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第二章 不和
5 上海送りの刑
しおりを挟む対立を煽るガイドに手を打った翌朝、羅深思は施設におけるセンチネル対策マニュアルの修正案と王逸輝の上海への推薦状を持ち、研究員がひしめくエリア三までやって来た。
研究専門エリアのためか、軍服姿の職員はほとんど見当たらない。白一色の壁に白衣の人々ばかりだと、病院の中を歩いているような気さえする。
施設内は空調が効いていて過ごしやすいが、陽の光が差し込まない地下ということもあって、どうにも時間の感覚がおかしくなりそうだ。
施設長の王永雄は廊下の突き当たりにある研究室にいた。
羅深思がそっと中へ入ると、消毒液の匂いが鼻腔を掠める。棚には様々な国のセンチネルとガイドに関する学術書が並び、いかにも研究員の部屋といった様子だ。
デスクの前まで来た羅深思が「おはようございます」と声をかけると、王永雄は読んでいた資料からゆっくりと顔を上げた。昨日と変わらず、唇と目が楽しげな弧を描く。
「おはようございます、羅先生。随分と生徒たちに懐かれていましたね」
講義室に監視カメラでもあったのだろう。どこか皮肉めいた声に、羅深思は笑みを返す。
「修正案と、メールで報告した例のガイドの推薦状をお持ちしました」
デスクの上に付箋だらけの分厚いマニュアル書を置き、推薦状の方は王永雄に直接手渡した。
昨夜、食堂から自室に戻ってすぐに着手したものだ。マニュアルの方は、緊急を要するものを中心にいくつか別紙にも変更点をまとめてある。
推薦状に目を通した王永雄は細い目をさらに細め、羅深思へ視線を向けた。
「貴重なガイドを追い出して大丈夫ですか? 彼はほとんどのセンチネルと相性がいいんですよ?」
王逸輝本人からも自慢混じりに聞いていたが、事実だけを見ると確かに有用ではある。だが、あくまで事実だけを見ればだ。
「問題ありません。どのみち、面倒を見られるのはガイド一人につきセンチネル三人くらいでしょう?」
調律には疲労が伴うので、いくら相性が良くてもガイドが請け負えるのは一度に二、三人が限界だ。センチネル全員の面倒を見られるのは、それこそ羅深思のような特殊な力を持っている人物だけだろう。ガイドにとって調律は、それだけ負担が大きいのだ。
羅深思は「それに……」と言葉を続けた。
「派閥を作って対立を煽る人間は、いくら有能でも火種にしかなりませんよ」
食堂で王一味と話をした後、羅深思は他のガイドに聞き込みをしていた。
センチネルをどう思っているか、そして王逸輝たちの考えをどう思うか。何人かは王逸輝のやり方に迎合しているようだったが、追い出されたくなくて沈黙を保っている者たちもそれなりの数に登った。
つまり、頭を潰せれば彼らは解散するということだ。
「彼一人消えるだけで足並みが揃うなら安いものでしょう? もしガイドが足りなければ、上海の研究施設から一人引き抜いてください。みんな喜んで来たがるでしょうから」
苦楽を共にした同僚たちのことを思うと、揉めているガイド全員を上海送りにして彼らを呼び寄せたいくらいだ。
王永雄は推薦状へ視線を落とし、しばらく考え込むように押し黙っていたが、やがてふっと笑みを漏らした。
「分かりました。こちらから上海に連絡しておきましょう。それで、今日の予定は?」
相変わらず拍子抜けするほどあっさりと要求が通る。羅深思はもはや驚きすらなかった。
「今日はガイドについての授業をする予定です。李光が先に行って準備をしているので、そろそろ行きますね」
お互い忙しい身なので、雑談もそこそこに羅深思は部屋から退散した。
昨日と同じ講義室へ向かうと、部屋の中に入るなり訓練生たちがどっと押し寄せてくる。
彼らは一様に怒った顔をして、昨日の和気藹々とした可愛い生徒たちの姿はどこにもない。その怒りの元はすぐに判明した。
「羅先生! 王逸輝のやつが上海に行くって本当ですか⁉︎」
「あんなやつに推薦状出すなんて、どうかしてるぜ!」
ハグ実験の話しか知らない彼らにとって、上海は楽園のような場所なのだろう。
