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第二章 不和
6 恨みの根源
しおりを挟む薄暗がりの中、楊福安の繊細な横顔をスクリーンの明かりが仄かに照らす。羅深思は彼に近付きすぎないように気を付けながら身を寄せ、静かに声をかけた。
「どう? 上海の実験は面白い?」
画面ではちょうど、ワニの口を塞ぐように覆い被さりながら罵詈雑言を叫んでいるガイドの姿が映っていた。精神力を鍛えるテストと称したもので、画面の中では楽しそうな女性の笑い声が響いている。
壮絶な光景から目を離した楊福安は、可哀想なガイドに同情してか、僅かに表情を曇らせて口を開いた。
「俺には無理そうです……」
率直な意見に、羅深思は微笑んだ。
「過酷なのは、ほぼガイドの訓練だけだよ。君の場合は助ける側に回ることになるね」
上海ではガイドが危険な訓練を受け、センチネルはそれを助けることで力の使い方を学んでいた。
たまに二人一緒の訓練もあるが、ほとんどの場合センチネルは救命訓練の名目で能力を使うことになる。過酷な訓練が無い代わり、彼らには繊細な力の操作が求められるのだ。
話を聞いた楊福安の表情はますます暗くなる。彼は小さく息を吐き、不安に揺れる瞳で羅深思を見つめた。
「羅先生……結果を出せないセンチネルは、施設を追い出されるというのは本当ですか? 他の施設に移動になるのでしょうか」
浮かない顔の原因はそれか、と羅深思は合点がいった。施設から追い出されるというプレッシャーは、力を上手く使えない彼には焦りしかもたらさない。
「大丈夫、君はどこへも行かせない。俺が側についてるよ」
彼の目を真っ直ぐに見つめ、羅深思は「約束する」と力強い声で言った。せめて彼が自分の力を恐れることなく使えるようになるまでは、側について見守ってあげたい。
ずっと追い出されるのではと不安だったのだろう。楊福安はほっとした様子で、初めて彼の顔に柔らかな笑みが浮かぶ。
それは道端に咲く小さな花のように細やかだったが、見る人を惹きつける魅力に溢れていた。彼のことが心配だった羅深思も、その年相応の愛らしい笑みに心が温かくなる。
今すぐ頭を撫でてあげたい衝動に駆られ、つい手を伸ばしかけたが、羅深思は触れられたくないという彼の気持ちを尊重して踏み止まった。出しかけた手をぎゅっと握って戻し、代わりに笑みを向ける。
「うん、いい表情になったね。心配しなくていいよ。嫌なことや難しいことがあったら、気兼ねなく俺に話して」
優しく声をかけると、楊福安は嬉しそうに目を煌めかせ、小さく頷いた。
彼のように心に問題を抱えている場合、急な環境変化は事態を悪化させるだけだ。今の会話で、彼の心の負担が少しでも減ればいい。
ほんの僅かながら彼と打ち解けられた気がして、羅深思は心の中で「よし!」と拳を握りしめた。
持ってきていた上海の実験を全て見終わる頃には、訓練生たちはすっかり上機嫌になり、推薦状に噴き上がっていたことも忘れて静かになっていた。
今は李光が訓練生たちに、姉にやられた幼少期の恐ろしい実体験を話して聞かせている。
「まだ歩き始めたばかりのちっちゃな俺を、姉さんはヘリウム風船で飛ばそうとしてたんだよ!」
涙ながらに語る彼を囲んだ訓練生たちは「酷すぎる!」だとか「人の心がない!」と大盛り上がりだ。いつの間にか、昔ながらの仲間のように打ち解けている。
しかし、可哀想な李光に同情を寄せながらも、訓練生たちは上海送りになった王逸輝の末路を想像してほくそ笑んでいた。
顔を合わせると喧嘩を売ってくる偉そうなやつが地獄送りになるのだ。こんなに愉快なことはないだろう。
羅深思はそろそろ授業に戻ろうと、講義室の電気を点けに行く。ぱっと明かりが点いた途端、行儀のいい訓練生たちは眩しさに目をしょぼつかせながらも、いそいそと席に戻り始めた。
「みんな、少しはガイドの大変さが分かったかな? 調律をするためには、かなりの集中力が必要になるんだ」
ガイドの調律可能な人数が最大で三人程度なのは、それ以上は体力と集中力が続かないからだ。どれだけ訓練しても、その部分を伸ばすのは難しい。
「上海のガイドの苦労は分かったけど、こっちの連中は楽をしすぎだ!」
一人の文句に、周りの訓練生たちからも同意の声が上がる。
羅深思はまだここに来て二日目なので、ガイドがどんな訓練を行っているかよく知らない。そのため、彼らの声には反論しないでおいた。
「上海のはちょっとやりすぎだけどな。これでも大分抑えた方だし……」
