囚われの狼は白兎の牙に溺れる

てんてこ米

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第二章

4 発情期

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 首輪が取れないまま会合当日を迎えたリュカオンは、バスルームの鏡に映る自分の姿を見てため息を吐いた。こんな怪しいものが首についていては、久々に会う仲間たちに何を言われるか分かったものではない。
 首輪を付けてからというもの、エルシオンは日に一度は「つがいになる気になったか?」と尋ねてくるようになった。
 その度にリュカオンは「ならない!」と言って求愛を断っていたが、それが本心からの言葉ではないことは当然彼も分かっている。断られ続けているのに、エルシオンは毎日楽しそうだ。
 本心を打ち明ければいいだけなのだが、変に意地を張ったせいで、リュカオンはいつしか彼への好意を素直に認められなくなってしまっていた。

「エルのやつ、会合は夜って言ったか……それまでに何とかできるかな」

 獣人たちが夜行性なことと、アリスに会合を勘付かれないようにするため、夜になってから集まる手はずになっている。
 今はちょうど日付が変わった頃で、会合まで時間はたっぷりあった。それまでに、どうにか首輪を外す手を考えなければ。
 鏡と睨めっこをしていると玄関の扉が開く音がして、リュカオンは慌ててバスルームから飛び出した。

「エル、おかえり!」

 純白の執事服に身を包んだ、憎らしくも愛しい白うさぎ。彼はいつものように、リュカオンの仲間たちに手紙を届けに行ってくれていたのだ。
 ところが、今日はなにやら様子が違っていた。
 透き通るように白い頬には赤みが差し、辛そうに眉をひそめている。リュカオンが様子のおかしい彼に駆け寄ると、ぎゅっと抱きしめられた。

「お前、なんか体熱いぞ? 風邪引いたか?」

 体温が高いだけでなく、呼吸も荒い。心配になって顔を覗き込むも、エルシオンはまるでそうした方が落ち着くと言わんばかりに、彼の首筋に顔を埋めた。
 熱い吐息が肌を撫でる。心臓の鼓動もいつもよりずっと速く、リュカオンは彼を無理やり引き剥がし、改めて顔を覗き込んだ。

「どうしちまったんだ?」

 うさぎらしくない鋭い目は、今は熱に浮かされたようにとろんとしている。目を合わせてもどこかぼんやりとしていて、心ここにあらずだ。

「具合は悪くない。ただ、急に身体が火照ってきた」

 エルシオンはどうしてもくっついていたいのか、再びリュカオンを抱きしめる。彼が執拗にすりすりと頬ずりしてくるので、リュカオンはぴんときた。

「もしかして……発情期か?」

 この家にいくつかあったうさぎ族の生態が書かれた本の中に、それらしいことが書いてあったのだ。エルシオンが答える代わりに首元に甘噛みしてきたので、彼はますます確信を深める。
 うさぎ族は興奮すると、今のように噛み付いてくることがあると本に書かれていた。

「いてて……お前の歯、なんか痛ぇんだけど」

 ちくりと鋭いものが肌に刺さり、リュカオンは眉をひそめる。草食のうさぎに噛まれたとは思えないほど、彼の歯は妙に鋭かった。
 これではまるで狼だ。雑食なことと何か関係があるのだろうか。
 とはいえ、今は悠長に考えている場合ではない。浅い呼吸を繰り返す彼の頭を優しく撫で、リュカオンは慰めるように優しく尋ねた。

「嫌なタイミングで来ちまったな。普段はどうやって鎮めてんだ?」

 発情期の辛さはそれぞれ種族ごとに異なるが、エルシオンは見るからに辛そうだ。大事な会合の前だというのに、これでは話し合いに参加できない。

「初めて来たから分からない。どうすれば治まる?」

 エルシオンは途方に暮れた子どものように耳をしゅんと伏せ、困った顔をする。彼の言葉にリュカオンは目を見開いた。
 通常、発情期は成獣になる頃に来る。エルシオンはとっくに成獣しているので、もう来てなければおかしいのだ。

「初めて? まさか、あの逆行薬とかいうやつのせいか?」

 体の時間を巻き戻す薬──どれくらいの頻度で子どもに戻っていたのか分からないが、体の時間にズレを生んでもおかしくはない。
 欠陥薬じゃねぇか!と心の中で悪態を吐きつつ、リュカオンはうっすらと汗ばんだ可愛いうさぎの顔を見上げた。

「やり過ごすには時間が足りねぇし……しょうがねぇな。俺が手伝ってやるよ」

 初めてのことに戸惑うエルシオンに、リュカオンは一肌脱ぐことにした。
 発情期を終わらせる方法は二つ。一つは治まるまでじっとしていること。そして、もう一つは欲を発散させることだ。
 つまり、手や口を使って熱を吐き出させてやれば、一日と経たずに落ち着きを取り戻す。時間も掛からないし、今できる一番の解決策だ。



