9 / 41
第二章 不和
3 ハグの魔法
しおりを挟む今までガイドに頼らざるを得なかった精神面の調律が一般人にもできると分かり、講義室は一気に騒がしくなった。特に年頃の青年たちの喜びようはひとしおで、嫌いなガイドに頼らずに済む上に、あんな美女とハグできるなんてご褒美だと盛り上がる。
彼らが理想の美女について話し始めると、それを冷ややかな目で見ていた女性陣から疑問の声が上がった。
「羅先生、女性の結果はないんですか?」
「もちろんあるよ! 男性の時と条件を揃えて実験をした結果を貼っていくね」
羅深思はホワイトボードの実験結果を横に移動させ、鞄から別の紙を取り出す。それぞれごく普通のおばさんガイド、若い女性ガイド、そして最後は一般人のいわゆるイケメンと呼ばれるタイプの青年だ。
美男子の写真を見た女子たちが黄色い悲鳴を上げ、美女の話で盛り上がっていた男子たちが何事かと前を向く。全員の視線が再びホワイトボードに集まったのを見て、羅深思は口を開いた。
「実は、女子の結果はかなり面白いことになったんだ。これがハグをしてる時のストレス値。よく見比べてみて」
そう言うと、彼は顔写真の下に一枚ずつゆっくりと折れ線グラフの紙を貼っていった。
女性二人との結果だけ、高い位置にあった線はジグザグと山を作りながらも緩やかに下降していく。手前に座った男子の一人がいち早くその事実に気付き、小さく呟いた。
「あれ? 女同士だと、どっちも下がってないか?」
本当だ!と周りの訓練生もざわつき出す。一番後ろの席では、姉から研究の話を聞いていそうな李光までもが驚いていた。
いい反応をする生徒たちに羅深思はにっこりと笑いかけた。
「その通り! これは女性特有のものでね、男性よりも同性との触れ合いに嫌悪感がないからなんだ」
男同士よりも女同士の方が距離感が近い。手を繋いで歩いたり、それこそハグをしたり。ここにきて、それがはっきり違いとなって現れていた。
最終結果を張り出すと、どれもストレス値は平均値まで下がっていて、三人全員が同じだけの効果を得られたことが分かる。訓練生たちは思わぬ結果に口をポカンと開けて、ひそひそ話をすることさえ忘れていた。
「ハグには元々、人をリラックスさせる効果があるからね。上海の研究施設では、ガイドとの調律にもハグが推奨されてるんだ」
通常、センチネルの昂った感情を抑制するには、ガイドと手を繋いで調律を行うことになる。
しかし、相性の良い者同士なら抱擁した方が効果が高まるのだ。面と向き合って抱き合うのも良いが、ただ肩を抱くだけでもいい。
「まあ、嫌いな相手だと逆にストレスが溜まるから。仲のいい人にお願いしてごらん」
訓練生たちは実験結果という目に見える証拠に納得したようで、友人を肘で小突いたり耳打ちしたり楽しそうに話し合っている。しかし、羅深思は浮かない顔をしている楊福安を盗み見て、これだけでは駄目だなと考えた。
彼は、人に触れられること自体に恐怖を覚えているようだった。そんな状態でハグはハードルが高すぎる。
そんな時、中央辺りに座っていた青年がピンと手を上げた。
「先生、ハグする相手がいない人はどうすれば良いですか? ぼっちにはキツすぎます!」
冗談めかした彼の発言に、周囲からハハハと笑う声がする。ちょうど良いタイミングで来た質問に、羅深思は内心ガッツポーズをしながら答えた。
「もちろん、独り身の寂しいセンチネルにも救いはあるぞ。ハグの効果は人以外でも発揮されるんだ。ペットの犬や猫とか……それこそぬいぐるみでも良い」
要は癒し効果が得られればいいのだ。一部の訓練生は当てがあるのか、嬉しそうにグッと拳を握って喜んでいる。
「ハグだけじゃなく、日頃から楽しいことをしてストレスを発散する。そして疲労は溜めない。その二つを守れば、調律の回数をうんと減らすことができるからね」
そう呼びかけると、訓練生たちはすっかり安心し切った顔で「はーい!」と元気のいい返事をした。そこにはもう、授業を始めた頃の身構えていた彼らはいない。
しかし、わいわいと楽しそうに話し始めた訓練生たちに、羅深思はまだ大事なことを伝えていなかった。彼が大きな声で「ただし……」と言うと、講義室に溢れていた話し声は水を打ったように静まり返る。
「ドロドロになった力の流れはガイドにしか治せない。だから、最低でも二週間に一回から、一ヶ月に一回くらいはガイドのお世話になること」
「それくらいなら、全然良いですよ!」
「うんうん、全然平気!」
口々にそう言うと、よほどガイドとの関係が煩わしかったのか、彼らはもはやお祭り騒ぎの喜びようだった。対立は余計に深まるかもしれないが、調律に対する不快感を募らせるよりはずっといい。
