【完結】空に溺れる月〜孤独なセンチネルは安寧を願う〜

てんてこ米

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第二章 不和

4 差別主義者

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 施設の食堂はエリア一と二のちょうど真ん中にあり、食事の時間だけ食堂を囲む壁が取り払われ、両エリアの人たちに同時対応できるような仕組みらしい。
 羅深思ルオシェンスーは施設に入って長い宋堅ソンジェンから詳しい話を聞きながらも、さり気なく隣に意識を向けた。
 先ほどから、楊福安ヤンフーアンが何か言いたげな顔をしてこちらを見ているのだ。しかし、彼は相変わらず目が合うとすぐに視線を逸らしてしまう。
 無理に聞き出すのはよくないので、羅深思ルオシェンスーは彼が自分から話す気になるまでじっくり待つことに決めていた。とはいえ、少し背中を押すくらいなら構わないだろう。

福安フーアン、相談があったらいつでも連絡してね。守秘義務があるから心配ないよ」

「……お気遣い、ありがとうございます」

 憂いを帯びた表情はどこか儚げで、長いまつ毛が影を落とす。こうして改めて話してみると、楊福安ヤンフーアンはとても礼儀正しい青年だった。
 思い返せば、宋堅ソンジェンとの間に起きたいさかいでも、彼はいの一番に謝罪の言葉を口にしている。裕福な家庭で育ったような、どこか育ちの良さを感じさせる彼の言動に羅深思ルオシェンスーは引っ掛かるものがあった。
 宋堅ソンジェンは彼には家族がいないと思うと言っていたが、祖父母などの親族すら頼れないのは違和感がある。センチネルの危険性を差し引いても、やはり身内は可愛いものだ。
 深く聞いても良いものか。デリケートな話題に羅深思ルオシェンスーが頭を悩ませていると、楊福安ヤンフーアンがついに勇気を振り絞り、小声で話しかけてきた。

ルオ先生、あの……どうやって俺を助けたんですか?」

 彼は事故当時、意識が朦朧としていたのでよく覚えていないのだろう。
 通常ガイドはセンチネルの力に対して、バリアを展開して防ぐことができる。しかし、両者の力の差や相性次第では、無効化しきれず怪我をすることもあるのだ。
 楊福安ヤンフーアンの力は特に絶大で、羅深思ルオシェンスー以外のガイドは近付くことすらできなかった。

「簡単だよ。俺、センチネルの能力を自動で無効化できるんだ。教室でも見ただろ? 調律は触れないといけないけどね」

 試してみる?と羅深思ルオシェンスーが手を差し出すと、楊福安ヤンフーアンは不安げな瞳を向けて恐る恐る触れようとしたものの、すぐに手を引っ込めてしまう。
 彼の指先が僅かに震えていたことに気付いた羅深思ルオシェンスーは、優しい声音で尋ねた。

「触れるのが怖い?」

 心の内を言い当てた羅深思ルオシェンスーに、楊福安ヤンフーアンは目を見開いて小さく息を飲む。彼は少しの間を置いた後、ため息のように弱々しい声で頷いた。

「……はい」

 理由も教えてくれるかと待ってみたが、楊福安ヤンフーアンは静かに口を閉ざす。彼の心の傷は思った以上に深そうだ。
 しかし、羅深思ルオシェンスーはたとえ長丁場になろうとも、彼の心を癒してあげたいと思っていた。一人でも多くのセンチネルを救う。それは初めて能力に目覚めた時に、強く心に誓ったことだ。