 いつもと違ってすっかり弱りきったエルシオンをベッドに寝かせると、リュカオンは緊張の面持ちで後に続く。そして、二人寝てもまだ余裕があるベッドの上で身を寄せ合った。
 対処法を知っていても、人に教えたり手伝ったりするのは初めてで、どうしても緊張してしまう。心臓はうるさいほどに高鳴り、今にも爆発しそうだ。

 うさぎのナニは小せぇっていうし、なんとかなるだろ。

 色々と規格外なところはあるが、エルシオンがうさぎであることに変わりはない。そう思うと少しだけ落ち着きを取り戻し、リュカオンは熱を持て余してぐったりしている彼の服をゆっくりと脱がせ始めた。
 一枚、また一枚と服を脱がせていくと、熟れた林檎のような甘い香りが強くなってくる。それはエルシオンの体から立ち込めてくるようで、嗅いでいると頭がクラクラして、彼の熱が自分にまで移ってしまいそうだった。

「少しは楽になったか?」

 服にこもった熱を解放すれば、いくらかはマシになるはずだ。リュカオンは熱くなった彼の額に触れ、薄っすらと浮いた汗を拭ってやった。
 品のいい白のシャツから覗く胸板は厚く、はだけさせると程よく筋肉がついた引き締まった体が現れる。目のやり場に困る光景に、リュカオンはごくりと唾を呑んだ。

「リュカが抱きしめさせてくれたら落ち着くかも」

 不安そうに見上げながら、エルシオンは風邪を引いた子どもみたいに両手を広げた。そこにはいつもの冷静沈着な姿はなく、珍しくちゃんと年下らしく見える。
 可愛いおねだりに、久しぶりに優位に立てたリュカオンは上機嫌になった。仕方ねぇなと苦笑を漏らし、彼の胸にそっと体を預けた。

「これでどうだ?」

 嬉しそうにぴんと立った耳元に囁く。だが、どうしたことか返事がない。
 おかしい、そう思った時にはもう、視界がぐるりと反転していた。
 あっという間に背中が滑らかなシーツに沈む。天井が見えたのは一瞬で、覆い被さる影に部屋の光が遮られる。流れるような銀髪が、星屑を散らした滝のようにリュカオンの視界を埋め尽くした。

「きゅ、急にどうしたんだよ……」

 優位だったのが一転、押し倒されたリュカオンは身を強張らせた。逃げ道を奪うように掴まれた手首は、振り解こうにもびくともしない。
 先ほどまで子どもみたいに甘えていたのに、エルシオンは今や獲物を追い詰める獰猛な獣の顔をしていた。抑えきれない熱が溢れ出したその表情は、初めて会った時と同じだ。
 熱を帯びた赤い双眸そうぼうが、まるで獲物を狙うかのようにぎらりと光る。
 か弱いうさぎの片鱗すらない瞳。身が竦むほど鋭い眼差しに、リュカオンは自分が非力な獲物になったかのような錯覚に陥る。

「今すぐリュカが欲しい」

 蛇に睨まれた蛙のように動けないでいると、エルシオンはそう囁いた。
 耳が蕩けるような甘い声に、リュカオンは胸がどきりとする。その言葉の意味を思うと、どうしたって落ち着けない。
 エルシオンは倒れ込むように首元に顔を埋め、体が辛いのか深いため息を吐く。そして申し訳なさそうに呟いた。

「番になるまで我慢しようと思ってたのに……」

 あまりにも切実な声に、リュカオンの胸がきゅっと締め付けられる。
 思えば、エルシオンはいつも紳士的だった。その気になれば力ずくで犯すこともできたのに、彼はたったの一度も一線を越えようとはしなかった。
 その事実に気付いたリュカオンは、堪らなく愛しい気持ちが込み上げてくる。この期に及んで、彼はまだ本能を抑え込もうとしているのだ。

「我慢しなくていい!」

 気付けばそう口走っていた。
 大きな声に、伏せっていたエルシオンがハッとして顔を上げる。潤んだ赤い瞳を大きく見開き、彼は恐る恐る口を開いた。

「それは、その……」

 戸惑いと期待の入り混じった眼差しを向けながらも、はっきりと口に出すことができないでいる。
 自分の発言に恥ずかしくなったリュカオンは、彼をベッドに押し倒し、馬乗りになった。

「ヤらせてやるって言ってんだよ! こっ、今回だけだからなっ」

 勢いでとんでもないことを言ってしまったが、これ以上辛そうにしている彼を見ていられなかった。
 頭に血が上って、今にも爆発しそうだ。相手はうさぎだ、と心の中で繰り返しながら、リュカオンは勢いのまま自分の服に手をかけた。
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