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第四章 変化
5 配慮が足りない
しおりを挟む楊福安と二度目のキスをしてしまってから一週間、彼はキスのことなど無かったかのように従順な教え子に戻っていた。逆に羅深思はすっかり落ち着きを無くし、彼の一挙一動に激しく動揺する始末だった。
しかし、あれっきり二人の間には何もなく、羅深思は変な夢でも見ていたんじゃないかと疑いながら日々を過ごしていた。
訓練生たちの肝試しの準備は順調で、何度か地下通路の下見と採用する噂話について話し合いをした後は、各々が小道具作りに勤しんでいる。ガイド立ち入り禁止となったエリア一の廊下は、小道具作りのための材料でいっぱいだ。
「そこ、荷物邪魔だぞ! そのベニヤ板は塗装班に回せ」
ペンキや板を持ってうろうろする訓練生たちに、勇偉が声を張り上げる。仕切るのが得意な彼は、指示を飛ばしながら生き生きしていた。
勇偉が中心になって指揮しているので、羅深思の出る幕はない。何人か仕掛け人側に回るガイドが監督をしてくれているため、安全性も問題はないだろう。施設長に呼ばれていた彼は、安心してその場を後にした。
長い廊下を抜けてエリア三まで来ると、王永雄が出迎えてくれる。実験用のサンプルが欲しいと言われていたが、訓練生たちを見回ってから来たため待ち切れなくて迎えにきたのだ。
「例の計画は順調ですか?」
研究で忙しいのか、王永雄は施設で何が起きているか見ていないらしい。少しやつれた様子の彼に、羅深思はにこやかな笑みを向ける。
「今のところは大丈夫です。みんな楽しそうですよ」
娯楽の少ない地下で学園祭のようなことができるとあって、訓練生たちは未だかつてないほど団結していた。引っ込み思案だった楊福安も、羅深思の元で訓練を続けたこともあり、訓練生たちの輪に混ざってテキパキと作業をこなしている。
いつもとは違う場所で検査をすると言われ、羅深思は施設長の後を追った。広い通路には人通りがなく、今日はやけに静かだ。
「そういえば、楊福安はどうです?」
急に彼の名前を出され、羅深思は口から心臓が飛び出しそうになった。最近では楊福安の名前を聞くだけで心臓がドキドキする。
「なっ、何がですか?」
ぎこちなく尋ねると、先を行く王永雄は肩越しに振り返り、怪訝そうに眉を顰めた。
「何がって、調律ですよ。あなた、ずいぶん心配してましたよね」
その言葉でやっと、羅深思は彼のことをしばらく報告していなかったことに気付く。最後に楊福安のことを話したのは、ダブルベッドの申請をした時だ。
「ひとまず、俺とはできるようになりましたよ。精神も安定しているので問題ないです」
彼は今まで力を使ったことがなかったとは思えないほどの成長っぷりを見せている。最近では針に糸を通すような繊細な操作もやってのけるほどで、その上達ぶりには舌を巻くばかりだった。
王永雄は「そうですか」と興味なさげな相槌を打ち、検査室三と書かれた扉の前で足を止める。彼が中に入るように促したので、羅深思は重い扉を開いて中に入った。
薄青のカーテンで仕切られた部屋の中には、大きなデスクと向かい合わせの椅子が二つあり、まるで病院の診察室のようだ。羅深思が椅子に座ると、恒例となった採血が行われる。
研究用の血を注射器二本分採血されている間、彼は手持ち無沙汰に初めて入る部屋を見渡した。カーテンの奥に影はなく、王永雄以外に人は居ないようだ。
「今日は採血で終わりですか?」
いつもはもっと職員がいて、軽い健康診断や検査をしてくれる。それなのに、今日は珍しく全ての作業を王永雄自らやっていた。
「いえ、今日はもっと大事なことをしてもらいます」
二本目の注射器を血液で満たした彼は、机の上を片付けながらそう言った。そして注射器一式が乗ったトレーを持ってカーテンの奥へ行き、すぐに箱を持って戻ってくる。
机に置かれた箱の中身を覗き見たものの、中身は箱ばかりだった。
「なんですか、これ」
手のひらに乗るほどの大小様々な箱だ。何かのギフトボックスなのか、パッケージがラッピングで隠れて見えない。
中のものを机の上に並べ、王永雄は淡々と言った。
「アダルトグッズです。あなたの精液を調べたいので、ちゃちゃっとお願いしますね」
「ちょっ、俺に隠れて子ども作ろうとしてません? 知らないうちに我が子が産まれてるなんて嫌ですよ!」
センチネルやガイドの力は遺伝するのか。それは上海の研究員たちが興味を示していることだった。
