て、信長は微笑する。
「見掛けは、頼もしゅうなっても…女子のように、すぐに泣くのは変わらんな」
「の…」
口を開いたら、余計にボロボロと涙が溢れて、喋られなかった。
「たわけ。…良い…許してやる。樟美にも、身一つで稲葉山を落とせば許すと約束した。それを見事に果たしたであろう。…誰も文句はあるまい」
「……っ!」
翔隆は、言葉も出せずにただめ泣く。
一同は微笑んでいた。
美濃三人衆がいる限り、美濃は落ちないと思われていたからである。
「――四年と八ヶ月経った…。他に仕えるのを許すとは言わぬが、家臣としているのを許す。ただし、終生わしから離れるでないぞ。軍師がいなくては、こ奴らの意見が纏まらぬわッ!」
「――――はっ…!!」
翔隆は辛うじて返事をして、口を押さえて泣いた…。


(注意、接吻あり)
 その夜。
信長は人払いをして翔隆を寝所に呼んだ。
「失礼致します…」
そう言って顔を上げた途端に、翔隆は腕を掴まれて中に入れられた。
そしてそのまま抱き締められる。
「のぶ…」
言い掛けてやめる。
信長は、翔隆の頭と腰を掴んでぎゅっと抱き締める。
「…死に掛けたそうだな」
「…!?」
「竹中めが言っておった……」
そう言いながら、信長は翔隆の頭に顔を擦り寄せる。
…翔隆は相変わらず、とても懐かしい日だまりの匂いがした。
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