「焦らなくて大丈夫、二人きりの時に挑戦してみよっか。ゆっくり慣れていこう」

 そう言って微笑むと、楊福安ヤンフーアンの沈んだ顔に僅かな光が差す。少しは彼の信用を得られただろうかと思っていると、反対側から場違いなほど陽気な声が聞こえてきた。

「あっ! リー隊長、セクハラの匂いがします!」

 宋堅ソンジェンの告げ口に、先行していた李光リーグァンは足を止め、両手で自分の体を抱きすくめながらくねくねする。

「いたいけな若者と二人っきりだなんて……ルオ先生ってば、やらしい!」

「人を淫行教師みたいに言うなよ! ここから追放されたらどうすんだ? 上海に帰るのはごめんだからな!」

 やっと地獄から一抜けできたのに、また戻されては堪ったものではない。心底うんざりした様子の羅深思ルオシェンスーを見て、宋堅ソンジェンは首を傾げた。

「えぇー? 俺は上海の研究所が良かったなぁ」

 彼は楽しい実験の話しか聞いていないので、上海の研究所に良い印象しかないのだ。
 何気なく放たれたその言葉に、羅深思ルオシェンスー李光リーグァンは揃って恐怖に顔を引き攣らせた。

「「絶対やめたほうがいい!!」」

 二人の声が同時に響き、宋堅ソンジェンは理由も分からず目を丸くさせる。

「えっ? な、なんで⁉︎」

「命がいくつあっても足りないぞ? 高層ビルから紐無しバンジーさせられたり、ワニがウヨウヨしてる檻の中で調律させられたり……」

 あの恐怖の日々は骨にまで刻まれていた。羅深思ルオシェンスーがわなわなしながら上海で行った地獄の実験の愚痴をぶち撒けると、宋堅ソンジェンの顔色はどんどん青ざめていく。

「お、俺……絶対行かない!」

 彼はすっかり怯え、悪夢を見そうだと嘆いていたが、夢で済むならいい方だ。若者の自滅を防いだ羅深思ルオシェンスーは、それで良しと深く頷いた。



 しばらく雑談をしながら歩いていると、エリア二へ続く扉の前に到着する。もう少し楊福安ヤンフーアンと交流を重ねたかったが、残念ながらここでお別れだ。
 厳重な扉をくぐった羅深思ルオシェンスーは、ふと思い出したように振り返った。

「そうだ、王逸輝ワンイーフイってのはどんなやつなんだ?」

 いちいち名前を確認して回るのも大変で、他に情報が欲しい。すると、宋堅ソンジェンが心底嫌そうに顔をしかめながら教えてくれた。

「取り巻きがいるからすぐ分かるよ。しょっちゅう前髪弄ってるナルシストなやつ!」

 訓練生たちの間ではすこぶる評判が悪いようだ。ますます放って置けない。
 ふんふんと鼻息荒く憤る彼に、羅深思ルオシェンスーは任せて置けと笑った。

「分かった、酷いやつだったら俺が代わりにお仕置きしておくよ。二人ともまた明日な」

 二人と別れて右へ曲がると、食堂へはすぐに辿り着いた。辺りには出来立ての料理の香りが漂っていて、お腹が空いてくる。
 大学の食堂と似たような雰囲気だが、話に聞いた通り、受け取り口の向こうにエリア一の様子が見えた。センチネルの白いジャンパーを着た塊とは別に、軍服の集団も座っていたが、研究職らしき白衣の人々はこちらのエリア二にしかいない。
 向こうの様子を観察していた羅深思ルオシェンスーは、食事を貰いに来た楊福安ヤンフーアン宋堅ソンジェンの姿を見つける。並んだ料理を選ぶのに気を取られ、こちらには気付いていないようだ。
 羅深思ルオシェンスーはエリア一の様子を見ているうちに、あることに気が付いた。

「なあ、あそこにいるのガイドじゃないか?」

 支給されたジャンパーを腰に巻いていたので初めは見落としてしまったが、白と黒のツートンカラーは間違いなくガイドの物だ。しかも、よく見ると一人ではなく、いくつかのセンチネルのグループに点在している。
 どういうことか李光リーグァンに尋ねようとしたその時、不意に背後から悪意に満ちた声が聞こえてきた。

「あれはガイドの裏切り者だよ」

 振り返ると、取り巻きを五人も引き連れたそばかす顔の青年が立っていた。両手を腰に当て、いかにも偉そうにふんぞり返っている。
 間違いない。彼が噂の王逸輝ワンイーフイだ。まさか向こうから来てくれるとは。