もし遺伝するなら、意図的にセンチネルやガイドを作り出すことができる。特にガイドは人手不足なので、人為的に増やせるならやらない手はないだろう。
てっきり彼もその実験をする気だと思って抗議したが、王永雄は呆れたようにため息を吐く。
「違いますよ、遺伝子情報を調べるだけです。それに、子どもに能力が遺伝するかどうかは、アメリカの研究所が論文を出してますよ」
その話を聞いて、羅深思は安心すると共に興味が湧いた。上海では研究に携わることが多かったので、その手の論文は大好物なのだ。
「論文あるんですか? 俺も見られます?」
「終わったら見て良いですよ。先に済ませてください」
手のひら大の箱をいくつか開けた王永雄は、大きな空き箱の中に卵形のシリコンと避妊具を入れて羅深思に突きつけた。
「終わったら、資料を持って帰っても良いですから」
終わるまで駄目だと念を押し、早く済ませろと目で訴えてくる。研究のことしか頭にないお馴染みの目だ。上海の研究施設で何度見たことか。
ところが、羅深思がカーテンをめくった途端、部屋の扉が大きく開いた。
「お邪魔します! 羅先輩はいますか?」
何故か李光が勢いよく入って来る。その後ろから、楊福安がひょっこり顔を出した。
断りもなしに入って来た彼を見て、王永雄は僅かに目を細めた。
「いますが、入って良いとは言ってませんよ。姉弟揃ってやることがそっくりですね」
飄々とした態度を崩さない彼が、珍しく露骨な嫌味を言っている。李光の姉とは昔一悶着あったらしく、何か思うところがあるのだろう。
ところが厄介な姉を持つだけあって、李光は全く気にする素振りもない。
「はいはい、次からは気を付けます」
マイペースな彼には王永雄もお手上げのようで、諦めのため息を吐いた。
「まあいいでしょう。大人しく座って待っていてください」
「あっ、俺はこの子を送り届けに来ただけなんでお構いなく!」
椅子を勧める王永雄に、彼は「すぐ帰ります!」と明るく返す。そして宣言通り、楊福安を置いてさっさと部屋を出て行ってしまった。
あまりにも無礼なその態度に、さすがの王永雄も絶句するしかない。
嵐のような勢いでやってきた李光が姿を消すと、楊福安はおずおずと部屋の中に入った。
「羅先生、何かお手伝いしましょうか?」
純真無垢な視線を向けられ、アダルトグッズ入りの箱を持っている羅深思は顔を引き攣らせる。彼はいつものように手伝いを申し出ただけだというのに、箱の中の物のせいで違う意味に聞こえてしまう。
「間に合ってます!!」
動揺しすぎて敬語になってしまった。楊福安は不思議そうに首を傾げたものの、自分が何を言ってしまったかには気付いていない。
羅深思が改めてカーテンの奥へ行こうとすると、王永雄が思い出したように呼び止めてくる。
「これ、入れ忘れていました」
そう言って投げて寄越したのは、透明なボトルに入ったローションだ。羅深思は無垢な青年の教育に悪いそれを持っている箱に慌ててしまい、シャッと勢いよくカーテンを閉めた。
仕切られた部屋の中にはソファが一つ置いてあり、リラックスできるようになっている。しかし、彼は座ってすぐにこの部屋の欠陥に気付いてしまった。
「外に買い出しに行っても良いと許可をもらったので……」
当然ながら、カーテン越しに楊福安の声が丸聞こえだ。それはつまり、こちらが出した音も全て向こうに筒抜けということに他ならない。
研究職の人間はこれだから嫌なんだよ……。
二人の話し声を聞きながら、羅深思は頭を抱える。上海の研究施設ではカーテン一つないビルの一角を与えられ、今と同じように精液を提供しろと言われた。だが、思い返すと防音がしっかりしていた分まだましだ。
なんとか自分を奮い立たせた羅深思は、ローションの音が漏れ聞こえないように細心の注意を払い、たっぷり時間をかけて役目を終えた。
使い終わった避妊具をグレーの小袋に入れながら、深いため息を吐く。なんだか人としての尊厳を踏み躙られた気分だ。
「次はもっと手早くお願いしますね」
労いの言葉すらなく、王永雄は奥へ引っ込んでいった。事務的な対応すぎて怒りが湧いてくる。
「次は」と言われた羅深思は、次回はもっと配慮を求めようと心に誓った。
幸い、楊福安は何も気付いていないようだ。ほっと胸を撫で下ろすと、羅深思は忘れずに論文を回収して、彼を連れて部屋を出た。
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