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流浪の騎士
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教会と、レオンの暮らす修道院は隣接してロキの街の丘の上に立っている。
鐘撞(かねつき)堂の上から見渡すと、視界の範囲内に全体が収まる小さな町だ。
南北を流れる川を囲むように素朴な木造の家が密集し、その周囲を幅7フィート(約2メートル)、高さ30フィート(約9メートル)程の、十分に高いとはいえない環状の市壁に囲まれ、そこに設けられた4つの市門に通じる通りが縦横に走っている。
町独自の武力は自警団くらいしかない。
国境を守っていた聖騎士団が崩壊してしまった今、家や商売を捨ててもっと南へと逃げるものも多く、夕暮れ時の町は閑散としていた。
エルカーズの首都は混乱しているという話だったが、果たして軍は引き揚げたのだろうか。
教会の鐘楼から螺旋階段を降りてゆくと、まさに塔を登ろうとしていたジーモン神父に出会った。
広い額に汗を浮かせ、酷く焦っている。
「どうしたんです」
つかまえるようにして尋ねると、彼は狼狽えたようにまくし立てた。
「伝書鳩で知らせがあったのだ……エルカーズの軍勢が……っ、この町に向かっていると……!」
「……!? 俺が上がった時にはまだ、敵襲の気配は見えませんでした」
「とすればまだ、時間はある。早く市門を閉じねば……! 私は鐘を鳴らす。騎士殿は市門を守っている自警団のところへ行ってくれ!」
「はい……!」
短く返事をし、レオンは長い修道服を翻して螺旋階段を駆け下りた。
まだ町にでないうちに鐘音がカーンカーンと激しく鳴り響き始める。
レオンが石造りの教会を出て丘を駆け下りると、不安そうな表情をした住人達が鐘の音を聞き、通りに出
始めていた。
「エルカーズの軍隊が向かっている! 市門が破られれば家に火を放たれる恐れがあるぞ! 女子供は早く教会へ!」
レオンは彼らに叫び続けながら、北の市壁へと大通りをひた走った。
非常時の鐘を受け、北の門の門番達は既に太い鎖で繋がれている重い扉を落としている。
レオンは門番に事態を伝え、市門の両脇を挟むように建てられた見張り用の塔の梯子に登った。
屋上まで登り荒野の先を見渡すと、赤く染まった空の向こうに広く砂埃が立ち始めているのが見える。
この距離では、夜までには着いてしまう――。
恐らく敵の数は二千ほど。
この町の自警団に男手を足しても、味方は200に満たない。
市門が一箇所でも破られればおしまいだ。
――自分も今度こそは戦わなければならない。助けてくれたジーモンとこの町のために。
レオンは決意し、傍にいた門番の一人、金髪の巻き毛の青年に声を掛けた。
「あなた方の着ている服と、剣を一振り貸してくれないか……!」
すぐに日は暮れ、町は不気味なほどの静けさと闇に包まれた。
レオンは自警団の本部で修道服を脱ぎ捨て、こげ茶のチュニカに、下をズボンとブーツに履き替えた。
ソードベルトに剣を差し、再び北の市門へと向かう。
敵を伺う為に物見の塔へ梯子を登ろうとした時、背後から突然、声を掛けられた。
「レオンさん。あなた、レオン・アーベルさんですよね、デンメルング聖騎士団の」
先ほど剣と服を都合してくれた金髪の青年がそこに立っていた。
どうやら修道服を脱いだことで素性に気付かれたようだ。
梯子に手を掛けたまま戸惑うレオンに、青年はそばかすの浮いた顔を輝かせた。
「あなたはタルダン一の剣の腕だと聞いています……! あなたと共に戦えて、光栄です」
その純粋な憧れの瞳に、良心が強く疼いた。
自分はもうあの団の一員ではない。事情があったとはいえ戦いから退き、それどころか、あらゆる意味でもう、人々の模範とは言えない罪深い存在なのに――。
レオンは梯子を掴んだ手を離し、若い青年に向き合った。
「いや、自分は結局国境を……この町を守ることが出来なかった。今の事態を本当に、申し訳なく思っている……許してくれ」
長い睫毛を伏せ頭を下げると、青年は戸惑うように首を振った。