「裏切り者って?」

 羅深思ルオシェンスーが尋ねると、彼らは小馬鹿にしたようにクスクスと笑う。これは確かに嫌な連中だ。
 心なしか、他のガイドたちは息を潜めて、彼らから距離を取っているようだ。

「分からないか? 社会のお荷物どもを庇った馬鹿のことだよ」

 嫌味に余念のない王逸輝ワンイーフイは、羅深思ルオシェンスーが話す暇すら与えず言葉を続けた。

「上海の研究所から来たって言うから、どれだけのものかと思ったが……ハッ、大したことないな」

 初対面で妙に噛みついてくると思ったら、彼はセンチネル研究最先端の『上海の研究所出』という肩書きが羨ましいようだ。羅深思ルオシェンスーに言わせれば、そんなクソみたいな肩書きは犬に食わせてしまえとしか思わないが。
 あまりに失礼な態度に李光リーグァンが怒り出しそうだったので、羅深思ルオシェンスーはさり気なく彼の腕を掴んで引き止めた。

「ここでの決まりを教えてくれないかな? 今日来たばかりで何も知らなくて……」

 さも困っていますと言うように眉を下げてお願いすると、王逸輝ワンイーフイはすっかり気を良くして鼻で笑った。

「いい心がけだ。目上のものには従わないとな! 向こうで待っててやる」

 最後まで失礼な態度を貫くのは見事なものだ。彼は偉そうに胸を張って歩きながら、取り巻きと共に無人の長テーブルへ歩いて行った。彼らの特等席らしい。
 ワン一行が充分な距離まで離れると、李光リーグァンはすぐに口を開いた。

ルオ先輩! なんで止めるんですかっ」

「いいから、俺に任せときな」

 厄介な集団を排除するなら、頭を潰すのが効果的だ。羅深思ルオシェンスーにはとっておきの秘策があった。
 まだ怒りが収まらない李光リーグァンにその秘策を耳打ちすると、彼はたちまち悪い笑顔になる。思い切り顔に出ている彼に神妙な面持ちでいるように言い聞かせると、羅深思ルオシェンスーは食堂で好物の汁なし担々麺を頼んでワン一行の待つテーブル席へ向かった。
 彼が正面の席に着くと、王逸輝ワンイーフイと仲間たちが値踏みするような視線を浴びせてくる。羅深思ルオシェンスーは全く意に介さず、貰った花椒を担々麺にこれでもかと振りかけていく。
 食欲を誘うスパイスの香りに満足していると、ワン一味は彼の奇行にぎょっとして顔を引き攣らせていた。

「あっ、使う?」

 どうぞ、と羅深思ルオシェンスーが勧めるも、彼らはブンブンと首を横に振る。王逸輝ワンイーフイは咳払いをして気を取り直し、相変わらず尊大な態度で話し始めた。

「よく来たな。俺を頼るのは賢い選択だ」

 彼の話はほとんどが自分の自慢話とセンチネルへの悪態で、聞くに堪えず退屈なことこの上ない。一応優秀ではあるらしいが、いくら数が少なく貴重なガイドとはいえ、対立を煽る存在は不要だ。
 自慢話を聞き流しながら担々麺を平らげた羅深思ルオシェンスーは、箸を置くと満面の笑みを浮かべた。

「実に素晴らしい考えですね。あなたほどの人がこんな場所で燻っているなんて勿体ない!」

 白々しい言葉に、隣で李光リーグァンがブフッとと吹き出す。テーブルの下で彼の足を蹴飛ばすと、羅深思ルオシェンスーは営業スマイルを浮かべながら言葉を続けた。

「上海の研究所に推薦しますよ。ぜひ紹介状を書かせてください」

「ふん……まあ、どうしてもと言うなら」

 上海の研究員はエリート集団とでも思っているのだろう。地獄への片道切符とも知らず、王逸輝ワンイーフイは満更でもなさそうな顔をして、勿体ぶりながら頷いた。
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