非難轟々に詰め寄ってくる訓練生たちから離れた場所では、上海の事情を知っている宋堅だけが嬉しそうにニヤニヤしている。彼はどうやらネタばらしを我慢しているらしい。
彼の隣には楊福安が立っていたが、今日は目が合っても逸らすことなく、真っ直ぐに見つめ返してきた。少しは打ち解けられただろうかと、羅深思は彼の良い変化に頬を緩める。
しかし、せっかく良いタイミングだったというのに、荒ぶる訓練生たちが行く手を阻むように群がってきて挨拶に行くことはできなかった。
「みんな耳が早いな。どうやって知ったんだ?」
話したのは昨日の夜だというのに、なぜか訓練生たちは全員がそのことを知っているようだ。宋堅が話した様子はなく、どこから話が漏れたのか不思議に思う。
すると、みんなを代表して勇偉が教えてくれた。
「あいつ、わざわざこっちのエリアまで自慢しにきたんだよ」
こんなに早いとは思わなかったが、王逸輝が鼻高々に自慢する姿は想像に難くない。運悪く彼の自慢話に捕まったらしく、勇偉は「本当、いい性格してるぜ」と顔を顰めていた。
「まあまあ、とりあえず席に着いて。今日は例の上海の実験の様子を見せてあげるから。李光、準備はできてるか?」
訓練生たちを席に着かせると、やっと視界が晴れる。ホワイトボードがあるはずの場所にはすでに、射影用の大きなスクリーンが設置されていた。
「ばっちりですよ、羅先輩!」
教壇の上にあるプロジェクターを弄りながら、李光がぐっと親指を立てる。彼は助手として優秀らしい。
羅深思は訓練生たちが全員席に着いたことを確認すると、部屋の照明を切った。
しばらくしてスクリーンに映し出されたのは、ビルの合間から見える突き抜けるような青空だ。カメラが下へ移動すると、ビルとビルの間に人一人が通れる粗末な長い吊り橋が掛かっていることが分かる。
先ほどまで憤っていた訓練生たちは、この不思議な映像に気を引かれ、静かになった。
「これはガイドの精神安定実験の一つだよ。この長い橋を命綱無しで渡るんだ」
「橋を渡るだけかよ」
見栄っ張りな男子たちが、これくらいなら自分もできると息巻く。しかし、一人のガイドが橋を渡り始めたその時、小さな悲鳴とどよめきが上がった。
橋の中ほどまで行った途端、床が抜けてガイドが落下したのだ。これこそが、この実験の本質だった。
「なんで落ちたんだ? 無事なのか⁉︎」
映像だから見えないのに、最前列の訓練生たちは思わず机から身を乗り出していた。覗き込もうとする彼らを見て笑みを浮かべると、羅深思は実験の詳しい説明をしてあげた。
「心配ないよ、念能力持ちのセンチネルが助けてくれるから。こうしてびっくりさせてから、心拍数が戻るまでの時間を測るんだ」
羅深思はセンチネルの能力が効かないため免除されたが、他のガイドは全員これをやっている。
いくらガイドは非常時でも冷静でなければならないからといって、センチネルが受け止めに失敗すると確実に死ぬ。かなり危険な実験で人権無視もいいところだ。
しかし、これは不本意ながらセンチネルとの信頼関係を築く効果があった。
「上海ではこんな実験ばっかりやらされるよ。特にガイドがね。センチネルに舐めた口利いたら、最悪死ぬことになるから王逸輝も少しは大人しくなるだろ」
過酷な実験が彼を待ち受けていると知り、訓練生たちは溜飲を下げ、ひそひそと嬉しそうに話し始めた。そんな中、不意に一人の青年が立ち上がり、勝利宣言をするように拳を突き上げる。
「お前ら、正義は果たされたぞ!」
よほど鬱憤が溜まっていたのだろう。その一声を皮切りに、部屋いっぱいに歓声が湧き上がった。
「ほら、騒がない! 好きに見ていいから、静かにしてね」
「後はよろしく」と李光に動画の再生を任せると、訓練生たちはまるで面白い玩具を見つけたような顔をして彼の元へ群がってくる。楊福安だけはその輪に加わらず、羅深思をじっと見つめていた。
何か話しをしたいのか、真っ直ぐな眼差しからは分からない。羅深思は教壇を降りて彼の元まで歩いていくと、隣の席にそっと腰を下ろした。
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