「とんでもありません……! 俺は、カスパルといいます。あなたがここに居て下さることに心から感謝します」
頬を赤くして名乗り、若者が持ち場に戻っていく。
その背中を見つめながらレオンは戦う決意を新たにし、握った掌に力を込めた。
改めて梯子を一気に登ってゆく。
塔の上に出ると風が少し強くなっていて、レオンの髪を乱した。
市壁の外を見渡せば、今や身震いするほどの数の松明の火が、ロキの町の川から北を遠巻きに囲んでいる。
左右を見れば、自警団のほぼ全員が矢筒とクロスボウを身に付けて壁上に登り、緊張の面持ちで決戦に備えていた。
相手が一歩でも射程距離の範囲内に近づけば撃ち、市門が破られるのを一分一秒でも防がねばならない。
だが、暗闇の中の軍勢は異様な静寂に満ちている。
まるで何かを待っているような、そんな空気さえ感じる程に。
レオンはふと、市門のすぐ左脇を黒々と横たわっている川に視線を移した。
水の流れは市壁を貫くようにして滔々と流れ、その暗い表面に、市門に掲げられた松明の火が映り揺れている。
――その水面に、ほんのわずかな小さな泡が1つ、2つ浮かぶのを、レオンの目が捕らえた。
「……?」
嫌な予感がして、瞬時にほとんど飛び降りるようにして塔を降り、川沿いへと素早く降りてゆく。
「どうしたんです!?」
そんなレオンに気付き、市門の上から声が上がる。
先ほど会話した金髪の若者、カスパルだった。
「川だ! 川に何かいる……! 応援を呼んでくれ!!」
頼んでから走り出す。
川は深く流れも速い。そして川と市壁の間の隙間は殆どなく、人間がそこを潜り、泳いで入ってくるようなことはまず無いと思われた。あったとしてもその前後で息継ぎに水面にあがった姿を市壁から確実に補足出来る。
そう、相手が人間ならば――。
レオンは水辺の草むらの中に足を踏み入れ、川を遡るようにして走った。
恐らく相手は市門から離れた、人気のない場所で川から上がって来る。
戦いのカンが、頭の中で警鐘を鳴らす。
脚を取られるような水辺の草を掻き分け進むと、前方でビチャリと濡れた音がした。
その音のした方向に視線を向け、草の中に身を伏せて息を潜める。
やがて黒い水面から、水かきのついた不気味な濡れた手が現れたのをレオンは見た。
鐘撞(かねつき)堂の上から見渡すと、視界の範囲内に全体が収まる小さな町だ。
南北を流れる川を囲むように素朴な木造の家が密集し、その周囲を幅7フィート(約2メートル)、高さ30フィート(約9メートル)程の、十分に高いとはいえない環状の市壁に囲まれ、そこに設けられた4つの市門に通じる通りが縦横に走っている。
町独自の武力は自警団くらいしかない。
国境を守っていた聖騎士団が崩壊してしまった今、家や商売を捨ててもっと南へと逃げるものも多く、夕暮れ時の町は閑散としていた。
エルカーズの首都は混乱しているという話だったが、果たして軍は引き揚げたのだろうか。
教会の鐘楼から螺旋階段を降りてゆくと、まさに塔を登ろうとしていたジーモン神父に出会った。
広い額に汗を浮かせ、酷く焦っている。
「どうしたんです」
つかまえるようにして尋ねると、彼は狼狽えたようにまくし立てた。
「伝書鳩で知らせがあったのだ……エルカーズの軍勢が……っ、この町に向かっていると……!」
「……!? 俺が上がった時にはまだ、敵襲の気配は見えませんでした」
「とすればまだ、時間はある。早く市門を閉じねば……! 私は鐘を鳴らす。騎士殿は市門を守っている自警団のところへ行ってくれ!」
「はい……!」
短く返事をし、レオンは長い修道服を翻して螺旋階段を駆け下りた。
まだ町にでないうちに鐘音がカーンカーンと激しく鳴り響き始める。
レオンが石造りの教会を出て丘を駆け下りると、不安そうな表情をした住人達が鐘の音を聞き、通りに出
始めていた。
「エルカーズの軍隊が向かっている! 市門が破られれば家に火を放たれる恐れがあるぞ! 女子供は早く教会へ!」
レオンは彼らに叫び続けながら、北の市壁へと大通りをひた走った。
非常時の鐘を受け、北の門の門番達は既に太い鎖で繋がれている重い扉を落としている。
レオンは門番に事態を伝え、市門の両脇を挟むように建てられた見張り用の塔の梯子に登った。
