俺を殺しにきた男

かすがみずほ

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 ミハイルが眠っている間、俺は部屋の中を出来る限り片付けた。
 蝶番の壊れたドアは流石に部品がなくて直せなかったけど、窓ガラスがなくなった小さな窓には、釘打ちで応急措置の木の板を張った。
 いくら鎧戸を閉めていても、やっぱり暖房の空気が逃げてかなり寒かったので。
 狭い部屋の中がようやく元の状態に近くなったところで、買い物のために外へ出かけた。
 ガス爆発の現場は改めて見ても悲惨な光景で、黒焦げの建物の内部がむき出しになり、まるで市街戦があったかのようだ。
 野次馬やマスコミの車が詰め掛けて混雑している通りを離れ、いつもは使わない遠くのパン屋でバゲット(フランスパン)を2本買う。
 次いで、市場(マルシェ)に寄って野菜やハムを買い、急いで自分のアパルトマンに戻った。
 長い階段を無心に上り、少しビクビクしながら屋根裏部屋の、人がすれ違うのも難しいくらい狭い内廊下を歩く。
 いつもなら両隣の声が筒抜けで、廊下だってうるさいくらいなのに、今日はシンとしていた。
 昨日壊れてしまったドアが立て掛けてあるのを両手でずらして、そうっと部屋の中に入る。
 もしかしたらミハイルがもう目覚めていて、記憶も戻っているかもしれない――と思うと、ビクビクした。
 でもそれは取り越し苦労で、彼は相変わらず俺のベッドで、平和に眠っているだけだった。
「良かった……」
 安堵して、本棚の裏の狭苦しい流し台に板を渡し、二人分のサンドイッチの材料を並べた。
 二人分の食事を用意するなんて本当に久しぶりで、何だか変な感じだ。
 バゲットを縦に半分にして、切り口にしっかりとバターを塗る。片面にレタスに薄く切ったトマトとオリーブ、それに分厚いハムとチーズを乗せて、最後にもう片方のパンを乗せる。
 特に調味料はいらない、チーズとハムの塩気だけで十分においしいから……。
  キッチンでサンドイッチを作り終わり、相手を起こそうと本棚の向こうに戻ると、既にミハイルは起き上がり、ベッドから降りようとしているところだった。
「おはよう!」
 声を掛けると、彼はぶるっと身体を震わせ、俺の方を見た。
「なんだか寒いし、身体がベタつく……」
「ごめん、服は血が付いてたからいま洗濯してて……シャワー浴びてきたらどうかな? 今の時間ならちゃんと湯が出ると思うから……起きられる?」
 手を貸すと、彼はゆっくりと脚を床に下ろした。
「靴がない……」
「あぁ、スリッパを履いて。君の靴はドアの前に置いてあるよ」
 ミハイルが頷き、俺の前に立ち上がる。
 昨日は肉体美の方に目が行っていて気付かなかったけど、物凄く背が高いことに気付いた。
 俺も180あって全然低いほうではないけど、相手は190はありそうだ。
 しかも、腰の位置が高くて脚が長い。
 そういえば、ベッドから手足がはみ出そうだったもんな。
 裸足の足の前にスリッパを出すと、彼は素直に履いてくれた。
「こっちだよ」
 キッチンの隣の防水カーテン付きの狭いシャワーブースに案内する。
 DIYでシャンプーとボディーソープの入る棚を付けた、必要最低限の防水スペースだ。
「ごめんね、狭くて。トイレは共同だから外だよ。服とかバスタオルは外のタオル掛けに置いて。脱いだ服は、ちょっと遠いけどキッチンの向こうの洗濯機に」
 屋根裏部屋なのでちゃんとしたバスルームが無いのが申し訳ないなぁと思いながら、シンクの下からバスタオルを渡した。
「ん」
 ミハイルは素直に頷くと、俺の前でキッチンマット兼バスマットの上に立ち、躊躇なくパンツと下着を脱ぎ始めた。
「わっ、待って待って、本棚の向こうに行くから」
 服を脱ぐスペースすら無いのがこの部屋の辛いところだ。
 慌てて飛び出たけど、バッチリ目に入ってしまった。
 うーん、やっぱり白人男性に比べると俺のって……。
 浮かんでしまった悲しい考えを首を振って消し、俺はクローゼットから着替えを出した。
 水音がし始めた頃合いに、なるべく大きめの服を用意して、もう一度本棚の裏に入る。
「服、外に置いておくよ。傷の所はまだ濡らさないように気を付けて。後で拭いてあげるから……」
 言いながら、俺は冷たい水をかぶってびしょ濡れになっていた。
「わっぷ!」
「あ、悪い……」
 目の前ではなぜか、シャワーカーテンが全開のままミハイルがシャワーを浴びている。
「ちょっ、そんな冷たい水浴びて……凍えちゃうよ!?」
 慌てて彼からシャワーヘッドを奪い取り、横から手を伸ばして赤の表示のあるカランを回した。
「ほら、こうしたら温かくなるよ。湯を出す時はこっちなんだ……ごめんね、初めて使うところなのに俺の説明が雑だった。それと、シャワーを浴びる時は最初にこのカーテンを引いて」
「……分かった」
 頷く彼にじゃあね、とカーテンを閉めようとすると、ミハイルはこちらを向いて、不思議そうに声をかけてきた。
「……。怒らないのか?」
「……え?」
 聞き返すと目が合い、整った吊り気味の眉の下の、夜空色の瞳に意識が吸い込まれる。
「だって、俺が失敗してお前を濡らしたのに」
「怒ったりなんかしないよ」
 強面のハンサムが可愛いことを言っているから、思わず微笑んでしまった。
 あぁ、この人は今本当に、子供なんだ。
 家主の俺が機嫌を損ねて自分を追い出したりしないか、気にしてるんだな。
 ……なんか、やっぱり放っておけない。
 元がどんな人だったとしても……。
 使ったタオルを洗濯機から出して床を拭きながら、俺はそう思った。
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