「これくらい良いじゃねぇか! ガイドは特権階級なんだろ? 犯罪しても捕まらないって聞いたぞ」
やはり、こういう時に真っ先に声を上げるのはリーダー格の勇偉だ。彼の言葉に同意した何人もの男子たちが「そうだそうだ!」と囃し立てる。
彼らのガイドへの不満は、王逸輝の横柄な態度だけではないようだ
しかし、訓練生たちのガイドへの知識はズレが大きい。王永雄施設長の裏がありそうな態度を思うと、わざと訂正しなかったのではと疑いたくなる。
憤る訓練生たちに羅深思は眉を顰め、すぐに訂正しようと口を開いた。
「どこで聞いたんだ? それは間違いだよ。むしろ、ガイドは普通の人より捕まりやすいんだ」
一時期、貴重なガイドの数を減らさないために、彼らが罪を犯しても警察は見て見ぬふりをしているという根も葉もない噂があった。しかし、現実は全くの逆だ。
「捕まったセンチネルの犯罪者だって調律が必要なんだぞ? 一体誰がやってると思う?」
そう問いかけると、訓練生たちはハッとして目を見開く。彼らには盲点だったらしい。
彼らがザワザワし始めたのを見て、羅深思は畳み掛けるように言った。
「罪に問われないどころか、むしろ罪が重くなる可能性もある。誰も犯罪者の調律なんてやりたがらないからな」
その希少性故に神聖化されがちだが、蓋を開けてみればガイド側にも苦労は多いのだ。そのせいで、余計に自己申告する人が少ないとも言える。
今まで信じてきたガイド像が崩れ始め、彼らの困惑は波紋のように講義室の中に広がっていく。ヒソヒソと小声で話し合う彼らの中から、一人の青年が声を上げた。
「じゃあ、ガイドが心を読めるっていう話は?」
それはガイドとセンチネルが調律で心を繋げた時に、頭の中を覗き見されるという噂だ。
だが、羅深思は世界中の情報が集まる上海の研究所に居た時にも聞いたことがなく、それどころか全くのデマとして処理されていた。
「別に心は読めないよ。ただ、相手の感情が流れ込んでくるんだって。落ち込んでるとか、嬉しいとか。俺は心の調律は専門外だから、はっきり断言できないけど」
「羅先生って……ガイドなんだよな?」
曖昧な答えに、訓練生たちは不思議そうな顔をする。あらかじめこうなると予想していた羅深思は堂々と嘘をついた。
「俺は特例! 相性無視して何人でも調律できるけど、力の流れを正常に戻せるだけ。心の調律はできないんだ」
何より『センチネルの力を無効化するセンチネル』だと話したところで、信じてもらえるかも疑わしい。
純粋な彼らは、その答えに納得したようだ。ガイドとセンチネルについての情報があまり浸透していないことが功を奏した。
「すっげぇ……チートじゃん!」
「チート先生!」
わいわいと騒ぎ出す彼らに、羅深思は苦笑いを浮かべる。
「チートじゃないから。他にガイドについて変な情報持ってる人はいるか?」
これは他にも変な勘違いがありそうだと睨んでいると、案の定、訓練生たちが我先にと手を上げる。羅深思は彼らを端から順番に当てていくことにした。
「先生、ガイドがセンチネルを洗脳するっていう話は本当ですか?」
一人の女の子が、不安そうに尋ねてくる。それは先ほどのガイドが心を読むという話に近いものがあった。もちろん全くのデタラメだ。
「違います。ガイドの役割は精神安定剤みたいなものだと思って。即効性はあるけど持続性はないんだ」
ストレスによって心が不安定になった場合、原因の方をなんとかしなければ、ガイドの調律は一時凌ぎにしかならない。例えるなら、精神科で薬を貰って飲むようなものだ。
すると、今度は男子の方から声が上がった。
「調律でエロい気分になるって聞いたんだけど、嘘じゃないと言ってくれ!」
そうであってくれと拝み倒す青年に、女子から「サイテー!」と非難の声が飛ぶ。
この質問は非常に答え難く、羅深思はうーん、と頭を悩ませた。
「基本的にはない……かな。恋人同士だと話が違ってくるけど」
ガイドの調律は心を同調させるので、相思相愛の間柄では無いとは言い切れない。しかし、質問をした青年にとっては残念な結果だったようだ。
訓練生たちの質問はその後も続いたものの、どれも一昔前に流れた真偽不明の噂や憶測ばかりだった。そのほとんどが否定、もしくは訂正されたもので、いかに彼らが外の世界から隔離されていたかが窺える。
講義を終える頃には、施設長による情報規制はもはや疑いようがなくなっていた。
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