屋上まで登り荒野の先を見渡すと、赤く染まった空の向こうに広く砂埃が立ち始めているのが見える。
この距離では、夜までには着いてしまう――。
恐らく敵の数は二千ほど。
この町の自警団に男手を足しても、味方は200に満たない。
市門が一箇所でも破られればおしまいだ。
――自分も今度こそは戦わなければならない。助けてくれたジーモンとこの町のために。
レオンは決意し、傍にいた門番の一人、金髪の巻き毛の青年に声を掛けた。
「あなた方の着ている服と、剣を一振り貸してくれないか……!」
すぐに日は暮れ、町は不気味なほどの静けさと闇に包まれた。
レオンは自警団の本部で修道服を脱ぎ捨て、こげ茶のチュニカに、下をズボンとブーツに履き替えた。
ソードベルトに剣を差し、再び北の市門へと向かう。
敵を伺う為に物見の塔へ梯子を登ろうとした時、背後から突然、声を掛けられた。
「レオンさん。あなた、レオン・アーベルさんですよね、デンメルング聖騎士団の」
先ほど剣と服を都合してくれた金髪の青年がそこに立っていた。
どうやら修道服を脱いだことで素性に気付かれたようだ。
梯子に手を掛けたまま戸惑うレオンに、青年はそばかすの浮いた顔を輝かせた。
「あなたはタルダン一の剣の腕だと聞いています……! あなたと共に戦えて、光栄です」
その純粋な憧れの瞳に、良心が強く疼いた。
自分はもうあの団の一員ではない。事情があったとはいえ戦いから退き、それどころか、あらゆる意味でもう、人々の模範とは言えない罪深い存在なのに――。
レオンは梯子を掴んだ手を離し、若い青年に向き合った。
「いや、自分は結局国境を……この町を守ることが出来なかった。今の事態を本当に、申し訳なく思っている……許してくれ」
長い睫毛を伏せ頭を下げると、青年は戸惑うように首を振った。
「とんでもありません……! 俺は、カスパルといいます。あなたがここに居て下さることに心から感謝します」
頬を赤くして名乗り、若者が持ち場に戻っていく。
その背中を見つめながらレオンは戦う決意を新たにし、握った掌に力を込めた。
改めて梯子を一気に登ってゆく。
塔の上に出ると風が少し強くなっていて、レオンの髪を乱した。
市壁の外を見渡せば、今や身震いするほどの数の松明の火が、ロキの町の川から北を遠巻きに囲んでいる。
左右を見れば、自警団のほぼ全員が矢筒とクロスボウを身に付けて壁上に登り、緊張の面持ちで決戦に備えていた。
相手が一歩でも射程距離の範囲内に近づけば撃ち、市門が破られるのを一分一秒でも防がねばならない。
だが、暗闇の中の軍勢は異様な静寂に満ちている。
まるで何かを待っているような、そんな空気さえ感じる程に。
レオンはふと、市門のすぐ左脇を黒々と横たわっている川に視線を移した。
水の流れは市壁を貫くようにして滔々と流れ、その暗い表面に、市門に掲げられた松明の火が映り揺れている。
――その水面に、ほんのわずかな小さな泡が1つ、2つ浮かぶのを、レオンの目が捕らえた。
「……?」
嫌な予感がして、瞬時にほとんど飛び降りるようにして塔を降り、川沿いへと素早く降りてゆく。
「どうしたんです!?」
そんなレオンに気付き、市門の上から声が上がる。
先ほど会話した金髪の若者、カスパルだった。
「川だ! 川に何かいる……! 応援を呼んでくれ!!」
頼んでから走り出す。
川は深く流れも速い。そして川と市壁の間の隙間は殆どなく、人間がそこを潜り、泳いで入ってくるようなことはまず無いと思われた。あったとしてもその前後で息継ぎに水面にあがった姿を市壁から確実に補足出来る。
そう、相手が人間ならば――。
レオンは水辺の草むらの中に足を踏み入れ、川を遡るようにして走った。
恐らく相手は市門から離れた、人気のない場所で川から上がって来る。
戦いのカンが、頭の中で警鐘を鳴らす。
脚を取られるような水辺の草を掻き分け進むと、前方でビチャリと濡れた音がした。
その音のした方向に視線を向け、草の中に身を伏せて息を潜める。
やがて黒い水面から、水かきのついた不気味な濡れた手が現れたのをレオンは見た。
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