羅深思は鞄からプリント用紙の束を取り出し、大騒ぎしている訓練生たちに一枚取って横の人に渡すようにお願いした。
「効果的なストレス解消法が載ってるから試してみて。もし施設に足りないものがあったら、俺が施設長にお願いしてみるよ」
「今どき紙かよ!」
若い子らしい不満の声に、羅深思はわざとらしく怒った声を出す。
「あっ、そういうのはよくないぞ? 紙の方が頭に入りやすいって研究結果があるんだからな! 大体、メールで送ったって読まないだろ?」
図星を突かれた青年は「バレたか!」と顔を顰める。彼は女子たちからクスクス笑われ、バツの悪そうな顔をして小さくなった。
講義室は和やかな笑い包まれたが、突然大きな不満の声が上がる。
「あいつら、ガイドだなんて言いながら犬以下じゃねぇか。散々偉そうな口叩いてたくせにな」
声の主は体格のいい勇偉という青年だ。訓練生のリーダーらしく、彼に同調して周りからも不満の声が上がる。
これは内情を知るいい機会だ。いかにも悪ガキといった顔をした彼に、羅深思はさり気なく声をかけた。
「そんなに嫌な奴がいるのか? なんて名前だ?」
「王逸輝。あいつ、いつも仲間を扇動して俺たちをバカにしやがる。王姓の面汚しだ」
彼とそのガイドは苗字が同じなようで、吐き捨てるようにそう言った。羅深思はその名を心に留め、改めて授業の終わりを告げた。
「よし、全員に行き渡ったな? 今日の講義はここまで! 何か質問は?」
「羅先生、彼女いますか?」
可愛らしい女の子の声が響いた。質問をした彼女の側では、友人たちがきゃあきゃあとはしゃいでいる。年頃の女の子らしい質問に、羅深思は微笑んだ。
「いないよ。はい次」
すると今度は、男子の集団の中から手が上がる。何やら一様にニヤニヤして、いかにも悪巧みしていそうな顔だ。
「先生、彼氏はいますか?」
案の定、思春期男子の馬鹿馬鹿しい質問に、羅深思は怒るどころか暖かな気持ちになった。地獄の実験ばかりを繰り返していた上海の研究施設と違って、ここは天国のように生ぬるい。一時はどうなることかと思ったが、訓練生たちの微笑ましい態度には癒しさえあった。
「募集中だよ。立候補するか?」
まさかそう返してくるとは思わなかったのだろう。質問した男子は面食らった顔をして、仲間たちに茶化されながらどつかれていた。
「悪ふざけはその辺にしておきなね。授業内容については大丈夫だったかな?」
「大丈夫でぇーす!」
「紙貰ったしな!」
元気のいい返事と共に、何人かがプリント用紙をヒラヒラさせる。羅深思は苦笑いをしながら質問を打ち切った。
「それじゃあ、みんなお疲れ様。ゆっくり休んでね」
それなりに長い講義だったものの、帰り支度を始めた訓練生たちの表情はどこかすっきりしている。羅深思は彼らの中に暴走の兆候が無いかそれとなく調べてみたが、今のところは問題がなさそうだった。
講義で使った資料を片付けていた羅深思は、大事なことを思い出して振り返った。授業が上手くいった達成感で危うく忘れるところだったが、まだ楊福安の問題が残っている。
「楊福安。ちょっと話があるから残ってくれる?」
声をかけると、彼はまだ席に座っていた。驚いてびくっと肩を震わせたものの、不安そうに羅深思を見つめ返し、小さく頷いた。
どこか警戒した彼の様子に、羅深思は弱ったな……と頭を悩ませる。事情があったとはいえ、初対面で思い切り抱きしめてしまったので変なやつと思われたかもしれない。
ほとんどの訓練生たちが講義室を出て行くと、あれだけ騒々しかった部屋の中は急に静かになった。楊福安を心配してか、宋堅が居残っていたが、李光が気を利かせて彼を外へ連れ出してくれる。
「あの……何か問題がありましたか?」
「いや、問題はないよ。君、しばらくは他の訓練生たちとは別で訓練することにしても良い?」
あくまで彼の意思を尊重しようと思ったのだが、咎められたと思ったのか、楊福安は悲しそうに瞳を伏せてしまった。
「あっ、誤解しないで! 周りに人が居たら、巻き込みそうって思ってるだろ? 上手く制御できるようになるまでで良いからさ」
俺もついてるし、と付け加えると、彼はようやくほっとしたようで、強張った顔が僅かに和らぐ。
「そうだ、連絡先交換しておこう。何か困ったことがあれば、いつでも相談して良いからね」
面と向かって話すよりも、メールや電話の方が気兼ねなく言えることもある。そう思って連絡先を交換しようとしたのに、いざ支給された携帯を取り出すと物陰から余計なヤジが飛んできた。
「あっ、見てくださいよ! 流れるようなナンパの手口」
「あれは手慣れてるねぇ」
廊下からこっそり覗き見していた宋堅と李光だ。似た性格の二人は、話しているうちに意気投合して仲良くなったらしい。
二人を呆れ混じりに一瞥した羅深思が楊福安に向き直ると、彼の顔は真っ赤に染まっていた。どうも、この手のからかいに慣れていないようだ。
「あの馬鹿たちがごめんな。後でシメとくから」
冗談半分にそう言うと、『馬鹿二人』は大袈裟に怯えて抱き合った。
しかし、李光は早々にパッと手を離し、新しい友情に目を煌めかせながら羅深思に尋ねた。
「羅先輩、せっかくだし、夕飯は彼らと食べます?」
「いや、気になることがあるからガイドの方に行ってみるよ」
勇偉から聞いた、差別を扇動するガイドの存在だ。事実なら、早々に対処した方がいい。
4
あなたにおすすめの小説
【16+4話完結】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜
キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」
平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。
そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。
彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。
「お前だけが、俺の世界に色をくれた」
蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。
甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
転生して王子になったボクは、王様になるまでノラリクラリと生きるはずだった
angel
BL
つまらないことで死んでしまったボクを不憫に思った神様が1つのゲームを持ちかけてきた。
『転生先で王様になれたら元の体に戻してあげる』と。
生まれ変わったボクは美貌の第一王子で兄弟もなく、将来王様になることが約束されていた。
「イージーゲームすぎね?」とは思ったが、この好条件をありがたく受け止め
現世に戻れるまでノラリクラリと王子様生活を楽しむはずだった…。
完結しました。
【完結済】王子を嵌めて国中に醜聞晒してやったので殺されると思ってたら溺愛された。
うらひと
BL
学園内で依頼をこなしていた魔術師のクリスは大物の公爵の娘からの依頼が入る……依頼内容は婚約者である王子からの婚約破棄!!
高い報酬に目が眩んで依頼を受けてしまうが……18Rには※がついています。
ムーン様にも投稿してます。
好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない
豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。
とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ!
神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。
そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。
□チャラ王子攻め
□天然おとぼけ受け
□ほのぼのスクールBL
タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。
◆…葛西視点
◇…てっちゃん視点
pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。
所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
有能副会長はポンコツを隠したい。
さんから
BL
2.6タイトル変更しました。
この高校の生徒会副会長を務める僕・東山 優真は、普段の仕事ぶりから次期生徒会長の最有力候補と言われている。……んだけど、実際は詰めの甘さやうっかりミスを根性論でカバーしてきたポンコツだ。
こんなに頑張れているのは、密かに思いを寄せている安西生徒会長のため。
ある日、なんの奇跡か会長に告白され晴れて恋人同士となった僕は、大好きな人に幻滅されないためにポンコツを隠し通すと決めたけど……!?(内容は他サイト版と同じですが、こちらの方がちょっと読みやすいはずです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる